ウィーナーのマクロ・サイバネティックスと杉田元宜のミクロ・サイバネティックス!   

みなさん、こんにちは。

さて、いまから『物理学者』になった時の俺の「上から目線的」ご託宣のご開陳だから、普通の人は「えっ」と思うような代物だから、ぜひスルーを。物理学者というのは、本来こういう物事の認知をする変わった人間なのである。学問に関しては「優しくない」んですナ。


さて、この1年ほど、故杉田元宜博士の論文を研究してきている。

が、この謎の天才杉田元宜博士は、戦前は、帝国海軍アカデミー、小林理研の研究員、東京商科大学の講師、戦後は、小林理研と一橋大学経済学部の物理の教授等を歴任し、終戦直後に日本の生物物理学会を発足させた、そういう偉大なる歴史上の人物であった。

これまた不明の理由から、いわゆる物理学会に所属する理論物理学者とはあまり交流がなく、おそらく、私の推測では、かなり足を引っ張られたのではないかと想像している。

特に、最近流行りの言い方で言えば、おそらくこれもかなり確かだったような気がするが、いわゆる「アスペルガー的」だった故久保良五博士が率いる物理学会の東京大学の統計理論学派とは、反りが合わなかったに違いない。

この悪癖というか、この悪い歴史はいまもまだ悪影響を与え続けてきているように見える。

まあ、婉曲的にせずにはっきり言うと、東大の久保亮五博士は、自分自分が強すぎて、決して自分以外の人の研究や業績を正しく評価するという人間ではなかったんだな。

この悪影響がその弟子、孫弟子、ひ孫弟子にも、一つの東大物理の伝統として引き継がれてしまったに違いない。

その典型が、現在では、その孫弟子であり、現学習院大学物理で統計物理の専門として名高い、田崎晴明博士であろう。

私の個人的調査および受ける直感的印象では、田崎晴明は非常に久保亮五と似ているのである。気質がナ。

まあ、彼の研究は有名だが、あれだけが理論物理だと主張されては困るわけだ。が、それに永久に気づけない。そのあたりが久保亮五に似ているんですナ。


そのあたりの杉田元宜博士と当時の東大内の権威である久保亮五や伏見康治との関係はあまり良くわからないのだが、普通ならこれほどの業績のある人が物理学会の外、また一橋大にあれば、それなりの言及というものが、何か遺されているはずなのだが、まったく記述がない。発言もないのである。

久保亮五は日本物理学会の重鎮。後にボルツマン賞を授与する人になったわけだ。方や杉田元宜は生物物理学会を作った人だよ。それも元東京帝大の物理出身。

こんな人に対して、たったの一言もなかったのだ。いわゆる、シカトっていうやつかな?全然無視だったわけである。これこそ、何か変だぞ、と思うわけですナ。

まさにアスペルガーですナ。

とまあ、このあたりの歴史は、ニュートンやらアインシュタインやらボーアやら、欧米の老舗しか研究しようとしない我が国物理の歴史学者の研究よりはるかにリアルで面白い。

西洋人かぶれも適度にしないとナ。


さて、そんな我が国ではほとんどノーマーク、完全シカトでスルーされてきた杉田元宜博士であったが、最近徐々にその先進性が再認識されつつあるのだ。

なぜなら、ボルツマン賞の線形応答の理論の久保理論なんていうのは、所詮はオンサーガー、そして後のプリゴジンの仕事の通過点でしかなかったが、それでも一応戦後の我が国の理論物理学シーンでは無視できない業績ということでボルツマン賞を受賞したが、杉田元宜の理論的アイデアは、オンサーガーおよびプリゴジンをはるかに凌駕して先に行き、さらにはノーバート・ウィーナーの「サイバネティクス」すらも凌駕していたからである。

いまでは、ノーバート・ウィーナーのサイバネティクスを「マクロ・サイバネティックス」と呼び、杉田元宜博士が分子統計論的に開発した理論分野を「ミクロ・サイバネティックス」と呼ぶようになったらしい。

というのも、杉田元宜博士が、非平衡非線形統計理論どころか、不可逆変化の制御理論としてのミクロバージョンを生み出したのである。そういう認識がいま広がりつつあるわけだ。

