カテゴリ:普通のサイエンス( 33 )   

「70年目のサイバネティックス」裏話:ウィーナーは生まれ変わりを信じていた!   

みなさん、こんにちは。

いや〜〜、まだ日本は存在した。偽ユダヤのラビの予言大外れ。良かった良かった。
新たなる「ファティマ第三予言」登場:予言から100年目の2017年5月13日に第三次世界大戦勃発!?


いや〜〜やはり古い本あるいは古い時代の人を研究しないとだめなようである。

ウィーナーの伝記:
情報時代の見えないヒーロー
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レジェンド:ノーバート・ウィーナーの父がハーバード大ユダヤ人教授第一号だった!
ノーバート・ウィーナー「情報時代の見えないヒーロー」:彼はAIの未来を見通していた!?
1935年ノーバート・ウィーナーは我が国に来ていた!:ウィーナー「東大より阪大の方がいいね!」
・リアル・グッド・ウィル・ハンティングが存在した!:ピッツ君、静かに歴史を作り静かに死す!?
「ピッツ君が引きこもったわけ」:もしマーガレットがアスペじゃなかったら?世界は変わっただろう!?
ウィーナー「情報時代の見えないヒーロー」にみる南京大虐殺:ユダヤ人て何も知らないんですナ!?
「70年目のサイバネティックス」:いまこそウィーナー研究を復活させるべき時だ!

これは本当にウィーナーの人生とサイバネティックスの顛末を知る上では素晴らしい本である。

一方、
「サイバネティックスはいかにして生まれたか」(1956
年)
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は、ウィーナーの自伝の成人時代版、研究人生版という意味で、これは科学者必読だろう。

今思えば、この本は1956年に我が国で日本語に翻訳されたから、私が大学生大学院生の時代の1970年代1980年代にはすでに本屋で売られていたはずなのである。実際、私は買って読んだ記憶がある。

しかしながら、30年ほど経ってみると、まったく何が書かれていたか記憶にない。まったく覚えていないのである。

つまり、言い換えれば、私は当時必死で食いついて読んでいたのにまったく理解できていなかった。あるいは、その本の本当の重要性に気づかなかった。だから、頭に残らなかった。こういうことだろう。

ところが、最近読むと、一つ一つの内容が手に取るように分かる。あるいは、わからないところでもある程度想像がつくのである。

やはりこの数十年物理及び数学をしつこく勉強してきたかいがあったということだろうか。

「いかにして生まれたか」は、ウィーナーがちょうど60歳になる頃にそれまでの自分の偉大な科学上の足跡を一般人に分かるように、数式を用いないで説明したものである。だから、内容自体は極めて専門的でウィーナーの時代はともかく今現在でもそれを理解できる人は一握りだろうと思う。

なぜなら、バナッハ空間、フレシェ微分、微分空間、ブラウン運動、確率統計、情報エントロピーなどなど、こういった数理理論は数式があってもわかりにくいのだから、数式無し図もなしでは一般人が分かるはずもないからである。

しかしかつてウィーナーはそれに挑戦したのである。そしてこれも何かの縁。ちょうど私がいまウィーナーがその自伝を書いた年齢と同じ60歳になろうというところである。


いま私はやっと4章に差し掛かったところで、中で引用される論文をインタネットでダウンロードしながら読み進めている。

これは考えてみれば驚くべきことだ。

30〜40年前の学生時代、あるいは20年前にフリーになった頃、本を読んでその中で引用される文献を読みたくなれば、わざわざ大学に出向かなければならなかったからだ。

つまり、大学関係者以外でアカデミックな本をまともに読むことや研究することはまず不可能だったわけだ。

ところが、いまでは世界中で文献がインターネット上にディジタル化されてきている。だから、全部とまでは行かないが、それでも一部はここ自宅からただでダウンロードできるのである。

したがって、70年前にウィーナーが書いたという論文、そしてその1956年に出版された本の参考文献がいまでは瞬時に手元で読むことができるのだ!

いい時代になったものである。

確かにインターネット犯罪、サイバー犯罪(これもウィーナーのサイバネが語源)で、インターネットの悪い面も多々あるが、逆にいい方向の積極的な面も多々ある。ただ、人は金にまつわる悪い面ばかり見るから、こうした「ただでできるいい面」にはむとんちゃくである。

つまり、良い面は良い情報をただで入手できるということ。悪い面は人の金銭情報をただで入手できるということ。

言い換えれば、社会貢献と社会犯罪とは双対関係にあるということである。裏腹の関係にあるわけだ。

良い情報は提供側はより多くに受け取って欲しい。だからただでも良い。

一方、個人情報や悪い情報は提供側は人に受け取ってほしくない。秘匿したい。だから金で防御する。

この「双対性」というのは私のテーマの一つの大きなチャレンジとしているので、いつの日か本にまとめたいと思っているものである。生きている内にできるかどうかは分からない。


さて、大分前置きが長くなってしまったが、「見えないヒーロー」の中に2,3実に興味深いことが書かれたいたので、それをメモしておこう。

(あ)ウィーナーは死後の世界、生まれ変わりを信じていた。

実はノーバート・ウィーナーは生まれ変わり、リインカーネーションを信じていた。というより、晩年になって信じるようになったようだ。

ウィーナーはたびたびインドに教えに行った。

ちょっと説明すれば、いまインドがインターネット世界を席巻したり、科学技術者でインド人研究者が世界を席巻しているのは、このウィーナーのおかげである。

実はウィーナー、最初にインドに訪問し、例のラマヌジャンの映画にでてくるインド人の友達、マハラノビスが出てくるが、この人と出会う。このマハラノビスはその後統計学の世界的大家になり、インドに戻ってインド国立統計研究所の所長になった。

ここに我が国九州大学の北川敏男博士が招待されてたびたびマハラノビスといっしょに研究したのである。同時にウィーナーや他の有名な確率統計学者が集まった。

この時、マハラノビスはウィーナーに聞いた。

自分の国を発展させるにはどうしたらいいだろうか?

つまり、戦後やっと独立国として出発したインドはヨーロッパやアメリカのような国を工業国を目指すべきかどうか聞いたのだ。

すると、ウィーナーが答えた。

科学技術の下士官層を育成すべきだ。欧米の真似してもインドには貧富の差がありすぎて無理だ

そこでマハラノビスは考えた。

一度に欧米のレベルに到達するのは無理だから、まずは科学技術を理解できる若者を育てることだ

そういうわけで、インドは科学技術工学の担い手を育てるような理系教育重視の路線を取ったのである。

この結果、欧米にたくさんの学生が留学するようになり、科学技術分野でのインド人の躍進が起こった。そして、きわめつけが、その延長線上で電気計算機やプログラミングというソフト技術者の育成になり、このインド人研究者たちが、のちにアメリカのシリコンバレーを生み出したのである。

アメリカカリフォルニアのシリコンバレーはインド人が生み出したのである。

そこから、ヤフー、グーグル、こういったビジネスが生み出され、1980年代後半に私がアメリカ留学していた頃同じくカリフォルニアに遊学していた孫正義がヤフー技術をもって帰国し、自分の朝鮮両親のファミリービジネスに持ち込んで、ソフトバンクを生み出し、現代に至ったのである。

つまり、孫正義はインド人に足を向けてねれない→ウィーナーに土下座して感謝しなければならない

というわけだ。

そんなウィーナーだから、インドとは縁が深い。

ある時ウィーナーはマハラノビスにインドの聖地に連れて行かれた。最初は単なる観光だったが、ウィーナーが非常に東洋思想やインド思想に興味を持っているから、事実父親の影響でサンスクリット語を読めたという。ちなみにウィーナーの父親のレオは言語学者で40ヶ国語を話せたという。

そこで、マハラノビスはウィーナーに普通の人が入れないバラモン教の奥の院に連れて行った。

そこでウィーナーに電撃は走ったのだ。

ウィーナーはこの世界のすべてがわかったのだという。どうして自分が数学の天才児になったのか?

つまり、ウィーナーはこう考えた。

自分がいつも人より深く一瞬にてたくさんのアイデアが生まれてきたのは、すでにそれを知っていたからだと。自分には知識の貯蔵庫がある。そういう何かに繋がっていたのだ。

つまり、自分はかつて科学者として活躍した優秀な過去生の人がいて、その生まれ変わりなのだ。だから、人よりより深いアイデアに導かれる。

実はこれとまったく同じことを我が国の岡潔が言っていた。

以来、ウィーナーはアメリカに帰ってもインドの宗教家と知己となり、いつも仲良く談笑したという。挙げ句の果てはMITに礼拝所まで作る運動をして立派な教会に見えない協会というものを作り上げたという。

そして、それ以後の晩年ではウィーナーは昔は宗教なんて全く信じなかったタイプの人間だったのに、まったく逆に生まれ変わりを信じると公言するようになったのだと。

そして、面白いことは、ウィーナーはスウェーデンであとはノーベル賞だけだという時、スウェーデン科学アカデミーから講演依頼がきて、スウェーデンの大学で講演することになった。その講演会場に向かう途中の会談で心臓発作のために死去したのである。

そのウィーナーの葬式の時、いつもいっしょに歓談したインドの宗教家が葬式に来ていなかった。そのインド人がユダヤ人の葬式に遠慮したためだろうが、彼は見合わせたのである。

すると、ウィーナーの奥さんマーガレットさんがそのインドの宗教家のところに行っていった。

「どうしてあなたは来てくださらなかったの?
宅がえらく残念がってがっかりしていますわよ。
そういう印がきましたの。ぜひお見送りの会には参加してくださいね」

とまあ、こういった。

この奥さん、なんとウィーナーが死後「インドのバラモンの知人を呼ぶように夢枕にたった」らしいのである。


(い)サイバネティックスを消し去ったのはCIAの仕業だった!

