2017年 05月 09日 ( 2 )   

「ピッツ君が引きこもったわけ」:もしマーガレットがアスペじゃなかったら?世界は変わっただろう!?   

みなさん、こんにちは。

いや〜〜やはり古い本あるいは古い時代の人を研究しないとだめなようである。

ここ最近少しずつ便学(=大便する間に本を読む)している例のウィーナーの伝記:
情報時代の見えないヒーロー
a0348309_13523424.jpg


レジェンド:ノーバート・ウィーナーの父がハーバード大ユダヤ人教授第一号だった!
ノーバート・ウィーナー「情報時代の見えないヒーロー」:彼はAIの未来を見通していた!?
1935年ノーバート・ウィーナーは我が国に来ていた!:ウィーナー「東大より阪大の方がいいね!」
・リアル・グッド・ウィル・ハンティングが存在した!:ピッツ君、静かに歴史を作り静かに死す!?
の中で、独特の役割を果たしたピッツ君の話をメモしておいた。

その中で次のようにメモしていた。
・リアル・グッド・ウィル・ハンティングが存在した!:ピッツ君、静かに歴史を作り静かに死す!?

ウォルター・ピッツ
a0348309_1440436.jpg


しかしながら、良かったのはこの時代までだったようだ。

その後、徐々にピッツ博士は幼少期のトラウマに苛まれて精神的に落ち込み、人嫌いになり、孤立化していく。

そして最終的には、アル中になり、肝硬変になって吐血して静かにこの世を去る。

享年46歳。


こうして今言うところの脳科学の基礎理論を生み出した天才浮浪児がこの世を去ったのである。

48年前の今頃の時期である。ご冥福をお祈りいたします。


この理由がなんとなく後を読んでわかったので、それもメモしておこう。


特に、そのピッツ君はリアル・グッド・ウィル・ハンティングのマット・デーモンの役の数学少年のようだったとメモしたように、ピッツ君がマット・デーモンだとすれば、ウィーナーこそ最近お亡くなりになったロビン・ウィリアムズにあたるといえるだろう。

しかしながら、何事においても

現実はSFより奇なり!現実は小説より奇なり!

実際には、ロビン・ウィリアムズが演じた教師が離婚経験者の辛い人生の持ち主であり、実際のロビン・ウィリアムズもまたアル中で薬中の更生者であったように、ノーバート・ウィーナーもまた強度の躁鬱病を患っていたし、ピッツ君も幼少期の家庭環境から来るトラウマを抱えていたのである。

こうしたことが、現実の歴史ドラマを大きく歪めてしまったようだ。

さらに悪い事にウィーナーの奥さんがこれまた今で言う「アスペルガー症候群」にかかっていたようで、まったく人心を掌握できなかった。

サイバネティックスを全世界に広げてノーバート・ウィーナーの名が有名になるまでは良かったが、それはひとたび全世界に知られて有名になると、今度はウィーナーの奥さんが「西太后」のような振る舞いをするようになったのだとか。
a0348309_18102255.jpg


まあ、我々東洋の世界の著名人で言えばそういうことになる。

清王朝の西太后かあるいは朝鮮王朝の閔妃(みんび)。

ちなみに、その本の中では、ポーリング・クック博士がウィーナー夫人をマクベス夫人に見立てている。マカロック博士をスコットランド王に見立てた。


幼少期のスパルタ教育の傷跡がウィーナーの精神を蝕み、徐々に躁鬱病がひどくなる。

奥さんは、徐々にノーバート・ウィーナーがその躁鬱病の鬱状態にある心理的隙間を狙って、ある種の洗脳をしていく。ウィーナー博士の心理を手玉に取って、かつての同僚たちをことごとく仲違いさせて、ついには自分が生み出したMITの研究仲間とその研究部門と敵対してしまうのである。

板挟みになったピッツ君。父のように慕っていたウィーナー博士からいわれなき攻撃や怒涛の叱責にあって、かつての幼少期のアル中暴力父の記憶が目覚めてしまったのか、以後一切MITに出てくることがなかった。

いま我が国で言う、「引きこもり」である。


なんと、哀れなピッツ君。自宅に完全に引きこもり、アル中になってしまったのだ。


そして、ついにその当時時代を数十年は先を行っていた最高級の研究論文、それも博士論文用にすでに2〜300ページは完成して後は公表を待つばかりとなっていた一世一代の大論文。

焼き捨てた!