今日、偶然、そういう論調のトロント大学の博士論文を発見したので、ここに一応メモしておこう。以下のものである。

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Dr. Tara Helen Abraham - Thesis (2000)
"MICROSCOPIC CYBERNETICS":
MATHEMATICAL LOGIC, AUTOMATA THEORY, AND THE FORMALIZATION OF BIOLOGICAL PHENOMENA, 1936-1970

http://www.collectionscanada.gc.ca/obj/s4/f2/dsk2/ftp02/NQ53763.pdf


この中には、
「70年目のサイバネティックス」:いまこそウィーナー研究を復活させるべき時だ!
「70年目のサイバネティックス」裏話:ウィーナーは生まれ変わりを信じていた!
「ピッツ君が引きこもったわけ」:もしマーガレットがアスペじゃなかったら?世界は変わっただろう!?
リアル・グッド・ウィル・ハンティングが存在した!:ピッツ君、静かに歴史を作り静かに死す!?
などでメモした、「マカロック=ピッツ理論」のマカロック博士も登場。

さらには、写真入りで、今現在欧米では「理論生物学」という名で知られる分野の創始者と目されたラシェフスキー博士も登場する。

そして、もちろん杉田元宜博士も登場する。

では、なぜそんな歴史回顧的な学位論文の中に、我が国の杉田元宜博士の名およびその研究が詳細に議論され、さらには博士が書いた図がいくつも論文の中から引用されるのか?

まあ、要するに、それだけ重要だっていうことですナ。


なぜ重要か?

というと、上にちょっと書いたように、ノーバート・ウィーナーのやろうとした「サイバネティックス」は、第二次世界大戦中我が国のゼロ戦をどうやってレーダー探査とコンピュータ計算で追尾して撃墜できるかのマクロの制御理論として使われた。

ところが、ほぼおなじ頃からその後まで、そして終戦後の高度成長期の時代まで、杉田元宜博士だけが、ウィーナーのサイバネティックスのアイデアをミクロな生命現象の問題に応用していたからである。

これを「ミクロ・サイバネティックス」と呼ばずしてなんと呼ぶのか?

ということなのだ。

つまり、ウィーナーがその著書「サイバネティックス」で、情報、通信、制御、などなどで、電気回路や電子回路を使ってマクロに電子計算機を作る、という目的で開発した数学的手法を、そして、後にウィーナーが社会科学や経済学、さらには統計学や精神分析学や心理学や医学などに応用していったわけだ。

が、杉田元宜博士は、そういうものをすべてミクロの原子分子の化学反応、あるいは、DNAやタンパク質および細胞、こういうレベルで、化学反応は分子原子の社会学であり、生命は分子原子のサイバネティックスを用いて、分子原子自らが、情報、通信、制御している、と考えて研究していたからなのだ。


杉田博士の論文によれば、当時、そういう問題を西洋でやっていたのは、
イギリスのグッドウィンの学派、
イタリアのロトカ、ボルテラの学派、
ドイツのベルタランフィの学派、
アメリカに渡ったラシェフスキーの学派、マカロック、ピッツ、ウィーナーの学派
こんなものであった。

統計力学では、ご存知、アメリカのオンサーガーの学派、ベルギーのドゥ・ドンデルおよびプリゴジンの学派である。

プリゴジンはまだ若く、ちょっと遅い。

一方、我が国では杉田元宜の他に、柴谷篤弘がいた。「理論生物学--動的平衡論」(日本科学社、1949)。柴谷こそ我が国で最初に理論生物学および「動的平衡」という言葉を創始した人物である。が、いまの科学者や生物学者はまったくこの本の存在すらご存じない。

そんな時代に、我が国の杉田元宜が、物理の専門の存在しない文系大学の一橋大学の中で一人孤軍奮闘していたのである。まだ汎用電子計算機もなかった時代に、経済学部の学生に数学を教え、コンピュータの数値計算を教え、電気回路理論を教え、最終的にアナログコンピュータを制作して、みずからオシロスコープを見て計算結果を写真で撮影して論文を作っていたのである。