実は前回メモしたように、サイバネティックスというのはもうあまり耳にしないが、その一方でAI(人工知能)が盛んになったのは、実はCIAの仕業だった。

軍産複合体の仕業だったと言っても良いだろう。

実は、ウィーナーはアインシュタインやバックミンスター・フラーと同じで反戦論者だった。平和主義者だったのである。

だから、自分の発明である電子計算機が原爆開発に使われて、それがよりによって自分の学生だった日本人池原止戈夫のいる日本に2個も使われ大被害を起こした。これに心底傷ついていたのである。そのストレスでうつ病(が再発した)になったのである。

またサイバネティックスはアメリカでは、ウィーナーが第1次世界大戦以降ずっと平和利用を唱えてきた頃から、そして公然とアメリカ政府や各機関に公然と異を唱えてきたから、アメリカ当局から非常に煙たがれていたのである。

なぜなら、いまわれわれがいう軍産複合体NWOイルミナティーのようなものは、ヴァンネヴァー・ブッシュが整備したものである。このブッシュはその後のブッシュ大統領ファミリーの遠縁であり、その後のブッシュ家の暗躍に繋がった。

このブッシュこそ、若い天才ウィーナーと2人で世界で初めて人工的な計算機械の開発を手掛けたのである。

その時、ウィーナーは最初に光を使う光計算機、次に機械式計算機、そして電気式計算機の3つを設計。そのうち、真空管をつかった電子式計算機、つまり電子計算機の概念を生み出したのである。

これを第二次世界大戦中に論文
TIME, COMMUNICATION, AND THE NERVOUS SYSTEM
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(何年も経ってやっと公表されたがすでに業績はノイマンやシャノンのものとなっていた。)
として米政府に提出したが、最重要極秘文書となり、だれにも見られないことになったのである。

しかしながら、政府に入り込んだ科学者なら見ることができ、V. ブッシュの手先グループのベル研究所のグループはそれを勉強できた。そこに若いシャノンがいたのである。

一方、欧州の裕福な銀行家の小倅だったフォン・ノイマンが米政府の科学部門の計算機部門の長となり、ウィーナーの論文を科学部門の長官だったV. ブッシュから貰い受けて、それを最先端の数学形式に直した。

それがフォン・ノイマン型計算機の原理である。

「黄禍」と呼ばれたウィーナーの論文はこうして間接的に一種の触媒として世に広まったのである。

また電子計算機を作る場合には、論理回路としてやりやすいディジタル方式が一番だという意見を最初に公言したのはウィーナーだった。こういうことが黄禍に書かれたいたのである。

そういうわけで、ベル研究所にいた無名のシャノンはMITのウィーナーのもとへ来てはいろいろ教えてもらい、計算法を学び、

ぜんぶそっくり自分の手柄にした(勝手に単名の論文で出した)

のであった。情報の盗人シャノンだったのである。

いまではウィーナーエントロピーとは呼ばれないでシャノンエントロピーと呼ばれている。

こういう手口も朝鮮人とよく似ている。海外の現場や本当の理由を知らないものには平気で嘘をつく。そうやって自分に都合の良い情報だけ流して他人を信じ込ませる。

俺に言わせれば、これこそ負の情報エントロピーですナ。
負の情報エントロピーは正のエントロピーである。世が乱れる。

そんなわけで、ウィーナーはアメリカ当局からは非常に嫌われた。

そんな時代にウィーナーの育てたMITには全世界から優秀な若手が集まってきた。そこで、ウィーナーはサイバネティックスの一部として

人工義手、人工臓器、人工脳、人工知能、人工思考機械

を提唱し始めたわけだ。

そこへどんどん若手が集まった。

おまけにウィーナーがソ連に招待講演にいったあとから、ソ連国内にサイバネティックスの研究部門までできてソ連国内にコンピュータネット網が世界初でできてしまったというのだ。

1980年代にネットワークができたアメリカより20年早かったのだ。

ところが、これらがサイバネティックスの一部だと困ると考えた当局、あるいはソ連の回し者ではないかと考えたCIAは、ウィーナーのグループの破壊工作を行った。

そうして取られた手法が、ウィーナーの人工知能部門の若手の旗手マービン・ミンスキーを押し上げ、ウィーナーグループのマカロック、ピッツ、レットヴィン、およびウィーナーを追い落とす。

研究費0。

それに対してAI研究は天文学的助成金が得られた。

これで、一気にMITのミンスキーが登場した。

この流れに、ゲームの理論、カオスの理論、フラクタル理論、複雑系の理論、インターネット理論、ネットワーク理論ときて今現在のAI研究の時代になったのである。

つまりサイバネティックスこそこの20世紀のあらゆる産業や科学技術の母体となったものだが、それが粉々に分裂してそれぞれが細分化して一気に大きくなったのである。

知ってましたか?

とまあ、こういうふうなことが「見えないヒーロー」の後半に書かれていたのである。


しかしよくわからないのはマーガレットの役目ですナ。どうしてマカロック=ピッツのグループを崩壊させることに手をかしたのか?

陰謀暴露論者の俺としては、実はマーガレットこそ、KGBのスパイだった説を取りたい。

家族が全部ナチス。ナチスとしてはアメリカがサイバネティックスで先進国になってほしくなかった。

そこで、妻のマーガレットに手を回した。

この辺は妄想の粋を出ない。今のところ何の証拠もない。

しかし何かそういう事情がなければ理解できないほど、ウィーナーのRLEラボの崩壊理由が分からないのである。

エイリアンの工作?あるいは闇機関の工作だった可能性もあるが。


さて、最後に

天才浮浪児、リアルグッド・ウィル・ハンティングのピッツ君は限りなく自殺に近いアル中で死んだ。

同じ年、これまたMITの脳研究部門を率いたマカロック教授が人知れず農家の一室で静かに死んだ。

同じ年にピッツ君の後を追うようにマカロックが死んだのである。

これはCIAの「自殺に見える他殺」だったんじゃね〜〜の?

実際、天才ジョン・ナッシュはCIAのしつこいストーカー的尾行のせいで発狂したのだ。


いやはや、世も末ですナ。




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by kikidoblog2 | 2017-05-15 10:30 | 普通のサイエンス

「70年目のサイバネティックス」:いまこそウィーナー研究を復活させるべき時だ!   

みなさん、こんにちは。

いや〜〜やはり古い本あるいは古い時代の人を研究しないとだめなようである。

ウィーナーの伝記:
情報時代の見えないヒーロー
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レジェンド:ノーバート・ウィーナーの父がハーバード大ユダヤ人教授第一号だった!
ノーバート・ウィーナー「情報時代の見えないヒーロー」:彼はAIの未来を見通していた!?
1935年ノーバート・ウィーナーは我が国に来ていた!:ウィーナー「東大より阪大の方がいいね!」
・リアル・グッド・ウィル・ハンティングが存在した!:ピッツ君、静かに歴史を作り静かに死す!?
「ピッツ君が引きこもったわけ」:もしマーガレットがアスペじゃなかったら?世界は変わっただろう!?
ウィーナー「情報時代の見えないヒーロー」にみる南京大虐殺:ユダヤ人て何も知らないんですナ!?
および自伝2冊め
「サイバネティックスはいかにして生まれたか」(1956
年)
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さらに
Cybernetics
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サイバネティックス―動物と機械における制御と通信
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これは復刻した方がいいと思うぞ)」
はいまこそ勉強し直さなくてはならない本かもしれない。

今回は

それはなぜか?

ということだけメモしておこう。あとは実際に私より頭のいい人たちが読めば分かることだろう。


さて、まず第一に、前にも何度かここにはメモしたが、

今年平成29年は、つまり2017年は、
サイバネティックスが生まれてちょうど70年目
にあたるということである。

サイバー空間、サイボーグ、、、、

こういった言葉に、サイバネティックスの名残が残る。

サイバー空間とは、サイバネティックスする領域というような意味。

サイボーグはサイバネティックス+オーガニズムの合成語である。つまり、サイバネティックスによって生まれた組織生命体という意味である。

サイボーグ009
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こういう漫画やアニメの素はすべてウィーナーのサイバネティックスから発生した。むろん、ロボットもそうである。

さらには、

情報、通信、制御、フィードバック、予測、推定

計算機械、電子計算機、光計算機

さらには、

人工心臓、人工義手、人工知能(AI)

さらに

脳波および脳波測定器、心の研究、精神医学、心理学

これらはすべてノーバート・ウィーナーのアイデアである。

そして私個人の意見としては、

MIT、すなわちマサチューセッツ工科大学

を世界ナンバーワンのハイテク大学に育てた張本人がノーバート・ウィーナーであった。

45年間死ぬまでMIT教授として勤務した。

ハーバード大、プリンストン大、エール大に抗して科学のMITとなり得たのはMITにウィーナーがいたからである。それ以上でもそれ以下でもなかった。

我が国で言えば、東大、京大、阪大に抗して、九州大学を生物、社会統計、応用数学のメッカとした北川敏男博士に似ている。九州大学を九州大学にしたのはこの北川敏男博士だったからだ。
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その前に、ウィーナーは純粋数学者であるから数学にも信じられないほどの偉大な貢献を起こした。
ウィーナーは工学数学、応用数学ばかりか、実際には純粋数学でも偉大な足跡を残したのである。

「いかにして生まれたか」によれば、

ここでも何度もメモしてきた我が国の保江邦夫博士やマリアヴァン博士、あるいは伊藤清博士の「現代確率論」における「確率微分方程式」や「確率変分学」という数学分野があるが、そういう分野で基本中の基本となる、フレシェ微分とか、バナッハ空間とか、そういう分野の概念を最初に導いたのも、まだ20台の頃のノーバート・ウィーナーだったのである。

本来なら「ウィーナー=バナッハ空間」と呼ばれるものだったようだ。ウィーナーの方が先だった。

さらに古典フーリエ級数論や古典フーリエ解析を一般に拡張し、数学的に厳密化した「一般調和解析」という理論を創始した。

さて、ここで、この「一般調和解析」ができるまでのストーリーが上の「いかにして生まれたか」に書いてあった。

30〜40年前の私が学生の頃この同じ本を読んでいたはずだが、まったく記憶がない。

ところが、最近読むと手に取るように分かるのである。実に不思議である。

というのは、私はニコラ・テスラの講演録を翻訳したからなのだが、今では我が国でもニコラ・テスラという人物は謎ではなくなった。

しかし20年30年前には我が国では、と学会のバカどものせいなどもあり、ニコラ・テスラは「マッドサイエンティスト」の1人ということになっていたからだ。キチガイオカルト科学者。それがテスラだった。

ところが、ウィーナーの時代には、テスラはちゃんと評価されていたのである。ウィーナーはこう書いていた。

恐らく、ニコラ・テスラほど交流電流の発生法と使用法の問題の解決に貢献した人はあるまい。
この才気ある風変わりなユーゴスラビア生まれの技師はウェスティング・ハウスの社員として働き、会社の方針を、電流を連続的な流れとしてでなく、例えば毎秒60回の割で波打つ波として発生させる方針に切り替えさせたのである。

。。。

そのなかには滑り動く電気接点を全くもたないある種の誘導電動機もある。
これでは、外部の導線から電流を供給される固定巻線と回転部分の一部を形成している可動巻線との唯一の結合は電磁的なものであって、これは変圧器の二つの巻線の間の結合と同種のものなのである。
じっさい、ある種の誘導電動機では、固定巻線と回転子すなわち可動部分の巻線との間には何らの電気的接続も存在せず、回転子の鉄部を磁化する電流が、回転子と固定子との間の電磁変圧器のような同時作用によって発生するのである。


いや〜〜、すごい。

ウィーナーは完全にニコラ・テスラの研究を知って理解していたのだ!

