2017年 06月 09日 ( 3 )   

だれがディラックのδ関数を発明したか?:実はノーバート・ウィーナーだった!?   

みなさん、こんにちは。

さて、これは実に個人的な話題だから、数学や理論物理に関心のない人はスルーして欲しい。時間のムダである。

2週間ほど前にひどい腰痛になった頃から、ノーバート・ウィーナーの自伝、そして腰痛が回復してからウィーナーの初期の論文を少しずつ読んできているのだが、いくつか実に面白い事に気づいたのである。

もちろん、この気付きは、一般の物理学の歴史や数学の歴史書には殆ど載っていない。

まず結論から言うと、
(あ)量子力学の不確定性理論の発見はウィーナーの方がハイゼンベルグより先だった!
(い)ディラックのデルタ関数の発見者はディラックではなく、ウィーナーだった!

この二点である。


まず(あ)について
情報時代の見えないヒーロー
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ノーバート・ウィーナー「情報時代の見えないヒーロー」:彼はAIの未来を見通していた!?
によれば、ノーバート・ウィーナーは、1922年、1924年、1925年。毎年のように欧州に遠征に行った。

ウィーナーは1921年にいわゆる後にウィーナー過程と呼ばれることになる「ブラウン運動」の数学理論を公表していた。

これが欧州の英独仏で非常に評判になり、イギリスではハーディーやリトルウッドのところ、ドイツではゲッチンゲンのデービッド・ヒルベルトのところ、フランスではベノワ・マンデルブローの叔父であるショレム・マンデルブローのところへ行き、講演及び研究を行った。

だから、ウィーナーの一般調和解析の思想に基づく、複雑な運動に対する動力学理論がその頃欧州に芽生えたのである。一方、アメリカではウィーナーの思想を理解できるものはなかった。

ショレム・マンデルブローは東欧のハンガリーとかそっちの人だから、そこにいた若手に恐らく情報を提供した。その1人がバナッハである。バナッハ空間の最初の理論はノーバート・ウィーナーが定義したものであった。

1924年にウィーナーは19世紀末期の奇人変人数学者、
オリバー・ヘビサイド
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の直感的数学を厳密に定義することを考えた。

こうしていくうちに、力学的運動を調和解析していくという、ニュートン力学からギブズの統計力学の思想にもとづいて力学解析する方法を開発した。それがウィーナーの一般調和解析である。このレビューは1930年にまとめられたが、実際にはずっと前のウィーナーのフーリエ解析の教科書にも出ているのである。

そして、問題の1925年になって、ウィーナーは再びドイツのゲッチンゲンに渡る。当時のゲッチンゲン大学は文化、科学の世界最先端の場所であり、数学では晩年の
フェリックス・クライン
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中堅には
ダーフィト(デービッド)・ヒルベルト
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がいた。

一方、物理では
マックス・ボルン
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がいて、その研究室に若き天才、
ウェルナー・ハイゼンベルグ
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ウォルフガング・パウリ
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の2人がいた。

そこでノーバート・ウィーナーは、一般調和解析を用いて、音楽の楽譜のような周波数変調が時間的に生じる運動は、ある種の相補性あるいは双対性が生じるということを講演したのである。

つまり、雑音がホワイトであれば、そういう音符は一瞬の音であり、逆に長時間一定の音符はその周波数はたったひとつの周波数で記述される。この意味で、時間と周波数の間には双対性が存在するという理論を講演したのである。

そこにマックス・ボルンとそのお弟子さんたちもいた。若きウェルナー・ハイゼンベルグがそこにいたことは確認されている。


さて、私が40年前に大学で量子力学を勉強し始めた時、一番最初に読んだのが、ディラックの量子力学の英語版だった。その後、それを基にした朝永振一郎の量子力学(I)(II)を読んだが、その朝永の教科書の(I)にニールス・ボーアの前期量子論の説明からウェルナー・ハイゼンベルグの量子力学の発見の話が出ている。

しかし、どうしてそれまではニュートン力学では粒子の座標がx(t)で書かれるのに、ハイゼンベルグがそれの座標を

x(t) = ∑ x(n)exp{iw(n)t}

のようにフーリエ展開するのか理解できなかった。いったいハイゼンベルグはどこでこの発想を見つけたのか?

