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久しぶりにそごう紀伊国屋に行く:なんと12才児の書いた量子力学が出ていたヨ!?   

みなさん、こんにちは。

ついでにこれも。

昨日はたまたま徳島駅まで用事があり、当直帰りの奥さんを迎えに行くまでの数時間、徳島そごうに寄って、最近の科学の本をずっとひとり立ち読みしていたんですナ。

しかしその日はドライブ用のコンタクトだから、1m以上離さないとピントが合わない。というわけで、超遠目に眺めることしかできなかった。

が、いくつか勉強になるものをひたすら眺めて読んでいたのである。やはり俺は本の虫の一種。本に囲まれているとなぜか元気が出る。

戸棚の順番に従って、科学一般、生物、物理、数学と見ていったわけだ。欧米では数学部の方が物理学部よりずっと大きいから、やはり数学書の方が新刊書が多い。

ところで、なぜそうか?なぜ欧米の大学では数学部の方が物理学部より大きくてリッチかご存知だろうか?

理屈は簡単。

数学は学問の女王、一番古く、かつ現代の人文科学すべての分野、つまり、文系理系のすべての学問で必須だからである。

だから、数学部では、初等数学(中学の数学)、中等数学(高校大学1,2年度の数学)から、高等数学(学部の専門課程で必要な数学)や高級数学(大学院の物理数学のための数学)まで、一括して教えるからである。

その数学部の大教室に各学部の大学生が学びにやってくる。コンピュータ学部も、建築学部も、物理学部も、生物学部も、化学部も、。。。みな、初等線形代数学を学びたければ、数学部のそのコースを受講せよ。

こういうスタイルが欧米式の数学教育のスタイルである。だから、数学部が授業料をたくさん取ることができ、多くの数学者を雇うことができる。

日本で言えば、塾経営に似ている。それがアメリカ式だ。



さて、まずは、思わず衝動買いしてしまった本。

(あ)外村先生の量子力学の本。

量子力学を見る―電子線ホログラフィーの挑戦
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確か私がまだ富士通にいた頃、1991~1993年、ちょうどこの本が出るちょっと前だが、私は彼らの電子線 ホログラフィーで超伝導物質の表面を見るという実験論文を読んだことがある。そして、その奇妙な実験結果の中に左右対称のものと左右非対称のものがあることに気づいた。

そこで、左右非対称のパターンの場合は、その中心に1/2の半整数のモノポールができている、それを彼らは発見したのだという論文を書いたことがある。レフェリーから(たぶんそのグループのだれかだろうが、ひょっとしたら外村先生だったかもしれないが)、その人物から、

お前は論文出す前にどうして彼らに送らないんだ

というお叱りの意見が来て没になった。

それ以後、この論文は出版していないのだが、結構勉強になった記憶がある。

その後、私が理研に移ってから、この本が出たことは知っていたが、昨日まで一度も中を見たことがなかった。

なぜなら、おおよそその内容が想像できたわけだからだ。

じゃあ、何故買ったか?

というと、最後の最後までほぼ私の予想通りのある程度私が知っている内容の詳細だったが、その最後の最後のこの一文に惹かれたからである。

「でも、電子1個1個見るような実験をしている研究者にとって、量子力学は、電子の挙動すら予測できない情けない理論である。これで“法則”とか“理論”と言ってよいのかすら疑問になるときがある。」

この一文を座右の銘にするために買ったと言っても過言ではない。

その後の文章も実に興味深いのだが、それは買って自分で読んでもらいたい。そういう外村彰先生は8年ほど前に急逝された。ご冥福をお祈りいたします。


(い)ハインリッヒ・ヘルツの伝記

これはハインリッヒ・ヘルツの伝記である。

ハインリッヒ・ヘルツ
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この本の翻訳者、重光司さんにはぜひ「スタインメッツ自伝」も書籍化してもらいたい。明治時代にすでに翻訳があるが、私にはそれを現代日本語訳にする時間がない。まあ、一度は、書き始めたがまだ最初で頓挫。

ニコラ・テスラがもっとも尊敬した人物2人のうちの1人。一人は、ウィリアム・クルックス。そしてハインリッヒ・ヘルツ。

私もヘルツの論文は手元においてある。英語版と明治時代の翻訳版の両方持っている。

だから、いつかヘルツの話は読みたいと思っていたんですナ。それがそこにあったため、買うことにしたわけだ。


(う)天才登場!?我が国にウィーナーのような天才少年がいた!

数学にも物理にも面白そうな本があったが、やはり数物の本は値段が高すぎる。5000円以上の本では、だれも読まない。結局大学や図書館くらいしか買えないだろうが、そういう場所も予算削減であまり高い本は買えないから、一般人が目にする機会が減る。

アニメがどうして世界制覇を果たしたか?

というと、本が安い。せいぜい数百円で買えるというのもその秘訣になっている。

5000円の本を2000部刷ると、10000000円になる。500円で20000部刷る場合も同じ金額になるはずだが、書店では、その本を500円では作れない。しかし漫画ではそれができている。

このあたりに科学界の生き残りのテーマがあるのでは?

ハードカバーとペーパーバック。そしていまはそれに電子本、キンドル本が加わった。

専門書のキンドル化?