そのあとの部分も面白い。

ウィーナーは、ニコラ・テスラが所属したウェスティングハウスとGE(ゼネラルエレクトリック)との戦争も知っていた。

そしてそれがどういうふうに解決されたかも知っていた。

つまり、交流発電で大きく遅れを取ったエジソンのGEにチャールズ・プロチュース・スタインメッツが入って、交流理論を開発してGEがウェスティングハウスに交流発電で追いついた結果、双方が和解できたのである。

ところで、このウェスティングハウスとGEは後に第二次世界大戦後に原子力発電事業を始め、我が国では、東芝がウェスティングハウスの技術をもらい、日立がGEの技術をもらい、我が国で原子力発電を始めたのである。

そしていまやニコラ・テスラのウェスティングハウスは倒産、東芝がそれに引きずられて倒産の危機にある。日立も似たような問題を抱える。

さて、こういう電力工学における送電線の交流理論。これはスタインメッツが複素数表示法を発明して行ったものだが、これをずっと小さい電力の電気通信の理論に応用したい。

そういう事情から、急務の目的として、ウィーナーに白羽の矢があたり、なんとかして交流理論をヘビサイドの演算子法よりもっと厳密な数学を見つけて欲しいという依頼があり研究を始めたようだ。

そうして、古典的なフーリエの理論に舞い戻り、それを一層数学的に厳密な理論に昇華させたものが、一般調和解析である。(これは私がいま勉強しようと考えているものの1つである)。

これに関連して、ウィーナーはヘビサイドの演算子法も一般化した。それが「演算子的解析理論(Operational Analysis)」という論文である。

ここに実はその後ウィーナーを慕ってMITに留学した後のフラクタルの創始者ベノワ・マンデルブローがやりたかった、分数微積分という概念に行き着くその萌芽があるのである。

おそらくマンデルブローはそれを教えてほしかったのだろう。

当時ウィーナーは強度のうつ病状態にあり、マンデルブルーは何も得られぬままIBMに就職。おかげで、IBMが世界のIBMへと進化したのである。この辺はマンデルブローの自伝にある。

さらには、いわゆる「ポテンシャル理論」を一般化した研究を行った。ここからウィーナー=ホップ理論と呼ばれる数学形式が誕生した。いかに境界層付近のポテンシャルを厳密に扱うかという手法が、これを生み出した。

これが、ウィーナーが死んでずっと後に「可積分系」と呼ばれる理論物理学の必須ツールになるのである。

またブラウン運動の厳密な数学化が、ウィーナー過程およびその思想圏にあったレビー過程の理論、さらにはベルンシュタイン過程の理論へと続き、結局、保江邦夫=ザンブリニの確率変分学へと続く。

このように、ウィーナーは純粋数学だけでなく、応用数学、物理学や工学などをすべて研究していたらしい。

そして、極めつけが、今流行のAIこと人工知能である。


なのにどうしていまAIが有名であるのに、サイボーグの語源にまでなったサイバネティックスは知られていないか?

実はここに我々陰謀暴露論者、陰謀論者や都市伝説ファンにはおなじみの面々が出てくる。

つまり、

CIA

である。

この話の続きはまたにしよう。

それにしてもだれもウィーナーのサイバネティックスを知らないとは?

地球人は退化したんじゃネ???


いやはや、世も末ですナ。



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by kikidoblog2 | 2017-05-14 15:18 | 普通のサイエンス

「ラマヌジャンの数学」:藤原正彦「ハーディーは一度もラマヌジャンに方法の秘密を聞かなかった!」   

みなさん、こんにちは。

先日S.ラマヌジャンの伝記映画「奇蹟がくれた数式」という、どちらかといえば、保江邦夫博士の伝記映画につけられるべき和名タイトルが選ばれたようだが、原題は「無限を知った男」(The Man who knew infinity)である、をメモした。以下のものである。

ラマヌジャン「奇蹟がくれた数式」:俺には「奇蹟」まだ一度も訪れていない!ヘッドのしすぎか?


まあ、保江邦夫博士の場合なら「路傍の奇蹟」、岡潔博士なら「春の奇蹟」とか「春雨の曲」あるいは「春宵10話」とかそんな感じだろう。

さて、そのラマヌジャンの映画の中で登場する、悪い役として描かれた、トリニティーカレッジの学長さんたち、中でもベイカー(Baker)教授とヒル(Hill)教授。実はこのお二人もまた数学の世界で極めて有名な人だった。

ベイカー教授
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はいわゆる「幾何学の原理(principle of geometry)」の大家であり、有名な教科書も書いている。

一方のヒル博士は、ヒル方程式という、いわゆる周期関数を係数に持つタイプの微分方程式論の創始者であるヒル博士かと思いきや、全く違った。あるいは、ヒルの式のヒルかと思いきや、これまた違った。

どうやらこっちのヒルさんだった。

M. J. M. Hill

この博士は「球状渦(Hill's spherical vortex)」を初めて証明した人物だったようだ。

いわゆる
球電(ball lightning)
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というものの数学解を導いたらしい。


さて、ついでに「ラマヌジャンの数学」がどんなものであったか?

これについては我が国でもガロアやラマヌジャンのような弱者に対する共感からか、非常にファンがいる。だから、すでにたくさんのサイトがあるようだ。

中でも作家新田次郎の息子の数学者藤原正彦博士が「ラマヌジャンの数学」をまとめていたので、それもメモしておこう。以下のものである。

Ramanujanの数学



数学には我々にはまだ良くわからない未知の部分がある。

そういう印象を醸し出す。

フェルマーもそうだった。彼は「証明があるが、余白には書ききれないから省略」といって打ち切った。

あるいは、最近では、極めて桁数の多い四則演算を数字を使わないで計算するというサヴァン症候群的な、共感覚に基づいて行うと一瞬で計算結果が出せるという人もチラホラ出てきている。

共感覚

数字に色が見える共感覚者であっても、漢数字やサイコロの目に「見える」色が変わらない場合、「数の大きさ」に色を感覚していると言える。 この派生で数に触感を覚える共感覚もある。ドイツの人間コンピューター、リュディガー・ガムは数の触感を使って桁の大きな階乗計算を行なっている。



こういうことから類推すると

感覚を研ぎ澄ませれば〜〜〜

というのもなんとなく分かる感じがするが、我々凡人には真似はできないのは確かである。


さて、最後に、この映画の中で、栄誉についてG. H.ハーディが言った部分がある。以下の言葉である。

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「人生には様々な栄誉がある。
フェローに選ばれることもそうだが、
私の考えを言うなら、
このレン図書館に自分の死後遺品が残ることこそ
最大の栄誉だ」


御意!

私も同感である。

まあ、俺にはそういうものはないが、これこそ図書館がなぜ古本を残し、保管しなければならないかの理由を実に明快に述べた言葉といえるだろう。

翻って、昨今の大学の「図書除籍運動」はあまりにお馬鹿な振る舞いと言えるだろう。それを黙認している文科省など存在意義がない。

生前、命を削って研究し、それを教科書や専門書の形にして、ハーディーのように、自分の業績が書籍として大学に残れば素晴らしいと思って生き抜いた科学者や数学者や文学者などの学者さんたちの本をいつのまにかアマゾンに売りさばく。

まさに売国奴ならぬ売学奴であろう。

今からでも遅くはない。大学の除籍は禁止にすべきですナ。


ところで、藤原博士によるとハーディーは、ラマヌジャンにどうやって公式を導いたのか、あるいはどうやって導くのかについては一度も聞いたことがなかったというのである。

ざんね〜〜ん!実に残念。



いやはや、世も末ですナ。



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by kikidoblog2 | 2017-04-05 09:35 | 普通のサイエンス

ラマヌジャン「奇蹟がくれた数式」:俺には「奇蹟」まだ一度も訪れていない!ヘッドのしすぎか?   

ラマヌジャン
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みなさん、こんにちは。

昨日は久しぶりに夫婦で映画でも見ようかと思い、昨年暮れに公開されたらしいインド人数学者のラマヌジャンの映画を見ようと徳島県内の映画館の映画情報を見たのだが、実に残念ながら徳島でこの映画を公開している映画館は存在しなかった。

そんなわけで、どこかでレンタルできないかということで奥さんが調べると、なんとツタヤにあった。というわけで、レンタルビデオでラマヌジャンの映画を見ることができたというわけだ。以下のものである。

10/22公開 『奇蹟がくれた数式』予告編


さて、この物語には何人かの著名な数学者が登場する。というより、何人の数学者の名前に気がつくかはその人の数学に対する知識の幅に比例していると言うべきかもしれない。

主人公がもちろんラマヌジャンだが、その相手になる
ハーディ教授
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リトルウッド教授
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この3人はこの物語のメインである。

それにバートランドが加わる。ハーディとの皮肉のジョークの相手になるのだが、むろんこれは
バートランド・ラッセル教授
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のことである。数学者で哲学者。後に湯川秀樹博士とパグウォッシュ会議を開いたあのラッセル卿である。またいまでは生粋のNWOのシオニストであったのではないかと言われている。

面白いのはこの映画のリトルウッドとハーディのテニスのシーンで、ハーディがシオン議定書の話を出してくるところである。むろん、気違い数学者が繰り出すご託宣の一つとして出ているわけだ。

シオニストの否定論者とまったく関係のないはずのラマヌジャンの映画で、それとなくシオンの議定書がとんでもない偽物の一つとして突っ込んでくるところががユダヤ的である。

さすがにラマヌジャンとシオンの議定書を同列で扱うのはジョークのようなものであろう。


さて、ラマヌジャンがいよいよ貧困、というより、イギリスのまずい食事と不衛生な環境のせいで栄養失調になって結核にかかってしまい始めた頃、同じインド人の留学生が登場する。その若者はさりげなく

僕はマハラノビスです

というシーンがある。

実はこの
マハラノビス
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はその後のインド数学会、インドの統計研究所の所長となり、我が国の統計学の父となる北川敏男博士の庇護者として有名な存在に成長するのである。

この北川敏男博士が我が国の九州大学の設立当時の大学構成の設計者になり、統計学や生物学や社会学などの数理研究の拠点として現代の九州大学が設立されたのである。

この北川敏男博士が若い頃に統計学を学ぶために出向いた場所、それがマハラノビスのいるインドであった。

このマハラノビスはノーバート・ウィーナー他の確率統計学の研究者とも交流があり、我が国の統計数学の世界にも大きな影響を与えたのである。

また、今の国連の草創期において、世界の人口統計、社会的な統計を世界最初に行い、世界の人口動態とか、社会環境とかそうした世界の統計の基盤を作った人物でもあるという。

北川敏男博士がインドに留学中に、推測過程理論を構築し、それが戦後の日本の品質管理の数学的基礎になっていき、戦後の我が国の輸出製品の品質向上や生産効率の上昇を導くきっかけになっていったのである。

というわけで、私個人はラマヌジャンもさることながら、ほんのちょっとの出番しかなかったが、このマハラノビスの登場にも非常に興味を感じたのである。


一方、アメリカ生まれのユダヤ人ノーバート・ウィーナーも10台でハーバード大に入学し、10台でそこを卒業した後、英国のラッセルのところに留学したのである。最初は哲学者になりたくて留学したらしいが、だんだん数学に傾倒していき、数学者に育つ。

