2017年 06月 14日 ( 1 )   

武田鉄矢「米国では敗戦の将は首!」:大本営化した日本協会と山本五十六化したハリル監督!?   

みなさん、こんにちは。

さて、まずは武田鉄矢さんの今朝の三枚おろしの例のミッドウェー海戦の話のものからメモしておこう。すでに何度かメモしたものである。

【武田鉄矢今朝の三枚おろし】ミッドウェー海戦「失敗の本質」を知る

今回わざわざこれを再掲したのは、この部分だけピックアップしたかったからだ。
アメリカの場合、一度敗れた司令官は首!
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このアメリカ太平洋艦隊の鉄則である。

敗軍の将は即座に首なのだ!

ところが、真珠湾攻撃で第一次攻撃でなまぬるく帰還してその後米海軍の蘇生を促してしまったり、ミッドウェー海戦で惨敗し、何万人もの日本兵の犠牲者を出した南雲少佐は帰還を許された。

海軍空母の館長は館とともに命をともにしたのだが、海軍司令部の幹部は日本に逃げることがゆるされたんだと。

そうやってどんどん傷口を大きくしていった!


なぜこれを取り上げたか?

というと、サッカー日本代表の人選もこの轍を踏んでいるからである。

たぶん、我が国のサッカーに対して、日本代表は一回のみ。予選敗退したら、監督及び選手一同

総入れ替え

そうすべきだと主張してきたのはこの俺だけだ!

というわけで、私のこの観点と米海軍の観点がまったく一致したからである。


我が日本代表は、岡田監督の南ア大会、ザッケローニ監督のブラジル大会、そして今度のハリルホジッチ監督のロシア予選とまったく選手に大きな変化がなかった。

その結果、同じことを何度も繰り返してきたが、

本田、香川、長友、長谷部、川島の「僕達のサッカー」が幅を利かせてきた。

そして、昨日のイラク戦。世界ランク117位で自国ではISISと正規軍との戦争で危なくてサッカーどころではない状態の国の代表チームにも勝てなかった。

日本代表は世界ランクは45位。それが117位に勝てなかった。

しかも、ハリルホジッチ監督は、ロングフィードのカウンターサッカーをしろと言ったにもかかわらず、久しぶりに日本代表に戻り、事大した本田圭佑が選手一同をそそのかして、

僕達のパスサッカーをしたい

といってそれをしたのである。

その結果がこれだった。
日本 VS イラク 1-1 ハイライト 13/06/2017 日本代表 イラク HD サッカー

このアラブ人解説者はこの人だろうか?
バーレーンの実況が日本語にしか聞こえない件(復帰)


あともう少しで逃げ切れるときに、吉田麻也と川島との連携が取れず、ごっつあんゴール。

世界ランク117位にもヘトヘト状態。


だいたい涼しく寒い欧州リーグで活躍する選手を集めて、暑いアジアの予選の試合に戦えるはずがないのだ。

しかしながら、ここ日本でも、小中高大一般のサッカーの試合というものはいつも、普通の一般人ならNHKが熱中症に注意しろというドリンク会社のステマをするような炎天下で行われるものである。Jリーガーも似たようなものである。

だから暑いアジアの予選は国内の選手をメインにしたほうが良いのである。

若い選手ならまだ連戦でも回復できるし、暑さにも順応しやすい。かつてのトルシエのナイジェリアユースで準優勝した時の小野、遠藤、高原、小笠原、中田浩二、世代のように悪コンディションにも若ければ対応できるのである。

だから、選手を入れ替えるべきだった。むしろ、せっかく呼んだ加藤や浅野を使ってみるべきだった。本田は最後の切り札にすべきだった。


この試合の分析はまたいろんな人が言い出すだろうが、アラブ人にはアラブ人なりのよしみというものがある。あるいは、イランにはイランなりの思惑がある。

だから、暑いイスラム教の国のよしみとして、

(あ)悪いピッチ→長めの芝、柔らかいピッチ、凸凹のピッチ
(い)炎天下冷めやらぬ日昼夕方の試合→気温が非常に高い


こういう状況を送り込んできたわけである。


そんな悪いピッチで「僕達の細かくつなぐパスサッカー」をする?

