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アイラブジャパン:12歳で量子力学の教科書を書いた少年のいま!?久米宏インタビュー   

みなさん、こんにちは。

さてまた今日からまた4〜5時間睡眠の平日がやってきた。まったく夢を覚えていない。

ところで、昨日メモした天才児近藤龍一くんの話。その後、この少年がどんな感じなのだろうか?

と、調べたところ、いくつか興味深いものが見つかった。それを一応メモしておこう。

まず近藤龍一くんはすでに朝日のアエラAERAに特集されていたようだ。これだ。
ベル出版
ノーベル脳のつくりかた

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ところで、このアエラ。いまでは朝日は反日アカヒとして知られているから、記事の作り方が日本に対する挑戦的な記事が多い。

そんなわけで、この私も一度まだ日韓ワールドカップの前年に出たことがあった。これだ。

若き頭脳が埋もれている
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このオリジナルのカラーがこれ。
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当時の俺のオフィス。
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いまはずっと作家的に本だらけになっている。当時はタンパク質の折り畳みやDNA電子論をやっていたから、タンパク質の折れ畳の模型が後ろにある。

当時はベンチプレス90〜100kgほどを上げていた。


あれから18年。

約20年ほど経過したわけだが、昨日のNHKBSのノーベル田中さんの最近の大発見の番組にもあったように、状況はこの時代よりさらに悪くなっている。

博士号を出ても永久職がない。

まあ、日本はアメリカの20年後〜30年後を追いかけてきたから、私がアメリカに留学した当時のアメリカの状況に似てきている。

というより、我が国は昔の大蔵省、いまの財務省の動かす国であるから、すべては財務省の思惑に従って動く。

財務省帝国であるナ。

まあ、マイケル・グリーンのような米国に帰れば無職になるようなジャパンハンドラーズが財務官僚を脅して落とし前をもらって日々贅沢三昧していられるという不可思議な国家なのである。

いったいマッカーサーはいつの時代の男だったのか?いまだにマッカーサーの尻に敷かれている。

おっと失敬。話がそれたが、その近藤龍一くん、久米宏さんの番組に出ていたようだ。これである。

12歳で量子力学の本を書いた少年!
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「 小学校に上がった頃から、歴史・文学・天文学・哲学・医学・経済学…と、あらゆる学問分野の本を読みあさり、小学3年の時にはトランクを持って近隣5つの市の図書館をめぐり、年間3000冊もの学問書を読んだそうです。その9歳のときに「理論物理学」の独学を始め、「量子」のことを知ります。元々、日本史より世界史、日本地理より世界地理というように、遠い世界のことに興味があった近藤さんにとって、現実の常識がまったく通用しない量子の分野は、究極の遠い世界。その不可解なものをなんとしても理解したい! と思ったのだそうです。そして10歳で、物理学者にとっても難解な「量子力学」の独学を開始。

独学する中で近藤さんは、量子力学には入門書から専門書への架け橋になるような中間レベルの本がないと実感し、それなら自分で本を書こうと決意。それが11歳の時。本当はすぐにでも書き始めたかったのですが中学受験を控えていたので、1年間は本の構想をひたすら練るだけにして受験勉強を優先。そして2014年2月、中学受験の翌日から執筆に取りかかり、7ヵ月で原稿用紙400枚以上を一気に書き上げたのです。 」
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詳細は久米さんのサイトを読んでもらうとして、

日本のノーバート・ウィーナーとなれるかどうか?

いずれにせよ、実に将来性は豊かであろうナア。

ノーバート・ウィーナーも14歳でハーバード大学に入学して哲学を専攻していた。子供の頃すでに論文を1つ書き上げていた。

その時のウィーナー少年の思想とは?

「人間の知ることのできるあらゆるものは不確かだ!」

というものであった。

ウィーナー少年は数学から言語からあらゆるものをマスターしていったが、少年時代に自ら生み出したこの哲学をいかに数学化できるかを突き詰めていった。

その結果、誕生したのが、いまいう

一般フーリエ解析、ウィーナー過程、ウィーナー積分、ウィーナーフィルター、。。。、そしてサイバネティックス

などである。バナッハ空間論、フレシェ微分、コルモゴロフの確率論、こういったものも元はウィーナーであった。

ついでにいえば、量子力学におけるハイゼンベルグの行列力学の大発見を導くに至った時の理論の組み立て方、これを最初に導入したのはウィーナーの一般調和解析だったのだ。だから、ハイゼンベルグは電子の軌道をフーリエ変換するという発想を思いついた訳だ。このアイデアは、ボーアの前期量子力学の時代、若きウィーナーがボルン率いるゲッチンゲン大学物理と数学で講演して教えたことだったのだ。

しかしながら、こういう本当の歴史は、この近藤龍一くんのように教科書、つまり誰かにより編纂されたものには一切書かれていないのだ!だから本当の学問を学ぶものには、創始者の論文、つまり、原典や、その創始者の伝記、自伝を読まなければいけないんですナ。だから当然、こういうことは天才児や秀才くんたちの知識にはない。

したがって、こういった天才的な若者たちは、学問の内情、裏話、村上和雄さんのいうナイトサイエンスの部分を知る本物に師事しなければならない。

天才児君たちの問題は、その後だれにつくか?

