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「1970年」の杉田元宜博士の予想:「物理学者の異常発生」   

みなさん、こんにちは。

今回は、普通の科学、物理の話である。普通の人には興味ないだろうからスルーを。

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「1970年

といえば、私の世代にとっては「大阪万博」の年である。私が12歳頃、京都の旅館に泊まって大阪万博に行った記憶がある。その時に一家で撮った写真も残る。

最近研究している杉田元宜博士は、ちょうどその頃、一橋大学教授を定年退職し、青山学院大学理工学部の教授か客員教授か非常勤講師になったようだ。この辺の詳細はまだ分からない。

その1970年に杉田元宜博士が日本物理学会誌に書いた記事が非常に興味深いので、ここにもメモしておこう。以下のものである。
物理学出身者の将来像
杉田 元宜 日本物理學會誌 25(6), 476-478, 1970-06-05


この短い、ほんの3ページ足らずの論説の中に、それとなく生前の杉田元宜博士を彷彿させることが書かれている。そういうものだけピックアップしておこう。

(あ)まず、一橋大の杉田ゼミの模様
一橋にいたとき私のゼミナールでは、3年と4年の学部学生たちがハンダごてを手に電気回路と取り組んだり、生物学やバイオニックスの本を読みあさったり、生体の回路モデルを工夫したり、教えなくてもやっていた。

一橋の経済学部で経済学や社会学や法律家やビジネスマンなど人文系とされる大学内の物理のゼミで、電気回路を作ったり、生物学やバイオニックスの本を読みあさって、生体理論を回路モデルにして実験したり、シミュレーションしたりしていた。それも先生の言いつけでやるのではなく、学生自らの発案で行われたというのである。

昔の一橋はすごかったナア。

この成果だったのか、杉田元宜博士は、福田信夫という人とたくさんの生体回路モデルシミュレーションの論文を書いている。

というのも、この時代ではまだ数値計算用のコンピュータは我が国では旧帝大にあるかないかの時代、大半が手回し計算機の時代である。カシオの計算機ですら、1980年代に入ってからのことである。

そんな時代、杉田博士はなんといわゆる「アナログ計算機」というものを実際に作って、理論モデルの計算結果をオシロスコープで見るという方法で、生命の熱力学モデルを計算していたのである。

まだ私はこのシリーズの論文を詳細に解読するところまでは行っていない。今後の課題である。

そんなことを1950年代後半(正確には1950年に端を発する)から1960年代初頭、そして1970年代までずっと研究されていたのである。

その頃の記憶が書かれていたわけだ。

(い)戦前の物理学出身者の数について
物理教室も、私たちの頃は、東北大、東大、京大の3教室で全部で60人くらいだしていたのが、今日では国、公、私をあわせると3000人に近い卒業生を出している。


つまり、戦前から戦後の学制に変わって、物理出身者の数が一気に50倍以上になったことがうかがわれる。

その結果、昔では一人ひとりが新しい学問の祖となることを目指すような教育がなされたが、いまでは、ある分野の特定のテーマの専門家の一人となるような教育ヘと変わってしまった。これでは困る。そういう意見である。

この時代に杉田博士はすでに物理学者の余剰問題を看過できないと言っていた。卓見である。

その後、我が国は1980年代になって、いわゆるオーバードクター問題、いまのポスドク問題へと突き進んだわけだ。

その解決策がまた的を射ていた。

要するに、クロスプレーをしろということである。

物理出身者が生物や経済学や人文系などに進み、逆に生物出身者が物理や工学に進め、というようなアイデアである。いまもってこれは実現できているようには見えない。

その例として、(生物で後にノーベル賞を取る)Hodgkinが物理出身だったとか、経済学の(ノーベル賞を後に取る)Samuelsonが物理出身だったとか、Industrial Dynamics(工業力学)のForrester(MIT)が物理出身者だったということが引き合いに出されている。

地震学者のEwingが若い時にたまたま日本で地震にあい、その経験から地震計を発明するに至ったという話もある。

経験は必要の母である。

(う)物理学者の異常発生
農薬を使うと天敵も減って今度は害虫の異常発生になるなど、生態系のバランスを考えることは必要だが、学者の世界でも物理学者の異常発生などの問題がありそうである。しかし人間は生物の種のように固定化して考える必要はない。物理修士を土台に他のあらゆる分野に進出して行けるなら、バランスを考えた人口はまた変わってくるであろう。

これは脚注に書かれた文章である。

杉田博士はいったん本文を書いた後で、それを何度か読み返すと、かならずその時の不備や足りない部分を脚注やコメントで付加するという習性があったようである。他の論文でもこれが非常に多い。

熟考型の典型だろう。

(え)1961年の話
1961年に杉田元宜博士は終戦後初めて奥様の栄夫人といっしょに3ヶ月間の北米旅行を行った。これは北米を中心に行われた当時世界最先端のME(メディカルエレクトロニクス)の国際学会への参加や大学や研究所の視察を行うためだった。

その時の話が9年後の1970年のこの記事にも出ていたわけである。

やはり戦後初めて海外へ渡った、それも戦争では敵国になったアメリカへの旅行で見たものは鮮烈な印象となったようである。ちょうどいま海外の人たちが我が国に来て、新幹線に驚くといようなものである。

