「古書に学ぶ」:長岡半太郎の「科学名著集」、明治大正時代の名著の翻訳があった!

みなさん、こんにちは。

最近はずっと杉田元宜博士の行った研究にハマってきたが、その中の「物理学史」という杉田先生の本があり、これは1943年に書かれた。この中で時々、旧帝国大学時代の東北帝国大学の長岡半太郎博士の言葉が引用されている。これが実に興味深い。

長岡半太郎先生
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と言えば、我が国最初の理論物理学者である。

そこで、この言葉が書かれているという、長岡半太郎先生の編纂された「科学名著集」というものがあり、これが全9巻ほどあり、当時(明治大正初期)の欧州の科学者の世界的名論文が日本語に翻訳されていたのである。

もちろん、インターネットの時代になるまでこの存在は東北大のカビ臭い古書倉庫に眠っていたにちがいない。

ところが、いよいよディジタル化の時代に入り、この科学古書のディジタル化も国会図書館で行われてきたようで、実に幸運、我々大学の外にしか住めないごく一般人でもそういうものが見られる時代になったのである。

ヘルムホルツ、グリーン、ガウス、ヘルツ、

こういった偉大な歴史的科学者の古典が、原典のドイツ語や英語ではなく、我が国の言葉、日本語で読めるのである。が、しかし、もちろん明治大正時代の日本語、かなり古臭い、しかも昔の漢字を用いた日本語だが、明治大正時代の科学者たちの巨匠の論文が読めるのである。

ヘルムホルツと言えば、渦定理。自由エネルギーなど数多くの科学の分野に名を残す巨匠である。

その中でも流体力学を完成させ、その後、それがマックスウェルによって電磁気学に応用されて、電磁気学が完成し、そこにベクトルポテンシャルという新しい物理概念を生み出し、20世紀になって、これがゲージ理論の土台となっていった。

このそもそものベクトルポテンシャルを生み出した人物こそ、
ヘルマン・ヘルムホルツ
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その人だったのである。

最近では、そのヘルムホルツの理論を用いたウィリアム・トムソン(後のケルビン卿)の、このヘルムホルツの渦でできた原子、これを「トムソンの渦原子」というが、これが素粒子理論のひも理論の原型のようなものだ、あるいは、エドワード・ウィッテンやジョーンズの多項式の基本となった組紐理論の創始であるとか、さまざまな観点から再び脚光を浴びているものでもある。

そのヘルムホルツやトムソンの原典、古典のオリジナル論文が、大正3年には長岡半太郎博士とそのお弟子さんによって日本語翻訳されていたのである。参考までにメモしておこう。以下のものである。

科学名著集. 第3冊


これは印刷ボタンを押して、コマ数指定し、pdf化ボタンを押すと自動的にpdf化されるという優れものであった。コマ数は最大50コマだから、いくつかに分割してダウンロードできる。私もこの論文集を全部ダウンロードした。

さて、驚くことは、この3巻の序文の長岡半太郎先生の言葉である。

最初にヘルムホルツ博士の生い立ちおよび研究の経緯が書かれているのだが、それが超絶の驚きのものだった。

私はヘルムホルツ大先生は最初から物理学部で教鞭をとった理論物理学者だったと思っていたら、どうやらそうではなかったのである。

最初にエネルギー不滅の原理である、エネルギー保存の理論を構築、これが認められてケーニヒスベルグ大学の、なんと生理学の教授に任命されたのである。

翌年に、検眼鏡を発明。
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これは、眼科にいくと最初に眼の中を見てもらうアレですナ。

ケーニヒスベルグ大学の生理学教授として6年の間に、ドイツ医学界で革命を起こし、話題の人となった。

それが認められて今度はボン大学の、なんと解剖学と生理学の教授になったのだ。

ここで研究したのは、主に目と耳。この目と耳はヘルムホルツ大先生の最も好むところだと長岡半太郎は書いている。

これが、音響学と光学を生み出し、ヘルムホルツの音響学とヘルムホルツの光学という名著を生み出したのだという。

解剖学をして実験し、生理学の基礎として理論物理を作り上げる。これがヘルムホルツ流だったのである。

耳は脳に直結している。そこでヘルムホルツは神経伝達の解剖学的研究を行い、音は空気を伝達するから、流体力学を研究する。こうして、電気伝導に関しては電磁気学、音響に関しては流体力学が必要だということになって、自分でそういう理論を作り始めた。

それで、グリーンの定理とノイマンのポテンシャル論を用いて、ベクトルポテンシャルという概念に行き着く。これを使って流体力学の渦の問題を見事に完成し、近代的な流体力学の渦定理を導いた。