これは朝永先生の本をいくら探しても分からないのである。

実はこれがノーバート・ウィーナーの思想圏に属した内容だったのである。

ブラウン運動のような複雑な運動は、ニュートン力学の古典軌道として、時刻tの解析関数として書けるものではない。だから、たくさんのモードの重なりとして複雑で非周期の運動を理解するのだ。そのためには、ある時刻における位置座標のx(t)をモードw(n)でフーリエ展開すればいい。

これがノーバート・ウィーナーの考えだした一般調和解析学である。

ハイゼンベルグはただちにこれに基づいて、当時の量子力学の問題に適用した。そこで使えるのは、ボーアの発見である、量子転移はかならず二つの準位の差だけで書ける。つまり、w(m)-w(n)で記述できる。

量子準位は定在波として一つのモードw(n)で記述される。

これを使ってx(t)^2を計算すると、ウィーナーの調和解析からずれることを発見した。

この発見が量子力学の発見に繋がったのである。

翌年1926年にウィーナーはハイゼンベルグの先生であるマックス・ボルンと量子力学の論文を書く。ここでウィーナーは初めて「演算子」という概念を持ち込む。物理量の時間微分は時間微分演算子とは交換しないのである。そして、この時間微分演算子は実質上ハミルトニアンであることを証明した。

ここにいわゆる量子力学の全体像が生み出された。

そして、1927年にハイゼンベルグの不確定性原理の論文、およびボルン、ハイゼンベルグ、ジョルダンの量子力学の完成論文が登場した。

というわけで、ウィーナーの存在は我々の量子力学の教科書にはどこにも出てこないが、実際の科学の歴史においては、ノーバート・ウィーナーこそニールス・ボーアに匹敵する量子力学の祖であったのである。

実際、ニールス・ボーアにはハンス・ボーアという兄弟がいて、ハンスは有名な数学者だった。そして、ウィーナーは英国留学して以来、ハンス・ボーアとは親密な交流があったのである。だから、ハンスがニールスにウィーナーの思想を伝えないはずがなかったのである。


次の(い)の問題については、実はこれには明確な理由および証拠がある。

上述のように、私がディラックの教科書を勉強して以来、ディラックはどうやってディラックのδ関数を見つけたのか?という点が気になってきた。

しかしながら、最近でもディラックのデルタ関数の発見を行ったとされる1926年の論文を見てもどこにもないのである。

量子力学のどの本にも、どの教科書にも、1930年のディラックの量子力学で導入されたことになっている。そしてさらにデルタ関数は1926年にディラックによって発見されたことになっている。それもヘビサイドやクロネッカーのδの連続関数への拡張だと書かれている。

結論は、ディラックは最初からデルタ関数を使ったのであって、発明したのではない。問題の関数にδ関数という名前をつけて自分の理論に適用しただけなのである。

さて、だれがそれを現代的な意味で使い始めたか?

というと、これまたノーバート・ウィーナーだったのだ。

一般調和解析の初期の論文で明確にディラックのδ関数の萌芽、というより、実質上等価の関数の存在を証明した。それもヘビサイドの関数を厳密化するという手法できちんと数学的に定義したのである。

ここに日本語で超関数とよばれる関数になぜ英語ではdistribution(分布)と書かれたかの謎が説かれるのである。

ウィーナーは最初からある種の確率分布としてこのヘビサイドの階段関数H(u)から連続関数への一般化を行ったからである。

その論文がこれだった。
N. Wiener, The Operational Calculus (1926)


この論文の565ページの上から2つ目の式
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がいわゆるディラックのδ関数の定義に対応するものである。

そしてこの論文の後半では、それを使って分数微分の問題に応用していくのだ。

ヘビサイドは微分演算子の逆べきというものを最初に定義した。いまでは佐藤超関数のソリトン理論ででてきたものだが、なんとヘビサイドは最初に微分の逆べきを定義して、それが積分にあたる。だから、その指数を分数にしてもなんでもいいという論文を書いていたのである。

それがこれだった。
On Operators in Physical Mathematics. Part I(1892)
On Operators in Physical Mathematics. Part II(1893)


ヘビサイドはこういう手法を使って、エーテル中の電子運動によるウェイクの研究をしたのである。

あるいは、電子が光速を超えて運動する場合に生じる衝撃波の研究を行った。

さらに驚くべきことには、演算子法を用いてヘルムホルツの波動方程式の解を発見し、それが20世紀後半でいう湯川ポテンシャルに等価なものを見つけていたのである。ヘビサイドはpan potential(フライパンポテンシャル)と名付けた。

