皇帝のように指揮するカラヤンvs踊るように指揮する久石譲:俺は久石譲がおちゃ〜みんぐにみえる!?   

みなさん、こんにちは。

これは個人的メモにすぎないから、普通の人はスルーでよろしく。


さて、ここ最近は私は久石譲さんの曲に惹きつけられている。ジブリの曲もだが、それ以外のものも、実に素晴らしい。

中には、どこぞの高校の校歌もあった。

また、長野県出身の久石譲さんこと、藤澤守さん
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そのものにも大変興味が出た。

これについてはまたいつかにして、今回は、この久石譲さんのジブリ演奏会の時の指揮の仕方についてである。

久石譲さんの指揮は、実にチャーミングであり、魅力的であり、また演奏者に非常に親切である。

常に、自分より他人、指揮者より演奏者本位という感じの指揮法である。

とまあ、俺にはそう見えるわけですナ。


かつて、中学生の頃、甲府南中学の音楽の先生が非常に合唱の好きな人で、1年から3年までの全クラスで合唱大会に出るというようなイベントを行っていた。課題曲と選択曲の二曲方式だった。

2年の時に私がクラスの学級委員をした時期があったが、そのときにクラスの指揮者に選ばれて、私が合唱を指揮することになった。

それよりずいぶん昔の幼稚園時代に、たまたまその幼稚園の放課後にオルガン教室があり、お前もやれといわれていやいやオルガン教室に通ったことがあった。周りは全部女の子だけで、私は女の子は普段全く遊んだ経験がなかったために、本当に嫌で嫌でたまらなかった。しかも私は指の動きが生来硬く、なかなか思うように動かなかった。

それでもちょうど右手の動きが終わる頃まではなんとか頑張ったが、さすがに左手が入り、両手で演奏する頃、辞めてしまったのである。

その後、ずいぶん経ってから気がついたが、音感だけは発達したようで、音楽家の絶対音感とまではいかないが、比較的音感はよく、小学校の高学年の合唱代表に選ばれて、合唱大会に無理やり出されたりしたものだ。

だから、音楽の音符をちょっとだけ当時は理解できたりして、いきなりクラスの指揮者に担ぎ出されてしまったわけだった。

また音楽の先生は男だったから、男で声の良い奴に非常に関心があったらしく、私はすでに1年の入学時に野球部に入り、当時の野球部伝統の、変声期の時期でも大声を上げて、グランドの両側に立って、「声を出せ〜〜」と先輩が言ったら、今度は反対側から新入生たちが一人ずつ「1年2組のいぐちで〜〜す。よろしくおねがいいたしま〜〜す」とあっち側の先輩のところまで聞こえる声で叫ぶという練習を毎日毎日やらされていた。

当時すぐに変声期にかかり、そうやって大声をだすと、声が裏返って、まったく声が出なくなったりして、喉も痛くなるし、これは大変だと思ったが、いつしか大声で大人の声が出るようになっていた。

そんなわけで、合唱の先生から「お前はバリトンの美声だな。合唱部に入れ」とかいわれたわけだ。しかし私は「いや〜、俺はもう野球部に入部していますから、合唱はできません」というような感じだった。

そんな合唱の時代、将来「指揮者」というのも面白いかもな、という漫然とした印象は持っていた。

それで自分なりに音楽を勉強したりして、夏休みの音楽の課題で自分で曲を作るというのがあり、適当に二部合唱の曲を作ってもっていったのである。ところが、まだ「和声」というものを知らず、まったくハモっていなかった。

そういうそれぞれの生徒の曲をクラスで先生がオルガンで弾いていく。そして私の番が来た。その合唱の先生が、「面白い曲だが、ハモっていないぞ」といわれて、結構みっともない思いをしたのだが、それ以来音楽より、野球、そしてサッカーへと移っていったわけだった。

そんなこんなで、昔から指揮者というのにはそれなりのあこがれのようなものがあり、今思えば、我が家の家系ではだれも音楽家は出ていなかったから、まあ1人だけ甲府英和の音楽の先生をした伯母がいたが、その人以外はいなかったから、音楽へ行っても成功できたということはなかったはずだから、それはそれで良かったのだと思う。

というようなわけで、昔は結構カラヤンとか、クラッシック音楽を聞いていた時代があった。

指揮者と言えば、カラヤンというような感じだった。

ところが、最近の久石譲さんの指揮を見ると、カラヤンとはまったく趣が違うわけである。

まあ、私個人の受けた印象では、

カラヤンは皇帝のような指揮をする。

それに対して、久石譲さんは踊るように指揮をする。

たしかヨーロッパでも踊るような指揮者だったというのは誰かいたような気がするが、名前は思い出せない。

しかし、久石譲さんの指揮を見たら、これがそれだとはっきりわかったわけである。

そんなわけで、カラヤンと久石譲さんの指揮の違いというのもメモしておこう。


(あ)カラヤンの場合→「皇帝のような指揮法」

Dvořák: Symphony No. 9 "From the New World" / Karajan · Berliner Philharmoniker

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(い)久石譲サンの場合→「踊るような指揮法」

久石譲 in パリ 宮崎駿監督作品演奏会 (2017年)

