カテゴリ:ウィーナー・サイバネティクス( 13 )   

だれがディラックのδ関数を発明したか?:実はノーバート・ウィーナーだった!?   

みなさん、こんにちは。

さて、これは実に個人的な話題だから、数学や理論物理に関心のない人はスルーして欲しい。時間のムダである。

2週間ほど前にひどい腰痛になった頃から、ノーバート・ウィーナーの自伝、そして腰痛が回復してからウィーナーの初期の論文を少しずつ読んできているのだが、いくつか実に面白い事に気づいたのである。

もちろん、この気付きは、一般の物理学の歴史や数学の歴史書には殆ど載っていない。

まず結論から言うと、
(あ)量子力学の不確定性理論の発見はウィーナーの方がハイゼンベルグより先だった!
(い)ディラックのデルタ関数の発見者はディラックではなく、ウィーナーだった!

この二点である。


まず(あ)について
情報時代の見えないヒーロー
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ノーバート・ウィーナー「情報時代の見えないヒーロー」:彼はAIの未来を見通していた!?
によれば、ノーバート・ウィーナーは、1922年、1924年、1925年。毎年のように欧州に遠征に行った。

ウィーナーは1921年にいわゆる後にウィーナー過程と呼ばれることになる「ブラウン運動」の数学理論を公表していた。

これが欧州の英独仏で非常に評判になり、イギリスではハーディーやリトルウッドのところ、ドイツではゲッチンゲンのデービッド・ヒルベルトのところ、フランスではベノワ・マンデルブローの叔父であるショレム・マンデルブローのところへ行き、講演及び研究を行った。

だから、ウィーナーの一般調和解析の思想に基づく、複雑な運動に対する動力学理論がその頃欧州に芽生えたのである。一方、アメリカではウィーナーの思想を理解できるものはなかった。

ショレム・マンデルブローは東欧のハンガリーとかそっちの人だから、そこにいた若手に恐らく情報を提供した。その1人がバナッハである。バナッハ空間の最初の理論はノーバート・ウィーナーが定義したものであった。

1924年にウィーナーは19世紀末期の奇人変人数学者、
オリバー・ヘビサイド
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の直感的数学を厳密に定義することを考えた。

こうしていくうちに、力学的運動を調和解析していくという、ニュートン力学からギブズの統計力学の思想にもとづいて力学解析する方法を開発した。それがウィーナーの一般調和解析である。このレビューは1930年にまとめられたが、実際にはずっと前のウィーナーのフーリエ解析の教科書にも出ているのである。

そして、問題の1925年になって、ウィーナーは再びドイツのゲッチンゲンに渡る。当時のゲッチンゲン大学は文化、科学の世界最先端の場所であり、数学では晩年の
フェリックス・クライン
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中堅には
ダーフィト(デービッド)・ヒルベルト
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がいた。

一方、物理では
マックス・ボルン
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がいて、その研究室に若き天才、
ウェルナー・ハイゼンベルグ
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ウォルフガング・パウリ
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の2人がいた。

そこでノーバート・ウィーナーは、一般調和解析を用いて、音楽の楽譜のような周波数変調が時間的に生じる運動は、ある種の相補性あるいは双対性が生じるということを講演したのである。

つまり、雑音がホワイトであれば、そういう音符は一瞬の音であり、逆に長時間一定の音符はその周波数はたったひとつの周波数で記述される。この意味で、時間と周波数の間には双対性が存在するという理論を講演したのである。

そこにマックス・ボルンとそのお弟子さんたちもいた。若きウェルナー・ハイゼンベルグがそこにいたことは確認されている。


さて、私が40年前に大学で量子力学を勉強し始めた時、一番最初に読んだのが、ディラックの量子力学の英語版だった。その後、それを基にした朝永振一郎の量子力学(I)(II)を読んだが、その朝永の教科書の(I)にニールス・ボーアの前期量子論の説明からウェルナー・ハイゼンベルグの量子力学の発見の話が出ている。

しかし、どうしてそれまではニュートン力学では粒子の座標がx(t)で書かれるのに、ハイゼンベルグがそれの座標を

x(t) = ∑ x(n)exp{iw(n)t}

のようにフーリエ展開するのか理解できなかった。いったいハイゼンベルグはどこでこの発想を見つけたのか?

