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U20W杯韓国大会ベスト16日本ーベネズエラ戦:敗戦は内山監督の采配ミスですナ!   

みなさん、こんにちは。

さて今日は早速名古屋大から取り寄せた専門書をコピーしに行って来たのだが、さすがに1週間寝たきりから冷めてだから、きつかった。やはり人間寝たきりになると筋肉が退化し、本当に寝たきりになってしまうのだろう。

今回のU20W杯韓国大会の日本代表は、監督の采配で負けたとメモしたが、その理由を一応メモしておこう。

我が国のジャーナリズムの悪い所は、将棋指しや囲碁の指し手が将棋や囲碁の勝ち負けの後にお互いの手の内について
「ここでこうすればよかった」「こういう手もあったな」
と分析して試合を終えるようなことをしないということなのだ。

つまり、その試合が終わった後に、相手の国のコーチなり監督なりジャーナリストとお互いに「ここではこういうプレーの方が良かったのだ」とか、「ここの監督の選手起用はない」とか、こういうことを分析しないということである。

だから、サッカージャーナリストもだいたいいつも同じ年齢の人間が書くから、いつも同じようなレベルの記事を書いて終わり。結局、10年20年すると、まったく同じ記事が出てくる訳だ。

例えば、こんな記事である。
【コラム】チャレンジャー精神で挑んだU-20戦士…世界舞台で感じた「差」が日本サッカーの財産に
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「予選を観た感じだと本大会はまるで期待できないと思っていた。でも素晴らしい戦いぶりだったね」

 FIFA U-20ワールドカップ韓国2017のラウンド16にて閉幕を迎えたU-20日本代表について、とあるサッカー関係者から寄せられたメッセージだ。こうした印象を持っていた人は多かったのかもしれない。「レベルの落ちるアジア予選でこのくらいのパフォーマンスだったのだから、世界大会では酷いことになる」。そういう予想の立て方をするなら、妥当な見立てだろう。ただ、サッカーとは、そしてスポーツとはそう単純なものでもない。

 1995年、日本が初めてアジア予選を突破してU-20の世界大会に出場したときから、その傾向はあったのではないか。「負けられない」というプレッシャーの中で戦ったアジア予選に対し、世界舞台で若い選手たちはチャレンジャーのマインドをもって躍動する。萎縮していた予選というステージから、解き放たれた世界舞台という流れである。中村俊輔、柳沢敦らを擁して8強入りした1997年大会、小野伸二、遠藤保仁らを擁して準優勝した1999年大会もそうだろう。どちらも予選の内容は振るわず、厳しい批判も受けている。半面、99年大会の準優勝を受けて臨んだ2001年大会は、世界大会まで「負けられない」という空気になってしまって苦杯をなめ、突破の可能性が消えたグループステージ第3戦だけ圧倒的なパフォーマンスを見せていたのは示唆に富む光景だった。

 直近の出場である10年前の2007年大会も、アジア予選の内容から悲観的な予想をする向きも少なくなかったが、フタを開けてみれば伸び伸びとしたサッカーを披露しての躍進を遂げている。求められるサッカーの質の違いやアジア予選独特の環境面の悪さが足を引っ張る部分もあるが、何よりも選手たちの精神面が守りに入る側なのか、「当たって砕けろ」と思えるチャレンジャー側なのかの違いが、ピッチ上のパフォーマンスに現われることになる。

 MF堂安律(ガンバ大阪)もそうした空気感の違いに敏感で、「予選のときとは(雰囲気が)違う」と重ね重ね言及していた。内山篤監督もまた、「ああいう硬直した感じにはならないよ」と言っていたし、大会に入ってからも「怖がらないでいい」ということを重ねて強調。指揮官は意図して「アジア予選とは違う空気」、チャレンジャーの空気を漂わせることに努めていた節もある。ラウンド16においても、序盤の劣勢に際してピッチ脇から盛んに出した声は「自信を持て」「大丈夫」ということだったそうだから、やはり挑戦する空気を指揮官が重んじていたのは間違いない。「腰が引けたら確実にやられるから、それを取り除いてあげたい」というのは重ねて強調していたことでもある。

 内山監督は「勝者のメンタリティーと冷静な頭」という言葉でその境地を説明していたが、勝てるチームというのは気持ちが守りに入る弱気のチームではなく、なおかつ無謀な突撃を繰り返すような状態でもない状態にあるということだろう。血気盛んな若い選手たちにとって言うほど簡単なことではなく、どうしても「俺が」という視野狭窄の突撃マインドに陥りがちな選手たちを、何度も諫めてきた2年半でもあり、その成果も感じられる試合内容だった。

