武田鉄矢の「今朝の三枚おろし」:「薩摩の島津斉彬はヴィトンのバックを買っていた」!
2016年 11月 04日
さて、お次はやはり絶好調の武田鉄矢さんの「今朝の三枚おろし」の話が面白いので、それをメモしておこう。
(あ)【武田鉄矢今朝の三枚おろし】なんと!薩摩が軍艦を買えたのは○○だった!
【武田鉄矢今朝の三枚おろし】なんと!薩摩が軍艦を買えたのは○○だった!
(い)【武田鉄矢今朝の三枚おろし】ナチスドイツをまんまと騙した男
【武田鉄矢今朝の三枚おろし】ナチスドイツをまんまと騙した男
(う)【武田鉄矢今朝の三枚おろし】村上春樹と〇〇〇〇〇は文学的には親子であった!
【武田鉄矢今朝の三枚おろし】村上春樹と〇〇〇〇〇は文学的には親子であった!
いやはや、それにしても鉄矢氏の相棒の
水谷加奈さんは学ばないな〜〜。
毎回リセットされてしまうようで、それまでに話した話をすっかりお忘れになる。天然ボケですナ。
まあそれが良いのかもしれないが。
もし武田鉄矢さんが読んだ本の話を全部記憶していれば、それ相当に賢くなっているはずなのだが、次週にはすっからかんになっている。一から始めるわけだ。
まあそれでも、まさに天真爛漫の言葉通りの
「へへへへへへへへ、ほえ〜〜〜、え〜〜〜〜???」というような笑い声や感嘆の声が良いからそれでいいのでしょうナア。
武田鉄矢さんの相棒としてぴったりだろう。
もし自分のポリシーやら思いやらそういうものを持つ女性であれば、武田鉄矢が何か喋る度にカチンときて、喧嘩や口論になってしまうだろう。それがないからうまくいっているのである。
さて、(う)の村上春樹の話は私は武田鉄矢さんの言うことがよく分かるが、私はまったく読む気がしなかった。また、一冊も読んでいなし持ってもいない。ちょっと立ち読みしてもまったく時間の無駄と思うばかりだったから、武田さんが哲学者内田氏の本の話を解説してもらえばちょうど良いわけである。
ただ村上春樹氏がランナーで毎日10km走っている、そして走りながら考えているというのは実に理解できる。私自身週に2〜3回ほど一回10kmを走るからである。武田さんも村上春樹並みに毎日走っているとか。10数年前までは私は毎日泳いでいたが。ちなみに、iPS細胞でノーベル生理医学賞を受賞された京大の山中教授もランナーである。
この走っている間に考えるというのは、あるいは、泳ぎながら考えるというのは実に良いものなのである。有酸素運動ということからでもあるが、意外に本質的なことに気がつくことがあるからである。
昔の物理学者は自分がいいアイデアを思いついたのは朝の散歩の時だったというようなことがあって、かの仏人の大数学者アンリ・ポアンカレはどういう時に大発見をしたかをまじめに研究までしたのである。
一番多かったのが散歩の時、それも上り坂の時だったというのである。
つまり、多少の負荷のかかる状況、ちょっと汗ばむような状況の有酸素運動が脳の活性化にはよろしいのではないかと考えたのである。
あれから1世紀。いまではその散歩の代わりがジョギングである。
(い)のフェルメールの贋作の話は非常に面白い。この
フェルメールについては、「フェルメール=レーウェンフック説」あるいは「フェルメールとレーウェンフックは友人説」を唱えるのが、生物学者の
福岡伸一さんである。「動的平衡」の著者である。
この話の中で何が一番興味深いかといえば、フェルメールの絵、たとえば
のような絵の中にあるブルーを「フェルメール・ブルー」というらしいが、このブルーの絵の具をフェルメール自身が作成した、それもダイヤモンド原石から作り出したという部分である。だから、このブルーの絵の具そのものにダイヤモンド以上の価値がある。
考えてみれば面白い。なぜなら、絵の具といってペースト状になってるから何か化学物質から人工的に作っているのかと思えば、実は自然界の固体物質からそれをすりつぶして粒子状にして作るわけだ。要は、最初は岩石だったということである。あるいは、虫の死骸。動物の血。石膏。粘土。
まあ、言われてみれば当たり前である。昔は化学は存在しなかったわけで、人工的に化学物質を作ることは不可能だったわけだ。
翻れば、その岩石をすり潰さずに、そのままそれを絵の具の代わりにしてキャンバスに直接に接着剤でくっつけてしまえ。そうやって出来たものが、山梨県甲府の宝石加工業者の考えだしたもの、いわゆる「宝石画」や「貴石画」であった。我が家はこれで大きくなったのだった。
ファミリービジネス( 9 )
ファミリービジネス6:「貴石画」と「宝石画」の誕生