これは朝永先生の本をいくら探しても分からないのである。

実はこれがノーバート・ウィーナーの思想圏に属した内容だったのである。

ブラウン運動のような複雑な運動は、ニュートン力学の古典軌道として、時刻tの解析関数として書けるものではない。だから、たくさんのモードの重なりとして複雑で非周期の運動を理解するのだ。そのためには、ある時刻における位置座標のx(t)をモードw(n)でフーリエ展開すればいい。

これがノーバート・ウィーナーの考えだした一般調和解析学である。

ハイゼンベルグはただちにこれに基づいて、当時の量子力学の問題に適用した。そこで使えるのは、ボーアの発見である、量子転移はかならず二つの準位の差だけで書ける。つまり、w(m)-w(n)で記述できる。

量子準位は定在波として一つのモードw(n)で記述される。

これを使ってx(t)^2を計算すると、ウィーナーの調和解析からずれることを発見した。

この発見が量子力学の発見に繋がったのである。

翌年1926年にウィーナーはハイゼンベルグの先生であるマックス・ボルンと量子力学の論文を書く。ここでウィーナーは初めて「演算子」という概念を持ち込む。物理量の時間微分は時間微分演算子とは交換しないのである。そして、この時間微分演算子は実質上ハミルトニアンであることを証明した。

ここにいわゆる量子力学の全体像が生み出された。

そして、1927年にハイゼンベルグの不確定性原理の論文、およびボルン、ハイゼンベルグ、ジョルダンの量子力学の完成論文が登場した。

というわけで、ウィーナーの存在は我々の量子力学の教科書にはどこにも出てこないが、実際の科学の歴史においては、ノーバート・ウィーナーこそニールス・ボーアに匹敵する量子力学の祖であったのである。

実際、ニールス・ボーアにはハンス・ボーアという兄弟がいて、ハンスは有名な数学者だった。そして、ウィーナーは英国留学して以来、ハンス・ボーアとは親密な交流があったのである。だから、ハンスがニールスにウィーナーの思想を伝えないはずがなかったのである。


次の(い)の問題については、実はこれには明確な理由および証拠がある。

上述のように、私がディラックの教科書を勉強して以来、ディラックはどうやってディラックのδ関数を見つけたのか?という点が気になってきた。

しかしながら、最近でもディラックのデルタ関数の発見を行ったとされる1926年の論文を見てもどこにもないのである。

量子力学のどの本にも、どの教科書にも、1930年のディラックの量子力学で導入されたことになっている。そしてさらにデルタ関数は1926年にディラックによって発見されたことになっている。それもヘビサイドやクロネッカーのδの連続関数への拡張だと書かれている。

結論は、ディラックは最初からデルタ関数を使ったのであって、発明したのではない。問題の関数にδ関数という名前をつけて自分の理論に適用しただけなのである。

さて、だれがそれを現代的な意味で使い始めたか?

というと、これまたノーバート・ウィーナーだったのだ。

一般調和解析の初期の論文で明確にディラックのδ関数の萌芽、というより、実質上等価の関数の存在を証明した。それもヘビサイドの関数を厳密化するという手法できちんと数学的に定義したのである。

ここに日本語で超関数とよばれる関数になぜ英語ではdistribution(分布)と書かれたかの謎が説かれるのである。

ウィーナーは最初からある種の確率分布としてこのヘビサイドの階段関数H(u)から連続関数への一般化を行ったからである。

その論文がこれだった。
N. Wiener, The Operational Calculus (1926)


この論文の565ページの上から2つ目の式
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がいわゆるディラックのδ関数の定義に対応するものである。

