蒙古人横綱日馬富士の史上最悪の事件勃発!:殺人未遂ですナ!モンゴル人は追放すべし!
2017年 11月 15日
私のこのブログではだいぶ前から大相撲のことを「モンゴル銀行」とか「モンゴル相撲」と呼んでいる。
なぜなら、
ほっぺたへの張り手→目へのパンチ
からだへのかち上げ→首へのウェスタン・ラリアート
頭からのあたり→鼻への頭突き=パッチギ
変わる→フェイント
大相撲→賞金稼ぎ
というように、モンゴル人が横綱になってから急速に相撲の技がプロレス化したからである。
要するに、従来では「禁じ手」の一種のはずのものが、あたかも正当化されてしまったからだ。
これにはNHKの解説員の責任も非常に大きい。自分が経営しているから相撲人気が下がらないように適当に手打ちをしているわけだ。
が、ついに来るべき時が来たようだ。
横綱日馬富士が「殺人未遂事件」。これである。
相撲協会、日馬富士の貴ノ岩への暴行で厳しい処分も
(すでに貴ノ岩の右目は左利きに殴られた痕跡がある。だいぶ前から常習化したのでだろな)
大相撲の東横綱日馬富士関(33=伊勢ケ浜)が10月の秋巡業中、酒席で平幕貴ノ岩関(27=貴乃花)をビール瓶で殴るなどの暴行を加えて頭部にけがを負わせたことが14日、分かった。貴ノ岩関の師匠である貴乃花親方(元横綱)が10月下旬、鳥取県警に被害届を出していたことも判明した。
県警はトラブルの有無など事実関係の捜査を進めており、日馬富士関や関係者から事情を聴くとみられる。日本相撲協会も危機管理委員会が調査を始めると発表。現役横綱による極めて異例の不祥事で、協会は厳しい処分を科す可能性がある。
協会関係者によると、日馬富士関は10月下旬に鳥取県内で開かれたモンゴル出身力士らが出席した酒席で、貴ノ岩関が生活態度を注意された際にスマートフォンを気にしたことに激怒して暴行。白鵬関、鶴竜関の両横綱も同席していたという。貴ノ岩関は「脳振とう、左前頭部裂傷、右外耳道炎、右中頭蓋底骨折、髄液漏の疑い」と診断され、11月に一時入院。九州場所は初日から休場している。
日馬富士関は14日午前、福岡県太宰府市の伊勢ケ浜部屋での朝稽古後「貴ノ岩のけがについて、貴乃花親方、貴乃花部屋、相撲協会、(伊勢ケ浜)部屋の親方に大変迷惑を掛けたことを深くおわび申し上げます」と謝罪したが、暴行については説明しなかった。九州場所は同日の3日目から休場した。
春日野広報部長(元関脇栃乃和歌)によると、相撲協会の事情聴取に対し、日馬富士関の師匠である伊勢ケ浜親方(元横綱旭富士)は暴行を認めた。危機管理委の本格的な調査は九州場所千秋楽翌日の27日以降となる見込み。処分や調査結果は九州場所中には出さず、事実関係が判明するまで先送りするという。
相撲協会の八角理事長(元横綱北勝海)は「ファンの方に申し訳ない気持ちでいっぱいだ」と謝罪し「残念だが、やることはきちっとやる」と述べた。委員長を務める高野利雄外部理事(元名古屋高検検事長)らによる危機管理委の調査を踏まえて事態の収拾を図る。
協会の諮問機関、横綱審議委員会の北村正任委員長(毎日新聞社名誉顧問)は「協会の厳しい処置を求めることになるだろう」と語った。
日馬富士関は本名ダワーニャム・ビャンバドルジ。2001年初場所に「安馬」のしこ名で初土俵を踏み、軽量ながらスピード感あふれる相撲と闘争心で12年秋場所後に第70代横綱に昇進。先場所は逆転で9度目の優勝を達成した。
朝青龍は海老蔵を殴ることになる関東連合のハングレヤクザを「素手で」ぶちのめしたからまだましだ。
それと比べたら、今回の日馬富士は同業の力士を相手に「ビール瓶」で殴ったというのだから、もはや論外。
弁解の余地はない。
相手が武器を持った場合ならいざしらず、素手の相手にビール瓶で頭殴ったのでは、これは
殺人未遂事件
であろう。
我々一般人なら、130kgある横綱にビール瓶で頭を殴られたら、たぶん即死だろうナア。