さて話をもとに戻し、天才君のことをメモしておこう。

なんと12歳で量子力学の教科書を出版した逸材が我が国に存在した。その名は

近藤龍一君

であった。ドラゴンだ。ぜひこの名前を覚えていて欲しい。その本が2014年で12歳。いまは高校生くらいだろうか?

東大、京大、名大、。。。ハーバード大など引き抜き合戦があるかもな。

12歳の少年が書いた 量子力学の教科書
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書店でみたところ、帯の解説はあの久米宏さんだった。

「自分は彼が9歳のときに会ったことがある」

というものだった。要するに、天才児の取材かなんかで彼にインタビューした経験があったようだ。

本の内容はそれほど驚くものはないが、いわゆるテレビに出てくる東大京大のクイズ王たちのように、幼少の頃から本が好きで、3歳位から本を読み始めて、9歳には量子力学や数学の勉強を始め、3000冊以上の本を読み、12歳のときには古今東西の量子力学の本を完読。そして世に出回る量子力学の教科書には不満足になったという。

それで自分で量子力学の教科書を書こうと思い立ったという。そうやってできた本がこれだという。

専門家と非専門家とをつなぐ量子力学の本。しかしながら、我々理系人とちがって、小説から文系ものまで何でも読んでいるらしいので、間に挟まれる著名人の文章の引用が素晴らしい。

まさに理系の藤井聡太君のような天才児である。


ところで、戦後70年。一世紀近く平和が続くと、我が国で次々に天才児が現れてくる。

スケートの羽生結弦選手、水泳の池江璃花子選手、将棋の藤井聡太7段、。。。

だから、万葉時代の平和の時代、江戸時代の徳川平和の300年。明治大正の65年。

日本で平和が続く時、ぞくぞくと天才が生まれてくる。

なにか秘密がありそうである。これについてはまたいつか。


(お)南部陽一郎のノーベル賞記念本。

素粒子論の発展
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南部陽一郎先生の待ちに待ったノーベル賞受賞のおかげでできた、ノーベル賞祝いの本である。

この本をつらつら眺めていると、中にエーテルの話があった。そこを読んでいたんですナ。

やはり南部先生もエーテルの存在を信じていたようだ。ただし、南部先生が考えるエーテルは昔の人が考えたエーテルとはだいぶ違うようだ。

要するに昔は電子程度の素粒子を考えていたが、いまはたくさんのタイプの素粒子も存在するようなタイプのエーテルである。

そしてちょっと見た一節には、

エーテルは乱流か?

というものがあった。

その中には、ケルビン教ことウィリアム・トムソンの「渦原子」の話があった。

原子の素としては役立たなかったが、素粒子の素としてはこのアイデアは先んじていて役に立つ。それが、ひも理論の始まりだと書いていた。

しかし、真空中で紐を生むにはそれなりの力が必要で、そのためにはエーテルが乱流になっているのかどうか?

とまあ、こんな話であった。


まあ、現代の素粒子論者のやり方は、物性論と数学の間を行ったり来たりする。そして物性理論家が超伝導理論をみつければ、それを素粒子に焼き直して、素粒子の質量のモデルにする。物性理論家が、準周期系を発見すれば、それを宇宙論のインフレーション理論のモデルにする。物性論者が、超流動の素励起を見つけたら、それをひも理論のモデルにする。

とまあ、こんなことを行ったり来たりしているわけだが、どういうわけか私はこのやり方が気に入らない。彼ら素粒子論者はこれが自己矛盾だとは考えない。

まさに別の国同士で行ったり来たりして、その差益で利潤を上げるユダヤ商人の手口にしか見えないからだ。


そもそも素粒子の時代には人間など存在しないわけだから、その世界の理屈がずっと後に誕生した人間の言葉で語れるはずがない。そもそもその必要もない。

そう思うわけだナ。

宇宙はそんなに我々人類を特別視しているはずがない。

ところが、始めに言葉ありき、最初に光あれといったで始まる宗教の民はどうもその世界観から逸脱できなわけだ。

だから、世界をどうしてもそれに合うように合わせていく。

ビッグバン。インフレーション。。。。

言い換えれば、ユダヤキリスト教の焼き直しに過ぎない。


どうも私が素粒子論に馴染めないのはそういうところにあるように思う。

彼らは自意識過剰なんですナ。その最大の自意識過剰が

人間原理

というものだろう。

南部先生はそんなユダヤ人の学者に取り巻かれた世界に住んでいた。だから、思想が日本人離れしていたわけだ。私に言わせれば、ユダヤ的化していた。あるいは、ユダヤ思想に洗脳されていたんですナ。


仏教の仏門で修行し直した数学者の岡潔のように、数学を使わない数学を構築したいとか、そういうふうなレベルには行かなかった。

しかしながら、現代までの素粒子理論のアイデアの変遷を知る学ぶ応用するという意味では、必読の本である。

南部先生のご冥福をお祈りしたい。


さて、他にも数学にも興味深いものがあったが、また今度にしておこう。

12才児が専門書を書く時代に私はまだ自分の専門書を書いていない。いやはや、これでプロの理論物理学者と言えるかっていうわけですナ。自戒しておこう。


いやはや、世も末ですナ。






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by kikidoblog2 | 2019-02-17 11:44 | 個人メモ

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