そしてこの論文の後半では、それを使って分数微分の問題に応用していくのだ。

ヘビサイドは微分演算子の逆べきというものを最初に定義した。いまでは佐藤超関数のソリトン理論ででてきたものだが、なんとヘビサイドは最初に微分の逆べきを定義して、それが積分にあたる。だから、その指数を分数にしてもなんでもいいという論文を書いていたのである。

それがこれだった。
On Operators in Physical Mathematics. Part I(1892)
On Operators in Physical Mathematics. Part II(1893)


ヘビサイドはこういう手法を使って、エーテル中の電子運動によるウェイクの研究をしたのである。

あるいは、電子が光速を超えて運動する場合に生じる衝撃波の研究を行った。

さらに驚くべきことには、演算子法を用いてヘルムホルツの波動方程式の解を発見し、それが20世紀後半でいう湯川ポテンシャルに等価なものを見つけていたのである。ヘビサイドはpan potential(フライパンポテンシャル)と名付けた。

これをポール・ディラックが読まなかったはずがない。イギリスのケンブリッジ大学の図書館の薄暗い場所でディラックはひとり静かに読んでいたのである。事実、ディラックがいつも図書館の片隅の薄暗い場所で最新の雑誌を読んでいるのを目撃した日本人留学生もいたのである。


とまあ、こんな案配で、ノーバート・ウィーナーは、ブラウン運動の理論、ウィーナー過程、ウィーナー積分や調和解析だけではなく、バナッハ空間、分数微分、ディラックのδ関数、量子力学、不確定性、時間と周波数の相補性、制御理論、ネガティブフィードバック、確率統計、そしてサイバネティックスとほぼ科学の全分野で膨大な貢献をしたのだった。


しかし、かつて私がユタ大を卒業した時、ハーベイ・コーン教授に私のドクター論文を見せた時、
お前の研究は学際研究だから、下手をすると、数学者からは物理の理論とみなされ、物理学者からは数学の理論とみなされ、どちらの職も取れなくなる恐れがあるから注意しろ
と言われたのだが、まったくその通りのことが起こって今に至ったのである。

学際研究にはそういう実際的な危険があるのだが、どうやらウィーナーも各分野の老舗や有名人からはそういうふうに見られたフシがある。

数学者からはあれは理論物理だとみなされ、理論物理からはあれは数学だとみなされたり、あれは工業数学だとみなされる。

こういうことが起こったに違いない。

あるいは、2つの戦争の時代だったから、どの国の研究者からも自分が最初にやったと言われてしまったのかもしれないですナ。

いずれにせよウィーナーは世界のウィーナーだから特にその程度の理論を当時の若者に盗まれてとしてもなんとも思わなかった、屁とも思わなかったのだろう。


いやはや、科学の世界も今も昔も盗人だらけ。

いやはや、世も末ですナ。


おまけ:
やはり同じ1925年の論文:
N. Wiener, The Harmonic Analysis of Irregular Motion
の105ページの最後から2つ目の式も実質上ディラックのδ関数とまったく等価な表式が使われている。これである。
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by kikidoblog2 | 2017-06-09 18:59 | ウィーナー・サイバネティクス

「70年目のサイバネティックス」から学ぶこと:ウィーナーの自伝は預言書だ!   

みなさん、こんにちは。

いや〜〜やはり古い本あるいは古い時代の人を研究しないとだめなようである。

ウィーナーの伝記:
情報時代の見えないヒーロー
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レジェンド:ノーバート・ウィーナーの父がハーバード大ユダヤ人教授第一号だった!
ノーバート・ウィーナー「情報時代の見えないヒーロー」:彼はAIの未来を見通していた!?
1935年ノーバート・ウィーナーは我が国に来ていた!:ウィーナー「東大より阪大の方がいいね!」
・リアル・グッド・ウィル・ハンティングが存在した!:ピッツ君、静かに歴史を作り静かに死す!?
「ピッツ君が引きこもったわけ」:もしマーガレットがアスペじゃなかったら?世界は変わっただろう!?
ウィーナー「情報時代の見えないヒーロー」にみる南京大虐殺:ユダヤ人て何も知らないんですナ!?
「70年目のサイバネティックス」:いまこそウィーナー研究を復活させるべき時だ!
「70年目のサイバネティックス」裏話:ウィーナーは生まれ変わりを信じていた!

