阿南の歌劇団「夢創」:「自分たちの、自分たちによる、自分たちのための芸術」
2017年 01月 17日
”いける、いける”
というのは、阿南弁、徳島弁で
”大丈夫、だいじょうぶ”
という意味である。
”だいじょうぶかい?”
という場合には、
”いけるで?”
と聞く。
さて、今日偶然、地元の阿南テレビ作成のオールメイドイン阿南の歌劇団「夢創」の昨年の演劇を見たのだが、非常に面白かった。そこで、記念して一応メモしておこう。以下のものである。
いける、いける Don't worry, be happy!
【特別インタビュー】演出家:遠藤吉博さん(劇団夢創 公演『いける、いける、Don’t Worry, Be Happy』)
このYouTube版もクリップもまだないようだ。
この「夢創」という阿南市内の劇団は、私の記憶が正しければ、およそ10年ほど前に始まった。メンバーも演劇振り付け、音楽などすべて阿南市民が行う、あるいは、阿南出身者が行うという
地元の、地元による、地元のための劇団
である。
一番最初の開始時期は、我が家の息子たちの友達がメンバーにいたり、まだ試行錯誤だったりで、それほどレベルが高かったとは言えない。学芸会の演劇かそれに毛が生えた程度のレベルだったと思う。
それが年々経験を得て、さまざまに学習し、どうやら最近では非常にレベルが上ってきたようである。
劇団メンバーも地元阿南の子どもたちや青少年やその母親たち。
特別に美人美男がいるわけでもない。ごく普通の容姿の子どもたちや出演者たちである。
しかし、自分たちで自分たちの夢を創る。すなわち、それが夢創なのである。
だから、純粋に演劇や歌に集中して、一生懸命に励む。それが素晴らしい。
美形だからテレビに出る。美男や長身だからイケメンだからテレビに出る。演劇に出る。
いまやこういう風潮がテレビ・マスコミに蔓延してしまった。だから、もしそうでなければ、生まれた姿に手を加えてもテレビに出たい。金を稼ぎたい。こういうことになる。
むろん、この風潮を全世界に蔓延させたのは、ハリソン・フォードのいるハリウッドである。
しかしながら、これでは本末転倒である。
阿波の阿波踊り同様に、踊る阿呆に見る阿呆。同じ阿呆なら踊らにゃソンソン。
これでいいのである。
演劇や歌劇があるのなら、出なきゃそんそん。
別に自分の姿形や容姿などどうでも良いのである。純粋に演劇に集中し、観客を笑いと涙と感動の渦に巻き込めばそれでいいのである。
一生懸命に練習し、一生懸命に無心で演じる。
この姿が、見るものを感動させるわけだ。
とまあ、そんなわけで、これまでの演劇の一部がYouTubeにあるようなので、それを一応メモしておこう。以下のものである。
夢つむぎの詩2011 - うを座、夢創 合同ミュージカル
夢つむぎの詩2100
夢見竹のかくれんぼ〈ダイジェスト〉
劇団〈夢創〉カッコちゃんと素敵な仲間たち!
夢創以外にもこんな劇団もある。
徳島県那賀郡那賀町!劇団もんてこい丹生谷2013 "もんてきた息子"
さらには、AJET英語ミュージカルという、徳島に英語教師などで来ている外国人の若い先生たちが創る英語ミュージカルもある。これも我が家の子どもたちがまだ3,4歳の頃に出来たのだが、もう10数年も続く。20年近い。これも一応メモしておこう。
「AJET徳島」英語ミュージカル 今回は徳島版「アナ雪」、県内6ヵ所3月上演 2015/2/28 10:19
AJET徳島ミュージカル~アワ・ヒーローヘラクレス~
Tokushima 2012 AJET Musical Part 3/11
いつも思うことだが、そこだけでやっている。そこに行かなければ見れない。これが大事である。
阿波踊りは徳島に来なければ見れない。一緒に踊れない。
夢創を見たければ、阿南に来なければ見れない。あるいは、いっしょに演じたければ阿南市民になるしかない。
これが地の利。本当の意味の価値なのである。
演劇も歌も音楽も別に電通のためにあるわけじゃない。CMのために演じるわけでもない。演劇は演劇のためにある。歌も歌のためにある。商売のためにあるわけではないだろう。
今一度、本義に戻るべき時代到来のようですナ。
by kikidoblog2 | 2017-01-17 20:07 | 阿南&徳島