それが後にイギリス人のマックスウェルの目に止まり、マックスウェルがそれを同じイギリス人のファラデーの実験結果を見せてもらえるという幸運によりマックスウェルの電磁理論を作り上げる。

いや〜〜、実に面白い。

ちなみに、エネルギー保存則を最初に言い出したドイツ人はメイヤー(マイヤーともいう)であり、彼もまた医者だった。

昔のドイツの医者はとてつもなく数学ができたようだ。いまの東大のお医者さんのようなものかもナ。高校数学できないと東大理IIIには入れないらしいから。しかし、東大のお医者さんからは解剖学研究しながら新しい数学の定理を見つけるというような人は聞いたことがないが。

さて、この巻の後半はそのヘルムホルツの流体理論を渦に応用し、渦原子の研究を行ったトムソンの論文に変わる。当時は原子論が最先端であり、原子の存在は予想されていたが、原子の内部構造が未知だった。そこでトムソンは渦のパターンによってさまざまの原子の種類が分かれるのだというアイデアを提案したのである。

原子スペクトルの系列を渦の振動の系列として理解できるのではないかというのがどうやらケルビン卿の発想だった。これが今で言う超ひも理論の発想と似ているというわけだ。

面白いのはどうもこの時代にかのヒックス粒子のご先祖だったかもしれないヒックスという学者がこの渦原子のモデルに飛びついて研究していたらしいことが書かれているのである。

ひょっとして、これが長岡半太郎の原子の土星モデルにつながっていったのかもしれないですナ。そして、長岡の土星モデルに着想を得たニールス・ボーアの原子の太陽系モデルにつながる。


長岡半太郎は序文の最後にこう書いている。もちろん大正時代の語り口でだが。

。。。
将来ヘルムホルツ、トムソン両先生の議論を補充して、エーテルの構造に関する新知識を啓発するという関門に到達するのだが、いまだにそれができるかどうか想像もできない。したがって、読者がこれらの模範論文を理解できるようになれば、渦動の物理的研究が、自然の秘密を暴くためにいかに価値あるのかを悟ることは難しくないにちがいない。

大正2年11月28日。長岡半太郎識。



ところで、杉田先生の「物理学史」の中に、長岡半太郎の時代にアメリカに行ってニコラ・テスラに面会申し込み、ヘルツの電波の研究に関して直に質問しに行った日本人がいたという話がある。

なんとニコラ・テスラ、その我らが日本人の研究者に対して、テスラ・コイルで巨大な放電を見せて、
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「俺は無線電信のようなそんなつまらないちっぽけな問題には興味ない。俺は無線電力送電、無線電灯照明を完成してみせる」

と言ったという。(この時、その日本人グループがテスラを日本の大学に招き入れたら良かったのではなかろうか?そしたら、その後の戦争に全部勝てたのではないか?)

いや〜〜ニコラ・テスラ、やっぱりニコラ・テスラだった。

ちなみに、その日本人が驚いたのは、当時我が国ではそろそろ電球が灯り、街が電気で明るくなりかけた頃だったのだが、最先端と思っていったアメリカの街はまだガス灯だらけだったというのである。これにその日本人が衝撃を受けたという。

また、アメリカの有名な大学の学者に無線電信のことを聞いたら、
「君たちの質問はカエルに小石を打ち付けるようなもので、君らにはおもしろいかもしれないが、カエルの身になってみろ」
というようなことを云われたとか。


いずれにせよ、我々日本人もやはり明治大正の時代から日本人だったのだ。好奇心旺盛。

東に偉大な発明家あれば行って聞いて来る。
西に偉大な学者あれば行って言説を学んでくる。

この精神はずっと昔から我々日本人に備わった好奇心遺伝子から来るのだろうか?

我が国のミカン、橘、柑橘類は、100BCに天皇に命じられた遣印使が持ち帰ったものだ。命かけて印度まで行き、そこからミカンの苗をもらって持ち帰った。砂糖のサトウキビも和菓子もそれがルーツだったというわけだ。

昔の日本語を自動的に現代語に翻訳してくれるようなツールがあれば、非常にありがたいんだけどナア。
だれか開発してくれ。

いずれにせよ、科学はその本質においては進歩していないどころか退化しているのではなかろうか?
そう思う昨今である。最近の論文見ても何も学ぶものがない。単に計算があるだけ。


いやはや、世も末ですナ。



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  by kikidoblog2 | 2017-03-06 09:50 | 普通のサイエンス

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