池原止戈夫の「アメリカ学生生活」:日教組は米NEAの真似だったのか!?   

海外の反応 外国人留学生が紹介する高校生活に世界から感動の声!「日本の学校へ行きたい」

(日本の高校は昔のアメリカの高校のコピーなんだけどナ。
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みなさん、こんにちは。

また間が空いてしまったが、例の池原止戈夫博士の本「アメリカ学生生活」よりメモしておこう。

池原止戈夫の「アメリカ学生生活」:今の我が国の公立高校は昔のアメリカの公立高校の真似だった!?


すでに池原先生は当時のアメリカの高校を2つ途中入学で卒業した。1つはラットガース大学の付属の高校。もう1つがメイウッド市内にある公立高校。Proviso Township High School。

あまりに当時のアメリカの高校生活が楽しかったと見えて、昨今我が国の高校に交換留学でやってきた欧米の高校生が、その思い出をあとでYouTubeに残すように、まさにそれとそっくりに池原先生も、その高校生活を回想していた。

それが、「中等教育随想」という節であった。

中等教育というのは、中学高校までの教育のことを意味し、当時の大正末期の我が国では、つまり1922〜1924年の日本では、中学高校を「中等教育」と呼んでいた。一方、いまの大学教育以上の教育を「高等教育」と呼んでいた。つまり、大学と大学院の教育を高等と呼んでいたわけだ。

ひょっとしたら、今のように第二次世界大戦後のアメリカから押し付けられた、6334制の小中高大(小学校6年、中学校3年、高等校3年、大学4年、大学院修士2年、博士3年)という区分よりも、戦前の666制の小中高大(初等学校6年、中等学校6年、高等学校6年、大学3年)という区分の方が良かったのかもしれない。

中等学校で、中学と高校の6年の一貫教育を行い、高等学校で、大学と大学院修士の6年を学ぶ。この方がすっきりしている感がある。


さて、池原先生の話に戻ると、池原先生は次のように書いて回想している。
「郊外に静かな部屋を求む」という私の新聞広告に対して、たった一通の返事があったが、この手紙ははじめてメイウッドの名を私に教え、その町のハイスクールに入学する機会を作ってくれた。

わずか4ヶ月の在学ではあるが、そこで習った英文学や、米文学を通じて、アメリカを愛するものとなった。

最初は、自分の世界とはまったくかけ離れていると思い込んでいたがアメリカの学生生活にも、触れることができて、かれらの明るくうるわしい友情の中に身を置けたことは、生涯の喜びであり、一日本人として感謝するゆえんである。

若く、熱情にあふれているかれらは、建国以来200年たらずの国を背負って立つにふさわしいものであった。


この随想というか、感想は、まさに最近我が国のアニメをみてから、日本の高校に憧れてやって来る諸外国人の感想の生き写しである。

それほどまでに建国200年の当時のアメリカの公立高校はすばらしかったのである。

どうしてこうなっちゃったのかいな?

というのが、私個人の率直な疑問である。

今現在のアメリカでは、こういう雰囲気を残す高校は、各州にわずかにあるその州の最高の私立の高校くらいのものだろうか。

我が国の望月新一博士の卒業されたエクスター高校とか、そういう名門高校には、池原先生が経験したのと同じような雰囲気が残っている。


それから池原先生は、
アメリカ建国の1つの縮図として、1910年に創立されたこの学校の歴史を振り返ってみよう。
こういって、実に立派にその時代のアメリカのデータを調べて残していた。つまり、メイウッドの公立高校の歴史である。

まあ、まとめるとこんな感じか。

メイウッドの市立高校の歴史

1910年創立

1911年 生徒数=241人、卒業生=22人

1937年 生徒数=3700人、卒業生=713人

この大発展に対して池原先生はこう書いている。
。。。に増えていることは、この小都市のすさまじい発展を示し、それにつれて、教育機関をひろげてアメリカ市民としての楽しい生活を教授させる努力は我々が学びたいものである。単なるカレッジ入学準備の役目を乗り越えて、ハイスクール教育だけで、幸福な国民を創り上げていることは、教育の大きな成功である。