これをポール・ディラックが読まなかったはずがない。イギリスのケンブリッジ大学の図書館の薄暗い場所でディラックはひとり静かに読んでいたのである。事実、ディラックがいつも図書館の片隅の薄暗い場所で最新の雑誌を読んでいるのを目撃した日本人留学生もいたのである。


とまあ、こんな案配で、ノーバート・ウィーナーは、ブラウン運動の理論、ウィーナー過程、ウィーナー積分や調和解析だけではなく、バナッハ空間、分数微分、ディラックのδ関数、量子力学、不確定性、時間と周波数の相補性、制御理論、ネガティブフィードバック、確率統計、そしてサイバネティックスとほぼ科学の全分野で膨大な貢献をしたのだった。


しかし、かつて私がユタ大を卒業した時、ハーベイ・コーン教授に私のドクター論文を見せた時、
お前の研究は学際研究だから、下手をすると、数学者からは物理の理論とみなされ、物理学者からは数学の理論とみなされ、どちらの職も取れなくなる恐れがあるから注意しろ
と言われたのだが、まったくその通りのことが起こって今に至ったのである。

学際研究にはそういう実際的な危険があるのだが、どうやらウィーナーも各分野の老舗や有名人からはそういうふうに見られたフシがある。

数学者からはあれは理論物理だとみなされ、理論物理からはあれは数学だとみなされたり、あれは工業数学だとみなされる。

こういうことが起こったに違いない。

あるいは、2つの戦争の時代だったから、どの国の研究者からも自分が最初にやったと言われてしまったのかもしれないですナ。

いずれにせよウィーナーは世界のウィーナーだから特にその程度の理論を当時の若者に盗まれてとしてもなんとも思わなかった、屁とも思わなかったのだろう。


いやはや、科学の世界も今も昔も盗人だらけ。

いやはや、世も末ですナ。


おまけ:
やはり同じ1925年の論文:
N. Wiener, The Harmonic Analysis of Irregular Motion
の105ページの最後から2つ目の式も実質上ディラックのδ関数とまったく等価な表式が使われている。これである。
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by kikidoblog2 | 2017-06-09 18:59 | ウィーナー・サイバネティクス

U20W杯韓国大会準決勝:ヴェネズエラとイングランドが決勝進出!   

みなさん、こんにちは。

再びU20W杯韓国大会。相変わらず韓国人は自国チーム以外一切見に行かない。どうやらそういう民族のようである。準決勝だというのに観客席がガラガラなのだ。

だから、日本大使館前のデモ行進とか、そういうものがさかんなのは、どこかから金が得られるからだということだろう。実際、我が国の左翼デモは日当5000円。テレビに映れば5000円増し。逮捕されたらまた5000円。こういうふうな課金システムなんだとか。

要するに朝鮮人ほど現金な民族はいないのである。

さて、話が逸れたが、準決勝は以下の結果となった。

第1試合

ウルグアイーヴェネズエラ
Match 49: Uruguay v. Venezuela - FIFA U-20 World Cup 2017→1-1, PK戦でヴェネズエラ勝利
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両者譲らず、1−1でPK戦突入。ヴェネズエラが優勝候補のウルグアイを撃沈。


第2試合
イタリアーイングランド
Match 50: Italy v. England - FIFA U-20 World Cup 2017→1−3
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イングランド、ついに若手育成に成功で圧勝!しかしほとんど移民の子となった!



いやはや、日本とからくも1-0で勝ち上がったヴェネズエラがまさかの決勝進出。

一方のイングランド、決定力の差でイタリアを一蹴。このイタリアも日本と引き分けたチームだった。

この意味からも、やはり内山監督の采配ミスさえなければ、あるいはもう少し世界を知る監督が採用されていれば、U20日本代表は決勝戦に勝ち上がれたのではなかろうか?