これは本当にウィーナーの人生とサイバネティックスの顛末を知る上では素晴らしい本である。

一方、
「サイバネティックスはいかにして生まれたか」(1956
年)
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は、ウィーナーの自伝の成人時代版、研究人生版という意味で、これは科学者必読だろう。

しかしながら、自民党の下村元文科大臣以来、大学は古い本の除籍運動にハマっているため、こんなサイバネティクスもウィーナーの本も、のきなみ出版年数だけみて除籍処分されてしまうのである。今の大学図書館はまったく内容を見ないし、判断しないらしい。

まあ、下村は叩き上げの大学入試の受験塾講師出身の政治家だ。アカデミズムの何たるかを理解出来るはずがない。

とはいっても、どうも下村以前の民主党時代にまで大学図書の除籍化運動は遡りそうである。おそらく民主党(現民進党)が密かにやり始めたものだろうと思う。

だれが開始したにせよ、大学図書館の本は税金で買ったものだ。ゆえに、勝手に図書館の本を除籍することはできない。それをしたとすれば、税金の無駄、あるいは、古本屋協会への利益供与にあたる。

この辺は警察権力が捜査すべき案件でしょうナア。


さて、大分前置きが逸れたが、上の二冊目の「サイバネティックスはいかにして生まれたか」あるいはその前書にあたる
「神童から俗人へ」
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は実に良い本である。

これは単にウィーナー個人がどのように成長して、いかなる数学及び科学上の成果を上げたか、という問題以上に価値ある内容が記載されているからである。

私の個人的見解では、つまり、なぜ私がこのウィーナーの自伝を読んでいるかというと、
(あ)ウィーナーの数学上の概念の起点を見つけること
(い)ウィーナーの数学上の成果がどこに公表されたかを知ること
(う)ウィーナーの数学上の概念を理解すること
(え)ウィーナーの時代背景を知ること
(お)ウィーナーの戦争体験を知ること
などのためである。

その中でも自伝を読み始めて痛切に感じるようになったことは、
ウィーナーが記録した当時の戦争体験はこれこそ歴史的遺産ではないか
ということである。

なぜなら、ウィーナーは第1次世界大戦と第2次世界大戦の両方を実体験した。

第一次世界大戦は若い時代に米軍に従軍して軍隊に入隊したし、第二次世界大戦ではMIT教授として軍産複合体に電算機開発で協力した。

しかしこれはあくまでかなりアカデミズムに関連する方向からの話にすぎない。

実は、ユダヤ人には放浪グセが遺伝的に仕込まれているというように、ユダヤ人は何年かするとしきりに旅したくなるらしい。まあ、そうやってセックスして現地人に自分のDNAを振りまくためだろうが、このウィーナーにもそういう特質があった。

だから、英独留学からアメリカに帰国後もしばしば欧米を行き来した。

面白いのは、まあ欧米人の、特に欧米のユダヤ人の自伝というものでは、いつも実名がそのままでるということである。

だれそれはこんな人物だったとか、あいつは左翼だったとか、あいつはナチスにかぶれていたとか、そういう書き方がされているのである。

ここは我が国のいわゆる「情緒」や「他人への配慮」や「恐れ」を考慮して、A君はこうだったとか、B氏はへまをしたとか、Cさんは病死したとか、こういうふうな婉曲的、匿名的に書く自伝とは違う。

