ありがとう、ミハイロ・ペトロビッチ監督、お疲れさまでした!:ペトロビッチ監督の現役時代の勇姿発見!   

みなさん、こんにちは。

久しぶりにサッカーの話題をメモしておこう。

浦和レッズのミハイロ・ペトロビッチ監督が解任されたという。今期の不振の責任をとってのことらしい。

しかし監督の不振というよりは、どちらかといえば、DF槙野の不振というべきではないかと俺は思う。以下のものである。

監督独自攻撃が6年で…浦和低迷なぜ止まらなかった

ペトロビッチ監督
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最近になってちょっと調べて知ったことだが、このペトロビッチ監督も旧ユーゴスラビアの選手だった。

現日本代表のハリルホジッチ監督も旧ユーゴスラビア代表であった。

また、名古屋でプレーおよび監督をしたストイコビッチ監督も旧ユーゴスラビア代表だった。

さらに、あの日本代表監督のイヴィチャ・オシム監督も旧ユーゴスラビア代表であり、ユーゴスラビア監督もした。

オシム監督が旧ユーゴの監督時代の選手がストイコビッチ監督だった。


というように、我が国のサッカーは旧ユーゴスラビアの選手や監督でかなり賑わっている。

そのバルカン半島のユーゴスラビアは、ユーゴ紛争の後戦争になり、結局解体されて、

スロベニア、クロアチア、ボスニア・ヘルツェゴビナ、セルビア、モンテネグロ、マケドニア

の6カ国に分裂してしまったわけである。

それぞれがサッカーの強豪国だから、いかに旧ユーゴスラビアが強豪チームだったかがわかる。


さて、ペトロビッチ監督は、そんなセルビア出身のサッカー選手だった。

いまでは我が国の久保憲英選手が15歳でプロになったといって有名になったが、かのペトロビッチ監督もなんと14歳でプロ選手になったようだ。以下のものである。

ミハイロ・ペトロビッチ

現役時代[編集]
当時のユーゴスラビアの首都ベオグラード近郊にあるロズニツァ(セルビア語版)出身。父親は工場作業員[2]。
10歳からサッカーを始め、14歳(1971年)の時にユーゴスラビア1部リーグの名門レッドスター・ベオグラードユースにスカウトされ入団。1974年に当時2部リーグのFKラド・ベオグラードへレンタル移籍しプロデビュー、攻撃的なMFとしてプレー。1976年にレッドスター・ベオグラードへ復帰した。このころ、U-20ユーゴスラビア代表に選ばれている[1]。
1978/79シーズン中にNKオリンピア・リュブリャナへ移籍し主力として活躍。1980年11月15日ユーゴスラビア代表としてスペインW杯予選イタリア戦に初出場している(0-2で敗戦)。1984年にディナモ・ザグレブへ移籍、セントラルミッドフィルダーとして同シーズンのカップ戦準優勝に貢献した[1]。
翌1985年にオーストリア・ブンデスリーガのSKシュトゥルム・グラーツに移籍しリベロ[4] として活躍。1987年以降は外国人選手としてはクラブ史上初の主将となりチームを引っぱった。また、家族と共にグラーツに定住し、1989年オーストリアに帰化[1]。1993年、高年俸のベテランとなったペトロヴィッチに対し、シュトゥルムが経済的な理由と若返りの一環として一方的に解雇した。これにより現役引退したが、この契約解除をめぐり裁判にまで発展した。


ユーゴ代表には1980年だけだったようだが、グラーツでは主将まで努めた。


さて、このペトロビッチ監督のこれまでの我が国のサッカーへの貢献を祝して、なんとかこの監督の現役時代のプレーする姿がないかとずっと探したところ、やはりわずかだが、その勇姿を留めるものを発見した。これをメモしておこう。以下のものである。

STURM GRAZ - RAPID WIEN 13.08.1985 GRUABN


この選手が現役時代のミハイロ・ペトロビッチだった!
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こっちは、ハリルホジッチ監督の現役時代
1981 (April 29) Yugoslavia 5-Greece 1 (World Cup Qualifier) (In color).mpg



ミハイロ・ペトロビッチ監督、これまでどうもありがとうございました。

ご苦労様でした。

今後も我が国のサッカー向上のために貢献して下さい。


ところで、このペトロビッチ監督、私と誕生日が5日違いだった。私の方が先に生まれたようですナ。






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by kikidoblog2 | 2017-08-01 10:59 | サッカー&スポーツ

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