八田與一像破壊者は「KANO」を見ろ!:台湾映画「KANO」に見る八田與一先生!   

八田與一先生像
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どうもかつての拙ブログのスキンが停止になって以来、それに匹敵するものがエキサイトから提供されない。最近使っていたブログスキンもどうも斜め字の引用文が目がチカチカして身体が斜めになってしまう。

というわけで、まあ一時的に今回の爽やか系のブログスキンにしておこう。


さて、最近台湾で我が国の台湾における大恩人、八田與一先生の像が破壊された。以下のものである。

台湾で「日台の絆の象徴」八田與一像の頭部切られる ダム建設指導の技師
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 【台北=田中靖人】台湾南部・台南市の烏山頭ダムで16日早朝、日本統治時代に同ダムの建設を指導した日本人技師、八田與一の銅像の頭部が切られているのをダム関係者が発見、警察に通報した。複数の台湾メディアが伝えた。八田の功績は台湾の民主化以降、日台の絆の象徴とされており、ダムには日本人観光客も訪れる。

 台南市の警察当局によると、頭部は持ち去られたとみられる。台南市の頼清徳市長は、迅速な捜査と像の修復を指示した。

 八田は1920(大正9)年から10年かけて同ダムを完成させ、嘉南平原を台湾最大の穀倉地帯に変えた。同所では毎年5月8日の命日に慰霊祭が開かれている。八田の功績は李登輝総統時代に再評価が始まり、2007年には陳水扁総統が褒章を授与、馬英九総統も就任前の08年の慰霊祭に出席している。


まあ、犯人は捕まり、朝鮮系台湾人だった。さもありなん。反転脳を持つ民族だから、そんなものだろう。

今日の小名木善行さんのブログにも朝鮮族の反転脳ぶりが書かれている。以下のものである。

韓国を笑えない日本の現実

ちなみにある半島は、あまりに貧しく、住む人の人柄が悪く、二枚舌や火病が当たり前で、極めて不衛生であり、とてもじゃないけれど同化するなど思いもよらないエリアでした。
昆虫の世界や、ある種の動物は、他の生き物から蛇蝎のごとく嫌われることで種の保存を図る生き物がありますが、これと同じで、支那の歴代王朝から、まさに蛇蝎のごとく嫌われることによって、どことは言いませんが、ある半島はその自主独立を保ってきたわけです。

不幸にして日本は、その、どことは言いませんがある半島を併合して、本土以上にインフラに毎年巨額の歳費を計上し、実際それによって、半島の衛生環境や教育環境を劇的に改善し、鉄道を敷設し、道路をつくり、約五百年にわたって増えなかった人口を二倍に増やし、文字を与え、残酷な刑罰を廃止するなどしてきましたが、その結果、何と言われているかというと、「日本によって植民地支配され、20万人の若い女性を性奴隷にされた」です。

「恩を知るをもって人とはいうぞ」とは、吉川英治の『新平家物語』に出てくる言葉ですが、その「恩」をまったく解せないのが、昔からの半島の有り様です。


話を八田與一先生の像のものに戻すと、実はこの八田與一先生、映画の中では生きている。

我が国の大沢たかおさんが台湾映画「KANO」で八田與一先生を演じたのである。

どうやらその犯罪者はこの「KANO」を見ていなかったのだろうか?

台湾になぜ野球があるか?
朝鮮になぜ野球があるか?

というと、戦前の日本が教えたのである。

一方、日本になぜ野球があるか?

というと、昔の古き良き時代の米国が教えたからである。

また、日本になぜサッカーがあるか?