その点、ユダヤ系のノーバート・ウィーナーの自伝にはそっくりそのままの形で数多くの科学者や数学者や人物たちの実名で記されているのである。

ここが歴史的価値のあるという理由である。


そうすると、よく読んでいくとわかってくるのだが、かつて欧州にいたユダヤ人にはカテゴリーとしては2種類いたことがわかった。

つまり、(1)裕福なユダヤ人と(2)普通のユダヤ人の二種類である。

言い換えれば、ユダヤ人全員が差別されていたわけではなかったのである。そういうことが分かる。

(1)の裕福なユダヤ人の代表が、英国ではロスチャイルド家であり、欧州ではフォン・ノイマン家であり、フランスのランダウ家である。

それに対して第一次世界大戦後のチャップリン映画や第二次世界大戦後の米ハリウッド映画で描かれたような(2)の貧乏なユダヤ人、あるいは普通のユダヤ人がいた。

面白いことは、今でもそうだが、
裕福なユダヤ人にはろくなやつがいなかった
ということだ。たいていが横柄で傲慢であった。だから、一般の経験なカソリック教徒のドイツ人の反感を買ったのである。

一方、貧乏なユダヤ人はいつも
自分たちは差別されている
という不満たらたらの生活を送っていたのである。つまり、自分たちは優秀なユダヤ人なのになぜ活躍できないんだという不満を持っていたのである。


さて、ここでレッスン。

この状況はどこかで見る風景に似ていないか?

そう、我が国の今である。

戦後の我が国では、戦前戦中戦後に我が国に移住したたくさんの朝鮮人が住んでいた。そして戦後の朝鮮戦争後にさらにたくさんの朝鮮人が移民した。

終戦後、我が国はどん底を経験した。

そんな時、我が国にいた朝鮮人には二種類いた。

(a)すでにかなり裕福になっている朝鮮人と(b)貧乏な朝鮮人である。

日本社会で裕福な朝鮮人はマイノリティーながら大多数の日本人とある程度協調せざるを得ず、それでも豊かな生活をしていた。

一方、貧乏な朝鮮人は犯罪スレスレの生活か犯罪を起こすような生活を行っていた。しかし、心の中ではいつも自分たちは日本人から差別されているから成功できないのだと考えて暮らした。そして今もそういう教育を行っている。

というように、第1次世界大戦前の欧州、第2次世界大戦前の欧米と、第2次世界大戦前の日本と戦後の今の日本が実によく似ているのである。

だから、私はウィーナーの自伝を読むと、かなりの正確さで今後の我が国や世界の未来を知ることができるのではないかと思うのである。

第一次世界大戦および第二次世界大戦前の欧米の貧乏なユダヤ人はどうしたか?

というと、共産主義に走ったのである。つまり反体制派になったのである。

つまり、今の差別された現実よりはマルクスの唱えた共産主義の方がマシだと考えたのである。

その矛先に古くはフランス王朝の伝統、ドイツ王朝やワイマールの伝統、ロシア王朝の伝統、など、こういったものがなった。

まあ、実際、欧州の王族貴族は奴隷制を敷いたくらいだからやたらと厳しい圧政の伝統があり、欧州の封建主義は我が国の封建主義とはまったく別次元の厳しさだったようである。

欧州には江戸時代はなかったのだ。

ここが小名木善行さんのいうところの「ウシハク国」と「シラス国」の違いである。

さて、そこに欧州の裕福なユダヤ人が目をつけた。

彼らは大半が裕福な銀行家であった。

これまた戦後の我が国とちょうど対応する状況である。

戦後の我が国でサラ金、パチンコ、アダルト、芸能界、ラブホテル、売春宿、こういった脱法的ビジネスで金銭力をつけたのが在日朝鮮人(南北朝鮮は区別しない)であった。

いま現代フォーブス長者番付に日本人として出てくる日本の長者は、9割が在日朝鮮人である。他1割は日本人だが北朝鮮人ソンテチャクが終戦後に乗っ取った創価学会系信者である。

ウィーナーの自伝を読むと、どうやら第一次世界大戦前の欧州がまさにそういう状況だったということがわかるのである。

数学の超天才のドイツ人のデービッド・ヒルベルトはかなりの貧民家系出身であった。努力と天才性と成果で名をあげたのである。そのせいか、ヒルベルトは実に素朴で控えめな人だったらしい。

一方、裕福なユダヤ人銀行家の師弟だったランダウ(数学者の方)は、やたらと傲慢で高慢ちきの天才だったらしい。

こういうことがちゃんと実名で書かれているのだ!