我が国の問題は、すでに監督の問題なのである。

いくらいい選手がいても、代表の監督さんがトップレベルでなければ、チームはトップレベルにはいけない。

しかし、監督が良すぎるとまた選手は意図が理解できずに失速する。

この辺は実に難しいところである。

この監督にしてこのチームあり。

これが本当のところかもしれないナア。


いやはや、世も末ですナ。


というわけで、決勝戦は、ヴェネズエラーイングランド。

私としては日本に薄氷の勝利をしたヴェネズエラに優勝してもらいたい。




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by kikidoblog2 | 2017-06-09 15:24 | サッカー&スポーツ

武田鉄矢の「今朝の三枚おろし」:「日本はなぜ負けるのか?」→「戦争の敗戦から学ぶ勝者のメンタル」   

みなさん、こんにちは。

さて、昨日武田鉄矢さんの今朝の三枚おろしの話に非常に興味深いものがあるということを指摘しておいたが、忘れてしまわないうちにそれをメモしておこう。以下のものである。

(あ)第一次世界大戦の真実
【武田鉄矢今朝の三枚おろし】中国・韓国と上手くいかないのは、日本が第一次世界大戦を知らないからだった!
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片山杜秀
「未完のファシズム」
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(い)真珠湾攻撃の真実
【武田鉄矢今朝の三枚おろし】真珠湾攻撃の真実
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淵田美津雄
「真珠湾攻撃総隊長の回想 淵田美津雄自叙伝」
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(う)日本はなぜ負けたのか?
【武田鉄矢今朝の三枚おろし】負けることにも失敗した日本
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戸部他多数
「失敗の本質―日本軍の組織論的研究」
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(え)ミッドウェー海戦の真実
【武田鉄矢今朝の三枚おろし】ミッドウェー海戦「失敗の本質」を知る
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(お)韓中衰栄と武士道
【武田鉄矢 今朝の三枚おろし】韓中衰栄と武士道
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黒鉄ヒロシ
「韓中衰栄と武士道」
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さて、順番はともかく、このシリーズは戦前戦中戦後を貫く我が国の国民性、いわゆる「日本人特有のメンタリティー」を実に見事に触れる結果となっている。

だから、ぜひ読んでそれぞれ考察して欲しい。

が、国民性というのは文化伝統の他に遺伝的なものもあり、DNAに刻まれたものは、韓国の朝鮮人や中国の支那人がそうであるように、我々日本人にもどうしようもないという面もある。同様に西洋人にもユダヤ人にもアラブ人にもアフリカ人にもそれぞれにそういう特別な部分はある。

非常に分析したい部分が多く、それぞれはまた今度にして、まずはいくつか補足修正する部分。

(あ)で、たしかどこかに第一次世界大戦の時のドイツ人捕虜の話があり、そこから「ベートベンの第九」が始まったのだという話があったと思うが、そこで鉄矢さんは、松江市だかどこだかだから愛媛に捕虜収容所があったと言ったが、それは二つのことが合体して混乱したからのようだ。

この捕虜収容所は「坂東俘虜収容所」であり、四国徳島の鳴門にあった。その所長の名前が福島県会津藩出身の松江所長だった。以下のものである。
バルトの楽園(予告編)


国旗の重み ~板東俘虜収容所 第一話~


しかしながら、我が国では「死者の魂は永遠に生き残り、みな合一する」という宗教観を持つから、例え敵兵、異人であったとしても、死後は手厚く葬る。これが我が日本人の伝統である。だから、別にドイツ人が特別だったわけではない。ロシア人、米人、イギリス人、フランス人、ドイツ人、支那人、韓国人みな合祀したのである。あるいは、それぞれの墓地を用意した。
テキサス親父「武士の情け」に感涙!:国を背負って戦った勇者の尊厳は命を掛けて守る!


この点をまずは武田鉄矢さんは誤解しているようだ。


(い)の淵田美津雄さんの話の中で、
「日本人には宗教がないのにどうしてあれだけの戦争ができたのか?」
という、米兵や米人司令官の疑問があるが、単に「おかあさ〜〜ん」「万歳」と言って特攻していったわけではない。

鶴田浩二の「同期の桜」
軍歌 同期の桜 鶴田浩二
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にその時の特攻隊の思いがそのまま出ているように、なぜなら鶴田浩二こと小野栄一さん自身、特攻隊の生き残りだったからである。

この我が国の日本人の死生観のルーツは、超古代エジプトや古代イスラエルの10支族の多神教にまで遡り、その後も天皇家の神道、秦氏の古代景教(ネストリウス派)、そしてインドや支那仏教の体裁をとって伝来した真言宗や浄土真宗など、我が国の死生観にははじめからユダヤ・キリスト教的な部分が多いのである。そしてそれ以外に日本人独特の土着の先祖崇拝や万物崇拝と合わさって今の形になっている。

