武田鉄矢「三枚おろし」の「アドラー心理学入門」:これが結構面白い!   

みなさん、こんにちは。

人間というものは年とともに成長するものである。

という言葉があるが、これは

人間=日本人

とした場合にのみ成り立つ。

最近、私はそういうふうに理解するようになった。

精神の成長には、いわゆる知性というような知的な面には、知能的な面と人間的な面の二種類が存在するが、知能的な面の成長は経験と時間とでそれなりにだれでも成長する。まさにAIの成長がこの場合と言えるだろう。

一方、人間的な面というのは、AIには成長しようがない。もともと人間ではないのだから。が、我々人間、言い換えれば、我々日本人は比較的少しずつ年齢とともに、粋とか、わび、さびとか、そういう日本人文化的な面が成長してくる。

しかしどうやら、西洋人(白人)や東洋人(特ア人)にはそういうものがないということがわかったのである。

これを説明するには余白がない。だから、説明は無視するが、かつて岡潔博士が説明した、〜〜知、〇〇知、とかそういうふうな言い方もあり得る。

岡博士は、人間の認識の仕方を人間のこころの成長過程と見て、それには第6識〜第15識まであると解いた。

動物=第5識=五感=見る、聞く、触る、味合う、嗅ぐ=視覚、聴覚、触覚、味覚、嗅覚
普通の人間=第6識=五感+意識
第六感のある人間=第7識
西洋人哲学者=第8識
東洋人哲学者=第9識
一般の日本人=第7〜9識
道元=第14識
松尾芭蕉=第15識


とまあ、岡潔博士はこんなふうに考えたわけだ。

ながらくこれをいかに個々人の成長過程に結びつけて考えることができるかと私は考えてきたわけだが、最近ではこんなふうに解釈できるのではないかと思うようになったわけだ。

動物の中で一番知能が高いと考えられているチンパンジーの精神年齢=3歳児

とすると、「第五感までの働き」は単純に三歳児までの人間性だと定義することにしよう。

こうすれば、何歳までに精神の成長が止まるかで岡潔の識の部類と対応させることができる。

すると、

動物=第5識=3歳の精神年齢
人間=第6識=5〜18歳の精神年齢
人間=第7識=20歳の精神年齢
人間=第8識=30歳の精神年齢
人間=第9識=40歳の精神年齢
人間=第10識=50歳の精神年齢
人間=第14識=寿命の精神年齢
人間=第15識=寿命を超えた人の精神年齢

というようになるだろうか。

ここでいう精神年齢というのは、ある人は肉体年齢が30歳だから、その人が30歳の精神年齢であるということにはならない。大半の人間は、30歳でもせいぜい中学生から高校生ころの精神年齢で止まっている。

最後の第15識の寿命を超えた人の精神年齢というのは、木内鶴彦さんなどのように、死後の世界すら見てきたというような人が達した精神年齢のことを意味する。松尾芭蕉、道元などはそういうものに近い。

これとは独立にそれぞれの人間が経験したことから覚えたこと学んだことなど実務的な成長、これが普通の意味で西洋世界や東洋世界の人たちが考えるところの知的成長である。昨日より今日、今日より明日、より多くのことを学ぶというような意味合いの知的成長である。

例えば、ユダヤ人はその歴史的伝統的文化的面から、この意味の知的成熟がもっとも高度に発達した民族と考えられる。だからノーベル賞もたくさん取っている。

しかしながら、岡潔博士や私がいま言っている意味のもう一つの精神年齢という意味の発達では、いつまでたっても青年期の18〜20歳程度でストップしているように見える。だから、第7識でストップである。

なぜなら、競争相手の論文から盗用したり、競争相手に策略をかけてみたりと意外に幼いことをするからである。ファインマンの時代の1960年代、ファインマンすらその当時の若者たちのマナーの悪さに嘆いたものである。あまりに他人のアイデアを無断で抜き取る者が多すぎると。

岡潔博士は、西洋人が座標系(デカルト座標)の世界から一歩も先に出ることが出来ないことを終生議論のテーマとした。西洋人は即物的で現実に測量できないものを理解不能なのだと。

それに対し、座標系では捉えられない属性がこの世界にはたくさん存在する。が、そういうものは西洋人の知的構造では捉えられないし、言語的にも表現不能だと考えたようだ。

その典型が、「懐かしさ」というような概念である。

逆に我々日本人の先祖は「懐かしさ」や「もののあわれ」、「わび」「さび」など、座標系や測量ではきちんと定義できないもので世界をみる、というより、世界を感じるということ、など、なかなか西洋人には理解不能のことを中心テーマにしてきた民族である。

岡潔博士はこういったことを人の「情緒(Jocho)」と呼んだ。そして、情緒は西洋人には分からない。西洋人は情緒といえば、感情のこと、エモーションのことだと誤解する他ないのだと。