「この世の全ては不完全なものである」

というノーバート・ウィーナーの子供の頃の自分の哲学を完成すべくそれを実現した結果が、

ウィーナー過程の理論

であった。つまり、確率過程論という数学を生み出し、それが統計学や確率論に応用され、それが我が国の伊藤清博士により「確率微分方程式」の理論に結びついていく。そして、それがアメリカのエドワード・ネルソンにより量子力学の確率量子化の手法に利用されていく。そしてそれがさらに我が国の保江邦夫博士やフランスのマリアヴァン博士により「確率変分学」へと結びつく。

その一方で、ウィーナー過程を拡張した「ベルンスタイン過程」が誕生する。さらにこれを保江邦夫の愛弟子であるザンブリニが確率変分学的に扱い、量子力学のベルンスタイン過程理論に基づく確率量子化論を生み出していく。

さらには、マンデルブローがウィーナー過程をさらにフラクタルな事象へ拡張したマンデルブロー過程に拡張していく。それが確率微分方程式となると分数確率微分方程式へと昇華されていく。

というようなわけで、この時期のイングランドの数学界は一種独特の雰囲気を持っていたようなのであるが、その一種独特な英国数学者のかなりアスペルガー的空気が見事に醸し出されているという意味で、この映画は実に面白い側面がある。

まあ、普通の日本人なら御免被りたいタイプの厚切りジェーソンとかパックンとかあの手の嫌味な白人に共通するシニカルなジョークの応酬がある。

そういうのは、我が国の一般人にはあまり理解できないのではないか。俺は結構笑ったが、奥さんはまったく理解できなかったようだ。

むしろ、我が国の一般の人からすれば、インドの下層階級の生活の方に目が行ったのかもしれない。

嫁と姑の関係。

こういう方に目が行くのだろう。ラマヌジャンの奥さんと彼の母親との確執はなかなか理解できないが、こういうところにインドのカースト制度の影響があるのかもしれない。

ラマヌジャンは貧困家庭ではあっても一応はバラモンの出身。

彼の奥さんの出自はちょっと分からないが、普通の家庭であれば、家柄が違うというようなことが原因だったかもしれないが、ラマヌジャンの母親の意地悪のせいで、ラマヌジャンの結婚がうまく行かなかったのは大変残念だった。

また、マハラノビスともっと早く出会い、マハラノビスの助力を得ていれば、ラマヌジャンはインドの統計研究所でその職員として過ごせたかもしれないと思うとこれまた実に残念である。



このラマヌジャンに匹敵する天才が我が国にも存在した。その1人が南方熊楠である。また、数学者の岡潔博士である。

我が国の映画界で、ぜひ岡潔博士の伝記映画でも作り、アカデミー賞を取ってもらいたいものである。

ラマヌジャンが
女神ナマギリ
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のご加護の下にさまざまなひらめきを得て、数限りない数式を得たように、岡潔もまた数学で行き詰った時に仏教に帰依して高野山で修行を積んで戻ると、それまでの難問が自然に解決できたという話である。

その経験から数学は問題を簡略化したら解けると考えがちだがむしろその逆で、より一般化しより抽象化したほうが問題が簡単になり解けるようになるのであると主張したのである。

広中平祐博士が特異点解消定理の難問が解けないために、特殊な問題に簡略化して解くという弘中のプランを紹介したところ、即座に岡潔が
「きみね〜〜、問題はむしろずっと難しくしたほうが簡単になるんちゃうか」
といったところ、その後弘中はさんざん失敗を重ねた挙句、岡のよう言うに問題をより一般化したらむしろ簡単になって解決への道が見えたというのは有名な実話である。

数学とは最初に「なんとなく」答えが見つかるもので、後からその証明を探すのである。

保江邦夫博士の場合は、ドイツに講演にいくさなか、アウトバーンで時速200km近いスピードになったとき、突然静寂が訪れ、その異様な状況のもと、額の裏に突如として1つの方程式が現れたのである。

それが「確率変分学」の誕生であった。

どうやら保江邦夫博士の場合は、
聖母マリア様
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のご加護らしい。


数学というのはこうやって生まれるものである。

コツコツと研究してできるというものではない。

参考までにコツコツとやってもだめだという例も最近見つけたので、本人を否定するつもりはないのだが、それをメモしておこう。数学は突如答えがひらめくものであって、コツコツやってできるものはない。が、なかなかこれが学校の数学の先生たちには理解されないことなのである。

黒川信重教授.最終講義「絶対数学の世界を旅して」


対談「ラマヌジャンを語る」


というようなわけで、長年コツコツと研究しても駄目なのだが、むしろどこかで頭を打ったらとたんに思いついたというような方が数学では現実にはありそうなことなのである。


いずれにせよ、ラマヌジャンがどのようにしてあの式を見つけたのか?

これは未だに世界の数学の謎なのである。

ラマヌジャンに言わせると、
15歳のときにジョージ・カー (George Shoobridge Carr) という数学教師が著した『純粋数学要覧』という受験用の数学公式集に出会ったことが彼の方向性を決めた。
というように、その数学公式集をバイブルのように眺めているうちに、独特の算数を発見し、それを用いると自然と謎の公式が導けるようになったという話である。


残念ながら、俺にはそういう能力はない。

たぶんサッカーであまりに多くヘディングしすぎたせいかもナ。

中学時代、ヘッドすると公式を忘れるぞっていうのが我々の冗談の一つだった。実際、ゴールキックされたボールを直接ヘッドすると、火花が散るからナア。


いやはや世も末ですナ。




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by kikidoblog2 | 2017-04-03 09:34 | 普通のサイエンス

ノーバート・ウィーナー「情報時代の見えないヒーロー」:彼はAIの未来を見通していた!?   

みなさん、こんにちは。

さていわゆる「情報化時代」から数十年が経ち、いや70年が経って、今や玉石混交の情報だらけの「情報時代」にあいなった。

その先は、我々に代わって機械が巧みに情報を扱ってくれるはずと考えられる「AI」の時代となるのだが、はたして人類の思うように行くか否か?

そんな時代の今日、そもそもの「情報化時代」を創始した天才数学者、ノーバート・ウィーナーを忘れることはできない。

というわけで、ここ最近は杉田元宜博士の時代に博士にも最も影響を与えたウィーナーの本「サイバネティックス」も読んでいる。

「温故知新」から文科省の「温新知古」の時代へ:「サイバネティックスの時代」は良かった!?

Norbert wiener


最近では11〜12才で芸能界入りとかいう話題には事欠かないが、さすがにその年令でハーバード大に入学というような話は聞かない。天下の灘、開成、駒場、ラ・サールでも無理である。

ノーバート・ウィーナーは11歳でハーバード大に入り、18歳で博士号取得、20台で革命を起こし、ほば科学の全分野に精通していた。

そして、1947年頃、例の有名な
Cybernetics
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サイバネティックス―動物と機械における制御と通信
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これは復刻した方がいいと思うぞ)」
という本を出版したわけですナ。

18歳と言えば、私はサッカーの真っ盛りの頃、まったくろくに数学も知らなければ、本という本も読んではいなかった。


その時代から70年。日本語に翻訳されてから、50〜60年。

いまではサイバーの言葉こそ聞かれるが、ウィーナーという言葉やサイバネティックスという言葉はその筋の専門家、中でも老専門家しか知らない。そんなご時世になってしまった。

ウィーナーは「ウィーナー過程」として確率統計の世界では基本中の基本となり、かの保江邦夫博士の「保江方程式」の土台を築いている。伊藤清博士の「確率微分方程式」もその土台はウィーナー過程にある。

つまり、ランダムなことを考える場合には必ずウィーナーのやったことを基にしないといけないという実に厄介なことをおやりになったのである。

ちなみに、このウィーナー先生が18歳で博士になった後、イギリスに留学したのだが、そこでの師匠はかのバートランド・ラッセル卿だったらしい。
若い頃はそれなりにハンサムだった。
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よく見る顔がこれ。
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(ちなみに、タバコはパイプだと無害らしいナア。)


そんなわけで、この所ずっとサイバネティックスやウィーナーのことを気にしていて見つけたのが、比較的最近の本、といってももう11年も前の本のこれである。

情報時代の見えないヒーロー
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(俺は書店で2800円で買ったのだが、なんとアマゾンでは980円とか。)


この本を今から読もうとしているのだが、この中でも言っているのは、ウィーナーがサイバネティックスが達成されてしまった暁のことを予見していたということだった。

つまり、いまの我々の時代のさらにその先のAIが完成してしまったその暁のことである。

機械知性に全てが支配されるのである。

そんな危険性をウィーナーは早くから(70年前)には察知していた。


とはいうものの、最近つくづく思うのは、これって新手の「ピグマリオン症候群」ていうやつではないのか?ということだ。

ピグマリオン症候群というのは、自分が作った仏像の如来様に自分が恋してしまうという物語である。

自分で生み出しておいて最後には自分で困ったと困惑するっていうやつだ。

原爆を必死で喜々として作っておいてできてから困った困ったと叫ぶ。

かつてのオッペンハイマーがそうだった。

このウィーナーもそうだった。自分でサイバネティクスを発明しておいてできてしまうと今度は大変だ〜〜これから大変な危険な未来が待つぞっていう調子だ。

あんたは馬鹿か?アスペルガーちゃうか?そんなことも予測しないでやったんかいな?

後悔先絶たず

ということになる。


いまのところ、こういうものをうまく表現する言葉はない。が、こういうのはしばしば見る風景である。

制御理論を作り出し、人がやれることは機械でもやれる、人が機械をコントロールすれば良いのだ、といって、作り出したのはいいが、結局機械のほうが人を勝り、制御不能になる。

なにかゲーデルの不完全性定理に似た匂いがするわけである。数学に完全なものは存在しない。

つまり、数学理論を使って生み出されたシステムにはすべて穴がある。

いいかれば、どんなに完璧なサーバー空間にもブラックホールのような次元の穴が開く。悪魔はそこから入ってくるのだ。

ネットワーク理論にもそんな無限地獄の穴が存在する。ひとたびそこに入れば二度と抜け出せない。

脱数学化。数式では記述できない、あるいは数学では記述されないものしか、サイバー空間から逃げ延びることができない。計量できる空間では計量できない世界は記述できないのである。

かつて杉田元宜博士が言った。数学はほどほどにしないと現実を見失うと。

現代科学のいわゆる西洋の科学はギリシャ時代に始まった。が、これはユークリッドの原論から始まったにすぎない。そこからわずかに2000年程度のぬくもりしかない。

我が国の建国の歴史より遥かに短い。人は数学のない時代にもずっと生き抜いてきている。

はたして数学から逃げ延びることはできるか?

数学好きの私がいうことだ。かなり難しいのではなかろうか?

もし数学で記述されたら最後AI警察の追手に付け回される。そんな時代がこれからやってくるに違いない。


いやはや、世も末ですナ。



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by kikidoblog2 | 2017-03-17 14:08 | 普通のサイエンス

「古書に学ぶ」:長岡半太郎の「科学名著集」、明治大正時代の名著の翻訳があった!   