これは本田の見当違いだった。想定外の状況で、FWの大迫がことごとくコントロールミスの連発で好機をはずす。

ならば遠目からのロングシュートを狙えば良いものをMFがまったく狙わない。あくまでゴール前すれすれまでパスにこだわった。

というわけで、暑さは高齢選手は弱い。U34である日本代表はもはや試合終盤にはまったく動けなかった。

寒い北欧リーグの久保裕也は脱水で痙攣して足に来ていたし、いい環境のJユースの大阪出身の井手口ももう終盤には脳が煮えくり返ってしまった。

要するに、ハリルホジッチには選手登用に対する臨機応変さがなく、選手リーダーの本田圭佑には試合会場の環境に対する臨機応変さがなかった。

その結果が、世界ランク117位で練習すらろくにできていないイラクの選手と1−1の引き分けだ。


相手が30〜50位のオーストラリアのようなチームとならそれも分かるだろうが、3ランク下のイラクに対してこれじゃどうしようもない。

本田圭佑には、あの南ア大会のイメージがまだ残っていて、それに固執するのである。

一方、ハリルホジッチはハリルで、アラブのチームを指揮してうまくいったことに固執し、アラブ人と日本人は全く違う人種だということを理解しない。


こうして、私にはいまの日本代表の監督ハリルホジッチに日本海軍総司令官の山本五十六を見、チームキャプテンの本田圭佑に南洋機動艦隊総司令官の南雲少佐を見るというわけだ。

南雲は何度敗戦しても自分は逃げて生き残った。

同様に本田圭佑はなんど「悔しいです」といって敗戦したにもかかわらずその度に逃げ延びて日本代表として居座っている。

ゆえに、両者に類似を見るわけですナ。

まあ、普通の一般人の言い方では、いわゆる「情実人事」ということになる。

ついでにいうと、旧日本軍の大本営の司令部が、日本サッカー協会の西野である。これだ。
ハリル監督の続投「もちろん」西野技術委員長が明言
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日本サッカー協会の西野朗技術委員長は13日、テヘランで行われたワールドカップ(W杯)アジア最終予選の日本-イラクの試合後、オーストラリアとの次戦もハリルホジッチ監督が指揮を続けることを明言した。日本は1-1で引き分けたが、報道陣から監督の続投について問われ「もちろんです」と答えた。

 日本協会の田嶋幸三会長
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は「まずどういうことが問題なのかを考えて、スタッフや技術委員会で検討することが大事」と慎重な口ぶりだった。


まあ、田嶋は筑波。西野と岡田は早稲田出身。

そういえば、田嶋と私は同い年である。たしかその昔いまのサッカーフェスティバルの一番最初のものとして、昭和47年頃に静岡でサッカーフェスティバルが開催されたんだが、新人戦で7年ぶりで無敵艦隊韮崎を倒したチームがあるということで、キャプテン井口率いる甲府南高校も初めてそのフェスタに招待されたのである。

その時、初戦が沼津工業、次が新潟の高校、最後が静岡の富士高校だったと思う。もう一試合したような気がするが思い出せない。(後日思い出した。もう一つは静岡三島高校だったと思う。)

この中のどこかの試合のアップの時に、前の試合に浦和南、赤白ユニフォームの試合があった。右センタリングから見事にヘッドを決め、たしか3−0で浦和南が圧勝したのだが、私はアップのさなかか、試合後だったかそれを見ていた記憶がある。

田嶋は浦和南の選手だったようだから、ひょっとしたら私がそこで見ていたチームのFWにいたのかもしれませんナ。

記憶では、静岡フェスタの結果は、沼津に4−1、新潟と2−2、富士と0−2だったと思う(三島とは2-1だったかな?)。その後、山梨にもどって、韮崎のフェスタに招待されて、浜名高校と練習試合した。0-3で負けたんだが、その試合の後で浜名の監督が私に越境留学してこいと勧誘されたんだ。

ちなみに、その年のインターハイ韮崎大会で韮崎は初の全国優勝。(ところで、この大会は韮崎主催だったので、ホスト会場の韮崎は無条件で出場、もう1チームが出ることができた。だが、我々は案の定韮崎と同一ブロックに入ってしまい、準決勝でこの韮崎と対戦、0−1で敗退したのだった。別のブロックにいれば全国へ行けたはずだった。)

この全国総体でその前年とその前の年のインターハイは、静岡の浜名高校が二連覇していたのである。この二連覇のことは30年後にインターネット時代になりここ阿南に来てから知ったのだった。

この韮崎のキャプテンだった塚田選手はJリーグ創立時にガンバ大阪の初代監督になり、後にヴァンフォーレ甲府の監督になった。また、ヴァンフォーレ甲府の前身の甲府クラブは私が中学時代に入った甲府南中学サッカー部の岩田利男監督が作り、初代監督となったものである。この監督が甲府北中学にうつってサッカー部を強化し強豪になった。20年後にそこの後進指導者の時代に、中田英寿が入学してきたのである。