だから、「日本人に宗教がない」というのは、日本人を知らない西洋人の独特の間違った認識に過ぎず、すでに日本人は宗教と名乗るほどの鬱陶しいものではなく、空気や水のように身体に染み付いたものなのである。

いま我が国に訪れるごく一般レベルの諸外国人がこれを不思議に思い、学んでいるところなのである。

結論から言えば、我が国の宗教は超古代エジプト文明のラーの太陽神崇拝の霊魂不滅の思想に一番近いのである。

(う)の日本の失敗の分析では、ここに誤りやすい点があるので、それをメモしておこう。

つまり、過去の分析では、韓国朝鮮人のような
「遡及法」的な考え方は間違いだ
ということである。

つまり、今の現状から過去を推し量ってはならないのである。あくまで、過去のその時点の状況まで遡って問題を分析し直さなければならない。いまならこうだから、過去でもこうあるべきだったというのは間違いだという意味である。

そうしないと、人物評価を間違い。下手に悪評を生み、自虐史観に輪をかける結果になる。

(え)のミッドウェー海戦の時代を語る上では、やはりアメリカと欧州との関係を知らないと、かなり誤解を呼ぶ。別に武田鉄矢さんの落ち度というわけではないが、それぞれの本の著者が、まず共通に落ちいいっているのは、
(1)陰謀論に無知
(2)科学に無知
この2点である。

これらの本の著者は、単に歴史的偶然によって第1次世界大戦、第2次世界大戦が起こり、そして第3次世界大戦がいままさに起きようとしているが、実はこうしたものは、壮大なアジェンダ(計略)があって起こされたものであり、自然に勝手に起きるものではないのだ、という視点がないということにある。

欧米社会は、貴族社会であり、王国社会である。つまり、王族貴族という人種と、一般平民という別の人種の二種分離系の社会である。だから、戦争に行く人間と行かない人間に最初から別れているのである。

一方、我が国は天皇家があっても、人種的には一般人と同根であり、我が国日本の誰一人にも、天皇家の祖先と共通の遺伝子が存在する。だから、日本人の象徴として、日本人を代表する「大父」として天皇は存在する。だから、王ではない。

そこへ行くと、支那朝鮮では、王族は別の他所の国からやってきた他所の民族である場合がほとんどである。だから、お上と平民には欧州型の分離があるわけだ。

この事実を知らないと、他国民と日本人とを比較する場合に大きな誤解を呼ぶことになる。

だから、欧州の場合、王族貴族の中に、世界支配を企むものがいて、そのものの手下がいまでは銀行家になり、大企業の所有者や大株主になっている。彼らには、平民がどの人種でもかまわないわけだから、1大帝国を作り上げてその支配層に入ればそれで結構なわけだ。

これがいわゆるNWOやらシオニストである。

ナチスはこれを平民のユダヤ人だったヒトラーが真似ただけにすぎない。ソ連のユダヤ人のレーニンやグルジア人のスターリンも、自分がその支配層になりたかったにすぎない。


一方、一般に日本人の歴史学者は科学の歴史に浅はかである。だから、まさに旧日本軍人がやらかした間違いと全く同じ轍を踏むのである。

第1次世界大戦は科学の戦いだった。それを知らなかったから、第2次世界大戦で日本が負けたのだ。

これは真っ赤なウソだ!

この一文にこそ我が国のリーダーたちの弱点があるわけだ。


西洋において、15世紀の大航海時代に帆船技術が発明された。つまり、磁石の方位磁石の応用が始まった。これにより遠洋航海ができるようになった。磁気学の発達である。また大砲や鉄砲が発明された。

16世紀、ちょうど我が国の戦国時代の頃、時計(クロック)が発明された。これを理解するために、いわゆる古典力学が誕生したのである。これがガリレオの時代である。

17世紀になって、ケプラーやケプラーの時代になって、望遠鏡が発明された。これで天体の観測ができるようになり、力学理論が完成したのである。望遠鏡の発明により、敵艦隊を遠くから観察できるようになった。

18世紀になって、ワットにより蒸気機関が発明された。ここから、熱力学が誕生した。ここからいわゆる黒船が登場した。そして、イギリスオランダの連合艦隊がスペイン・ポルトガルの無敵艦隊を打ち破るスペイン継承戦争が勃発した。