 恐れることなく戦えば、日本のU-20年代はそれなりに戦える。同時に指揮官が言っていたのは、「ビビって負けたのでは、課題も何も見えなくなってしまう」ということだった。今大会はその愚を犯すことなく、伝統国に対しても果敢に挑んでいったからこそ、日本の地力が決して低くないことを確認できたし、同時に選手個々がトップレベルとの差をあらためて認識する場としても機能することとなった。

 たとえばFW岩崎悠人(京都サンガF.C.)がウルグアイと戦いながら強烈に感じたのは「まずベースのパススピードが違う」ということだったと言い、MF原輝綺(アルビレックス新潟)やDF板倉滉(川崎フロンターレ)が強調したのは「まず足が速い」「ボランチの選手が速い」という単純な足の速さの差である。特に日本では遅くていいと観られがちなポジションに、シンプルな速さでこちらを置き去りにできる選手がいる怖さを思い知らされていたのは印象的だった。

 速い選手が速いパスを日常的に使う中での精度があり、だからこそ遅いパスも効いてくる。そしてそのスピード感に対抗するために戦術的な練度も磨かれていくし、肉体的な強度も求められる。そういう好循環の中で育ってきたような個の強さが、この大会の列強にはそれぞれある。そうした「差」を選手たちはもちろん、視察に訪れた多くの指導者たちが日本代表選手という物差しとの比較を通じて体感できたことは、日本サッカーにとって小さからぬ財産となっていくことだろう。

 願わくは、こうした機会が10年に1度ではなく、2年に1度であってくれればと思う。U-20ワールドカップという場に連続して出場し、その成果を国内の育成に反映していくこと。そのサイクルをしっかり続けていく価値を再確認できたことこそ、この大会で得た最大の収穫だったかもしれない。

文=川端暁彦


こんな記事、これまで何度読まされてきたことか?



https://www.soccer-king.jp/news/japan/national/20170531/594764.html

「まだ世界との差がある」
「まだ世界から学ぶことがある」
「いい勉強になりました」

こんな言葉は、私が子供の頃から聞いた言葉にすぎない。

いったいいつになれば学ぶのか?

書いた記者は、選手にそういうインタビューをさせて、自分がいい仕事をしたかのように思うだろうが、それは錯覚にすぎない。

外人選手が足が速いこと、フィジカルが強いこと、パスが早いこと、

こんなことはもう何十年も前からわかっていることだ。

黒人が日本人より成長が7歳早いこと
白人が日本人より成長が5歳早いこと
特に、15〜19あたりで急速にオヤジ化すること


こんなことはずっと前に科学的に証明されたことだ。

だから、小学校時代は日本が世界大会で優勝するが、徐々にその差がなくなり、U20~U23で逆転され、それ以後離されっぱなしになる。

こんなことも何十年も前からよく知られたことだ。

監督業を営もうとする人間がこういうことを知らないとは、モグリに等しい。

ちなみに、同様のことは学者の世界でもある。

学者や科学者の世界でも、高校生までは日本がトップレベルだが、大学時代に追いつかれ、大学院生時代に逆転され、それ以降差がつく一方になる。

ちょうど科学とサッカーは似ているのである。


だから、「子供横綱」問題と私がここで長らくメモしてきた問題が問題になるわけだ。

我が国内で、子供の頃は人それぞれ成長の度合いが違うから、どうしても「早熟」の子供が有利になる。早く身体が大きくなったほうが一見うまく見えるわけだ。

背が高い方が背が低い選手よりうまく見える。
背が高い方、先に身体が大人になった方が足が速いし、力が強いから、その方がうまく見える。

さらに、まだ周りが成長していないから、いい加減で適当なプレーでもゴールできる。

小さなゴールキーパーには適当に思いっきりければ、どこを狙おうが取れないから入ってしまうわけだ。

こうなると、早熟や身体の大きめの選手が有利になり、そういう雑な技術でもレギュラーになる。代表選手になる。

ところが、15〜19になるとだいたいどの選手も成長期が終わり、ここで一気に身体が大きくなる選手が出てくる。そうなれば、足が早くなるし、力も強くなる。

一方、先に成長した選手は成長が止まり、小粒になり、足の速さも身体の強さも差がなくなる。

こうなったときに、子供の頃身につけてしまったなんちゃって技術が邪魔をする。

さらに我が国では大きいと思ってパワーサッカー、スピードサッカーでスターになれた選手でも国際大会、世界レベルになると、外国人選手の成長はもっとはやく、もっと大きい。

