「温故知新」から文科省の「温新知古」の時代へ:「サイバネティックスの時代」は良かった!?   


みなさん、こんにちは。

最近は私は杉田元宜博士の1960年代以降1970年代頃までの研究を完全に理解するにはどうしてもかのノーバート・ウィナー博士(ウィーナー博士とも呼ばれる)の
サイバネティックス
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を理解しなければ無理だということになり、我が国でこのウィナー博士の盟友の一人、かつウィナー博士をたびたび我が国への訪問することを実現したという、北川敏男博士の研究を調べているわけである。

この辺の事情は次の本に書かれていた。
統計科学の三十年―わが師わが友 (1969年)
(これは京大数理統計研究所のサイトからフリー・ダウンロードできる。一読の価値あり。)

この北川敏男博士は、かつて私が富士通にいた頃、その部署の向かい側にあった富士通国際情報社会学研究所の創設者の一人、初代所長になった人だった。

九州大学が1939年に開設された頃からずっと九州大学の教授であり、九州大学をそれまでの東京大学(人文社会法律中心)、京都大学(自然科学中心)、東北大学(物質加工科学中心)から、生命現象や社会現象中心の新大学として誕生させるきっかけにまでなられた大数学者であった。いわば、九州大学をいまある形を設計して作った人である。

この北川博士の開拓された推測過程理論とは、まだまったくまともに勉強していないのだが、要は制御過程理論の逆問題である。つまり、普通は何かの”原因を与えて”それがネガティブ・フィードバックして制御するということになるが、推測過程というのは、制御された”結果をみて”、どんなものが制御しているかを逆に推定するという理論であると思う。

要するに、あなたが打ち出す手を見ていくうちに、あなたの頭の中のルールを見つけ出すのである。そして、一度あなたの発想の根源を知れば、百戦無敗となる。

すなわち、今流行りのAIの遠いルーツと言える。なんとそんなことを1940年代から1950年代には我が国でもさかんに研究していたようなのである。そういうことを最近知ったのである。昔の日本の学者は偉かった。

それで、どうして一橋大の杉田元宜博士、あるいは九大の北川敏男博士、東大の高橋秀俊博士、米カリフォルニアの高橋安人(やすんど)博士などさまざまの人たちが、サイバネティックスを研究したのかと見ていくと、やはり当時の大天才ウィナー博士の偉大さにあったようだ。このウィナー博士のスタイルはどことなくニコラ・テスラの時代のテスラやスタインメッツ博士に似ている感じがする。

要するに四六時中研究している。研究以外しない。物心ついた時から研究、仕事も研究、遊びも研究、趣味も研究、暇な時間も研究、眠っているときも研究、死ぬまで研究、というスタイルのことである。今時こういうタイプはいない。いたとして一時的である。

そんなわけで、我が国の情報科学というこの「情報科学」という言葉を生み出したのも北川敏男博士であった。また、わが国初の「情報科学研究室」というのも作ったのも北川博士である。ちょっと遅れてほぼ同時に東大の高橋秀俊博士も「情報科学研究室」をお作りになったようである。どっちが先かと言えば、やはり北川博士だろう。が時代的背景からすると甲乙つけがたい。

そうしていると、偶然、以下の面白い本をアマゾンで発見し、買ったのである。
サイバネティックス―境界領域としての考察 (1953年) (現代科学叢書〈第1〉) サイバネティックス〈続(自動制御と通信理論)〉 (1954年) (現代科学叢書) - – 古書, 1954


それで昨日はこの古い本を読みやすくするために1枚5円コピーのある市内のスーパーのマルナカ(イオンに乗っ取られた)にコピーに行っていたわけである。ついでに杉田元宜博士の「物理学史(1943年)」もコピーした。さもないと1940年代、1950年代の本だから持ち歩くとボロボロになってしまいそうだからである。

「統計科学の三十年」によれば、北川敏男博士は学術会議の会員になった頃、ウィナー博士の薫陶を受けて科学の細目による分断の壁を取り除くための活動を行ったというようなことが書かれていたのだが、どうやらそういう一つがこのサイバネティックスの布教、普及であった。

そうやって自然科学の各分野の当時の巨匠たちを集めて議論し交流する機会を得たのが、上の「サイバネティック」「続サイバネティックス」であった。今読んでも実に啓発的で面白い。本質的なことはもうほとんどこの時代に尽きているのである。

残念なことにこの時代つまり1950年代から1970年代までの古書は大学の図書館から矢継ぎ早に「除籍」されているのである。

これが、アマゾンと裏で組んだ文科省の天下り官僚のせいではなかろうか?と俺は睨んでいるのだがナ。いったいだれが大学図書館の図書除籍を認めたのか?

いずれにせよ、大学の図書館の最大の任務は古書の保存と管理なのである。

実は、この大学の図書館システムをお創りになられたのもまたこの北川敏男博士だった。だから、今のこの現状を見たら嘆くに違いない。

大学に古い本がなくなれば、もはや大学の自殺に匹敵する。存在価値がないとすら言えるのである。

しかしアマゾンなら買えるって?→ここにアマゾンと結託した陰謀の匂いを俺は嗅ぐのである。これも調べているところ。

面白いことに、この1950年代我が国の研究者がこうしてウィナー博士のサイバネティックスの普及に心奪われている間、その空隙をぬって、米ソではほぼ独立に最適制御の理論が生まれつつ在った。