実はいわゆる電車が走り始めたのはアメリカが最初である。テスラの発明した交流モーターを基にスタインメッツが発明したのである。ニューヨークで世界最初の電車が誕生。それがずっと後になって1970年代に最先端の電車がカリフォルニアの地下鉄に採用されたのである。我が国の国鉄はこのアメリカを模範にして進歩したのである。

それから何十年もして、いまでは立場が逆転したわけである。


(お)サイバネティックスの話
私はサイバネティックスの専門家は生物出がよいと考えている。物理や化学をやったものは、全体を部分にまでばらして見ないと気がすまない。それで全体とかシステムといったセンスがどうも弱い。だから生物出が物理学を学び、特に回路理論などを重点において、それからサイバネティックスに進んだら本格的なものがやれるのではあるまいか。


サイバネティックスという言葉はいまでは死語のようなものである。あまり聞かない。しかし、いわゆるスマホやパソコンやインターネットに代表される「サイバー空間」という時の「サイバー」の語源が、ノーバート・ウィーナー博士が創始したサイバネティックスという学問である。

生物と情報と工学と数学を結びつけて、総合的に理論体系化したものがサイバネティックスである。まさに人工知能やドローンやロボットの基礎理論を生み出したものがサイバネティックスである。

いまではそういうものの研究者も昔の最初の語源も研究者も知らないような時代に入っているわけだ。

杉田博士は、実に見事に物理や化学出身者は、物事をバラすだけで、総合するのが苦手だと明言していた。まさにその通り。

僕にモデルをください。そうしたらそれを解きます。
これは難しすぎるのでもっと簡単な問題をください。

こういうのが、数学者や物理学者や化学者の卵に多いということである。

これが『行き過ぎて』、いまでは物理学系数学系などのほぼ90%がアスペルガー症候群となった。人の心も粉々に分解して簡単化しないと分からない。漫然と総合的に把握することができない。

翻って私が総合的に見る、総体的に見るということをどこで学んだか?というと、やはりそれはサッカーだった。サッカー部のサッカーや部長やキャプテンをやったことにより、選手間の人間関係や個々の選手の人間性や性格や趣味趣向、こういったものを全体に把握する力が育成されたと信じる。

また、サッカーのフォワードから中盤の真ん中をやったことから、ピッチ全体を鳥瞰図のように上から俯瞰しながら動くという奇妙な観点を身につけることが出来たと思う。

また、個人的にはボールリフティングの経験が大きなものだと思う。リフティングで1000回をこすようなレベルになると、ボールだけではなく、周りもみないと、いつ何が邪魔するかわからないから続けることができなくなる。だから、自分の周囲を肌で感じながらボールだけではなく、ボールを包む環境全体を見ながら、けっして考えるのではなく、ボールと一体になりながらリフティングをするようにしないと長くリフティングができないのである。

この経験はいわゆる禅の無に近い感覚だと思う。いまでも私はサッカー選手たちが話しているのをだれがどうかという感じではなく、まるで映画で見るような感じで映像全体を一つのシーンとして把握するかのように聞き取っている。だから、そのシーンを思い出すと、だれそれがあの時こんなことを話していたよなとか、こんなプレーをしたよな、というような感じで言葉を把握しているのである。

これに対して、杉田博士が言いっているようなタイプは、文字起こしされたものや、書かれた数式を見ないと理解できないというようなタイプの科学者のことである。

というわけで、私の場合は、スポーツ出身者が物理を志したという部類に入る。

(か)杉田博士の予想
私はいま情報科学にかかわりあっているが、生物物理のおかげで、遺伝情報というのは例えばmRNAができるときなどの活性化のエントロピーに関係することを知った。次にこういう活性化のエントロピーを介しての間接作用のあるシステムを考えている中に、これは不可逆過程の理論に関係がありそうだ、と感ずるようになった。(中略) こういうシステムのパラメータを介しての間接的な相互作用と関係があり、この方向をたどると統計熱力学の新しい展開があっても良さそうな予感がするのである。

システムを組立ている部分の直接的な相互作用(クーロン力など)では、例えば周期律の示すようなシステム特性や原子番号によるその変化が出てくる。情報による間接的な相互作用では、もっと複雑な生体のようなシステム特性が出てもよいのであろう。


これこそ私がここ10年ほどずっと追い続けきたテーマそのものである。

大阪万博の頃、私は京都の寺の庭先でセミを捕まえるのに必死だった。死骸の中に透明な翅で、みーん、み〜〜〜んと鳴くみんみんぜみや、大型で黒っぽいクマゼミを見た時には、それまで甲府でじ〜〜と鳴く、茶色のアブラゼミしかみたことがなかった私には、大阪万博の月の石以上の感動があった。

こんな時代にすでに、杉田博士はいまの私がまだまだ理解するには難しすぎるほどの高いレベルへ到達していたのである。まさに正真正銘の天才である。

東北、東大、京大でたった60人しか物理に入れなかった時代の一人である。

私が理科大理工物理にいた時は90人もいた。いまはもっと多いかもしれない。

やはり学問は少数精鋭で行かなければならないというのは、昔からの事実のようですナ。

政治のように、何でも数で考え、何でも金に換算して考えるのでは、学問はうまく発展できない。

やはり昔は良かったんですナ。


いやはや、世も末ですナ。




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by kikidoblog2 | 2016-07-15 09:29 | 杉田元宜・生命理論

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