「マタイの法則」と「格差社会」、「ラムゼー理論」と「二極化社会」2

(つづき)

さて、前置きが非常に長くなってしまったが、本当は昔のBBS時代の記事を再録することだった。これである。
私は昨年10月に以下のようなことを書いておいた。

『【27】 貯金ゼロ家庭3割の日が来る?:【18】への補足 2003/10/01(Wed) 』
http://bbsi1.otd.co.jp/essayKI/bbs_plain?base=27&range=1

この中で、私はこう書いた。

「つい最近の統計によれば、日本国民の一般家庭の下20%にはもはやまったく貯金がない。ところが一方でその上には平均貯金が1000万円あるという。だからもちろん最上層部にはもっとずっと高額の貯金があるのだろう。まったくゼロと1000万の差はどうやって出て来るのか、おれにはちょっと理解できないようなからくりがありそうな気がするね。」

最近、毎日新聞(http://www.mainichi-msn.co.jp/)にある次のページは実に面白い。この中で見事に私の上の状況を説明しているからである。
『「一億総中流」神話の崩壊、二極化する日本人の貯蓄』
http://tenshoku.inte.co.jp/msn/news/0004.html
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この記事の中でどこをどうみるべきか、を以下に簡単に説明しよう。

まず、この記事の中の図1、図2が面白い。特に、図2が重要である。

(あ)図1では、日本人の平均貯蓄が1997年を頂点に少しずつ下降して来ているということを示している。
(い)図2では、貯蓄分布が1800〜2000万円を境に『二極分化』して来ていることを示している。ここでは、これより上層部をリッチ(勝ち組と呼んでも良い)、下層部をプアー(負け組と呼んでも良い)と呼ぶことにしよう。
(う)特に、図2で、1999年までは、プアー層に200〜400万円のところにピークがあったものが、2003年にはそのピークが消滅している。
(え)一方、リッチ層はほとんど変化していない。

以上が、図2を見てすぐに分ることである。

これに対してこのデータを提供して分析した『インテリジェンス』社の結論とは以下のようなものである。

『長い間日本は「中流社会」だと言われてきた。しかし、この数字からは中流社会の中心であった「中間層」が分解し、その多くが下方へと移動しつつある様子がうかがえる。「勝ち組」「負け組」などという言葉もいつのまにか定着した。貯蓄の多少は必ずしも人生の勝ち負けを意味するわけではないが、少なくともかつてのような「みんな同じ」という感覚は通用しなくなりつつあることは確かなようだ。 』

この結論自体は間違ってはいないが、要するに、私が上の(あ)〜(え)で見たことを”言葉で表現した”だけのものである。したがって、これでは本当には何も分析していない、といえるだろう。

さて、では私はどう分析するか?これを以下に紹介しよう。

(1)まず、我々物理学者にとって『平均』というのは、それほど意味は感じない。なぜならこれは全貯蓄を一人当たりに換算したものにすぎないからである。したがって、図1のように、貯蓄が1997年頃から下降したわけは、図2のようにプアー層のピークがその頃に消滅して貯蓄ゼロ層ができたために、一人頭に換算すれば下降せざるを得ない、ということにすぎないからである。

このように、一般に、平均(値)というものは、どんな対象にもあてはめることは可能であるが、いつもそれが意味を為すとは限らない。

(2)ここで、ちょっと補足すると、図2の左側の1999年の分布で、プアー層のピークがあるような分布を『ポアソン分布』と数学者は呼んでいる。この『ポアソン分布』というのは、『めったに起らない可能性の分布』とも言われることがある。つまり、リッチとプアーになる確率に非常に差があるような2項分布のことである。

これに対して、分布の中央に大きなピークが来て、その上下にほぼ対象に分布するものが、『ガウス分布』と呼ばれているものである。これは、身長や体重の分布などある平均値になる場合が最も可能性が高く、それ以外は僅かなばらつきがある、というような分布である。

(3)この数学の初歩知識から考えると、『ガウス分布』は、おそらく1970年代、いわゆる、『一億総中流家庭』と呼ばれた時代、にはこの分布であったのであろう。(正確なデータがないのでちょっと分らないが。)つまり、この高度成長時代には、だれもがだいたい平均的な生活を送り、あまり大金持ちにも貧乏人にもなることは少なかった、ということである。言い換えれば、リッチになる確率も貧乏になる確率もほぼどう程度であった、ということである。

しかし、1990年代以降のバブル崩壊後から1999年前後までには、逆に貧乏になることはあっても金持ちになることは非常に難しくなって来た、ということを意味している。言い換えれば、リッチになる確率と貧乏になる確率に非常に大きな開きが出て来た、ということである。もちろん、『リッチになる確率<<貧乏になる確率』である。

(4)そして、2000年代に入って、貯蓄ゼロから200万円台の層が大幅に増えてきた、ということである。そして、リッチとプアーの境の貯蓄1800〜2000万円より下方の分布にはピークがなくなり、『下へ行けば行く程数が増える』という分布に変ったのである。

(5)私は、この分布は特別に関心がある。というのは、以前私は以下のエッセイ:

『 【104】 スケールフリーネットワークとエイズ禍 2003/12/04(Thu) 』
http://bbsi1.otd.co.jp/essayKI/bbs_plain?base=104&range=1

でスケールフリーネットワークのことを紹介したように、この貧乏層の貯蓄分布が『ベキ分布』になっているかどうか、に非常に関心があるからである。つまり、貧乏層の分布が以下のようになっているかどうか、ということである。

