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丹沢渓谷で落雷死:希少な姓「丹沢」と黒駒勝蔵と聖徳太子と黒駒   

みなさん、こんにちは。

そういえば、関東の一角に
「丹澤渓谷」「丹沢山」
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という場所がある。

なんとそこで登山客が雷に打たれて死亡したとか。お亡くなりの方のご冥福をお祈り致します。

登山中の雨で木陰に…雷落ち男性死亡 神奈川 丹沢山地

もし生き延びたら、一気に若返ったのかも知れない。

保江邦夫先生から、かつて70台の男性の科学者が落雷にあったが生き延びたところ、見た目も体力もすべて30歳台に若返ってしまったという話を聞いたことがある。

もし仮に1万人が落雷を受けた場合、9999人は死亡する。しかし万が一、1人くらいは生き残り、そういう人はリセットされて若返る可能性がある。たしか我々の対談本にも出ていた話だったのではないだろうか?

それに比して、STAP細胞の場合もそうで、万が一の確率でしかSTAP細胞はできないのだが、

STAP細胞、あります!

というように、たまにはリセットされる細胞があるというらしい。


さて、話はちょっと外れてしまったが、その丹澤渓谷の丹沢。

実は、私の母親の旧姓は、この

丹澤

だった。

そこで、どれほどの人がこの姓を持っていたのかネットの姓検索で調べたところ、なんとたったの

640〜690人

にすぎなかった。

https://myoji-yurai.net/searchResult.htm?myojiKanji=丹澤
【名字】丹澤

【読み】たんざわ

【全国順位】 10,437位
【全国人数】 およそ690人
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「丹澤」という名字(苗字)の読み方や人口数・人口分布について

電話帳に掲載されている情報によると、「丹澤」という名字(苗字)の人は全国に約640人程おり、全国で「10,491番目」に多い名字となっています。
「丹澤」の読み方については、一般的に「たんざわ」とよみます。
日本全国で見ると、「丹澤」さんは主に「山梨」「東京」「神奈川」「静岡」「埼玉」の順に多く分布しているようです。
「丹澤」姓と相性の良い名前
「丹澤」さんの人口分布表
順位 都道府県 人数
1位山梨県約280人
2位東京都約140人
3位神奈川県約100人
4位静岡県約40人
5位埼玉県約40人
6位千葉県約40人
7位北海道約10人
8位大阪府約10人
9位広島県約10人
10位青森県約10人
11位愛知県約10人
12位茨城県約10人
13位群馬県約10人

小地域順位
1 山梨県 笛吹市 増利(3.91% / 約20人)
2 山梨県 西八代郡市川三郷町 上野(0.993% / 約30人)
3 山梨県 西八代郡市川三郷町 (その他)(0.235% / 約20人)
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ほとんど山梨にしか存在しない名字だった。

確かに昔から、丹頂鶴のようにめったに見ない姓だなとは思っていたが、極めてローカルな姓であった。

私の母親の実家は、昔の東八代郡八代町増利(まさり)という場所だったと思う。そしてそのルーツは、黒駒だったと聞いたことがある。今はすでに大分前に他人の物となっている。

今となっては定かではないが、清水の次郎長では敵役にされてしまった、
黒駒勝蔵
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の出身地とされる場所である。

前に拙ブログにもメモしたことがあったが、

隆盛と鉄舟の駿府城会談の焦点、”甲府の戦争”とは?:次郎長vs勝蔵の戦闘であった!

清水の次郎長というのは、明治時代の娯楽のフィクションであって、実話ではない。

現実の歴史は、

清水の次郎長→幕府軍
黒駒の勝蔵→官軍


に入り、甲州戦争という、薩長官軍と幕府軍の代理戦争を繰り広げたのである。それは猛烈な戦いで、双方に大きな犠牲者を出したと言われている。

その結果、黒駒の勝蔵の率いた官軍が勇猛果敢に攻めて清水の次郎長
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の幕府軍を敗退させ、捕虜にしたのである。

ところが、勝海舟の家来だった山岡鉄舟と西郷隆盛の品川会談の結果、江戸幕府の無血開城となり、その後、明治維新が起こった後、勝利者の黒駒の勝蔵が冤罪で重罪になり、死刑。負けた方の清水の次郎長が釈放されて、英雄になってしまったのだった。

そして、戦後処理として山岡鉄舟は、用済みになった江戸の侍たちを清水に配置転換し、清水の次郎長にその世話を頼み、渡世人の清水の次郎長のイメージアップを計るための小説を地元の作家に書かせたのだった。

それが、清水次郎長物語である。

それが後々ドラマ化、テレビ化されて、いまのイメージが出来上がったわけだ。

まあ、人相はその人を語る。清水次郎長と黒駒の勝蔵の顔つきを見れば、どっちがどういう人だっただろうかわかるだろう。

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ところで、黒駒の勝蔵の「黒駒」というのはどこから由来したのか?