だから、我が国で突破できたなんちゃって技術では太刀打ちできなくなるわけだ。

一方、子供の頃身体が小さかったために、思春期で非常に大きく成長した選手は、子供の頃に監督やコーチから見込みがないと邪険にされてきたわけだから、こっちも技術に問題を抱える。

つまり、我が国では早熟な選手も後咲きの選手もどちらも技術的な制約を受けるのである。

これを私は「子供横綱」問題というわけだ。


ところが、ライオネルメッシのように、海外では、小柄な選手はのちのち大きな選手と戦う羽目に陥るから、最初から徹底的に技術を完璧にしようと成長するわけだ。バルセロナのシステムがこれにあたる。

つまり、ここで何を言いたいかというと、問題の所在は最初からわかっているのだということである。

目をつむってもシュートをゴールの狙った場所にけることのできる技術を身につけなかったから、決定力がない。ただそれだけの話なのだ。

要するに、我が国のサッカー選手は他国の選手より怠けていただけのことなのだ。

なぜ怠けられるか?

というえば、言うまでもなく、ハングリー精神がないからだ。

別に上海雑技団並みに足技がうまくなくてもサッカーできるし、プロになれる。だから、シュート力がない。

シュートしなければ、点は取れないが、シュートが入らなければ、点にはならない。

だから、敗退する。

チャンスは日本の方がベネズエラより多かった。だから、別にサッカーそのものについての世界との違いはない。

しかし、再三再四そのチャンスを自ら潰すようにして潰したにすぎない。

一方、逆に相手のベネズエラは一回のチャンスでそのチャンスを自ら得るようにして得たにすぎない。

その差は何か?

というと、

ヘディングはゴールライン上に叩きつける。
ボレーは地面に叩きつける。
右からのボールは右足で、左からのボールは左足でシュートする。
センタリングはマイナスほどゴールしやすい。
シュートには必ず詰めろ。
バックパスはダイレクトで。
後ろから来た選手は必ず使え。
後ろの声は神の声。

などなどのサッカーの鉄則、基本中の基本にどこまで忠実なプレーができたかどうかということなのだ。

はっきり言って見た感じではもう世界との差はまったくない。

シュート力の差があるだけだ。

シュート力をあげるには、当然トップスピードでシュートしたり、チャージされた状況でもシュートできるフィジカルが必要になる。

また蹴った瞬間にその落下地点を予測できる認知能力も必要である。

野球のイチロー選手のような感覚が必要になるわけだ。

甲子園の高校生でも、打ったボールは時速200kmで打ち返される。それがホームベースで打った瞬間に、その音、軌道をみて瞬時に落下地点まで全力疾走するのである。

この見極めが我が国のサッカー選手は実に甘い。

なぜなら、国内で自分の身体が大きければ、あるいは足が早ければ、ごまかせるからだ。

ヘッドで行くところを、追いつかずにバウンドさせたとしても、別にその後の処理で勝てば問題ないわけだ。自分の方が大きければ、落下地点を間違っても、ヘッドで決められることにはならない。

ましてや野球なら外野が落下地点にいってキャッチしなければアウトにならず、ヒットになってしまうが、サッカーでは別にボールを着地させても点にはつながらない。

こうして落下地点に対する認知能力が甘くなる。

このベネズエラの1点の時のDF冨安の動きがまさにこれだった。

ベネズエラの選手と冨安選手との落下地点の予測で、相手は精確にその場所を認識できたが、冨安はできなかった。

しかも、相手はサッカーの鉄則通りのヘッドをした。つまり、ゴールラインに叩きつけた。

一方、ウルグアイ戦での久保健英選手はヘッドをゴールライン上に叩きつける基本を疎かにした。だから、バーを超えた。

ベネズエラ戦の高木は左足できちんとミートできず、右足に自爆した。だから、ゴールを外れた。
この試合の三好のボレーは、ボレーの鉄則を忘れて、叩きつけるべきところをインサイドでジャンプしてシュートした。だから、バーを超えた。

要するに、世界との差ではなく、やるべきプレーとの差で負けたのだ。


一方、内山監督の采配で負けたというのはどういうことか?

