アイラブジャパン:近藤亨「武士道精神でネパールの山岳貧困地を大穀倉地帯に変えた日本人」   

みなさん、こんにちは。

今年ももうちょっとになったが、私が今年テレビで知った一番すごい、すばらしいと思った人は、クリロナでもなければ、ライオネル・メッシでもなければ、ましてや白鵬でもなければ、ノーベル賞学者でもない。

ずばり、この人、近藤亨(こんどうとおる)さん。

昨年94歳でもうお亡くなりになられた。

齢94歳。ネパールで最高栄誉を受けた日本人「コンドウ」さんの偉業
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ネパール国内どこを歩いても「近藤バジェ(おじいさん)」と声をかけられ、現地の人々から愛されている日本人がいることをご存知でしょうか? 無料メルマガ『Japan on the Globe-国際派日本人養成講座』では、90歳をこえてもなおネパールの地で現地の人々のために生き続ける、近藤亨さんの知られざる偉大な功績が紹介されています。


知っていますか? ネパールで愛され続けている日本人伝説。


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世界最高峰の高度4000mのヒマラヤ山麓で乾燥地帯、草も生えない不毛の地。そんなネパール最大の世界最貧地帯に、ヒマラヤの雪解け水を5kmにわたってパイプで通そうとたった一人で頑張り、ついに成功させ、その地をネパール最大の農産物地帯に変えたという日本人である。

この近藤先生の言葉、それが

武士道

精神だった。

武士とは、他人のために自分の命を落とすことを厭わない。
他人のために命をかける。


そういう人間のことである。


一人の武士として、ネパールの最貧地の人々を救おうと残りの人生をかけた。


ところで、この近藤先生は、新潟大学の農学部の教官だった。

無事子育てもすべて終わり、青年海外協力隊のメンバーとしてネパールの山村に行ったところ、村民のすべてが貧困と病気に喘いでいる姿を見た。

そして、その救済のために、資金を得るために、反対する家族を説得して自宅および田畑を売りさばいて、ネパールに向かったというのである。

だれにもできることではない。

まあ、日本の国会議員のだれもできないだろう。

せいぜい他人の金を集金しただけの国費や将来の日本人に対する借金である国債とかでものを買ってくれてやる、というようなことしかしないだろう。安倍晋三の得意技である。

まあ、それでもしないよりはした方が良いという場合もあるにはあるが、近藤先生のようなことは常人にはできない。

いずれにせよ、近藤先生はそこで生活するだけでも大変な場所に何年も住み、ついにヒマラヤのてっぺんからくる雪解け水を村まで引いて、その水で農業を起こす。

こういう神の視座の事業を思い立った。

そして高齢者70歳以上にもかかわらず、一人で鉄パイプを担いでは上り、そこに穴掘って設置し、降りてはまたパイプを担いでつなぎという、単純作業だが、4000mの高地で行ったのである。

それも何年も何年も。

山岳登山家三浦雄一郎が大勢をつれてそのサポートのお陰で80台でヒマラヤ登頂したが、それはたった一回や二回の話である。しかも多くの迷惑の上になりたっている。

しかし近藤先生の場合は、自分がいつ作業中に死ぬかもしれないという状況での作業である。別にそれができたところで、世界記録になるわけではないし、頓挫すれば、それっきりになるという事業である。

実際、欧米白人の協力隊は何度も挑戦したが失敗し、地元のネパール人もほとほと困り果てていたという。

これはおそらくこんなことだろう。

白人が貧困地の支援に来るという場合、自分たちが指示する役にまわり、地元の現地人を自分たちの手足として人足にするわけである。

いわば白人の功績のために原住民が奴隷になって協力させられる。こういう形になりがちなのである。

だいたいどの分野でもどこの国でもそうだ。アフリカでも働くのは黒人で、その実入りは白人が奪う。こういう見た目の関係になる。

白人側としては、自分たちが計画してやったんだから当たり前だろうという考え方になる。

戦争でもまったく同じで、北朝鮮を攻撃するなら、北朝鮮の脅威にさらされている日本人や韓国人が戦うのが当然だろうということになる。白人が人のために自己を犠牲にする。そういうことは伝統的にも文化的にも遺伝子的にもない。

第二次世界大戦中の大東亜戦争時、最前線は黒人だったという。一番危ない場所は黒人兵を向かわせ、日本軍が撃ってくる場所をみつけて、そこに海上から艦砲射撃をする。そうやって相手がいなくなったときに、マッカーサーが上陸した。

とまあ、戦争であれ、海外協力であれ、これが欧米式というより、白人式である。

これに対して、我が国の武士道精神のやり方は、苦しいことを引き受ける。こういうやり方である。

特攻精神もたぶんそうだっただろう。一般の日本人も相手に体当りしたかっただろうが、一般人にはそういうことはできない。ならば、軍人である、武士である自分がその身代わりとなって一番たいへんなことをしてやろう。こういう気持ちだったと思う。

近藤先生のいう武士道とはそういうものである。

近藤先生は自分は何不自由なく日本人の生活を経て、無事に子供も立派に成長し独立した。

農学者としてネパールの貧困を見たら、これはなんとかせねばならん、と考えて挑戦したのである。


たぶん19世紀の啓蒙時代の欧州にはこういう人がひょっとしたらいたかもしれないが、20世紀、21世紀の今、こういうひとはまずお目にかかれない。

ユダヤ人がいつも得意になって話すユダヤ格言がある。

人に魚を与えれば一日で食べてしまうが、釣りを教えれば一生食べていける。
Give a man a fish and you feed him for a day.
Teach him how to fish and you feed him for a lifetime.