19世紀になると、ボルタの電池の発明が起こり、フランクリンの電気の発見が起こり、ファラデーやマックスウェルの電磁気学が生まれ、ろうそくの時代から電気の時代に入った。そしてヘルツの電信電話の時代に入った。またアボガドロの原子論が生まれ、化学が誕生した。

20世紀始めになると、テスラの多相交流モーターの発明、エジソンの電球の発明、スタインメッツの電気回路理論のおかげで、水力発電が実現し、社会に電化文明が到来した。

そして前半のうちに、強電から弱電への転換が起こり、いわゆる電気回路の時代に入った。そして相対性理論、量子力学や原子核理論が生まれた。

そして、第1世界大戦の時代。すでに人工計算機、通信と暗号、暗号解読機の時代に入った。

第2次世界大戦の前には、電子計算機の開発が始まり、ウィーナーの登場によりサイバネティックスが生まれた。

第2次世界大戦中にイギリスでレーダーの発明があり、アメリカのウィーナーによる制御理論が生まれ、レーダー追尾して敵機を撃墜するシステムがアメリカで生まれた。

そして、その時がミッドウェー海戦の時期だったのである。


さて、問題は、第1次世界大戦と第2次世界大戦で何が違ったのか?

というと、実は第一次世界大戦の時、ウィーナーによれば、当時は政治家、科学者、軍人が三者三様に独立して動いていた。だから、意思統一が計れなかった。

一方、ドイツは中央集権国家で統一がなされていた。

特に、軍人が科学者を馬鹿にしきっていた。だから、一流の若手科学者、例えば、マイケルソンーモーリーの実験のモーリー(モーレー)も戦地へ行って戦士した。哲学者のヴィトゲンシュタイン、数学者になったカラテオドリーも戦争に行った。ヴィトゲンシュタインは戦地で歴史的な哲学書を書き、カラテオドリーは戦地で自分は生き残ったら数学者になると決心した。

同様に、ユダヤ系のアドルフ・ヒトラーはドイツ兵として第一次世界大戦に出兵し、そこで未知の存在と出会い、「俺の言うとおりにしろ。そうすれば、お前を世界最高の人物に仕立て上げる」という声を聞いた。そして捕虜になっている時に「我が闘争」を書きあげた。

アメリカは無傷だったが、戦争兵器の提供者として参戦した。そして、この反省から、第2次世界大戦の時には、
科学者は従軍しないで戦時研究することになった
のである。これがロスアラモス研究所である。

そして、人工計算機のエンジニアだったヴァンネヴァー・ブッシュが大統領顧問となり、いわゆる「軍産複合体」をアメリカに作り上げたのである。このブッシュの共同研究者がノーバート・ウィーナーだった。

したがって、日本が日露戦争や第1次世界大戦のままだったのに比べて、世界=欧米はだいぶ先に進んでいたのである。ウィーナーの思想圏の下でアメリカにはすでに電子計算機ができていた。主にベル研究所や一部の大学ではモデル機ができていたのである。

これが戦時中に軍事用として完成し、これが原子爆弾の開発計算に使われたのである。

同時に、ゼロ戦を追尾して撃墜するための砲台制御システム回路が完成した。

したがって、ミッドウェー海戦の時には、我が国は肉眼や双眼鏡で敵艦隊を発見しなければならない時に、すでにアメリカでは空母や戦艦のレーダーが敵艦隊や敵編隊を発見し、相手がいつどこに現れるかを予測して撃墜体勢を取ることができたのである。

これが本当の差なのであって、別に日本軍人が米軍人に劣っていたから負けたのではないのである。

ミッドウェーの海戦の前までは、日本が物量でも勝っていたが、この敗北により、海軍の両手を失い、南海諸島をマッカーサーの「蛙跳び作戦」で失い、日本軍が孤立し、シーレーンを失って、それから日本に物資が届かず、結局、物量に差がつく結果になったわけである。


そしてもう一つの問題は、特攻作戦の方法である。

ドクター中松は最後の日本帝国海軍の若手将校だったが、最後の最後の神風特攻隊の時、中松の上官は、「夜間の特攻」を進言した。それも夜間に敵戦艦の上空に行って、真上から垂直に降下して体当りする。この方が100発100中になると。

ところが、大本営はこれを拒否。あるいは無視して、昼間の水平突撃を命じた。これがいわゆる神風特攻隊である。

垂直落下であれば、水中用も陸地用も無関係である。また高射砲や大砲は真上を打てない。

いまでいうバンカーバスター方式である。

なぜこれをしなかったのか?