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というわけで、私も昔はカラヤンの方がかっこいいと思っていたりしたが、今見ると、いや〜〜久石譲の方が魅力的でかっこいいと思えるのである。実に不思議である。

日本語でだれか「おちゃめな指揮者」だというようなことをコメントした女性がいたが、まさにそんな感じの指揮法である。

英語には「チャーミング」ということばもあるから、その二つを足して、おちゃーみんぐ、

おちゃーみんぐな指揮者

とでも呼んでおこう。


ところで、久石譲さんの曲のコメント欄に多くの日本の若者達が、

「ノーベル平和賞をとってください」
「ノーベル文学賞をとってください」
「人間国宝はよ」
「日本人に生まれてよかった」
「日本人として誇らしい」

とか、そんな言葉が飛び交っている。

すでに二年前にボブ・デュランもノーベル文学賞をとったし、昨年は日系英人のイシグロさんもノーベル文学賞をとったわけだから、今年に久石譲さんや宮﨑駿さんがノーベル文学賞や平和賞をとっても誰もおかしいとは思わない。

俺としては、宮﨑駿さんがノーベル文学賞、久石譲さんがノーベル平和賞なって良さそうに思うが。


さて、よく猶太のジョークにあるような指揮者のジョークができそうだ。

世界中の指揮者が各国の指揮者の違いについて議論していた。
まず真っ先に英国人指揮者が口火を切った。「英国の指揮者は紳士的に指揮をする」
次にドイツ人指揮者がいった。「ドイツの指揮者は皇帝のように指揮をする」
フランス人指揮者がいった。「フランスの指揮者はロマンスしながら指揮をする」
イタリア人指揮者がいった。「イタリアの指揮者は熱愛を感じて指揮をする」
アメリカ人指揮者がいった。「アメリカの指揮者は教育者のように指揮をする」
ロシア人指揮者がいった。「ロシアの指揮者はロマネスク神殿のような重厚な指揮をする」
そこで残ったのは日本人指揮者だけとなり、みんながこっちをみるので、
日本人指揮者はしぶしぶいった。
日本人指揮者はいった。「日本の指揮者は演奏家のみなさんを信じていますので、彼らが演奏しやすいように指揮をします」

とまあ、こんな感じか。


それにしてもますます味が出てきている久石譲さんですナ。今後の活躍を期待したい。


ところで、この久石譲さんは愛煙家なのだとか。

タバコの匂いと煙の中でこんなに素晴らしい作品の数々が生まれるとすれば、やはり極端な禁煙活動は行きすぎだろう。

むかしは、煙幕を張るというような言葉があったように、タバコの煙幕は大人と子供の間の間仕切りのような役割をしていた。

確かに長寿や健康には禁煙はよろしいはずだが、健康で長生きの無能ばかりの世界よりは、多少のリスクはあっても世界を感銘させてくれる才能のいる世界の方がどれだけ楽しいか。

ついでにいっちゃ何だが、小説の白い巨塔の財前教授のように、難しい手術をした後には、愛人をベッドに転がす。そんな形で、ストレス発散をして、また次の難しい緊張する手術をこなす、というようなお医者さんがいたとしても、それでもし多くの難病の人や死に直面した人が救われるなら、それはそれでよろしんじゃないかと思うわけだ。

また、それが大人の男の魅力でもあるわけだ。

昔の森繁久彌の社長さんシリーズのように、何十年も頑張ってやっと社長になったんだから、妾をつくったり、京都の舞妓さんと恋愛したりと、それもまたある意味でご褒美だというようなものだろう。

何事も一長一短。あまりに潔白すぎて、不倫もダメ、タバコもダメ、酒もダメ、ギャンブルもダメ、愛人もダメってなったら、人間止めるに等しくなるんちゃうか?

相手次第なんだから、相手や奥さんがそれで良きゃそれでイイんじゃないのか、というようなオープンマイド、ある意味のいい加減さ、粋、そんなものが必要でしょうナア。

そういう意味では、文春砲は自分を棚に上げすぎているように見えますナ。

文春砲はどうやって007のジェームズ・ボンドに炸裂するのかいな?

奥さんも子供もいる大人の男が、恋愛のれの字も知らない美少女を大人の女にしてやったからって、それが悪いだの、性犯罪だのって、まあ、昔の日本を知っている俺からすれば、ちょっとキ印、子供じみていますナ。パヨク的である。

むしろ、変な男性不信に陥らせずに済んだという点で、その親から感謝してもらうべきだろうヨ。

赤い豚=red pig=porco rosso

の世界も若干必要なんじゃね〜〜の?


とまあ、久石譲さんの曲の中には、そんな妄想もさせてくれるほど

おちゃ〜〜みんぐなものがありますナ。


文春砲のようなものが正義だと錯覚して跋扈しているとすれば、ちゃんちゃら可笑しい。

不倫であろうがなかろうが、その男に魅力があるから、女が惹きつけられるんだからヨ。俺なんて金ね〜し、そんな男には女も寄り付かんヨ。




いやはや、世も末ですナ。




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by kikidoblog2 | 2018-01-27 18:14 | 個人メモ

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