これは孔子由来ともいわれるし、いろいろあるが、まあ誰が考えてもある程度の知性があれば、分かりそうなことである。

いわゆるユダヤ人(ハザールユダヤ人=偽ユダヤ人)は理論の民である。理屈はこねるがあまり自分が汗水して働くという民族ではない。近年、最近になればなるほどそうだ。実労働は人に任せたがる。だから数学者や理論物理学者の類は偽ユダヤ人が非常に多い。

だから、こういうもっともらしい逸話や諺をたくさん知っている。

しかしながら、上の諺で言えば、一番むずかしいのは実はその簡単に「教えればいい」というその部分なのである。実はそうかんたんに「教えられない」のである。教えることが偽ユダヤ人が思うほど単純なことであれば、学校など「必要ない」。

魚釣りでもそうで、うまく釣れるようになるには大変な時間がかかる。経費もかかる。

だから、NHKの偽釣り番組では、ダイバーが海中に潜って、前に取っていた弱った魚を針にぶら下げ、そこで糸に合図(あたったかのような振動)を送り、番組出演者が獲物を上げる。

だから、大きな魚も簡単に引き上げられるし、いつも番組の終了時間内で目的の魚を釣ることができる。

だから、いつも魚は白目を向いているし、白い腹を上にして釣り上げられるわけである。

つまり、ヤラセである。さもなくば、番組時間内に魚は釣れないし、ましてや生きた魚は弱るまで何時間もかかる。大概は糸を切られて終わりである。それほど引き上げるときに暴れて大変なのである。小さなオコゼを釣るだけでも結構たいへんなのものなのである。

釣りといえどもこれほど難しいのである。

ましてや農業である。

日本のように何千年もの間に開梱されて土地が豊かになっていれば、その辺のおじいさんやおばあさんが種まけばすぐに芽が生えるかもしれないが、土地がそうなっていない外国の土地でみのりを豊かにするというのは、並大抵のことではできない。

しかし、我が国のご先祖さまの中には、米ハワイ、米カリフォルニア、カナダ、メキシコ、ブラジル、パラグアイ、ウルグアイ、チリ、フィリピンや韓国や中国や満州、ありとあらゆる国々でその荒廃地帯を開梱し、農業に成功したという人たちが実に多いのである。

海外のいまの農業地の大半が日系人が開梱した結果、その後に入植してきたという場合が多い。

ユダヤ人はその実りを貪るほうが多く、ほとんどそういう作業に無関心だった。

人間としての質が日本人とは全く違うのである。だから、日ユ同祖論はない。ありえない。


翻って、近藤亨さんの場合も農業などしたことがないし、実際にだれもできなかったわけだから、見たこともないという現地の人に農業を教えればいいといったって、教えることすらできないというのが最初の状況だったわけだ。

そうなると、結局、自分でやってみせるしかないのである。

これが武士道の精神である。



さて、話は飛ぶが、俺がいつも分からないのは、材料がその現地にはふんだんにあるにもかかわらず、その現地の人がまったくなにもしないでいて、仕事がない、ものがない、食い物がないといって何世紀も生きているというような状況である。

アフリカ人がなぜ履物、たとえば、草履とか、スリッパとか、そういうものを発明しなかったのか?

材料は身の回りにたくさんある。

アフリカ人がなぜ土釜や土器や食器を発明しなかったのか?

これまた良い土は身の回りにたくさんある。

彼らは、草履を草から作る前に裸足で適応した。

回りの赤土をこねて粘土にして土器を作り出す前に、その場まで走っていって口を水につけて飲むように適応した。

工夫する必要がない。適応すればいいのだ。

あとは誰かが助けに来るのを待つ。くれるのを待つ。

これまた一種の適応である。


適用性がある。すなわち、もともとの体が頑健である。そのために、工夫が生まれなかったのかもしれない。

一方日本人は適応性がない。免疫力も弱い。だから、いろいろ工夫したのかもしれない。

いずれにせよ、まわりに繊維質の植物が生えているのに、それをつかってわらじや草履を発明しないというのは、いかんでしょ。


草履も発明できなかったアフリカ黒人でも、白人の悪が提供するAK48は簡単に操作できるようになる。

人殺しの武器は自分で作れないのにすぐに使いこなせる。これが不思議なんですナ。



近藤亨さん、21世紀の現在にもかかわらずこういう真の聖人のような日本人が存在したというのは本当にすごいことである。

しかし、あと何年かすれば、その功績はユダヤ人のおかげになっていたり、朝鮮人や支那人がやったことにされてしまっているかもしれないですナ。

歴史戦である。



いやはや、世も末ですナ。




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by kikidoblog2 | 2017-12-25 09:42 | アイラブとてつもない日本

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