それがこの上の論文で引用されている論文である。


ところで、そのマカロック博士がMITで全盛期の頃か、あるいはちょっとウィーナーとの関係が悪くなった頃、一人の若者がやってきた。(たぶん、ウィーナーは1964年に突然死したから、その数年後だろうな)

それが、いまや複雑系のメンターの一人となった、スチュアート・カウフマン博士である。

若いカウフマンは、複雑系の理論を創始するために、当時のネットワーク理論のいくつかからヒントを得た。

その一つが杉田元宜の理論だったのだ。

というわけで、カウフマンの「秩序の起源」には、一つだけM. Sugitaの名の論文があるはずである。

しかし、カウフマンを指導したのがマカロックだったから、カウフマン自身はそんなに熱心に他の人の論文を読んでいなかったにちがいない。実際、最初のカウフマンの論文(1969)にも引用は非常に少ない。

だから、ましてやカウフマンが、ほとんど日本語で出版され、おまけに物理学会の雑誌ではなく、岩波の科学とか、一橋大学叢書とか、そういう物理学者も見ることもなさそうな論文誌に公表した、杉田博士の「熱力学第4法則」のことはまったくご存知なかったようである。

だから、数十年後のカウフマンのエッセイ「カウフマン、生命と宇宙を語る」には、熱力学第4法則があるか?という問いかけがある。

カウフマンさん、杉田先生は70年前に「熱力学第4法則がある」と証明していたんですゾ!

というわけで、さすがにこれが西洋世界で知られていないこと、つまり、久保亮五のような連中が完全無視したせいで、70年も遅れてしまったわけだが、「怒りの鉄槌」じゃなかった「お叱りの鉄槌」を下すべく、私が昨年のハロウィンで一つ杉田先生の業績を紹介しつつ、私のアイデアも紹介するという、一種の合作のような論文を英語で公表したわけだ。

それがこれだった。
http://www.scirp.org/journal/ojbiphy/
Kazumoto Iguchi,
Motoyosi Sugita—A “Widely Unknown” Japanese Thermodynamicist Who Explored the 4th Law of Thermodynamics for Creation of the Theory of Life


さて、大分長くなってしまったが、俺はアメリカ物理学会員でもなければ、日本物理学会員でもなければ、生物物理学会員でもなく、まったくのフリーである。だからして、こういうことが書けるのであって、そうでもしなければ、こういうことは書けまい。

ウィーナーの伝記を読んで面白いのは、ウィーナーはこういうことに最初に気づいた人で、科学者たるものフリーの科学者が一番大事だって書いてあったんだヨ。

じゃ、だれを念頭においたか?

なんと、かのオリバー・ヘビサイドだったんですナ。

ウィーナーが最も愛した学者、「演算子計算」の創始者ヘビサイドだったのである。

だから、ひょっとしたら、もしいまノーバート・ウィーナーがいたとすれば、結構ウィーナーは俺なんかを評価してくれたりしてナ。→俺の妄想。


もし大学や研究所の学者さんたちで、ここに書いたことが初耳だっていうような人間が一人でもいたとすれば、我が国の科学は終焉。


それにしても外人さんて名前の付け方だけはうまいよナ。
ミクロ・サイバネティックスだってヨ。


いやはや、世も末ですナ。


おまけ:
上の物理の歴史学者のタラさんは、あとで調べてみると、こんな素敵なお方だった。
Tara Abraham
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日本女性もこういう人のところで研究したらどうでしょうか?

最近私が個人的に我が国の科学教育でもっとも欠落しているのではないかと考えるようになった、科学の歴史の研究であるが、そういうものをちゃんとやる組織があるというのはすばらしいことですナ。

私個人的には、修士論文や博士論文の要請の一つに、欧米の古典論文や本を一つ翻訳することを条件に入れる、というようなことをすれば、確実に一人博士ができれば、一冊洋書が和書になるというかたちで、欧米の古典本が我が国の文化に付け加えられるのであると思う。

文科省は自分の天下り先を考えることばかりに熱中するのではなく、日本の学術の行き先を考えるべきだろう。そういうことができないところが、アスペルガーなんだがナ。




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by kikidoblog2 | 2017-06-27 15:48 | 杉田元宜・生命理論

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