1952年のことだ。


いや〜〜、痛い。実に残念。


私が読んだ印象では、ピッツ君はまさに学校教育のシステム上に必要な「博士論文」をまとめなければ卒業できなかった。実際には、博士以上の歴史的研究を行っていたわけだ。

浮浪児だったピッツ君。浮浪者生活が好きだった。

研究の合間に時間を見ては浮浪者生活に戻ったらしい。音信不通。だれも居場所がわからない。

いまならスマホで呼び出せるが、なにせこのピッツ君の理論のおかげで電子計算機、パソコンが生まれたのである。だから、当時は電話しかない。電話は家にあるもの。人の手にはない。ポケットにもない。

研究は遅れに遅れ、いつしかウィーナー博士の逆鱗に触れる。

悪いことに、ウィーナーは有名になったストレスと、「世界的に有名になった学者の奥さん」ということでこれまた変な意味でストレスを持ったウィーナー夫人の異常行動によって、かつての天才たちの学友グループが崩壊してしまったのである。そのストレスがもろに何の関係もないピッツ君に降り注いだ。

そうでなくてもDV父親から逃げて浮浪児になったピッツ君。もうMITはおじさんたちの喧嘩や怒鳴り声だらけで、いてもたってもいられなくなった。

「すべてはこの俺の論文のせいだ!ちくしょう、こんなもの燃してしまえ!」

とまあ、おそらくこんな感じだったのではあるまいか?


というわけで、スチュアート・カウフマンに先んじること20年。

「3次元ランダムネット計算機の理論」
「複雑ネットワーク適応脳理論」

これが燃えた。


そうでなくても、電子計算機の理論では、ジョン・フォン・ノイマンに出し抜かれ、情報理論では細々と教えてやったクロード・シャノンに出し抜かれた。

ところで、ここでいう「出し抜かれた」という意味は「独立に先にやられた」という意味ではなく、「いろいろと自分のアイデアを教えてやり共著者になるものと思っていたら、勝手に単独で公表されてしまった」という意味である。ユダヤ系によくみる手口ですナ。俺も経験がある。


その痛手がウィーナーの鬱病を悪化させたようである。


ノイマンの計算機理論もシャノンの情報理論ももともとはウィーナーが提案したものである。それがサイバネティックスであった。

ところが、ウィーナー夫人、なんとノーバート・ウィーナーに

「マカロックとピッツのような手下たちが、今度はあなたのサイバネティックスも盗もうとしているわよ!」

とそそのかしてしまった。


いや〜〜、痛い。


とまあ、そんなこんなでピッツ君は引きこもりになり、ウィーナーは自宅静養となって、天才ウィーナーを失ったマカロックのMITは意気消沈。

サイバネティックスの火が消えてしまったのだとか。


かたや我が国では、九州大学の数学者北川敏男博士が日本学術会議を率いてサイバネティックス研究会を開催し始めた。

1953年、1954年のことだ。

「温故知新」から文科省の「温新知古」の時代へ:「サイバネティックスの時代」は良かった!?

サイバネティックス―境界領域としての考察 (1953年) (現代科学叢書〈第1〉) サイバネティックス〈続(自動制御と通信理論)〉 (1954年) (現代科学叢書) - – 古書, 1954


おそらくこの日本学術会議主催のサイバネティックス会議が、アメリカのメイシー会議の役割を果たし、戦後の日本社会に一気に電化製品、オートメーション、ハイテクへの道を突き進むきっかけになったのである。


さて、
「ブール代数ネットワーク理論」
a0348309_1747169.jpg
というものは、1969年に
スチュアート・カウフマン博士
a0348309_17461759.jpg
がアメリカでできたばかりの大型汎用計算機を使って初めて計算したものである。

これによって、たくさんのアトラクターが存在し、アトラクターの分布がある種の相転移を起こすということが発見された。それにより、カウフマンは通称「天才賞」ことマッカーサー賞を得た。

それに先立つこと20年。

1940年代にピッツ君、なんと手で(つまり頭脳と紙と鉛筆だけで)計算していたんだとか。


ウィーナー夫人、マーガレットの変な介入さえなければ、世界は変わったんちゃうか?

女性が歴史を駄目にした典型ですナ。

やはり女性は表に出ないほうがよろしい場合が多い。聞いてるかR4こと二重国籍国際犯罪者の蓮舫よ。

冗談はよしこさん。


まあ、俺が読んだ印象では、どうしてウィーナー夫人がこういうことをしたかというと、

ウィーナー夫人のマーガレットはユダヤ人が大嫌いだった!