アメリカの現在の中等教育の教育方針は、すべてのアメリカの若人を尊敬するに値する人間にしたいとの理想に向っている。


この後、アメリカの中等教育の実施のデータをまとめている。


1870年(明治3年)生徒数8万人/全高校数200

1947年(昭和22年)生徒数700万人/全高校数28120

1870年には、アメリカの富裕層の子弟だけが高校に行き、その上のカレッジに入る準備としてラテン語、ギリシャ語、古典および数学を学んだのだったが、1947年では、大半の8割が高卒で終了する。

おかげで教師の給料が少なくなり、適任者が減ったとハーバード大の教育調査報告は述べているという。

ハイスクールの生徒がそれぞれ自己の権利を知り、他人を理解する責任ある市民となるために、ハーバード大学の提案は、
学科を2つの部門に分けて、すべての生徒のための一般教育と別に特殊教育を持つことにある
というものだったという。

より具体的には、当時のハーバード大学の提案とは、こんなものらしい。

大学進学組→一般教育半分、特殊教育(専門教育)半分
高卒組→一般教育2/3、特殊教育1/3

ここでいう一般教育および特殊教育の中身は以下の3部門だとか。

(1)世界の文学、音楽、絵画、および、英語の理解に役立つ外国を含む英文学
(2)賢明であって、責任ある市民を作るための、歴史と社会科学を含む社会学。過去の歴史の流れをくんで、今日の世界がどのように動いているかを、知らせることにある。
(3)科学と数学。+語学、思想、科学の概観。
(3’)専門専攻分野
たとえば、
医学専攻→生物、化学、数学
秘書志望→タイプ、速記術、商業英語


この方法によれば、大学進学組と高卒組との差を最小限度にとどめ、両方に共通の人生への準備と経験を与えるだろうと言われているという。

これが、当時のハーバード大学の報告の方針だった。

ところで、アメリカには我が国のような文部省がない。1995年以降の我が国では文科省(文部科学省)に統合されたが、アメリカではハーバード大学が文科省の役を果たしているようである。だから、教育方針は米政府から委託を受けたハーバード大学が報告を行うというわけだ。

ところが、面白いことに、戦後の我が国と同様に、つまり、文部省あるいは文科省の方針に対していつも教員組合である日教組が反対するように、当時のアメリカでも、ハーバード大の答申に対して、全国教育協会(National Education Association=NEA)というものが反対したらしい。

その反対理由まで池原先生は書いていた。

全国教育協会(National Education Association)の反対理由

(あ)昔の教育方針
(い)教育課程は、生徒のみのまわりからはじめるべきだ。
(う)NEAの方針の骨子=共通学科=経済、家庭、生活、市民権、文学
これらのコースは、「この場所で現在では」ではじまり、「あの場所で過去では」と、広がる方法で教えられる。

例)経済のコース

家庭の収入と支出から、話をはじめ、基礎的な経済原則を樹立して、それが、いかに生徒の生活に関連しているかを知らしめる。

社会学および歴史学のコース

現在に始まって、過去へとさかのぼっていく。
米国史なら、現在のアメリカの正解における役目をまず教え、今日の英米関係を頭に入れて社会問題を一番最初に取り上げる。


とまあ、こんな先生たちの方針だったという。

つまり、どうしてアメリカの高校では、過去から現在に教えるのではなく、現在から過去を教えるのか?

そのこころは?

というと、大半が卒業しないからだってヨ。

途中下車してしまうから、乗った最初に今の話をしておこうっていう魂胆だった。

英米語というか、欧米の言語は、動詞が先に来る。また、結論から先に話す。

なぜなら、大半が人の話を最後まで聞かないからだ。

とまあ、そんな言語の性質がのきなみ学校にも現れたかのようなお話である。


まあ、一長一短はあるが、我が国では、学校は入学者全員なんとか卒業までたどり着くという精神で運営されて来た。

実はこれがすべての前提の基本になっているということである。

入学したもの全員が全部同じような教育を受ける。そして入学時の同級生はみないっしょに卒業する。

だから、入学式があり、学園祭があり、体育祭があり、修学旅行があり、卒業式がある。

つまり、我が国の高校生活の文化伝統を育む。


しかし、アメリカの場合は、初期の富裕層だけが高校に入り、みな大学へ進学するという時代はともかく、高校が大衆化されるにつれて、さまざまの生徒が入って来て、その大半が途中下車してしまう。