これはまだ誰も答えてはいない。

も一つの大問題は、これは欧米軍の最先端科学技術の参謀であったウィーナーのお弟子である池原止戈夫博士が我が国に帰国していたのに、どうして池原博士とウィーナーのコネを利用して、欧米の科学の発展状況を調査しなかったのか?

電子計算機の開発者のメンターだったウィーナーは1935年に日本に来たのである。東大と阪大で講演していた。この時にどうして監視するのではなく、ウィーナーから西洋の現状やトレンドを聞き出さなかったのか?

これも謎である。

が、こういうところに日本人の科学者への無理解や科学に対するある種の偏見が見えるのである。

武田鉄矢さんも分数で躓いたという。数学嫌いである。

現代の欧米の科学技術は数学者が数学を応用して電気回路や電子回路を作り、数学から電子計算機を生み出したのである。今流行のAIはすでに1930年代にノーバート・ウィーナーがメキシコのローゼンブロート博士といっしょに主張したものである。それが後にサイバネティックスの名で出たに過ぎない。その時より20年前からその思想は欧米には現れていたのだ。

ところで、メキシコは1930年代には非常に美しく発展した希望に湧いた国家だったらしい。そして1964年のメキシコ五輪で我が国のサッカーが初めて3位になったときまでは、非常に素晴らしい国だったらしい。

ところが、今はどうだ?

麻薬の国家であり、危ない国の代名詞になってしまった。

いったい何が起こったんでしょうナア。

それが、ヴァンネヴァー・ブッシュの親戚家系のジョージ・パパ・ブッシュがCIAの時代になって、ノリエガ将軍を使って麻薬ビジネスを始めたことが直接の原因なのである。

ジョージ・パパ・ブッシュのCIAがメキシコを愚民化したのである。


いまこの悪の手がここ日本に忍び寄っているわけだ。これが我が国に大量の麻薬密輸が絶えない理由である。

だから、俺は昔の侍階級の復活、銃刀法を改正し、銃所持免許制にして、現行犯では正当防衛で射殺できる国になれと主張しているわけですナ。

さもなくば、弱い人が自分の身を守ることができないからだ。女性は屈強な不遜犯罪者3人もいれば、すぐに集団レイプ殺害されてしまうのである。しかし6発入りの拳銃があれば、それを防げる。


ちょっと話がずれたが、武田鉄矢さんの話に、米軍機の機銃や米戦艦の機関銃がゼロ戦を当てやするために編み出した方法に、何発かに一発光る弾を入れた、という話があった。

それがこんなやつ。
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よく映画で見るように銃撃の軌跡が光っているのは、そういう「光る弾」が仕込んであったからだという。

さて、一方、アメリカのウィーナーは完璧主義者だった。だから、砲台制御システムも完璧な理論を作って完璧な装置を作ろうとしたという。

ところが、アメリカの上層部は現実的だった。

武田鉄矢さんの話にあるように、臨機応変。適当に爆撃せよといって帰還した。

この話にあるように、いわゆるアメリカのヤンキー(日本のヤンキーではなく、ニューヨークヤンキーズのヤンキー)は独特の発明の才があるというが、もう一つ

Rule of Thumb(親指の鉄則)

という言葉がある。

意味は「いちばん大事なことを見定める」というような意味である。要するに、あまりに細かいことはどうでもよく、一番本質、いちばん大事なことができればいいという思想である。