これですナ。


ウィーナー夫人は生粋のドイツ人。それも家族全員はナチス党員になったほどだ。そして自分もアメリカで
ヒトラー総統の「我が闘争」
a0348309_1755112.jpg
を読んで暗唱したいたほど。

ウィーナーはユダヤ系だったが、ユダヤ人であることはあまり好きではなかったという。だから、そんな夫人でも結婚したわけだ。たぶん父親が反面教師になった。

ところが、ウィーナーの周りに世界中から集ってきたのはみなユダヤ系の学者ばかり。それがMITに集まった。そのリーダーがマカロック博士だった。

マカロック博士の考え方、一挙手一投足、ボヘミアンスタイルが気に入らなかった。

そこへボヘミアン風のユダヤ系の若手学者が集まり、よりによって自分の娘と仲良く話すようになってしまった。恋愛感情も性交渉もなんの問題もなかったらしいが、とにかくマーガレットはMITのサイバネティックスの学者たちが嫌いになった。

とまあ、そんなわけで、

ばらばらに引き裂いた

わけですナ。


女の執念は怖い。



いやはや、世も末ですナ。






e0171614_11282166.gif

[PR]

by kikidoblog2 | 2017-05-09 18:01 | 真実の歴史

【拡散希望】「コリアンが認めたがらない歴史的事実一覧」3   

パククネの父親は立派な日本軍人だった!
a0348309_1111735.jpg

日韓併合で朝鮮人が朝鮮母国で日本軍人士官や警官や議員や公務員になっている時代に、同胞が自国民を奴隷にするはずがないのである。事実そんな事実無根はなかったのである。


みなさん、こんにちは。

先日、とあるコメントをメモしたが、
【拡散希望】「コリアンが認めたがらない歴史的事実一覧」1
【拡散希望】「コリアンが認めたがらない歴史的事実一覧」2
それの続きとして、またメモしておこう。以下のものである。

【動画】歴史は違う 日本は韓国から文字、文化、言葉を奪ったのか?



a0348309_134201.jpg

日本人は韓国人から言葉や文字、文化を
奪ったといわれているが…

日本は韓国に対して、京城帝国大学(学生の半分は日本人、現ソウル大学)まで作っている(大阪に帝国大学を建てる前)が、こんなことをやった宗主国はない。支配するには、そこの人民を無知にさせるのが鉄則だから、常識破りをやっている。
 《小滝透 「日本人はなぜかくも卑屈になったのか」》

日本の総督府は、学校を可能な限り朝鮮全土に設置する方針をかため、1943年には小学校は4,271校、就学児童は日本人が約10万人・朝鮮人が約194万人に達していた。(保護国とする1905年以前はわずか9校、それも首都の漢城<のちの京城>にしかなく、入学者数は合計187名だった)
…台湾と韓国が戦後のアジアでいち早く目覚ましい経済発展をとげた最大の理由は、学校教育の普及にあった。
  《石井竜生 井原まなみ 「壁のない密室」》

伊藤博文は教育事業に多大な関心を寄せ、それを最優先させて千を超える各種学校ができた。(当初は小学校は40にも満たなかった) 
       《金完燮 SAPIO2002/7/24》

韓国は併合前、就学率は総人口の1%ほどだったが、昭和18年には61%にまで達している。

《黄文雄 「捏造された日本史」他の著書「中国・韓国が死んでも教えない近現代史」》

●ハングルは15世紀に作られた人工語だが、それまで漢字漢文を正書とする両班から軽蔑され相手にされない文字であったたがために、実用化に至っていなかった。日本総督府時代が初めてハングルを普及させ小学校教育に導入した。
      《西尾幹二 「国民の歴史(上)」》

●一般には、昭和13年の朝鮮教育令改正が「朝鮮語抹殺」の1つの例とされている。しかし総督府は、朝鮮語の辞書や教科書も作って教えていた。 
        《荒木信子 諸君!2006/4月号》

●筆者が当時朝鮮で暮らしていた人から伺ったところでは、電車の切符は朝鮮語で買えたそうである。
また昭和9年の西平壌駅の駅名票には、漢字・ひらがな・ローマ字・そしてハングルの4種類の文字が見える。(「別冊1億人の昭和史 日本植民地史1 朝鮮」毎日新聞より)
一方、お巡りさんは日本人でも朝鮮語ができなければ仕事にならず、制度として朝鮮語の講習を受けることになっていた。
…こういう事実からしても、当時の日常の生活語は朝鮮語だったといえるのではないだろうか。

●昭和18年製作「望楼の決死隊」という東宝の映画がある。舞台は昭和10年、満浦(現在の慈江道満浦市)という国境の町にある駐在所、つまり国境警備隊である。その中で気がついた点を列挙する…