みなさん、こんにちは。

最近はずっと杉田元宜博士の行った研究にハマってきたが、その中の「物理学史」という杉田先生の本があり、これは1943年に書かれた。この中で時々、旧帝国大学時代の東北帝国大学の長岡半太郎博士の言葉が引用されている。これが実に興味深い。

長岡半太郎先生
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と言えば、我が国最初の理論物理学者である。

そこで、この言葉が書かれているという、長岡半太郎先生の編纂された「科学名著集」というものがあり、これが全9巻ほどあり、当時(明治大正初期)の欧州の科学者の世界的名論文が日本語に翻訳されていたのである。

もちろん、インターネットの時代になるまでこの存在は東北大のカビ臭い古書倉庫に眠っていたにちがいない。

ところが、いよいよディジタル化の時代に入り、この科学古書のディジタル化も国会図書館で行われてきたようで、実に幸運、我々大学の外にしか住めないごく一般人でもそういうものが見られる時代になったのである。

ヘルムホルツ、グリーン、ガウス、ヘルツ、

こういった偉大な歴史的科学者の古典が、原典のドイツ語や英語ではなく、我が国の言葉、日本語で読めるのである。が、しかし、もちろん明治大正時代の日本語、かなり古臭い、しかも昔の漢字を用いた日本語だが、明治大正時代の科学者たちの巨匠の論文が読めるのである。

ヘルムホルツと言えば、渦定理。自由エネルギーなど数多くの科学の分野に名を残す巨匠である。

その中でも流体力学を完成させ、その後、それがマックスウェルによって電磁気学に応用されて、電磁気学が完成し、そこにベクトルポテンシャルという新しい物理概念を生み出し、20世紀になって、これがゲージ理論の土台となっていった。

このそもそものベクトルポテンシャルを生み出した人物こそ、
ヘルマン・ヘルムホルツ
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その人だったのである。

最近では、そのヘルムホルツの理論を用いたウィリアム・トムソン(後のケルビン卿)の、このヘルムホルツの渦でできた原子、これを「トムソンの渦原子」というが、これが素粒子理論のひも理論の原型のようなものだ、あるいは、エドワード・ウィッテンやジョーンズの多項式の基本となった組紐理論の創始であるとか、さまざまな観点から再び脚光を浴びているものでもある。

そのヘルムホルツやトムソンの原典、古典のオリジナル論文が、大正3年には長岡半太郎博士とそのお弟子さんによって日本語翻訳されていたのである。参考までにメモしておこう。以下のものである。

科学名著集. 第3冊


これは印刷ボタンを押して、コマ数指定し、pdf化ボタンを押すと自動的にpdf化されるという優れものであった。コマ数は最大50コマだから、いくつかに分割してダウンロードできる。私もこの論文集を全部ダウンロードした。

さて、驚くことは、この3巻の序文の長岡半太郎先生の言葉である。

最初にヘルムホルツ博士の生い立ちおよび研究の経緯が書かれているのだが、それが超絶の驚きのものだった。

私はヘルムホルツ大先生は最初から物理学部で教鞭をとった理論物理学者だったと思っていたら、どうやらそうではなかったのである。

最初にエネルギー不滅の原理である、エネルギー保存の理論を構築、これが認められてケーニヒスベルグ大学の、なんと生理学の教授に任命されたのである。

翌年に、検眼鏡を発明。
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これは、眼科にいくと最初に眼の中を見てもらうアレですナ。

ケーニヒスベルグ大学の生理学教授として6年の間に、ドイツ医学界で革命を起こし、話題の人となった。

それが認められて今度はボン大学の、なんと解剖学と生理学の教授になったのだ。

ここで研究したのは、主に目と耳。この目と耳はヘルムホルツ大先生の最も好むところだと長岡半太郎は書いている。

これが、音響学と光学を生み出し、ヘルムホルツの音響学とヘルムホルツの光学という名著を生み出したのだという。

解剖学をして実験し、生理学の基礎として理論物理を作り上げる。これがヘルムホルツ流だったのである。

耳は脳に直結している。そこでヘルムホルツは神経伝達の解剖学的研究を行い、音は空気を伝達するから、流体力学を研究する。こうして、電気伝導に関しては電磁気学、音響に関しては流体力学が必要だということになって、自分でそういう理論を作り始めた。

それで、グリーンの定理とノイマンのポテンシャル論を用いて、ベクトルポテンシャルという概念に行き着く。これを使って流体力学の渦の問題を見事に完成し、近代的な流体力学の渦定理を導いた。

それが後にイギリス人のマックスウェルの目に止まり、マックスウェルがそれを同じイギリス人のファラデーの実験結果を見せてもらえるという幸運によりマックスウェルの電磁理論を作り上げる。

いや〜〜、実に面白い。

ちなみに、エネルギー保存則を最初に言い出したドイツ人はメイヤー(マイヤーともいう)であり、彼もまた医者だった。

昔のドイツの医者はとてつもなく数学ができたようだ。いまの東大のお医者さんのようなものかもナ。高校数学できないと東大理IIIには入れないらしいから。しかし、東大のお医者さんからは解剖学研究しながら新しい数学の定理を見つけるというような人は聞いたことがないが。

さて、この巻の後半はそのヘルムホルツの流体理論を渦に応用し、渦原子の研究を行ったトムソンの論文に変わる。当時は原子論が最先端であり、原子の存在は予想されていたが、原子の内部構造が未知だった。そこでトムソンは渦のパターンによってさまざまの原子の種類が分かれるのだというアイデアを提案したのである。

原子スペクトルの系列を渦の振動の系列として理解できるのではないかというのがどうやらケルビン卿の発想だった。これが今で言う超ひも理論の発想と似ているというわけだ。

面白いのはどうもこの時代にかのヒックス粒子のご先祖だったかもしれないヒックスという学者がこの渦原子のモデルに飛びついて研究していたらしいことが書かれているのである。

ひょっとして、これが長岡半太郎の原子の土星モデルにつながっていったのかもしれないですナ。そして、長岡の土星モデルに着想を得たニールス・ボーアの原子の太陽系モデルにつながる。


長岡半太郎は序文の最後にこう書いている。もちろん大正時代の語り口でだが。

。。。
将来ヘルムホルツ、トムソン両先生の議論を補充して、エーテルの構造に関する新知識を啓発するという関門に到達するのだが、いまだにそれができるかどうか想像もできない。したがって、読者がこれらの模範論文を理解できるようになれば、渦動の物理的研究が、自然の秘密を暴くためにいかに価値あるのかを悟ることは難しくないにちがいない。

大正2年11月28日。長岡半太郎識。



ところで、杉田先生の「物理学史」の中に、長岡半太郎の時代にアメリカに行ってニコラ・テスラに面会申し込み、ヘルツの電波の研究に関して直に質問しに行った日本人がいたという話がある。

なんとニコラ・テスラ、その我らが日本人の研究者に対して、テスラ・コイルで巨大な放電を見せて、
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「俺は無線電信のようなそんなつまらないちっぽけな問題には興味ない。俺は無線電力送電、無線電灯照明を完成してみせる」

と言ったという。(この時、その日本人グループがテスラを日本の大学に招き入れたら良かったのではなかろうか?そしたら、その後の戦争に全部勝てたのではないか?)

いや〜〜ニコラ・テスラ、やっぱりニコラ・テスラだった。

ちなみに、その日本人が驚いたのは、当時我が国ではそろそろ電球が灯り、街が電気で明るくなりかけた頃だったのだが、最先端と思っていったアメリカの街はまだガス灯だらけだったというのである。これにその日本人が衝撃を受けたという。

また、アメリカの有名な大学の学者に無線電信のことを聞いたら、
「君たちの質問はカエルに小石を打ち付けるようなもので、君らにはおもしろいかもしれないが、カエルの身になってみろ」
というようなことを云われたとか。


いずれにせよ、我々日本人もやはり明治大正の時代から日本人だったのだ。好奇心旺盛。

東に偉大な発明家あれば行って聞いて来る。
西に偉大な学者あれば行って言説を学んでくる。

この精神はずっと昔から我々日本人に備わった好奇心遺伝子から来るのだろうか?

我が国のミカン、橘、柑橘類は、100BCに天皇に命じられた遣印使が持ち帰ったものだ。命かけて印度まで行き、そこからミカンの苗をもらって持ち帰った。砂糖のサトウキビも和菓子もそれがルーツだったというわけだ。

昔の日本語を自動的に現代語に翻訳してくれるようなツールがあれば、非常にありがたいんだけどナア。
だれか開発してくれ。

いずれにせよ、科学はその本質においては進歩していないどころか退化しているのではなかろうか?
そう思う昨今である。最近の論文見ても何も学ぶものがない。単に計算があるだけ。


いやはや、世も末ですナ。



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by kikidoblog2 | 2017-03-06 09:50 | 普通のサイエンス

[物理のメモ]:E. WiitenとGiovanni Jona-Lasinioの講演発見!   

みなさん、こんにちは。

以下は理論物理に関する個人的なメモである。普通の人には興味ないだろうからスルーを。


さて、今日偶然にE. Wittenの講演のpdfを発見した。一応これをメモしておこう。以下のものである。

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Phil Anderson And Gauge Symmetry Breaking - Rutgers Physics


これは素粒子がどうやって質量を持つかという問題を最初に気づいたPhillip Andersonの論文から始まって、Higgs理論、そして現在の標準理論とさらにその後の問題までをオリジナルの論文を紹介しながら論じたという、Wittenにしてはかなり珍しいタイプの講演のようである。

素粒子論の人は必見なのだろう。もっともすでに読まれているのだろうが、私は初めて見たというわけである。

ついでにこれも。
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Giovanni Jona-Lasinio
Spontaneous symmetry breaking in particle physics: a case of cross fertilization


これは南部先生の盟友Giovanni Jona-Lasinio博士が南部先生の業績を讃えて紹介したもの。一番最後にツーショットがある。いかにGiovanni Jona-Lasinio博士が南部陽一郎博士を慕っているかがよくわかる。実にいい写真。

いずれにせよ、ちょっとウィッテンも謙虚になって、素粒子論はまだ何も本質的なところが理解できないんだよ、というニュアンスの漂う、まれな講演に見えるが。


まあ、次なる革命前夜であることは間違いないから、いつかだれかが新しい夜明けを生み出すことを期待したい。




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by kikidoblog2 | 2017-03-03 12:39 | 普通のサイエンス

日の“陰り”:我が国の物性研究のノーベル賞敗退の数々!?日はまた昇るか?   