ミッドウェー海戦でもこれが出ていたわけだ。まずは敵空母を撃沈すること。

さて、そこでこの話の本質に来た。

つまり、「日本人のメンタリティー」というものだが、武田鉄矢さんのいうように、日本人は一度にいくつものことができる方がいいという特有の思想がある。

あれもこれもできる。一挙両得。

こういう思考形態がある。

サッカーでもそうで、それぞれが専門家であるよりは、一人ひとりがなんでもできる方が良いという思想がある。文武両道もその典型であろう。

会社でもそうで、なんでも売る方が良い。そういうふうに考えやすい。

しかしアングロサクソンはそうではない。独占禁止法。一社一業種。

こういう思想は、アングロサクソン特有の思想である。ユダヤ人にはこの考え方はない。

人はそれぞれ一番得意なことだけ伸ばせばいい。神様がある才能をくれたのであれば、それを一生使えばいい。こういうふうな思想がある。

身体の小さい人やサッカーが苦手の人がサッカーする必要はない。

したがって、空母の火事には火消し職人がやればいいのであって、あるいはそういう防火装置をつければいいのであって、大砲係は大砲だけ打て。

こういう考え方になる。

一方、我が国では、大砲係が火消しに走ったり人命救助までする。その結果、本業が疎かになって、敗北する。

サッカーでも1人がなんでも守備も攻撃もできるようにするから、すべてが時間が足りずに曖昧になる。全部がなんちゃってサッカーになる。

ヘッドならあいつは百発百中というふうにはならない。

また、日本人は、一撃必殺。百発百中を求める傾向が強い。やるからには絶対失敗が許されない。
だから、ボクシングでも手数が極端に減る。

これに対して米人は、当たればいい。効率的に倒せばいい。そう考える。だから、ショットガンを発明した。

ゆえにボクシングでも手数が勝負であり、手数を撃つうちに一発でもラッキーパンチが出ればいいという発想になる。

また米軍機の機関銃の弾もショットガンのように破裂してどれかが敵機に当たればいいというものである。

米軍ジェット爆撃機の劣化ウラン弾のような最近の爆弾も地雷もみなこの手のショットガンスタイルである。

科学でもこの思想がDNA解析のショットガン法を導き、ノーベル賞を取った。



ところで、この話と一見関係ないが、本質でつながっているのは、卓球の平野美宇選手がアジア選手権で初優勝した時の話である。

この平野選手のコーチは元中国代表の卓球選手らしいが、この人の言っていることが実に日本人とは違っていたので実に興味深い。

平野選手は何か失敗した時、どうしてあんなプレーをしてしまったのかと自分を責める。そんな時、その支那人コーチがいう。
「失敗したにしろ、失敗したことを責めてくよくよするより、何をすればその失敗をしなくてすんだか、それを見つけろ」
と言ったのである。

簡単にいうと、
なぜ卓球は中国人が上位を占め、日本人が優勝できないか?
というと、
中国人には勝者のメンタリティーがあるが、日本人にはそれがないから
である。むしろ、敗者のメンタリティーがあるからだ。


このことは「失敗学」「日本軍の失敗」「日本サッカーの敗北の歴史」でもそうだ。

失敗したことを悔いるのではなく、どうすればその失敗を避けられたかを発見するために過去を振り返るのである。

翻って、サッカー選手の傾向もそうだ。香川真司が決定機でシュートミスする。すると、ポールを蹴ったり、手を叩いたり、芝生を叩いたりする。そして、うつむき加減に下を向いて歩く。日本人選手にはこういうことをする選手が多い。

この瞬間、この後も試合はリアルタイムで進んでいる。感傷にひたっている場合ではない。

この習慣が引き続いていった結果、日本のサッカー選手の大半の選手が姿勢が悪いのである。野球や他のスポーツの選手たちと比べても、他国のサッカー選手たちと比べても、我が国のサッカー選手だけが、うつむき加減で歩き、いつも地面ばかり見て歩く習性がある。猫背になり、首が前に曲がり、本当に物理的にも曲がってしまうのである。

これは、失敗ばかり悔やむからである。

サッカーは失敗のスポーツである。四六時中、予想外の事が起こる。いつも自分のやろうとしたことができない。お互いにそうやって潰し合うスポーツである。

こういう場合に、失敗を悔やむ習慣を身につけると、心理的に落ち込み、その結果姿勢も悪くなるのである。胸を張れないのだ。

したがって、やはりどうしてこういうプレーができなかったかと悔やむよりは、こうすればよかったというふうに反省すべきなのだ。ゴルフの選手がパターを外したり、ミスショットをした後に、同じことをやり直す。ああいうことをすればいいのである。

戦争でも全く同じことだろう。

敗戦の理由を発見して自虐史観に陥るよりは、もっとこうした方が良かったなと別解を発見すればいいわけである。こういうことをしないから、いつも同じことをするという自分の癖や習性が出るのである。

これが「日本人特有のメンタリティー」と呼ばれるものである。


いやはや、世も末ですナ。



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by kikidoblog2 | 2017-06-09 12:20 | 武田鉄矢・三枚おろし