◇映画の始まりで「演出今井正」、その下に「演出補崔寅奎」と朝鮮人名が見える。高田稔、原節子ら日本人の俳優に続いて「秦薫、沈影、朱仁奎、田澤二、金賢、金信哉、金玉」という名が見える。

◇駐在所の宴会で、金さんが朝鮮語で民謡を歌い、その場にいる日本人がリズムをとって楽しんでいる。

◇日本人の巡査二名が部落内の様子を訊いて回る際、住民と朝鮮語で会話している。

…つまり、大戦の最中である昭和18年時点で、朝鮮の文字や言葉、人名そして風俗を映画に出すことに何の問題もなかったのである。
  《荒木信子 「韓国・北朝鮮の嘘を見破る」》


●日本語は当時のアジアでは、いわば国際語だった。今の英語より有用だった。だから江沢民だって日本語を覚え、日本語訳されたマルクスからゲーテからディケンズまで、思想から医学・科学・建築分野まで学べた。朝鮮の学校では日本語を強制されたともいうが、今、英語で授業をやっているのと同じことだろう。
    《高山正之 正論2006/9月号》

●アジアの国々に日本語を押し付けたと非難するが… 植民地の人々が独立を志し、あるいは近代化への道を歩むための教育を受ける機会は皆無だった。よって日本に留学するアジア人は多かった。

◇1887年には朝鮮から60人の留学生が訪れている。
◇1905年には東京だけで8,600人、日本全土で1万人をはるかに超える中国近隣の留学生であふれた。(孫文・魯迅もいた)
◇同年、仏印から3人のベトナム人が日本に留学し、その数は数年で300人まで増えた。
     …など

●なぜアジア各地から日本をめざす留学生がいたかの理由について、中国・張之洞の勧学篇に詳しく記している。彼は言う。アジアで近代化を成し遂げた日本には、中国には得られない世界の文献が揃っている。日本に行き日本語を学べば、そういった文献は全て習得できる。

●安易に日本非難に乗るアメリカ人に対して「では、フィリピンで米語を教えるのは悪いことではないのか。あるいはシンガポールで英語が公用語として根付いているのは、英国が悪いことをしたということなのか」と質問すると、それに対する答えは返ってこない。
…日本語を教えるというのは、かつては知識を教えるという重要な意義を持っていた。
《高山正之 「情報鎖国・日本」他の著書「変見自在偉人リンカーンは奴隷好き」》

●先日から朝日新聞が「百年の明日・ニッポンとコリア」と題する連載を始めた。「ハングルは15世紀に世宗のもとで考案され、広められたが、日本の統治時代はこの民族固有の文字は厳しく弾圧され、日本語を強制された」と1回目は書きだされている。
一読、驚く。だいたいハングルとは今、南北朝鮮で使っている表音文字をいう。世宗が日本の仮名を真似て創った諺文がそのオリジナルだ。

●朝日は「広められた」としているが、これも嘘。世宗のあと、李朝の王らは諺文の使用を禁じ、漢語漢字こそ神聖だとやった。朝鮮のオリジナル語もほぼ8割方が葬られてしまう。諺文が息を吹き返すのは、朝日のいう「日本の統治時代」で、福沢諭吉が諺文と識字率を高める学校教育の普及を説いた。彼の門下の井上角五郎が諺文の活字を作って朝鮮に持ち込み、今のハングルの礎を作った。

●因みに日本は、たった数百校だった小学校を約4千校に増やし、学校に行けなかった常人(小作人)や奴卑の子供も通えるようにした。のちに大統領になる朴正煕もその一人で、「日本の役人が親を説得して小学校に通えるようになった。頭がいいからと授業料のいらない師範学校に進学させてもらい、陸軍士官学校にも入れた」と語っている。
…これがどうして「民族固有の文字が弾圧された」になるのか。

●朝日はさらに「日本語を強制した」と、まるで悪い事みたいに書く。
そうじゃない。朝鮮の民は日本のおかげで読み書きができるようになった。でもそれではトルストイやカントは読めない。なぜなら諺文訳の「戦争と平和」などないからだ。読むには英語や独語、露語を全て学ばねばならない。

●ただ日本語を学べば全てが読めた。世界中の古典を一つの言葉に訳した「世界文学全集」は、あの時代も今も日本にしかなかった。あの時代、文明に通じる道は日本語だった。だから支那人もビルマ人もベトナム人もみな、日本に留学して世界を学んだ。アジアでは英語に相当したのが日本語だった。
      《高山正之 週刊新潮2010/5/20》