ということだろう。こういうことがより一層重要になるわけだ。

さもないといずれ凡才に終わることもしばしばである。まあ、凡人になってもそれも人生、悪いわけではない。

つまり、良い指導者に恵まれないと、天才児はその才能をさらに開花させることができない、のである。

ウィーナーの場合は、最初は父、その後はハーバードの数学者、その後はイギリスのホワイトヘッド、バートランド・ラッセル、ハーディ、リトルウッドなど。さらにドイツのデービッド・ヒルベルト、マックス・ボルンなどから学んだ。

幸い我が国では、企業技術では世界の工場になった中国には勝てなくなったが、まだ素晴らしい学者さんたちがいる。

京大の望月新一博士もその一人だろう。

あるいは武者修行でイギリスやドイツやフランスやアメリカに出向くのも良いかも知れない。


将来は明るいわけだから、ぜひ挑戦し、すばらしい世界を開いていって欲しい。


頑張れ、天才児くん(たち)!


ところで、私の少年時代は日夕までボールを追っかけていた。幼少期から小学校時代までろくに教科書以外の本を読んだことがなかった。小6の頃、たまたまクラスメートに読者家の少年がいて、その彼と気があって彼の図書館好きに付き合って、初めて図書館にいき、本を借りるということを覚えたのだった。それまでは漫画はおろか文字のあるものは教科書しか読んだことがなかった。ましてや、保江邦夫博士やいまどきの母親やおばあさんのように子供に本や絵本を読み語るというようなことも受けなかった。だから、文字の覚え(記憶能力)は私は非常に悪い。

最初に読んだ本がSFのジュール・ベルヌのシリーズで、たしかその小学校の図書館にあったものは全部読んだ。後にも先にも小学校時代の記憶といえば、そんなものである。

ところが、一冊だけ妙に変な記憶として残り、その著者の名前とともに鮮烈に覚えていたものがあった。何の本だったかタイトルも内容も忘れたが、それが岡潔という名前だった。その本の一節の中に、岡潔が、世界人類をいくつかのカテゴリーに分類するというもので、最上級が日本人でどんどん下位に下がると中国人や西洋人が出てくるというようなものだった。実に奇妙な話だという印象とその著者の変な人である岡潔の名前はずっと覚えていたのである。

今思えば、私が岡潔に興味を持つ最初の原因がその小学校時代のわずかな図書館通いだったにちがいない。しかしその当時岡潔が数学者だったとかどういう人生を経た人か何も知らなかったわけだ。

中高とこれまた私は最初野球で甲子園を目指し、不良化した野球部に愛想を尽かし、サッカー部に転向。それ以来ずっとサッカーに明け暮れていたから、本を読む機会はほとんどなかった。興味も持たなかった。学校の教科書と宿題程度ですまし、あとは練習練習であった。しかしながら、小学校時代のその図書館通いの時代に知ったジュール・ベルヌの月世界旅行の話から、私は天体に興味をもつようになり、小6の頃自作の天体望遠鏡を作った。これは何かの本の景品のようなものだった。そして中学になって火星の大接近が話題になり、それに合わせて五島の8cm屈折望遠鏡を買ってもらい、それで火星をはじめてみたのだった。東京まで父親と行って科学関係の問屋で買ったのだった。

高校時代はその望遠鏡に天体観測、星野写真を取るべく、いろいろカメラと現像をする危機を小遣いで少しずつ集めては練習のない週末に自分の部屋の暗室で現像するという生活だった。昼間はサッカー、夜は屋上に天体望遠鏡を担ぎ、星野写真をとる。週末に現像。そういう生活をしていた時期があった。

だから、私の場合はこれまた大学に入るまで小説らしい小説はまったく読んだことがなかったし、その必要性も感じていなかった。

しかし、大学2年の夏休み、サッカー引退を決意し物理学者になるための素養として一念復帰し、古今東西の作家の小説をその作家の代表作だけ1冊読むという無謀な計画を実践し、やっと本らしきものと接することになった。

私の大学教養課程の哲学のテーマがソクラテスの「無知の知」だった。

これがその後の私の基盤になっていると感じる時がある。

たまに

無知は犯罪だ!

と私がメモするのもこれが引き金なったにちがいない。

やはり哲学は人生の道案内人、というように、ウィーナーにとっての「不確か」(おこがましく言わせてもらえば、私にとっての「無知の知」)、こういうような哲学的な指導原理原則が天才児くんには必要なのかも知れない。

何がしかの自分の哲学を持つ必要があるだろう。さもないとこれから先で流され流されないとも限らない。


近藤龍一くんの輝かしい成功をお祈りしたい。頑張れ、天才児くん。



いやはや、世も末ですナ。






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by kikidoblog2 | 2019-02-18 11:23 | アイラブとてつもない日本

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