みなさん、こんにちは。

さて、今回はちょっと個人的な物理学に関する思いつきの回想メモだから、普通の人はスルーして欲しい。


日本の日が陰った。“陰り”。

これが最近の「日本の半導体」産業の印象であろう。いまや三洋やシャープは跡形もなく、東芝、松下、三菱、日立、富士通、NECなど軒並み陰りが見え始めた。

これを象徴しているかのように、
(あ)あまり実用上ではそれほどでもなかった江崎ダイオードのノーベル賞。
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(い)その次は、ここ阿南発祥の青色発光ダイオードのノーベル賞。
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この2つを除き、我が国の戦後の礎を築いたはずの半導体科学でまったくノーベル賞を取れなかった。というより、取り損なった。というより、“意図的に排除された”感がある。

(う)古くは、赤色発光ダイオード(および黄色、緑まで)。これは東北大の西澤潤一博士が実用化したものだ。
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(え)その次は、近藤効果の旧電総研の近藤淳博士である。
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が、一向にノーベル賞からお呼びがかからない。

(お)その次は、1980年代初頭の整数量子ホール効果。このノーベル賞に関しては、最初の本当の第一発見者は学習院大学の川路紳治博士だった。
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それをすぐに理論家したのが、東大物性研の安藤恒也博士だった。
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が、結局、ドイツのフォン・クリッティング博士に持って行かれた。これについては世界中で川路博士や安藤博士のノーベル賞を期待したのである。

(か)その次は、その分数版の分数量子ホール効果。この理論がラフリン博士がノーベル賞取ったが、ちょうど私が大学院生時代にこの最初の論文が出たばかりの頃だった。

(き)そもそのこうした二次元系の半導体に特有の物理現象がどうして現れるようになったか?といえば、これは当時IBMのワトソン研究所にいた江崎玲於奈博士が発明したMBE(Molecular beam epitaxy, 分子線エピタキシー)という手法が発明開発されたからである。
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残念ながら、この結果として誕生した二次元電子系の結果の方が先にノーベル賞をとり、こういう素子を生み出す根本手法の発明者の江崎玲於奈博士は二個目のノーベル賞から離れた場所にいる。

しかしながら、このMBEなくして量子ホール効果もその後のトポロジカル絶縁体などもあり得ない。

(く)その次が、昨年のトポロジカルな物性の発見のノーベル賞である。これに対して、コステリッツ、サウレス、ハルデーンが受賞した。しかしながら、この問題では、甲元眞人博士
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の貢献があったればこそであった。

トポロジカル物質の理論において、境界条件のひねりを加えても物理的性質が変わらないという特性の発見は、一番最初に当時米ワシントン大学で、サウレスのポスドクだった、甲元博士が発見したことである。そして、サウレス、甲元、ナイチンゲール、デンナイスの4人組の論文として公表された。

その後、甲元博士がAnn of Physにレビューを書いて、そういう量子化は、物性で言うところの「逆格子空間」内のトポロジカルな粒子、すなわち一種のモノポールとして現れるということから理解されるという証明を行って初めて、物性理論にトポロジー的視点が加えられたのである。以後、これは古典となった。

この甲元博士もノーベル賞から弾かれた。

(け)さらには、高温超伝導の発見によるノーベル賞では、まだIBM欧州のべノーツ、ミュラーが自分たちの発見が正真正銘の高温超電導か判定できなかった頃、七宝焼の趣味を利用して自分で現物を作成してさらに高温の超電導物質を作り出した、東大の理論物理学者の氷上忍博士がいる。
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この氷上忍博士の論文が契機となり、アメリカのチューのグループがさらに高温超伝導体を見つけ、世界がフィーバーに走ったのである。結局、ノーベル賞は受賞者のミュラーとその弟子のべノーツだけの受賞になった。

トポロジカル物質の場合のように考えれば、当然、ミュラーと氷上とチューの受賞になるべきものであろう。べノーツに至っては共著者というだけのことである。

まあ、物理に関してだけをまとめたが、生物学、化学、経済学などにおいても似たようなものだろう。経済学のブラック・ショールズ理論の経済学賞受賞は、伊藤清博士が入るべきだったし、あまりにも不備が多すぎる。

まあ、アカデミー賞と同じで、要するに、世界各国に散らばってそれぞれの国の国民になりすました偽ユダヤ人のための賞だったということが一番の根底になるのである。

アカデミー賞も外国人の受賞というが、実は顔色は違うがユダヤ教信者だったという場合もあるわけである。我が国の芸能界で、カルトの創価学会員でなければ、日本アカデミー賞が受賞できないというのと似たようなものといえるだろう。


こうしてみると、世界の半導体産業の根底において、理論と実験、および制作と実践の双方において我が国の先達たちがいかに貢献してきたかがわかる。が、そういう世界貢献が正しく世界の人達に理解されていないように見える。

が、これはかつての政府自民党および日本の東大官僚の「自虐史観」「自信の欠如」などによる、キャンペーン不足が原因だったと言えるだろう。

金を手渡す必要はないだろうが、東京五輪の「おもてなし」のように正当に適度に華麗でかっこよくキャンペーンしないかぎり、世界の外人さんたちは理解しないのである。「言わなければ理解しない」。これが外人の精神レベルである。

もし日本政府がもっと日本の学者の側に立ち、後ろから支援していたなら、遥かに多くのノーベル賞を授賞してきたに違いない。


後の祭り。

まあ、いずれにしても、上のような方々は、現世で無視されたには違いないが、あの世ではきっと良き天国に行けることは間違いないだろう。

最後に、参考までにこれを付けておこう。
Workshop on Low-Dimensional Quantum Field  Theory and its Applications



いやはや、世も末ですナ。




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by kikidoblog2 | 2017-02-28 10:52 | 普通のサイエンス

「韓国人の起源」vs「日本人の起源」:やはり日本人の方が遥かに古かった!?   



みなさん、こんにちは。

さてもう一つ。時を同じくして実に興味深い歴史の話があったので、それをメモしておこう。一つは我が国の日本人の起源、もう一つは韓国人朝鮮人の起源である。

(あ)韓国人の起源とは?

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2017年02月13日17:00
【韓国】わが民族は5000年前、韓半島で自生的に形成。ユーラシアに進出した

「北方移住起源」従来の学説に反論相次ぐ

私たちの民族のルーツはどこなのか。人間は長い時間、民族の起源を見つけるためのパズルを合わせてきた。一般的に、韓民族の起源については、北から韓半島に入ってきたという学説が支配的である。これらの地域に居住する人々と私たちの顔立ち、風習などが似ているという理由からだ。

◆「5000年前の韓半島で自生形成」

最近出版されたシン・ヨンハ、ソウル大名誉教授の「韓民族の起源と形成」は、従来の学説に反論する。シン教授は「韓民族はユーラシア大陸のある凍土地域で「空の空間」と前提されていた(古)韓半島に入ってきた民族ではない」、「古韓半島で自生的に形成されてユーラシアに進出した民族」と主張している。

シン教授は、約5万年前に訪れた氷河期に注目する。当時、地球が冷え込み、北緯40度以北は人類が住むことができない不毛の土地となり、人類は生き残るために南進した。この時、北緯40度以下の洞窟に入った少数だけが生き残った。特に東アジアで石灰岩の洞窟が最も多い韓半島には、多くの人口が密集することになった。

韓半島に人口が密集すると「食糧問題」が浮上した。当時、食糧難に苦しんでいた韓半島の人類は氷河期が終わった約1万2000年前に移住を開始しました。シン教授は、中国西遼河に定住した民族を「貊族」、東遼河から沿海州に定住した民族を「隷族」、韓半島に残った民族を「漢族」と主張している。

約5000年前に漢族と貊族、隷族が再び団結し古朝鮮を建国し、韓民族が誕生した。三種族は婚姻を通じて社会生活と経済生活を共有する共同体になった。シン教授は、これを指して「言語、地域、文化を媒介に結合したヒト共同体」と紹介して 「韓民族の自生的形成には古韓半島で生活した初期新石器人であるという根深い背景があった」と言う。

シン教授は韓民族の発展過程を「源民族」、「前近代民族」、「近代民族」という3段階に分析する。歴史を古代、中世、近代に分割するのと同じ論理だ。古朝鮮の誕生で源民族が形成されたと考え、彼は新羅の三国統一に前近代民族が一応完成され、高麗の建国で完結したと説明する。シン教授は、私たちの民族の起源を新たな視点からアプローチして斬新だという評価を受けているが、一部では民族主義史観という批判も提起されている。

◆「古代韓半島人と南方系の融合」

科学界でも新たな分析を出した。ユニスト(UNIST)ゲノム研究所は最近、国際共同調査団を構成して、豆満江北部ロシア東端の「悪魔の門洞窟」で発見された7700年前の東アジア人の遺伝子を分析した。 「悪魔の門洞窟」は、高句麗と東夫余、北沃沮が陣取った地域である。

調査団は、「悪魔の門洞窟」で発見された洞窟人とアジアの50以上の民族のゲノムの変異を比較して、現代韓国人の民族起源と構成を計算した。その結果、洞窟人は茶色の目とシャベル状の前歯など、現代韓国人の特性を持っていることが確認された。また、「悪魔の門洞窟」では古代人の骨と織物、銛などが発見されたが、これは韓国の先史時代の代表遺跡である「盤亀台壁画」にクジラが描かれた時期などを推定したときに類似性があると分析された。朴鍾和ユニストゲノム研究所長は「断定することができる段階ではありませんが、遺伝的特性や遺物などを見れば、韓半島古代人と悪魔の門洞窟古代人は、同じ遺伝子を持っていると見ても差し支えないだろう」と明らかにした。

洞窟人を現代ベトナムと台湾に孤立された先住民のゲノムと融合すれば、韓国人の特性がより身近に分かった。これは、北方系と南方系アジア人が入り乱れながら、韓半島の祖先が形成されたという主張に力を乗せる根拠だ。朴所長は「現代韓国人は北方系と南方系が混合された痕跡を明らかに持っていながらも、実際の遺伝的構成は、南方系アジア人に近い」と説明した。これは主に遊牧生活をしていた北方系ではなく、定住して農業をしていた南方系の人口がより急速にに増えたからだ。

ソース:世界日報 2017.02.12 21:58(機械翻訳)
http://v.media.daum.net/v/20170212215809838?d=y


非常に短く要約すると、

韓国人の起源とは、洞窟に逃げて生き延びた祖先の子孫だったということになる。しかも古代、中世、近世の3種類の民族の混血ということになる。

この意味でも、「檀君神話」はあながち否定できない真実を物語るのである。

檀君神話には男の神さまとメスの虎と熊の3人が登場する。他所から来た男が、その場の洞窟にいた虎(支那)と熊(倭)の女を襲ったが、熊女だけが子孫を生んだ。これが韓国の建国神話である。この王の統治はたったの1500年でしかない。

一方、最近の遺伝子研究では、韓国人の成人男女におよそ

120万〜950万箇所の突然変位があるということが発見された。

これは1つの突然変異に1年かかるとすると、120万〜950万年もかかることになる。これはすでに人類史を超える。

が実際にはミトコンドリアの変位が一番早いことが知られているがそれでも塩基Aが塩基Cに変位するだけで10万年かかると言われているのである。

だから、これが突然変異だとすれば、つまり元々のルーツから変異したと考えると、この10万倍かかることになる。こうなると、宇宙開闢年齢すら超える。

ということは、突然変異ではないということになる。

つまり、朝鮮人は人類平行進化の証拠となるわけだ。

別系統の自然発生的に誕生した別人類ということにならざるを得ないわけだ。

つまり、韓国人はヒトモドキなのである。

これが最新の遺伝子研究の結果である。

が、この教授の言説はこれを根拠付けている。現代までに知られたあらゆるデータが韓国人が平行進化したヒトモドキの子孫であることを証拠付けている。だから、発想がまるで現代人とは違うのである。

西洋の学者はこれをもっと吹聴すべきでしょうナア。ダーウィンの進化論を基にしたリチャード・リーキーのアフリカ起源説、単一人類説は間違いなのだ。

実際、我が国他や他国で、少女や女性たちをアダルト産業に従事させて性虐待しているのは朝鮮人だけだ。建国神話からして女性虐待なのだから、当たり前といえば当たり前の結果にすぎないのだがナ。

世界史上最悪の人種である。



参考:
朝鮮人が「黒い山葡萄原人」の住処を発見!?:8000年前朝鮮人はロシアの悪魔の門の洞窟にいた!?
衝撃の朗報発見!「朝鮮人はヒト科ではなかった!」:ヒトモドキ科に属した!?