今や昔の物語である。


大本営化した日本サッカー協会と山本五十六化した代表監督、そして南雲提督化した本田圭佑。

これでは、今回までが真珠湾攻撃だとすれば、次のオーストラリア戦がミッドウェー海戦にあたるだろう。

日本海軍はこのミッドウェー海戦で全空母と大半の戦艦を失う。

そして、広島の柱島に停泊中の柱島戦艦こと、戦艦大和の出撃となって、武蔵同様あっという間に沈没させられたという歴史を繰り返しそうな案配である。


負けたら首。負けたら交代。

勝負事にフェニックスはいない。不死鳥は漫画の世界の話か、取ったコマを使える将棋の世界の話である。普通はチェス同様に死んだら終わりなのである。


鹿島アントラーズの監督交代劇こそ勝負事の王道なのである。



いやはや、世も末ですナ。


おまけ:
ところで、この南雲少佐。この人を前にメモしたことがある。これである。
佐藤浩市さんの祖父、三國連太郎さんの父はだれだったのか?

南雲忠一第一航空艦隊司令長官
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おまけ2:
武田鉄矢さんのミッドウェー海戦敗戦など、日本軍の敗戦の理由の大事な点に、1つの組織の中での意思統一の問題がある。勝利するには必ず一枚岩にならなければならない。それはどんな形もいいが、必ず一枚岩に一致団結しないと、ちょっとした割れ目やほころびから一気に砕け散るのである。

ところが、旧日本軍では、総司令官の山本五十六と機動艦隊総司令官の南雲とが反目しあっていた。ことごとく意見の一致を見なかった。五十六はハワイ奇襲を敵空母全滅の完全無欠にすべきだと考えたのだが、南雲はほどほどの戦果でも満足した。

これがのちのちもっと重要な戦争で大敗北に至る原因となった。それがミッドウェー海戦の敗北だった。南雲も敗北するが、南雲はまた逃げ伸びた。この結果最終的には玉砕戦法の神風特攻隊につながっていく。こうして日本史上最悪の結果を生んだ。

この問題にもう一つの側面があり、これが天皇の存在である。要するに我が国では戦前天皇が軍隊のトップに入っていたため、大本営は常に天皇のご機嫌取りをしなければならなくなり、負け戦でも勝ち戦のようにして天皇を悲しませまいとする人情が入り、それがいわゆる大本営報道となる原因となった。

今回の日本サッカーでも、大本営が日本サッカー協会であり、山本五十六がハリルホジッチ、南雲が本田圭佑である。本田は立場を忘れてハリルの戦術に無条件で従うのではなく、自説にこだわり、ピッチ上に2人の監督がいる形になった。イタリアのセリエAのACミランでは西洋人監督はそういうことは許さず、監督の指示に異を唱えるものはレギュラーから外され、本田はまったく使い物にならなかった。

が、天皇のいる我が国で天皇にいい格好を見せたいがために日本サッカー協会は、現実の厳しさを無視して大本営的な報道を行ってきたわけだ。またハリルはハリルに反目する本田でも追い出すことができず、ピッチ上の独裁者として本田の横暴を許す形になっている。

この結果がこの程度の戦績なのだから、これはひとえに本田の能力不足の結果と見るのが自然だろう。要するに本田のサッカーでは日本は勝てないのである。それを今回は本田は若手のせいにしたらしい。

さて、これとよく似たことが昔日本の映画界で起こった。黒澤明監督の「影武者」である。最初の主役の武田信玄は勝新太郎だった。しかし勝新太郎は自身が映画監督プロヂューサー兼役者だった。だから、事あるごとに黒澤監督に映画の制作自体に文句を言ったのである。これに黒澤監督が激怒して勝新太郎は放免となった。この代役に仲代達矢が選らばれ、黒澤明の影武者は大成功し、最高傑作の一つになった。

このように映画でもサッカーでも監督は2人は必要ないのである。作戦や戦術は監督が考えるものであり、選手はいかに監督の戦術通りに臨機応変にピッチ上でそれを成し遂げるかが勝負になる。ところが、いつもピッチ上では監督采配にいちゃもんを付けながら、疑念を持ちながらプレーする習慣がいまの本田には出来上がっている。

こういう場合は、本来なら監督は本田を外すべきなのだ。さもなくば、日本代表は瓦解する。




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by kikidoblog2 | 2017-06-14 15:13 | サッカー日本代表