ソ連では盲目の天才数学者ポントリャーギン博士、アメリカでは若き天才リチャード・ベルマン博士が挑戦中であった。

ともにミサイルの制御を可能にするためだった。つまり、平和憲法のもとサイバネティックスの平和利用だけに限定してものを見ている日本の科学者たちに対して、核ミサイルの開発という現実の危機の戦争をしていた米ソにあって、それを可能にする数学理論を発見することは急務の課題となっていたのである。

だが、我が国の研究者はそんなことはまったく理解できなかったし、理解しなかったし、興味ももなかった。

その結果、ポントリャーギンは「最適制御の最大原理」を発見し、ベルマンは「最適性の原理」「ダイナミックプログラミング」を発見した。ここに「現代制御理論」という科学分野が生まれることになった。(*)

こうなると、ウィナー博士のフィードバック制御の理論は「古典制御理論」となり、過去の遺物と化してしまったのである。

まさにハイゼンベルグとシュレーディンガーの量子力学の発見により、ニュートン力学が古典力学となってしまったようなことが制御理論でも起こったのである。これがほぼ1950年代後半、ほとんど1960年に起こったのである。たぶん正確には私が生まれた1957年に誕生したのである。

つまり、ソ連のスプートニクが発射され、アメリカがスプートニク・ショックになった時に、現代制御理論が完成したのである。私の名前は、このスプートニクが打ち上げられたことにちなんで、平和に1基空に飛んだというところに私の父親が感動して、その状況を私の名、和基となったのである。

つまり、言い換えれば、私は現代制御理論といっしょに生まれたのであった。

ところが、我が国では逆に北川博士、杉田博士、高橋秀俊博士、高橋安人博士などのサイバネティックスの普及の威力がありすぎて、長らく現代制御理論の方まで手が回らなかった気配がある。

トーマス・クーンのいうパラダイム論で言えば、やはり我が国の科学技術は、ウィナーのパラダイムからポントリャーギン・ベルマンのパラダイムへのシフトがうまく行かなかったのかもしれない。

その証拠がいまだに科学系、物理系、工学系の大学、大学院では現代制御理論を教えるものが非常に少ない現実と言えるだろう。

ここ阿南の阿南高専にも工学系の研究室がいくつかあり、そのそれぞれに制御理論を教える教科がある。私が調べたところ、その内容は重複しているにもかかわらず、ほぼ同じ内容を電気、機械、土木などで別々に制御理論の科目としてほぼ同じ古典制御理論を教えているのである。みな現代制御理論はスルーしている。そういう教師の1人に私がサッカー部の指導時代の監督になってくれた人がいて知っているのだが、現代制御までは手が回らないと言っていた。

前の話と重なるが、こうしているうちに、この1960年代〜1970年代までの古書、古い教科書は軒並み除籍処分となった。

はて、じゃあいったいだれがどの本で最適制御理論を教えるの?っていうことにならないだろうか?

かといって、残った本を見ると、なんと同じ本が数冊ずつ並ぶ。ということは、今の大学の除籍処分とは、比較的新しい本は何冊もあるが、古い本はまったくないということになる。

これって、意味ないのではないか?

むしろ、新しい本は2冊程度で十分だから、そのスペースに古い本を保存しておくべきではないのか?ということになろう。


我が国には、温故知新[昔の事をたずね求め(=温)て、そこから新しい知識・見解を導くこと。]という優れた言葉が残されている。

今はまさにこの逆である。不可温故不可知新あるいは、温新知古[最近の事をたずね求め(=温)て、そこから古い知識・見解を導くこと。]であろう。

温故知新の最大の利点は、二股に分かれて進んで一方が行き止まりになった時、その二股の場所まで戻りそこから別の道にやり直すことにあると私は考えている。

いま我々の世界、我々の科学は後戻りすべき時代に入った。本当に進むべき道を探し直さなければならないのである。相対論がどこで間違ったか?熱力学がどこで間違ったか?量子力学がどこで間違ったか?
こういう時、一旦舞い戻って、別の入り口を探さなければならない。迷路を脱出するには失敗したらまた元に戻らなければならない。

こういう場面で、古書が最大限の力を発揮するのである。


いやはや、我が国はもはや馬鹿を通り越して気違いになってしまった文科省のお陰で大学の図書館はもぬけの殻になりつつある。アマゾンを天下り先化したいばかりにそういう愚策を繰り出したに違いない。


それにしても昔の日本の科学者は素晴らしい。昔は良かった、のである。


いやはや、世も末ですナ。


おまけ:
(*)逆に我が国では戦前軍事研究というものが行われた。軍事研究というのは軍事情報を扱うから、どこから漏れても困る。だから基本的には関係者以外極秘任務となる。日本では「軍事研究隣組」「隣組研究班」というものがあったらしい。各テーマに合わせて班があてがわれてその班に何人もの研究者が集められて、開発研究した。仁科(芳雄)研究班ではレーダーの研究、〜〜班では制御装置の研究という具合で研究が行われた。軍事研究だから海外の研究者とも交流はない。まったくある意味で自由気ままに自分たちの発想で研究する。どうやらこれが非常に科学には良いようで、世界や社会から孤立することにより非常に独創的な発想が生まれるらしい。だれにも左右されないで本質だけを自分の頭で考えることが出来るのである。事実、制御理論に関しては我が国の数学者は西洋で同じものが発見される10年も20年も先に独自に発見していたようである。だから、名機ゼロ戦や戦艦大和が作れたのである。どうやら我が国の戦後の発展の最大の原動力がこの軍事研究の時代に遡るらしい。だから軍事研究をいたずらに危険視するのは非常に誤っているのである。この話はまたいずれすることもあるかもしれない。




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by kikidoblog2 | 2017-02-14 09:25 | ウィーナー・サイバネティクス

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