「杉田」の発見!:謎の天才理論物理学者「杉田元宜」博士の写真はどこだ?   

みなさん、こんにちは。

熊本の地震の方はある程度落ち着いているし、磁気モニター等にもここ数日の大きな異変はないようだ、だから北九州に大地震が起こるという予兆は観測していない。そこで、ここ最近私が発見した物理学の話を個人メモとしてメモしておきたい。だから、物理学や理論物理学に興味が無い人は時間の無駄。スルーでよろしく。


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よくB級SFにこんな話がある。

ある孤高の科学者がこの宇宙の神秘を解き明かそうと日夜1人で研究をしていた。
彼はまさに「生命の原理」を解き明かそうとしていた。
しかしながら、あと一歩のところで最後の難所を突き崩せないでいた。
フラストレーションが溜まる。

「なんとしてもこれを解きたい。ああ、あと一歩なんだが。。。」
「だめだ。何かが足りない」

「生命を理解するには不可逆過程の熱力学が解明されないと不可能なんだ」
「どうやればそれを完成できるのか?」

彼はもう一歩のところでその先に一歩も踏み出せない状態が続いた。

むろん、彼は彼なりに自分の構築した理論を持っていた。
しかしまだまだ100%の確信を持てずにいたのだ。

「もっと確信が欲しい!」

そんな時偶然とある資料に目が止まった。

「はあ、『過渡的現象の熱力学』?」

昔の日本人学者の研究を見つけたのだ。
そして彼は何とかその資料を手元に入れ中を見た。

「ああ〜〜、これだ」
「おお〜〜、これこそ私が夢にまで見たシロモノだ」
「見事だ。なんて見事にそれをやり遂げているんだ!」

そこにはまるで昔からよく知られていたかのように、ごく自然にカルノー、クラウジウスの理論の延長線上に位置するように自分の新理論が説明されていたのだった。

しかも完璧なドイツ語の論文を書き、完璧な英語の論文まで書いていた。そしてそれは当時の西側世界の物理学者に少なからずの衝撃を与えていた。

”謎の大天才”は、第二次世界大戦の戦時中にも関わらず、当時世界中の学者たちの研究を分析し、その中から最大の問題点を抽出し、世界のだれもできなかった偉業を成し遂げていた。たった一人で。

「僕が現代科学の最高峰の最適制御理論を学び、それを応用してやっとの思いで突き止めた生命の原理。それを70年も前にほぼ実現していたとは。何たる天才!?」

「いったいだれなんだ?この学者は?」

「なになに、モトヨシ・スギタ?」

「聞いたことがないな。初めて聞く名前だが?」
「日本語名は杉田元宜。杉田元宜博士か」

「なに?戦前の小林理研所属の理論物理学者?」
「はて?小林理研ってなんだ?どこにあった研究所?」

「戦後は一橋大学に移ったって」

そこで彼はインターネットで調べたのだ。
すると、彼は多磨霊園にある故杉田元宜博士のお墓を見つけた。
杉田元宜
1905.8(明治38)~ 1990.1.14(平成2)
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 熊本県八代町出身。父は山口県立岩国高等学校第2代校長(1906)など全国各地で校長を務めた教育者の杉田平四郎・早(共に同墓)の2男として父の赴任先で生まれる。長男の元雄が元宜誕生前に亡くなっているため、元宜が嫡男となる。
 高知県立第一中学校、甲南高等学校を経て、1929(S4)東京帝国大学理学部物理学科卒業。同年、逓信省電気試験所研究員となる。 '34.9~'41.8海軍機関学校教官を務め、小林理学研究所員となった。'44東京商科大学工業経営専門部講師となり、翌年、東京産業大学工業経営専門部教授に就任。また、津田塾専門学校講師も務める(~'51)。
 '49.6一橋大学の経済学部教授に就任し、同.9「過渡的現象の熱力学」にて京都大学から理学博士。'51学制改革による廃止まで一橋大学東京商科大学商学専門部教授を兼務した。 '53一橋大学社会学部教授にもなり、経済学部と兼務。同年より明治大学講師として工学研究科の物性論を担当した。'56~'62旧制廃止まで一橋大学東京商科大学教授を兼務。 '59より甲南大学講師として経営理学科の現代技術論を担当し集中講義を毎年務めた。また、大分大学の経済学部経済工学総論の集中講義を講師も担当した。
 '61.7米国・カナダへ3ヶ月間出張し、ニューヨークでの第4回医用電子国際会議、ノースカロライナでの数理生物学国際会議に出席した。 '65.8ソ連・オーストリア・イタリア・フランス・英国・西ドイツ・デンマークに3ヶ月間出張し、ナポリでの分子生物学国際会議、西ドイツ・ヘルゴランドでの第2回計量生物学国際シンポジウムに出席した。 '67ソ連・スウェーデン・西ドイツ・オランダ・ベルギー・フランス・スイス・オーストリアに出張し、ストックホルムでの第7回医用電子と生体工学国際会議、西ドイツ・ヘルゴランドでの第3回計量生物学国際シンポジウムに出席した。
 '69.3一橋大学を停年退官し、名誉教授。主な著書に『情報科学とは何か』『工学的発想のすすめ』『社会とサイバネティックス』『社会とシステム論』など多数。享年84歳。

<杉田元宜名誉教授年譜抄(一橋大学機関リポジトリ)など>

*墓石は和型「杉田平四郎 夫妻 之墓」。右面に杉田平四郎の没年月日、左面が墓誌となっており、杉田元宜らの刻みもある。戒名はない。


「今回熊本地震の起こった場所の近くの出身じゃないか!」

彼はさらにいろいろと検索しついに見つけたのだ。
謎の天才学者、杉田元宜博士の在りし日の姿を!
図4 小林理研本館裏庭、所員および学徒動員の東大生と一高生(1945(昭和20)年3月)
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後列左から 高木(久保)ミエ(東京工大)、杉田元宜(一橋大)、峰岸武春(横浜市立大)、大川章哉(学習院大)、岡 小天(東京都立大)、河合平司(横浜市立大)、三宅静雄(東京大)、小橋 豊、深田栄一(理研)、植田精三(東京大)、能本乙彦(東京農工大)、早川幸男(名古屋大)
前列左二人目から 井口洋夫(東京大)、高原誠一、小西正一、国司秀明、金田 茂、荒井昌昭、前田 勇、伊藤薫平、古沢太一

能本乙彦先生と小林理研より


とまあ、こんなB級SFのような日々をここ最近の私は送っていたのだが、この「謎の天才理論物理学者」杉田元宜博士についての情報を知りたいのである。特にお写真を知りたい。

そこで、もしそんな写真を持っている方がいれば、ぜひ私に知らせてほしい。
メールの場合にはヒカルランドの方に送っていただけるとありがたい。


戦前の東京帝国大学出の学者は本当にレベルが高かった。

知的に優れていたのはもちろんだが、なにより精神性の高さである。

若くしても達観の域に達しているのである。

これが現代の東大学者の受験エリートやそういう感じの学者さんたちとは一風違っていたのである。


いやはや、驚き、桃の木、山椒の木。

やはり昔は良かったのですナ。


おまけ:
どうやら文中に「元宣」と「元宜」の混合があった。正しくは後者の「元宜」の漢字だったので、修正した。


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by kikidoblog2 | 2016-04-22 09:45 | 普通のサイエンス

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