(い)日本人の起源

リチャード・リーキーのアフリカ起源説、単一人類説の間違いを示すもう一つの証拠は日本人である。

これに関する、小名木善行さんの記事も面白い。一応これをメモしておこう。以下のものである。

とてつもなく古い国・日本

多くの方が、現生人類の始祖は、クロマニョン人と思っています。
フランスのラスコーに壁画を残している、あのクロマニョン人です(冒頭の絵)。
このクロマニョン人が登場したのが、いまから約4万年ほど前です。

同時期の現代型サピエンスの始祖とされているものには、もうひとつ、支那の北京郊外の周口店にある竜骨山の頂上付近の洞窟から発見された上洞人(じょうどうじん)があります。
この上洞人は、北京原人が発見されたのと同じエリアで発見されたものですが、いまのところ私は、支那は何でもどこかの国で古いものが発見されると、毎度のことですが、必ず「それよりも古いものが支那で発見された」と突然新発見される国ですから、こちらの上洞人が本物なのかどうか、やや眉にツバをつけてみる必要がありそうです。

さて、4万年前のクロマニョン人以降が現生人類であり、これが「新人類」、それ以前の人類は「旧人類」と分離されます。
「旧人類」の代表格がネアンデルタール人で、大体20万年くらい前に出現し、2万数千年前に絶滅したとされる種です。

「旧人類」であるネアンデルタール種は、現生人類よりも頭頂部が低くて、顔立ちはややサルに近いようです。
遺骨から得られたミトコンドリアDNAの解析結果によれば、ネアンデルタール人のDNAは現生人類のDNAとは異なり、一般にはネアンデルタール種と、現生人類は別種であり、混血はできなかったとされています。
最近の学説では、そうともいえないという説も出されていますが、諸説あって、これはこれで今後の研究が楽しみな分野です。

ちなみに、このネアンデルタール人、イラクのシャニダール洞窟で見つかったのですが、その見つかった場所からは、大量の花の花粉が見つかっています。
これはどうやらお葬式をした痕跡だったのではないかというのが有力説で、葬送の際に、遺体を花で埋め尽くしたものであるようです。
つまり、ネアンデルタール種には、きわめて高い知能があった、ということです。

ついでに申し上げると、人類の始祖は
1 猿人(約600万年前〜130万年前)
2 原人(約150万年前〜20万年前)
3 旧人類(約20万年前〜約2万年前)
4 新人類(約4万年前〜現代)

と大別されています。

(以下省略)


これは長いので、本文をそちらで読んでもらうとして、面白い部分はこれだろう。我が国で見つかった物的証拠と我々日本人の遺伝子に遺された物的証拠である。

日本最古の土偶
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日本列島では、
11万年前には、石器が使われ
3万年前には、加工した石器(磨製石器)が使われ、
1万6500年前には、世界最古の土器がつくられ、
1万3000年前には、人の形をした土偶がつくられ、
1万2500年前には、漆が栽培され、使われていました。

日本の歴史は、とても長くて古いのです。


そしてその日本において、およそ1万7000年前から約3000年前までが、縄文時代です。
縄文時代の遺跡からは、対人用の武器が見つかっていません。
もちろん、矢じりや石斧は出土していますが、いずれも小さく、対人用の武器としては使えない小型のものばかりです。
つまり、縄文時代、日本には、人が人を殺すという文化がなかったということです。

日本人は、はるか1万7千年の昔から(もしかするともっと以前から)、人が人を殺して奪うのではなく、人が人と協力しあって、食料や生きるために必要なものをつくるという文化を熟成させてきた、ということになります。

古事記では、もろもろの天の神様たちが、最初の男女神であるイザナキノミコト(伊耶那岐命)とイザナミノミコト(伊耶那美命)に、「下界に漂っている混沌を有るべき姿につくり(修理)、固め(固成)なせ」と命じ、天の沼矛(アメノヌボコ)をお授けになったとされています。
これを「修理固成」と書いて「つくりかためなせ」と読みます。

そこでお二柱の神様が天の浮き橋にお立ちになられて、その沼矛で下界をかき回し、沼矛を引き揚げたときに、沼矛の先から滴った潮でできたのがオノコロ島です。
滴った雫(しずく)というのは、球体です。
その球体が、潮でできていて、オノずとコロがる島といえば、それはどうみても地球です。
ちなみに、夜空にかかる大きな橋といえば、天の川です。

そしてお二柱の神様は、オノコロ島に降り立たれ、そこで結ばれて(結い)、日本列島を産みます。
これが「国生み神話」です。
そしてそのあとに、天照大神(あまてらすおおみかみ)様がお生まれになられます。

その天照大神(あまてらすおおみかみ)様の直系の御子孫が、統(す)メル国が、日本です。
ですから天皇のことを、私たちは「スメラミコト」と呼びます。

その天照大神(あまてらすおおみかみ)様の御神意は、国譲り神話に明らかな通り、私たちの国を「シラス国」とせよ、というものでした。
そしてその「シラス」という権威と権力を切り離した統治が、私たちの国では、はるか太古の昔から行われてきたわけです。

権力者による収奪のない日本では、古くから「モノ作り」がとても大切にされてきました。
そのための技術も進歩しました。
勾玉(まがたま)の多くは、ヒスイでできていますが、ヒスイの硬度は6.5で、鉄の5.0よりもはるかに硬いものです。
その硬いヒスイを、まだ鉄さえもなかった時代に、美しく研磨し、穴まで通してできたのが勾玉です。

そしてわたしたちの国では、そうしたモノづくりの技術を、ただ作ることだけに注ぐのではなく、それを修理しながら大切に使うという文化を熟成させてきました。

その「修理しながら」という概念は、人間関係の共同体でも同じスタイルが講じられました。
人間関係が壊れたときは、どちらか一方が殺された、諸外国と異なり、わたしたちの祖先は、一度こわれた関係でも、それをなんとか修理して復す努力が行われてきました。

日本人が、先に謝るという文化をもっているのも、このことによります。
私たちは、とてつもない国、そして誇るべき文化を熟成させてきた国の住人なのです。


ところで、この翡翠を加工して勾玉を作る。これは私の故郷山梨ではたくさんのそういう翡翠の勾玉の加工場の遺跡が発掘されている。これが翡翠から水晶へと変わり、甲府は水晶の街になった。
勾玉
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古代朝鮮半島地域の「建国神話」の数々:建国神話なんていうものは大方嘘だろうヨ。


我が家の先祖は代々水晶ベースの宝石加工業だった。(旧ブログ、ファミリービジネス参照)

実際、約1万年ほど前から山梨では翡翠の勾玉を加工していたようである。そして翡翠の勾玉を首からかけていた。

たかだた8000年前にロシアの東部の洞窟に韓国人の共通先祖が見つかっただけで、まるで世界最古のように騒ぐ。方や、我が国の民族の古さはネアンデルタール人まで遡る。

これが正しいとすると、やはりシッチン博士の惑星Xニビルの神々による人類創世はかなり説得力を増す。

ニビルの神々がエンキの遺伝子とアフリカ原人女性の遺伝子を混ぜる(ルル)て、ルルという新人類を作り出したがそれはあまり優れてはいなかった。これが20万年前のこと。

そこで第二の試みとして、エンキがルルの女性と交雑して新しい人類が生まれた。これが旧人類。つまりネアンデルタール人。

第三の試みとして、そのネアンデルタール人の女性の可愛さの惹かれて、再び交雑し、自分そっくりの新人類が生まれたこれが新人類のクロマニオン人。黒髪の白人。

第四の試みとして、エンキの息子マルドゥク(マードックの語源)とその部下のシャムカズたちが、空から降り立ち、北ヒマラヤの星の降る街、ヒマラヤスギの都市に住み、新人類の女を拉致して酒池肉林して産めよ育てよとなって誕生したのが、ニビルそっくりの金髪の白人。白人が住む場所に必ず売春婦がはびこるのはこれが理由だろうと俺は睨むが。

現代人の祖先、別人類「デニソワ人」と交雑?:シッチン説vs化石人類説

シッチン博士の古代シュメールの石碑文の解読によれば、シュメールの神エンキが行った遺伝子操作によって誕生した地球人類には、以下のものがある。

(1)エンキ+類人猿女性の子=アダムゥとティ・アマト。
   アダムゥとティ・アマトの子孫。

(2)エンキ+アダムゥとティ・アマトの子孫の1女性の子=アダパ
   エンキ+アダムゥとティ・アマトの子孫の1女性の子=ティティ。
   アダパ+ティティの子=カ・イン、アバエル(死す)、サティ。
   カ・インの子孫=アジアに広がる。
   サティの子孫=ヨーロッパに広がる。

(3)エンキ+サティ子孫ル・マクの妻バタナシュの子=ジウスドラ(金髪碧眼)。
   ジウスドラ+エムザラの子=セム、ハム、ヤフェト。その子孫。

(4)「エジプトの初代ラー」マルドゥクとサティ子孫エンキメの娘のサルニパトの子
   =アサル(死す)、サツ、ナブ。
   アサルとシャムガズの娘アスタの子=ホロン。その子孫。
   サツとシャムガズの娘ネバトの子=?

(5)イギギの反逆首謀者シャムガズと200人とアダパ族の女性たちの子孫。


というわけで、ニビルの神々の血が一番濃いのはルックスが遠い方の旧人類新人類の方であり、ルックスが一番ニビル似ている方が、エンキの息子マルドゥクの部下のシャムカズの子孫という亜流の方である。

人類の「Y染色体」ハプログループ分布と「シッチンの人類創世説」に矛盾があるか?



はたして我々日本人は最古の人種なのだろうか?

たぶんそうだろうと私は考えているが。

日本人女性がどの民族、どの人種と結婚しても生まれた子供は相手に似る。これは日本人の血が古いからである。上書きされるメカニズムがあるからだろうということになる。

この辺りは今後の研究を期待したい。


いやはや、世も末ですナ。



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by kikidoblog2 | 2017-02-14 10:57 | 普通のサイエンス

「温故知新」から文科省の「温新知古」の時代へ:「サイバネティックスの時代」は良かった!?   