ああ、日馬富士は永久追放、記録抹消でしょうナア。
大変残念だが、そうすべきである。
それにしてもモンゴル人はやはり「元寇」の蒙古襲来を彷彿させるということになる。
モンゴルではどうかしらないが、我が国では学校教育にける日本史の歴史にちゃんと13世紀の
蒙古襲来
の歴史が教えられている。
そして、朝鮮人がその手先になり、我が国の対馬で一般日本人の婦女子に対する残虐行為=対馬の虐殺を行い、それから九州北部を襲撃した。
当時の北条氏がそれを命がけで迎え撃ったわけだ。
この史実は現在で言えば写真やフィルムに対応する当時の絵巻物にちゃんと描かれ記録された。
蒙古襲来絵詞
ところで、この絵巻の実に興味深いところはその正確さにある。教科書の絵ではあまり記憶になく、モンゴル兵といえば、相撲に来ているモンゴル人のように、みな同じ顔をしているのかと思っていたら、よくこの絵巻をみると、どうもそうではないのだ。
モンゴル軍には、黒人(黒い顔)の兵、白人(白く鼻の高い顔)の兵、そして東洋人(中国人のような髭の顔)など多種多様なのである。
この点については小名木善行さんの記事の内容が参考になるだろう。
歴史を大づかみする
この絵は肥後国の御家人であった竹崎季長が、元寇における自分の戦いを描かせた『蒙古襲来絵詞』の一部です。
このとき日本に攻めてきたのは、元と高麗の軍団と、一般に言われていますが、絵をよく見ていただきたいのです。
黒人、白人が入り混じっています。
実は、元の軍団は、まさに国際色豊かな軍団であったわけです。
そしてここに描かれたひとりひとりにも、それぞれの人生があったはずです。
無理やり戦いに連れて来られた人もいたでしょうし、逆に金儲けのために付いてきた人もいたことでしょう。
家族もあったかもしれません。
上の絵はひとつの例にすぎませんが、要するに歴史は深掘りすれば、様々な側面があるわけです。
朝鮮の三別抄が元寇を遅らせたというデタラメ
そしていよいよ1274年、日本への第一回蒙古襲来(文永の役)が行われました。
この連中は、壱岐対馬の住民たちを全員皆殺しにしました。
このとき攻めて来た連中は、「モンゴルと高麗の連合軍」とされていますが、なるほどそれは事実なのですが、半分正解、半分不正解です。
というのは、このときのモンゴル軍というのは、実は、もともと朝鮮半島にいて、満州方面に連れて行かれた朝鮮族を主力とする部隊です。
つまり、服装や装備こそモンゴル風ですが、中身は朝鮮族だったわけです。
彼らは、「自分たちの方が、先にモンゴルの一部となり、それだけモンゴルに近いのだから、あとからモンゴルの家来になった高麗人よりも、自分たちの方が偉い」と、高麗の兵たちを奴隷のように扱いました。
大きなバックがついたと思えば、とたんに居丈高になる。
いつの時代も変わら民族性です。
ちなみに、大陸や朝鮮半島の歴史というのは、日本とはまったく異なります。
血筋や血統に関係なく、何処の馬の骨かわからなくても、漢字を使えば漢人です。
同様にモンゴル風の服を着て、モンゴル風の食生活(肉食)をすれば、モンゴル人です。
日本に来て日本語を話せば、それは日本人だという馬鹿な連中がいますが、その発想は、実は、血筋という概念のない大陸や朝鮮族の発想です。
もともとの日本人とは、ものごとの捉え方がまるで異なるのです。
日本は縄文、弥生の昔から、歴史が連続している国です。
ということは、血筋も連続しています。
ですから戸籍や血筋を重んじます。
まあ、日本相撲協会は相撲人気を画策した結果、それに乗じたモンゴル人マフィアが、大相撲に蒙古襲来したというわけですナ。
これを機会に神風を吹かし、猛虎撃退するために
モンゴル人は入門禁止令を出したほうが良いかもしれませんナ。
いつ白鵬も鶴竜も蒙古化するかわかりませんナア。
いやはや、世も末ですナ。
by kikidoblog2 | 2017-11-15 09:26 | モンゴル・蒙古・相撲