これもメモしておこう。

1試合目の南ア戦。この試合のすべての失点の起点は、右サイドバック6番初瀬のせいだ。このガンバ大阪の選手が、マークの仕方、オフサイドトラップの仕方、ラインコントロールの甘さ、こういうことが原因で、圧倒的に日本の右サイドから何回もセンタリングを挙げられ、守備がガタガタになり、結局2失点をした。

しかし、幸い堂安や遠藤や岩崎の攻撃陣が3点取ったから勝てたのである。

2試合目のウルグアイ戦。この試合で内山監督はこの右サイドバックの6番を外した。

結果、強豪ウルグアイから、2失点ですんだのである。もしこの6番初瀬がいたら、もうここで終わりだっただろう。

しかしこの試合の2失点は6番が抜けたためにバランスが崩れてマークのズレができ、その時の対応で足の遅い、かつ足元のまずい冨安がやられて2失点になったのだ。

だから、なぜ最初から6番初瀬を代表に選んだのか?ということである。

青森山田の黒人ハーフのサイドバックもいるし、サイドバックはいい選手がたくさんいる。

なんで初瀬なのか?


3試合目のイタリア戦。6番初瀬が復活。そしてこの初瀬の軽いプレーとFWの追い方が悪く、最初の失点に繋がった。

2点目はセットプレーでこれまた初瀬がマークする相手を捕まえなかったことから失点したのである。

最近見てきた中では、最低最悪の選手だが、リオ五輪の時の藤春と同じで、ともにガンバ大阪ユース出身である。ガンバ大阪のDFのコーチは変えたほうがいいぞ。まったくサッカーを理解できていない。

ガンバ大阪は、最近の高円宮杯でも大したことなかったはずだから(ちなみに昨年は青森山田がほぼ完全優勝)、どうしてガンバ中心の代表になるのか全く理解できない。

たぶん、高校の選手には、君たちは国内の選手権がある。ユースの選手には国際大会しかない。とかなんとか、なんちゃっての理由をつけて排除したのだろう。

キーパーはFWのだれにもピンポイントでけることのできる青森山田の広末の方がいい。はっきり言って、この代表より青森山田のAチームの方が完成されていて強い。堂安は青森山田相手には通用しなかった。

さらには、久保の起用の仕方である。

基本的に若い選手はスーパーサブよりは、最初に使ったほうが良い。

ベテラン選手のような使い方には問題がある。そこまで久保健英選手にはまだ経験がない。

残り15分だけ出されて結果を求めるのは酷である。それよりは、最初に出してもらって、動けなくなったら交代のほうが理にかなっていたはずだ。

またイタリア戦で一番理解できなかったことは、内山監督がどうしてもリーグ突破したくて、つまり、自分のノルマ達成のための保身にほだされて、3点目を奪いに行かせなかったことである。

サッカーのトーナメントは、1位が別グループの最下位と、2位は2位と、最下位は1位と対戦するシステムである。

ウルグアイはトップ通過で3位の弱いチームと当たれるが、日本は3位通過で別グループの最強のベネズエラと対戦となった。

勇敢に勝利をものにすべきところだったにも関わらず、相手が後ろでパス回ししているのを追わずにつまらないゲームで終わった。

私はこの瞬間に終わったなと思ったヨ。

監督が打算や計算をし始めたらもう終わりである。すくなくとも韓国にまで見に行った日本人に申し訳が立たないだろう。

一試合一試合全力で戦うのが日本人である。結果的に引き分けるのであって、最初から引き分け狙いで良いということにならない。


ベスト16のベネズエラ戦。これはまさに打てども打てども入らないシュート技術の差で負けたのである。

岩崎選手もひどかった。高木選手が冷静にちょっと浮かしてキーパーの上横を狙えば、勝利できたに違いない。

が、どうしてこの試合に限り、これまで先発したことがない高木を先発させたのか?

これまた不可解である。


また、日本人監督にありがちなことは、せっかく23人のメンバーを選んだのに、全員を出場させないというブレインワークのまずさである。招集した選手は1次リーグで全員使え、というのは監督の鉄則である。

監督が激昂したり、冷静さを失ったり、あるいは、緊張したりすると、普段やらないことをする。これも日本人の監督によくある習性である。

ベネズエラ戦で、相手が時間稼ぎしている時に、選手交代の準備した、それも2人を交代しようとしたが、相手がボールをタッチに出さず、結局この2人は出場できずに試合終了。

馬鹿ですか?内山監督は?


いずれにせよ、いくらいい世界レベルの選手を招集しても監督が一流でなければすべてがご破算、わやになる。


いやはや、世も末ですナ。




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by kikidoblog2 | 2017-06-01 19:26 | サッカー&スポーツ

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