(実宝という朱印があれば、それが我が家のものである。我が父の実の名を取り、実の宝石という意味でつけられた。石を貼っていたのは亡き母親の方だったが。)
岩石をすりつぶして絵の具にしてグラディエーションを活かして絵を描くか、岩石をそのまま加工して研いて、その岩石の中にある自然のグラディエーションを活かして絵にするか、その違いである。
いずれにせよ、いかにして付加価値を生み出すかに絵画の妙味はある。
(あ)の薩摩の島津斉彬の話は非常に重要である。というのは、まさにいまの九州沖縄と同じことをしていたからである。
つまり、当時の薩摩や長州は、幕府に黙って密貿易を行っていたということである。それで莫大の利益を得ていたのである。
薩摩は沖縄経由で支那と貿易、長州は対馬経由で朝鮮と貿易をしていたわけだ。
その際の薩摩の密貿易の材料が「昆布」だった。支那人が昆布だしをとるために沖縄経由で北海道の日高昆布を手に入れていたのである。その輸送経路にある地域が反幕府に育っていった。なぜなら、幕府に知れたら打ち首獄門だったからである。
秘密裏に北海道産の昆布を手に入れ、それを船で薩摩沖縄に持っていく。そして沖縄から支那に密貿易する。そうやって島津斉彬は金持ちになった。
これが大英帝国の隆盛の時にわが国に来たメーソンのグラバーと薩長連合との間で密約に発展し、薩摩や長州の若者が秘密裏にイギリスに留学し、当時の欧州の現場を見てくる。
事実この時代、江戸幕府、徳川幕府も欧州見聞のための「遣欧使」を送り込んだ。それがこの有名な写真である。
「スフィンクスの侍」は「第二次幕末・遣欧使節団の池田隊」だった!
まあ、日本の歴史の教科書には「遣隋使」「遣唐使」というのはあるだろうが、実は江戸時代に「遣欧使」というものもあったのである。一方、アメリカに渡った咸臨丸の勝海舟などは「遣米使」だったのである。
火のないところに煙は立たない
というように、やはり歴史的な出来事である明治維新が起こるのは、それ相当の火種がそこに無くてはならないのである。
その点、長崎には出島があり、蘭学の伝統があった。そこへ英米のアングロサクソンがオランダから利益を奪おうとしてやってきた。その前には、オランダ人の前にポルトガル人やスペイン人がいわゆるラテン系の黒髪黒ひげの南蛮人が来ていた。
いま真田丸で大阪夏の陣冬の陣の話をしているが、この徳川と豊臣の戦いこそ、プロテスタントのアングロサクソンの英米とラテン系カソリックのスペイン・ポルトガルとの代理戦争だったのである。
事実、豊臣の時代には家臣の大半がキリシタン大名になっていた。また、細川ガラシャや豊臣秀吉の息子は身長190cmだったというし、当時の日本人の平均身長が150cm台であったことからすれば大きすぎるわけである。だから、実は
城田優のようなスペイン人とのハーフだった可能性が一番納得できるのである。
一方の徳川には
三浦按針ことウィリアム・アダムスがいた。
「龍馬の黒幕」:「サカモトサン ニッポン ヲ センタク シマショウ」
『日本漂着、家康の引見
1600年4月29日(慶長5年3月16日)、リーフデ号は豊後の臼杵に漂着した。自力では上陸できなかった乗組員は、臼杵城主太田一吉の出した小舟でようやく日本の土を踏んだ。太田は長崎奉行の寺沢広高に通報。寺沢はアダムスらを拘束し、船内に積まれていた大砲や火縄銃、弾薬といった武器を没収したのち、大坂城の豊臣秀頼に指示を仰いだ。この間にイエズス会の宣教師達が訪れ、オランダ人やイギリス人を即刻処刑するように要求している。結局、五大老首座の徳川家康が指示し、重体で身動きの取れない船長ヤコブ・クワッケルナックに代わり、アダムスとヤン=ヨーステン・ファン・ローデンスタイン、メルキオール・ファン・サントフォールトらを大坂に護送させ、併せて船も回航させた。5月12日(慶長5年3月30日)、家康は初めて彼らを引見する。イエズス会士の注進でリーフデ号を海賊船だと思い込んでいた家康は、路程や航海の目的、オランダやイギリスなど新教国とポルトガル・スペインら旧教国との紛争を臆せず説明するアダムスとヤン=ヨーステンを気に入って誤解を解いた。しばらく乗組員達を投獄したものの、執拗に処刑を要求する宣教師らを黙殺した家康は、幾度かにわたって引見を繰り返したのちに釈放し、城地である江戸に招く。』
このアダムスこそが徳川に大砲を使った近代戦術を教え、豊臣の鉄砲隊に打ち勝ったのである。