なんと聖徳太子が乗っていた馬、それが「黒駒」であった。

聖徳太子と甲斐の黒駒
【橘寺にある甲斐の黒駒の像】
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「馬子さま、すばらしい馬が集まりましたね」

「ははは。皇子(みこ)さま、
皇子さまが一番気に入った馬を選ばれるとよろしいですよ」

598年(推古天皇6年)、
聖徳太子と大臣(おおおみ)・蘇我馬子は
国々に命じて名馬を献上させました。
飛鳥の宮殿の馬屋には国々から集められた何百頭という馬が並びます。

「うーん…どれもすばらしい馬ばかりですね。
一番を選べと言われても迷ってしまいますよ…」

「やや…これは!!」

聖徳太子は一頭の馬と目があいました。
体は青く、足は四本とも白く、
とても立派な顔つきをしています。馬が言います。

「私は甲斐の国の黒駒と申します。
皇子さま、私に目をつけるとはお目が高いですよ。
私を皇子さまの愛馬にしてください」

「おお!甲斐の黒駒か。すばらしい。
こっちこそ、お願いするよ」

聖徳太子は黒駒の顔に自分の顔をすりつけて、
黒駒の顔をなでなでしました。

聖徳太子は甲斐の黒駒を大切に養わせます。
ほどよくしつけができた頃、黒駒の背に鞍を置いて
聖徳太子は黒駒の背にのぼります。

「よっと…」

聖徳太子が鞍にまたがると、

ヒヒーーン

ターーンと地面を蹴って、黒駒は
飛び出します。

「うわっ」
「皇子さま!!」

ふわり宙に体が浮いた黒駒は、
少し先の地面に着地するかと思うとそうではなく、

そのまますーーと飛んでいき、

蘇我馬子と家来たちがおどろく中、
黒駒は馬屋の入り口をくぐって宮殿の中庭に漂い出ると、
上昇気流に乗るようにすーーと空高く舞い上がります。

「わあああーーっ!」

「皇子さま!皇子さまーっ!
おい、誰か皇子さまをお助けしろーっ!」

蘇我馬子がワアワア言って家来を集める間にも、
聖徳太子を乗せた黒駒はぐんぐん空へ上がっていきます。

蘇我馬子と家来たちがずっと下のほうに小さくなり、
宮殿全体が見渡せるほどにまで馬は駆け上がります。

「皇子さま、ビックリさせてごめんなさい。
私を選んでくださったお礼に、すごい所へお連れしますよ」

「すごい所ってお前…」

ビュウウウウーーン

「わ、わああーーっ」

必死に黒駒のたてがみにしがみつく聖徳太子。

黒駒は一気に加速し、飛鳥寺の五重の塔の脇を、
ばらーん、ばらーんと屋根瓦二三枚弾き飛ばして飛んでいき、

鈴鹿山を越え、
伊勢湾を越え、東海道ぞいの陸地や海を真下に見ながら飛んでいき、
その先には、

黒駒の飛行ルート
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「皇子さま、見えてきました。見てください」
「ん?あれは…ひょっとして、噂に名高い富士の山かい!
うわあ、はじめて見たよ。伊勢の鈴鹿山よりずっと大きいんだね!」

黒駒は富士山上空を一気にかけあがり、
眼下には富士の火口からもくもくと煙が上がるのが見えました。

そして富士山を超え甲斐を通って信濃に入ります。

信濃で黒駒と聖徳太子は地上に降り、信濃名物信州そばを仲良く食べて、
また黒駒は太子を乗せて空を飛び、わずか3日で都に戻ってきました。

「皇子さま、心配しました!よく御無事で」

とりすがる蘇我馬子。

太子はごめんごめんと蘇我馬子をなだめながら、
富士山のことなどを蘇我馬子に話して聞かせるのでした。

黒駒は聖徳太子にとてもよくなつきました。
後に聖徳太子は斑鳩に自分がすむ宮殿を建てますが、
斑鳩から飛鳥の都へは20キロも離れています。

ふつうなら通勤がたいへんですが、
聖徳太子には黒駒があったので平気でした。

聖徳太子はいつも黒駒にまたがって、
斑鳩から飛鳥の間を飛んで、行き来しました。

奈良・斑鳩にある駒塚古墳は、黒駒を葬った場所と言われています。
解説:左大臣光永



私の目は細く、まぶたが厚ぼったいが、私のいとこも目が細く、まぶたが厚ぼったい。この傾向はこの丹澤の特徴なのかも知れない。

いずれにせよ、この丹澤という名字は、丹澤渓谷の周辺部で生まれたものだろう。


というわけで、かなり希少名字になった丹澤姓をちょっと前から、残したいなとは思っていたのである。

山梨には、望月姓も多いが、これも富士山の上に月が昇る場面を姓にしたからだという説がある。
富士山とともにより
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というわけで、黒駒という名前もまた由緒正しい名前であった。



それにしても、丹澤ないし丹沢がこれほど少ない名字だったとは。


いやはや、世も末ですナ。




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by kikidoblog2 | 2019-05-07 08:47 | 個人メモ

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