みなさん、こんにちは。

最近は私は杉田元宜博士の1960年代以降1970年代頃までの研究を完全に理解するにはどうしてもかのノーバート・ウィナー博士(ウィーナー博士とも呼ばれる)の
サイバネティックス
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を理解しなければ無理だということになり、我が国でこのウィナー博士の盟友の一人、かつウィナー博士をたびたび我が国への訪問することを実現したという、北川敏男博士の研究を調べているわけである。

この辺の事情は次の本に書かれていた。
統計科学の三十年―わが師わが友 (1969年)
(これは京大数理統計研究所のサイトからフリー・ダウンロードできる。一読の価値あり。)

この北川敏男博士は、かつて私が富士通にいた頃、その部署の向かい側にあった富士通国際情報社会学研究所の創設者の一人、初代所長になった人だった。

九州大学が1939年に開設された頃からずっと九州大学の教授であり、九州大学をそれまでの東京大学(人文社会法律中心)、京都大学(自然科学中心)、東北大学(物質加工科学中心)から、生命現象や社会現象中心の新大学として誕生させるきっかけにまでなられた大数学者であった。いわば、九州大学をいまある形を設計して作った人である。

この北川博士の開拓された推測過程理論とは、まだまったくまともに勉強していないのだが、要は制御過程理論の逆問題である。つまり、普通は何かの”原因を与えて”それがネガティブ・フィードバックして制御するということになるが、推測過程というのは、制御された”結果をみて”、どんなものが制御しているかを逆に推定するという理論であると思う。

要するに、あなたが打ち出す手を見ていくうちに、あなたの頭の中のルールを見つけ出すのである。そして、一度あなたの発想の根源を知れば、百戦無敗となる。

すなわち、今流行りのAIの遠いルーツと言える。なんとそんなことを1940年代から1950年代には我が国でもさかんに研究していたようなのである。そういうことを最近知ったのである。昔の日本の学者は偉かった。

それで、どうして一橋大の杉田元宜博士、あるいは九大の北川敏男博士、東大の高橋秀俊博士、米カリフォルニアの高橋安人(やすんど)博士などさまざまの人たちが、サイバネティックスを研究したのかと見ていくと、やはり当時の大天才ウィナー博士の偉大さにあったようだ。このウィナー博士のスタイルはどことなくニコラ・テスラの時代のテスラやスタインメッツ博士に似ている感じがする。

要するに四六時中研究している。研究以外しない。物心ついた時から研究、仕事も研究、遊びも研究、趣味も研究、暇な時間も研究、眠っているときも研究、死ぬまで研究、というスタイルのことである。今時こういうタイプはいない。いたとして一時的である。

そんなわけで、我が国の情報科学というこの「情報科学」という言葉を生み出したのも北川敏男博士であった。また、わが国初の「情報科学研究室」というのも作ったのも北川博士である。ちょっと遅れてほぼ同時に東大の高橋秀俊博士も「情報科学研究室」をお作りになったようである。どっちが先かと言えば、やはり北川博士だろう。が時代的背景からすると甲乙つけがたい。

そうしていると、偶然、以下の面白い本をアマゾンで発見し、買ったのである。
サイバネティックス―境界領域としての考察 (1953年) (現代科学叢書〈第1〉) サイバネティックス〈続(自動制御と通信理論)〉 (1954年) (現代科学叢書) - – 古書, 1954


それで昨日はこの古い本を読みやすくするために1枚5円コピーのある市内のスーパーのマルナカ(イオンに乗っ取られた)にコピーに行っていたわけである。ついでに杉田元宜博士の「物理学史(1943年)」もコピーした。さもないと1940年代、1950年代の本だから持ち歩くとボロボロになってしまいそうだからである。

「統計科学の三十年」によれば、北川敏男博士は学術会議の会員になった頃、ウィナー博士の薫陶を受けて科学の細目による分断の壁を取り除くための活動を行ったというようなことが書かれていたのだが、どうやらそういう一つがこのサイバネティックスの布教、普及であった。

そうやって自然科学の各分野の当時の巨匠たちを集めて議論し交流する機会を得たのが、上の「サイバネティック」「続サイバネティックス」であった。今読んでも実に啓発的で面白い。本質的なことはもうほとんどこの時代に尽きているのである。

残念なことにこの時代つまり1950年代から1970年代までの古書は大学の図書館から矢継ぎ早に「除籍」されているのである。

これが、アマゾンと裏で組んだ文科省の天下り官僚のせいではなかろうか?と俺は睨んでいるのだがナ。いったいだれが大学図書館の図書除籍を認めたのか?

いずれにせよ、大学の図書館の最大の任務は古書の保存と管理なのである。

実は、この大学の図書館システムをお創りになられたのもまたこの北川敏男博士だった。だから、今のこの現状を見たら嘆くに違いない。

大学に古い本がなくなれば、もはや大学の自殺に匹敵する。存在価値がないとすら言えるのである。

しかしアマゾンなら買えるって?→ここにアマゾンと結託した陰謀の匂いを俺は嗅ぐのである。これも調べているところ。

面白いことに、この1950年代我が国の研究者がこうしてウィナー博士のサイバネティックスの普及に心奪われている間、その空隙をぬって、米ソではほぼ独立に最適制御の理論が生まれつつ在った。

ソ連では盲目の天才数学者ポントリャーギン博士、アメリカでは若き天才リチャード・ベルマン博士が挑戦中であった。

ともにミサイルの制御を可能にするためだった。つまり、平和憲法のもとサイバネティックスの平和利用だけに限定してものを見ている日本の科学者たちに対して、核ミサイルの開発という現実の危機の戦争をしていた米ソにあって、それを可能にする数学理論を発見することは急務の課題となっていたのである。

だが、我が国の研究者はそんなことはまったく理解できなかったし、理解しなかったし、興味ももなかった。

その結果、ポントリャーギンは「最適制御の最大原理」を発見し、ベルマンは「最適性の原理」「ダイナミックプログラミング」を発見した。ここに「現代制御理論」という科学分野が生まれることになった。(*)

こうなると、ウィナー博士のフィードバック制御の理論は「古典制御理論」となり、過去の遺物と化してしまったのである。

まさにハイゼンベルグとシュレーディンガーの量子力学の発見により、ニュートン力学が古典力学となってしまったようなことが制御理論でも起こったのである。これがほぼ1950年代後半、ほとんど1960年に起こったのである。たぶん正確には私が生まれた1957年に誕生したのである。

つまり、ソ連のスプートニクが発射され、アメリカがスプートニク・ショックになった時に、現代制御理論が完成したのである。私の名前は、このスプートニクが打ち上げられたことにちなんで、平和に1基空に飛んだというところに私の父親が感動して、その状況を私の名、和基となったのである。

つまり、言い換えれば、私は現代制御理論といっしょに生まれたのであった。

ところが、我が国では逆に北川博士、杉田博士、高橋秀俊博士、高橋安人博士などのサイバネティックスの普及の威力がありすぎて、長らく現代制御理論の方まで手が回らなかった気配がある。

トーマス・クーンのいうパラダイム論で言えば、やはり我が国の科学技術は、ウィナーのパラダイムからポントリャーギン・ベルマンのパラダイムへのシフトがうまく行かなかったのかもしれない。

その証拠がいまだに科学系、物理系、工学系の大学、大学院では現代制御理論を教えるものが非常に少ない現実と言えるだろう。

ここ阿南の阿南高専にも工学系の研究室がいくつかあり、そのそれぞれに制御理論を教える教科がある。私が調べたところ、その内容は重複しているにもかかわらず、ほぼ同じ内容を電気、機械、土木などで別々に制御理論の科目としてほぼ同じ古典制御理論を教えているのである。みな現代制御理論はスルーしている。そういう教師の1人に私がサッカー部の指導時代の監督になってくれた人がいて知っているのだが、現代制御までは手が回らないと言っていた。

前の話と重なるが、こうしているうちに、この1960年代〜1970年代までの古書、古い教科書は軒並み除籍処分となった。

はて、じゃあいったいだれがどの本で最適制御理論を教えるの?っていうことにならないだろうか?

かといって、残った本を見ると、なんと同じ本が数冊ずつ並ぶ。ということは、今の大学の除籍処分とは、比較的新しい本は何冊もあるが、古い本はまったくないということになる。

これって、意味ないのではないか?

むしろ、新しい本は2冊程度で十分だから、そのスペースに古い本を保存しておくべきではないのか?ということになろう。


我が国には、温故知新[昔の事をたずね求め(=温)て、そこから新しい知識・見解を導くこと。]という優れた言葉が残されている。

今はまさにこの逆である。不可温故不可知新あるいは、温新知古[最近の事をたずね求め(=温)て、そこから古い知識・見解を導くこと。]であろう。

温故知新の最大の利点は、二股に分かれて進んで一方が行き止まりになった時、その二股の場所まで戻りそこから別の道にやり直すことにあると私は考えている。

いま我々の世界、我々の科学は後戻りすべき時代に入った。本当に進むべき道を探し直さなければならないのである。相対論がどこで間違ったか?熱力学がどこで間違ったか?量子力学がどこで間違ったか?
こういう時、一旦舞い戻って、別の入り口を探さなければならない。迷路を脱出するには失敗したらまた元に戻らなければならない。

こういう場面で、古書が最大限の力を発揮するのである。


いやはや、我が国はもはや馬鹿を通り越して気違いになってしまった文科省のお陰で大学の図書館はもぬけの殻になりつつある。アマゾンを天下り先化したいばかりにそういう愚策を繰り出したに違いない。


それにしても昔の日本の科学者は素晴らしい。昔は良かった、のである。


いやはや、世も末ですナ。


おまけ:
(*)逆に我が国では戦前軍事研究というものが行われた。軍事研究というのは軍事情報を扱うから、どこから漏れても困る。だから基本的には関係者以外極秘任務となる。日本では「軍事研究隣組」「隣組研究班」というものがあったらしい。各テーマに合わせて班があてがわれてその班に何人もの研究者が集められて、開発研究した。仁科(芳雄)研究班ではレーダーの研究、〜〜班では制御装置の研究という具合で研究が行われた。軍事研究だから海外の研究者とも交流はない。まったくある意味で自由気ままに自分たちの発想で研究する。どうやらこれが非常に科学には良いようで、世界や社会から孤立することにより非常に独創的な発想が生まれるらしい。だれにも左右されないで本質だけを自分の頭で考えることが出来るのである。事実、制御理論に関しては我が国の数学者は西洋で同じものが発見される10年も20年も先に独自に発見していたようである。だから、名機ゼロ戦や戦艦大和が作れたのである。どうやら我が国の戦後の発展の最大の原動力がこの軍事研究の時代に遡るらしい。だから軍事研究をいたずらに危険視するのは非常に誤っているのである。この話はまたいずれすることもあるかもしれない。




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by kikidoblog2 | 2017-02-14 09:25 | 普通のサイエンス