●朝鮮総督府は「一面一校」(面は村の単位)を目標に小学校を次々に開校していった。1943年までに4,271校を設置して「一面二校」を実現した。それらは当時日本国内にもなかったコンクリートやレンガ造りの三階建て校舎などだった。

●日韓併合当時、朝鮮に公立学校は約100校しかなかった。外国修道会やキリスト教系学校も設置されていたが、2桁を超えるまでにはなっていなかった。かわりに多数存在したのが「書堂」(寺子屋)だが、それらは学校と呼べるレベルに達していなかった。
     《水間政憲 SAPIO 2013/10月号》


●1940年、ソ連は占領下のポーランドで将校やインテリ層2万人を虐殺した(カチンの森事件)。
統治に邪魔な存在だからだ。ポルポト政権はこれにならい、さらに徹底し、教師、医師、公務員、芸術家などインテリ層のほとんどを収容所で処刑した。眼鏡をかけていたり文字を読んでいただけで収容所に入れられたという。だからカンボジアは現在も教師、医師、弁護士などが極めて不足している。「今は民主主義でしょ」「でも、国民が無知なほど治めやすい」。ガイドは諦めのまじった笑みを浮かべた。現政権もかつての宗主国フランスにならったのだろう。

●日本は韓国を併合した当初、読み書きのできない民を本土並みにしようと、100校ほどしかなかった小学校を30年かけて4千校以上に増やした。学問の府として京城帝大まで設立した。阪大や名大より先である。
日本人にとって愚民化政策などという酷い考えは脳内に存在しないからだ。 
       《藤原正彦 週刊新潮2013/4/11》
http://kenjya.org/kyouiku.html


まあ、明治政府は本当に余計なお世話をしたものですナ。

どんだけ多くの日本人が、その誤った政策のために朝鮮人の手により殺されたか?

最初から、どうして遣唐使、遣隋使が朝鮮半島を避けて日本海を渡ったのかを理解すべきであっただろう。

アジアでもっとも劣悪で汚く危険な人型生物がいたからである。

明治政府が馬鹿なイギリス政府にほだされてやったことは、戦後に日本政府が馬鹿なマッカーサーのGHQにほだされてやった大馬鹿政策と同じことである。

結局、明治政府は日清日露戦争。第一次世界大戦、そして日中戦争、大東亜戦争、太平洋戦争と続き、多くのサムライを失い、多くのインテリを失ったのである。

戦後も、今見るように、バッカーサーのお陰で、在日特権天国となり、どれだけエラの張った目のつり上がった日本人や朝鮮脳や放射脳の日本人や帰化人が増えたことか。

日本人がどんなに素晴らしいことをしてやっても、それの恩を仇で返す。これは朝鮮脳のなせる技、遺伝子の問題であって、だれかにそそのかされてそうなるわけではない。ここを間違ってはならない。

彼らは人殺しするとスカッとして気分がいいから人を狙うのであって、原因があってするわけではない。心神喪失があるわけでもない。

他人の家を襲って火を放つと爽快感が得られるから、そうするのであって、別に恨みがあるわけではない。
後から出る屁理屈はその場しのぎの嘘でしかない。

女性をレイプするのは、そうすると性的興奮しペニス勃起するから女性を襲うのであって、別にその女性に何か関心や恨みがあるわけではない。

日本に対する反日を行うのも別に日本がにくいからそうしているわけではない。そういう反日行為をして騒ぐと集団陶酔でき、性的に興奮するからそうしているにすぎない。特に理由があるわけではない。

こういう朝鮮気質を理解したら、

一銭たりとも金を恵むことはあり得ない。
1匹たりとも我が国に入国させることはあり得ない。
1匹たりとも帰化させることはあり得ない。

とまあ、こういうふうになるはずなんだけどナア。


あまりに安倍晋三政権は朝鮮人に対して甘すぎる。その御蔭でどれだけの日本人が殺されてきたか。

そろそろ全世界にはっきりとした有無を言わせない証拠を突きつけるべきであろう。

我が国にはずっと新聞にそういう記録が遺されてきたからである。


物事はできるときにやっておく。

2020年に憲法改正できるなんて思っていると、それまでに自分がいなくなるという可能性もあるということを踏まえるべきだろう。

いま憲法を改正し、2020年には自主憲法制定する。これならまだしも、たいていは後の祭りになることが多い。


大事なことはだまってささって仕上げる。これですナ。


いやはや、世も末ですナ。





e0171614_11282166.gif

[PR]

by kikidoblog2 | 2017-05-09 11:22 | 韓国・ウリナラ・法則