というと、江戸末期から明治初期にやってきた大英帝国海軍が日本の子供に教えたからである。

我が国では、イギリスにサッカー協会ができた頃すぐに我が国にもサッカーが伝播し、それが文部省の学校教育のサッカー(いわゆる授業の体育サッカー)として取り入れられたのである。

逆にこれが災いしてなかなか文部省が学校サッカーをプロ化するのを認めなかった。むしろ妨害や阻止したのである。

今では真逆に理解されている。

歴史というのは、現実に起こったことと今言われていることとが、たいてい正反対になるものである。

この事実を忘れないことだ。

韓国(朝鮮)でも中国(支那)でも同じ。

似たようなことはいろんなレベルで起こる。

かつて1970年代我が家の先祖、当時県の業界トップにいた私の父と私の祖父とその兄との3人で、

山梨県に宝石学校を作る

という計画を立てた。そして、そのために尽力し、山梨大学の工学部にすでにある「醸造学科」のようにして新しく「宝石学科」を作るというプランAと、あるいは、各種学校として「宝石専門学校」を作るというプランBとを提案した。

とにかく、当時中高生だった私は、父親から県庁が邪魔ばかりするということを聞かされ続けたものだ。

何年も時間を要して、結局プランBの形で、学校建設は始まったのだが、できてしまえば、学長さんや教授は他県の者が置かれる。そうやって名ばかりの県の業界とは無縁のものがリクルートされて、2〜3年の天下りを過ごす。

そうしているうちに、実際にはさんざん邪魔した県庁地方公務員の悪態は隠蔽され、さも自分たちが作り出したかのような「沿革」がHPに書き込まれる。

というからくりだ。

歴史とはこうやって見事に事実とは正反対な捏造された歴史が生み出され、それが独り歩きする。

そういうものだ。


話がだいぶそれたが、そういう歴史捏造の捏造史観がまかり通る中で、本当に恩恵を被ったと心から感謝する地元の人達がいる場合には、自分たちが目撃した真実の歴史が口伝や写真や映像や像で遺され、語り継がれる。

そんなものの1つが、八田與一像であろう。

台湾の人たちが作った実話に基づく映画「KANO」。こんなものである。


KANO~1931海の向こうの甲子園「感想文コンクール」:締め切りまであと3日!

『KANO(嘉農)』台湾からの「甲子園」:日本統治とはこんな感じだったのだ!

《KANO》六分鐘故事預告


甲子園の校歌は素晴らしい2:「KANO」の校歌を発見!「KANO」から見る米本位制の可能性!?

KANO隊歌&校歌


嘉農(KANO)隊歌&校歌

嘉農棒球隊隊歌(中譯:周微茂 整理:林勤曲)
1
靈峰新高仰ぎつつ (迨峰玉山我仰望)
苦心を積をし幾星霜 (累積甘苦幾風霜)
立てし宣言果たさんと (堅定矢志要奪魁)
ここに立ちる我か選手 (我等立折氣昂揚)
2
母校の譽れ高めんと (折為母校來增光)
勉めて止まぬ‧その練磨 (不斷磨練再成長)
辛酸ここに效をりて (多少辛酸凝成鋼)
我が陣容は整へり (我軍陣容已堅強)
3
大丈夫の心根と (男子漢無懼勇往)
日頃鍛えし‧この腕 (千錘胳脖已強壯)
如何なる敵にの出 (不怕頑敵多囂狂)
擊ちて碎かん‧いざともに (殲如破竹敵膽喪)

ラ嘉農ラ嘉農 (啊!嘉農 啊!嘉農)
フレフレフレ (加油! 加油!)
ラ嘉農ラ嘉農 (啊!嘉農 啊!嘉農)
フレフレフレ (加油! 加油!)


嘉義農林學校校歌(作曲:高野辰之 作詞:岡野貞一)
1
新高山の西  沃野千里
要路四通の  直中占めて
嘉義よ歷史に  輝く處
嘉農が瑞穗の  旗立て立つ地
2
八掌溪の北  天惠充てり
小田に黃金は  再び稔り
野にも山にも  幸堆高し
これ吾が嘉農を  迎えて待つ地
3
浮べる雲の富  省り見ずて
汗に生くるが  我等の願い
一木植うるも  一粒撒くも
誠の吹息を  こむるが誓い
4
見よ 五年の業  學び終へて
胸に燃えたつ  理想を秘め
鋤と鐮とを  寶庫の鍵と
微笑み 地に立つ 我等の姿



こんな真の英雄の像を嘘偽りの捏造史観に基づいて破壊してしまうとは。

これが鮮人の怖さというものである。火病を起こすとブレーキが効かなくなるのである。


いやはや、世も末ですナ。




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by kikidoblog2 | 2017-04-28 15:22 | 支那・共産・南京捏造

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