人数N
     |
10000|●
     | \
 1000|   ●
     |    \  
  100|      ●
     |       \          
   10|         ●
     |          \
     |            ●
    1 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
      1  10 100 1000 10000 
          m 貯蓄金額


もし、このようになっているのであれば、我々は次の式を得る。

N(m)〜1/m^{γ}。(1)

この式の意味は、貯蓄ゼロが一番多く、額が増える程人口が減る、という分布である。私が見る限り、リッチとプアーの境の貯蓄1800〜2000万円より下方では、これがかなり当てはまって来ているように見えるのである。これは実に驚きである。

(6)では、これはなぜか?私の考えでは、おそらく社会が急速に情報化社会に入ったからではなかろうか?、と見る。

つまり、昔は社会は農業社会などの第一次産業中心であったために、ある意味で生産性が悪く、農業労働では皆似たような生活にならざるを得なかった。自分が米に打ち込めば他人はとうもろこしに打ち込めば良く、勝敗はそれほど大きくはつかなかった。また、同様に、自分の仕事のためには、それに必要とされる人間の数というものも、個人個人で大差はなかった。

そして、それが工業社会入っても、基本的には、農民がサラリーマンになっただけで、自分がテレビを作れば他人は家を作れば良く、これまたそれほどには勝敗が付かなかった。また、仕事上、自分の関わる人数というものも、それほど大差はなかった。だから、この時代には大半が中流家庭を築くことが出来たのである。

ところが、ディジタル革命の時代に入り、情報産業革命の社会に入ると、我々の社会も、俗に言うところの『ディジタル・デバイド』(情報産業の知識や能力の有無で勝敗が別れ、貧富の差ができること)の時代に入った。したがって、この時代になると、『一部のリッチと大多数のプアー』という状況が生まれることになった。これが、図2の意味である。

これはどうしてかというと、情報産業革命のために、”みかけの生産性”が非常に上がるようになったことのせいであろう。ここで、どうして”みかけの”と付けたのかというと、それは農業労働や工業労働のような実際の生産性ではないからである。私の考えでは、この”みかけの生産性”は、人(や組織)の関係している人数(数学ではこれを『リンク数』と呼ぶ)に依存している、と見る。つまり、リンク数の多いものほどより多くの収入が得られると言うような体系に今の情報化社会はなっている、ということである。これはアメリカでも日本でもどこでもそうで、国に依らない。

(7)例えは悪いが、上のことは、『援助交際』(売買春)を考えると実に分りやすい。情報化社会以前では、人が日常的に出会うことの可能な人間の数には限りがあり、それは物理的にもせいぜい数人程度であったであろう。だから、その中から取り引きを成立させていたので、せいぜい1、2人というところであろう。これがその時代の平均というものである。また、取り引きの成功率なども少なかったであろう。これはどの売春婦であれ同じ程度である。だからこそ、平均値が意味を持っていた。つまり、あまり売春婦ごとに差は付かなかった。みんなある程度しか儲からなかったということである。

ところが、情報化社会になると、パソコン、インターネット、携帯電話、iモードなどが登場した。これらの手段を使うと、これまで日中せいぜい数人しか出会う機会のなかった人間が、一気に上限がなく(バーチャルに)出会うことが可能になった。そのために、一気に知り合った中から取り引きを成功させることになる。この状況では、上限がないために、取り引きする人数にも上限がなくなる。したがって、上限なく『援助交際』(売買春)できることになる。そして、この場合には、その数はその人物の魅力の度合に比例して客が付くことになるだろう。つまり、魅力のあるものほど際限なく『援助交際』(売買春)して、際限なく儲かるということになる。この時の売り上げの分布は、ほぼスケールフリーのベキ分布になるであろう。

実際、エイズの場合の性関係ネットワークの研究では、これが正しいということがわかっている。(『スケールフリーネットワークとエイズ禍』参照。)

(8)このような関係は、援助交際に限らず、一般の会社組織にも当てはまるだろう。この場合にも、リンク数(関係業社の数)には、情報化社会では上限がなくなるのである。そのために、リンク数が多ければ多い程、儲かるわけである。つまり、強いところ程ますます強くなるのである。逆に弱いところほどますます弱くなるのである。

では、どうやってリンク数をあげることが可能なのか?それは、知名度や人気である。知名度や人気があればあるほど、リンク数が”優先的に接続される”のである。物理学ではこの状況をプリファレンシャル・アタッチメントと呼んでいる。

(9)したがって、こういった”優先的接続”、”上限のないリンク数”の時代では、何が起るのか?といえば、最初に私が推測したような『べき分布』が生じるのである。言い換えれば、マタイの法則(富むものはますます富み、貧しいものはますます貧しくなる)の支配する社会になるということである。

この結果、1999年までに貧富層にあったピークは、2003年には一番下まで下降して、社会はますます貧しくなったのである。

(10)では、こういう時代をどう生きたらよいか?さあねー?もちろん、私はこの答えを知っているが、それをこの余白に書くには狭すぎる。自分で考えてくださいヨ。


スケールフリーネットワークとエイズ禍
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いずれにせよ、竹中平蔵の責任は重いナ。こいつが自民党にいることが自民党のガンであり弱点ですナ。






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  by kikidoblog2 | 2016-04-05 10:14 | 普通のサイエンス

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