こうなると、学校行事、学校の催しというものは意味をなさない。ましてや過去から順番に現代に至るまでじっくり教えるということができなくなる。

だから、とにかく最初に身の回りのことを教え、実利をとれという精神になった。

そして、それを教える方の高校の先生たちが支持したというのである。

面白いことは、池原先生の時代では、つまり大正13年頃では、この2つの方針の違いによる結果がまだそれほど差が出るほどには現れていなかった。

まだ、どっちもどっち。我が道を行け。

そういう段階だったようだ。

この豊かなアメリカの高校生活やそのシステムを見た池原止戈夫先生は、当時の日本、すなわち、大正デモクラシーの時代ではあったが、軍拡で貧しく、社会の若者に等しく学校教育がほどこされていなかった我が国に対しては、かなり手厳しいことを言っている。

日本の現状に目を向けるならば、学校は社会の人が自分の税金によって建てたものであることに気がついていないのである。

概して、入学が容易なのは、日本は私立の学校であって、当事者の教育理想の低級さと、世間の,無関心さは、私立学校の自由な教育可能性を抹殺している。

教育機関は、大学に至るまで、私立が自由な立場で、独自の目標をかかげて進む英才の集まる社会機構になることが望ましいのである。

税金による官公立はだれしも教育する義務があることを頭に入れて、発展策を考えるのが、太平洋の片隅にある「四島国」の向上の第一歩であると考える。

しかし、希望者をことごとく官公立に収容することは不可能であり、無理に行えばこの結果、ますます私学を弱小化する恐れがあるから、戦後の国民運動として、私学振興のため、基金を募集することを提唱したい。

すべて世の中のことは、例外を認める寛大さが必要であるから、アメリカにおいても、男女別々の公立ハイスクールや、私立中学校があって、中には「貴族的」な感じを受けるものもあるけれども、それぞれ確信をもって進んでいる。

最後に、日本と大差のある点は、各人の能力にしたがって、自由に進級できることで、4年の課程を3年で終えるものもいる。


という感じの回想である。


そして、この回想=随想の後、池原止戈夫先生は、シカゴからボストンへ行って、念願のMITに入学していくというわけである。


それにしても、当時のアメリカの中等教育、すなわち、高校教育は非常にすばらしかったようである。この伝統はきっと今も残っているはずだから、そのまま進めば良いわけだ。

どうしてわざわざ我が国に来たがるのだろうか?

ある意味迷惑千万な話である。


やはり大量の移民で成り立ったアメリカの場合は、入学する学生もさまざまな背景を持っている。すでに年取っている場合もあれば、すでに自国の大学を卒業している場合もある。だから、すでにある程度以上の教育を身につけているものもある。

だから、年で計れないし、学年で計れないし、その個人個人を見る他はない。

だから、4年を3年ですますものもあれば、池原先生のように、4ヶ月で高卒になるものもいる。

こういう自由がアメリカの特徴と言えば、特徴だが、そうならざるを得ない面もあるわけだ。


その点我が国のやり方は、昔からの文化伝統、学業、学童方式。

いっしょに桜の花を見て入学し、いっしょに桜の花を見て卒業する。


ドライなアメリカのやり方とウェットな日本のやり方と2つあり、見比べてどっちがいいと言えるようなものではない。


が、昨今の諸外国の高校生たちは、日本のアニメマンガなどの影響からか、ウェットな日本式を好むようになったということだろうか?

謎である。


それにしても、我が国の日教組はアメリカのNEAを真似していたのだろうか?

もしそうなら、

いやはや、世も末ですナ。






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by kikidoblog2 | 2017-08-10 10:03 | 真実の歴史

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