まあ、害人を捕まえてお前の秘密や知識を教えなかったら殺すぞってやったわけですナ。それで命乞いした按針から聞いた方法で豊臣を打ち破った。一方、豊臣のボスの織田信長も同じことをした。捕まえた南蛮人のスペイン人や宣教師から命が欲しければお前の知識を教えろといって我が方の武田信玄、勝頼に打ち勝ったわけだ。
しかし使っているつもりがいつの間にか使われる方になる。信長はスペイン大帝国の術中にはまり、日本人から総スカンを食らう。徳川家はイギリス人の術中にハマった薩長により滅ぼされる。
要するにいまとまったく同じなわけである。歴史は連続しているわけだ。
こういうような西洋人の関与の事実がわが国の日本史の歴史教科書に一番欠落していることだと思うわけだ。つまり、日本史が日本内史となり、世界史との接点がないのである。
日本はずっと孤立し鎖国していたかのような歴史の教科書がいまの歴史の教科書だが、実際にはずっと周辺諸国と関わり合って戦い合ってきたわけだ。つまり、世界の中の日本だったわけである。
たとえば、いまの
ロイヤルダッチシェルという大会社を作ったのは偽ユダヤ人のマーカス・サミュエルという人物だったが、この人はわが国に来て海岸に落ちている貝殻を西洋に売って大金持ちになったのである。言ってみれば、密売で儲けたにすぎない。
税金も払わず、二束三文で買った貝殻を西洋人に高額で売って儲けた。まさにこっちの人のものをとっていってあっちの人をだまくらかして大儲けするというユダヤ人伝統の商売である。
しかしこれが後の石油戦争そして現在の石油争奪の世界を生み出したわけだ。
つまり、我が国にある貝殻が世界を変えたのである。
こういう視点が日本の歴史の教科書にはまったくない。
あるいは、最近ファラデーのロウソクの科学という本がどういうわけか人気があるらしいが、このファラデーが講演に使ったロウソクは日本製だった。開国したばかりの日本から持っていった和のロウソクを使ったのである。それがファラデーのロウソクの科学である。
有名なものは、トーマス・エジソンの最初の電球のフィラメントは京都にだけある竹が原料だった。それ以外では不可能だったわけだ。つまり、わが国の竹がなければ、世界は明るくならなかったのである。
半導体産業でもそうで、最初の半導体の原料はわが国の天然資源の鉱物である。これが世界を半導体産業に変えていったのである。
世界のトヨタの技術を生み出したものは、わが国の紡績加工業の絹糸である。つまり、天然のカイコ、それも日本のカイコ、養蚕業なくして近代日本は誕生しなかったのである。
我が家の母方はずっとカイコを飼っていた。養蚕業をやっていた。私もカイコ棚を見たことがある。そのためにはカイコの餌になる桑の木を育てなくてはならない。だから、桑畑というのが昔の日本にはたくさんあったのである。
この桑は木の根っこが非常に発達しているから、日本が戦争中燃料がなくなると、学徒動員で桑の木の根っこを掘り出してそこから取れる貴重な油を燃料にしたのである。だから、私の母たちは桑の木を戦時中は掘り出す作業ばかりやったというのである。
この桑の木には
桑の実
という実に美味しい実がなる。今で言えば、〜〜〜ベリーといって高く売れるものだ。
また
桑の木は巨大に育つ。私が子供の頃、大きな桑の木があって、高さ数メートル以上あっただろう。その木の桑の実は登れないからだれも食べることができなかった。そこでチャレンジャーとして私が登り独り占めして、そこから下にいる子どもたちに桑の実爆弾を投げつけたという思い出もある。もちろん降りてきたら口の周りから舌までまっ紫である。
こういう歴史もほとんど今の教科書には抜けている。いたずらにやれ朝鮮人をどうしたこうしたということばかりが強調されているわけだ。実は朝鮮人もいっしょに桑の実を食ったのだよ。
財津和夫さんのファミリーヒストリーがそれを証明したよナ。財津和夫さんの父親の方の祖父は朝鮮半島の南の農業を全部独力で切り開いた人だった。そこへ植えたものは全部日本産だった。だから、韓国の南は農業がさかんなのである。もちろん、終戦と同時に逃げ帰って財産は全部没収され無一文になり、九州に戻り貧しい生活を余儀なくされた。その貧しさの中で一旗揚げようとフォークソングシンガーになったわけだ。
というように、物事はすべてつながっているのである。
こういう視点がわが国のドラマ時代劇歴史教科書には欠けているんですナ。だから、リアリティーがないハリウッド映画と同じレベルに落ちるわけだ。
いやはや、世も末ですナ。
by kikidoblog2 | 2016-11-04 11:32 | 武田鉄矢・三枚おろし