感情は五感から来る意識の活動である。だから、西洋人はせいぜい第6識止まりだと結論したわけだ。

結果、西洋人の学者に俳句を書かせれば、
「鎌倉に鶴がたくさんおりました」

岡潔「創造の視座」:「西洋人は第二のこころがあるのを知らない」
というような俳句のレベルで終わってしまうのである。

今でもそうで、YouTuberが日本の紹介YouTube番組を作れば、
京都は本当に美しいです
で終わってしまうのである。

これが西洋人の脳と日本人の脳の違いである。

西洋人は見たままを書く。日本人は感じたままを書く。

もちろん、日本人も見たままを書くこともできるが、それだけでは何か足りない、というふうに感じるわけだ。

黒人音楽で、楽譜通りに歌うこともできるが、黒人ミュージシャンはそれでは何か足りないと感じてアドリブでさまざまな自分のリズムやメロディーを装飾的に付け加える。何かそういうふうなものに似ている。

こうして考えた場合、やはりいちばん動物レベルに近いのは、特アの人間という感じがするわけだ。在日支那人の蓮舫や在日朝鮮人の辻本を見れば分かるだろう。

自分の自己矛盾やら、自分の感情やら、そういうものをコントロールできないのである。
日本人で言えば、せいぜい幼稚園児の頃に卒業するはずの知的レベルが一生続くのである。

だから、こういった連中は第5〜6識のレベルの人にすぎないということになる。かなり犬や猫の認知レベルに近い。食いたいから食う。腹が減ったから食う。腹が立ったから相手を殴る蹴る。眠いから眠る。

国会で平気で居眠りする菅直人なんていうのもせいぜい第5識の猿レベルだろう。

つまりほとんど本能のまま生きている人形生命体ということになるわけだ。それでも適当に知的な面が発達しているから人間社会で行きていられるが、心の面で理解できるということはないのである。

いみじくも今年の最初のノーベル賞の大隅夫妻の記者会見によくそれが出ていた。夫婦が空気のような存在で喧嘩することもなく、すべてが平穏無事に過ごせて来ました。ワイフに感謝します、というあれだ。

なかなかこういうふうな夫婦が他国の民族にはないのである。

我々日本人には大隅夫妻は同じ情緒の中で生きているからそうなるとすぐに理解できるが、他国の人には、趣味が合うからだとか、仕事のパートナーだからだとか、そういう即物的条件を並べて分析するという感じでしか理解できないわけだ。

かつて、といっても、つい最近だが、味の中に「うまみ」があると日本人だけが言っていた。「これが旨味を引き出す」というように説明してきた。しかし西洋人は「それは日本人の文化的伝統から来る錯覚にすぎず、そんなものはない」と言ってたわけだ。

ところが、西洋人には「これが旨味の成分である化学物質だ」と現物が出てくると、「うまみは存在した」ということになった。そして「旨味の素の発見競争」となった。

というように、岡潔博士や一般の日本人が言う「情緒」というようなものも、それが「脳のこの部位の活動だった」とか、あるいは「遺伝子のこの部分のあるなしが情緒という感覚を変化させる」とか、こういうふうなことでも起きない限り、理解されることはないのだろうナア。

いやはや、世も末ですナ。

と、武田鉄矢さんの三枚おろしのことを書く前に武田鉄矢さんの心の成長を説明する準備としてちょっと書くつもりが非常に長い前置きになってしまったが、最近の武田鉄矢さんは非常に認識が成長したように感じるわけである。

そういう武田鉄矢さんのこころの成長の面白さが分かるものを幾つかメモしておこう。以下のものである。
『問題はぼんやり・曖昧に見よう!抽象的思考の勧め(前半)』<2015-04-20>【武田鉄矢・今朝の三枚おろし】
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『普通であることの勇気!アドラー心理学入門(前半)』<2015-03-09>【武田鉄矢・今朝の三枚おろし】



この武田鉄矢さんの三枚おろしを聞いていると、かつての旺文社のラジオ講座の物理で
継続は力なり
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といった竹内均さんを思い出す。

まさに継続は力なりである。

武田鉄矢さんも毎週最低1冊を読んで三枚おろしにする内に、だんだん読解力がつき、さらに知識が残り、そのうち自己流の認識すら誕生してきたわけである。

読書は大事である。

つまり、

継続的に読書すること

これが非常に大事だということを武田鉄矢さん自ら証明してくれたわけである。


ところで、ラジオの朝番組で聞いている場合には、毎日聞くのは難しいから、ところどころを聞くだけだから、あまり何を言っているのか分からないということがしばしばあった。トンネルで突然聞こえなくなったりとか、たまにそういう電波妨害もある。電波障害もある。

ところが、こういうふうにYouTubeで一気に一週間分や二週間分を聞くとなかなか味のあることを言っていたということが分かるわけである。

最近の武田鉄矢さんはなかなかである。実に明快で面白い。

今後のご活躍を期待したい。




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by kikidoblog2 | 2016-10-06 15:42 | 武田鉄矢・三枚おろし

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