まさにいま現在我が国の芸能界やマスコミを牛耳る電通のエリートの師弟そっくりである。

問題は、この後何が起こったか?

こういうことである。

まあ、陰謀論を知っている人はよくわかっているだろうが、そういうことが実際に起こったのだった。


つまり、欧州の裕福なユダヤ人たちが、貧乏なユダヤ人たちに開放宣言させて、社会運動して表社会に出ていくようにバックアップしたのである。その1人がロスチャイルド家だった。

つまり、左翼思想にかぶれた貧乏ユダヤ人を社会で運動させて、ドイツ社会を大混乱に陥れたわけである。

こうやってさらにドイツ人のライバルを蹴散らそうとしたわけだ。


こうなると、保守層と左翼運動家との間で戦いが始まる。


こうした結果、保守層からナチスが誕生し、最初は大したことはなかったが、それが第一世界大戦後にどんどん勢力を増してくるわけである。

まあ、陰謀論を知っているものであれば、そのナチスのボスになったヒトラーは遺伝的にはユダヤ人だったのであるから、実際にはある種の偽旗作戦の一種だったことが分かるはずである。


レッスン2。これはどこかで見覚えはないだろうか?

そう、これが今のアラブの状況である。そしてアラブのイスラム教徒が大量に欧州に移民しつつある今の状況である。

要するに、イスラム解放同盟のようなものが立ち上がると、それに対する保守層が出てきて、保守層か開放同盟かいずれからまたもっと過激なイスラムのヒトラーが生まれてくるということである。

あるいは、欧州人からそういうヒトラー二世が生まれてくる可能性もある。


翻って、我が国をみれば分かるように、ソフトバンクの孫正義のような裕福な朝鮮人(=在日朝鮮人=帰化人)が潤沢な金を使って、左翼思想に凝り固まった貧乏朝鮮人の活動家を援助する可能性がある。

そうなると、貧乏朝鮮人が社会解放同盟を生み出して騒ぐ結果、保守層から東条英機が登場するわけである。


日本は世界の雛形である。

あるいは、

欧州は日本の雛形である。

のいずれが本当かどうかわからないが、現実は両者が非常によく似ているのである。


もしこうしたレッスンを学ばず、同じことを繰り返せば、おそらくやはり第三次世界大戦に行き着くだろうことは必至である。


とまあ、ノーバート・ウィーナーの自伝からこういうことが分かるわけですナ。そういう意味ではいまこそ読まなければならない必読書なのである。



いやはや、世も末ですナ。



おまけ:
考えてみれば、我が国の江戸時代末期もかなり似た状況だったといえるかもナ。士農工商の最下層の商人には大富豪がいたわけだ。大富豪と最下層の貧乏人。大富豪が貧乏商人や貧乏武士をそそのかして裏で資金援助し、徳川幕府を打倒した。



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by kikidoblog2 | 2017-05-17 15:12 | ウィーナー・サイバネティクス

「70年目のサイバネティックス」裏話:ウィーナーは生まれ変わりを信じていた!   

みなさん、こんにちは。

いや〜〜、まだ日本は存在した。偽ユダヤのラビの予言大外れ。良かった良かった。
新たなる「ファティマ第三予言」登場:予言から100年目の2017年5月13日に第三次世界大戦勃発!?


いや〜〜やはり古い本あるいは古い時代の人を研究しないとだめなようである。

ウィーナーの伝記:
情報時代の見えないヒーロー
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レジェンド:ノーバート・ウィーナーの父がハーバード大ユダヤ人教授第一号だった!
ノーバート・ウィーナー「情報時代の見えないヒーロー」:彼はAIの未来を見通していた!?
1935年ノーバート・ウィーナーは我が国に来ていた!:ウィーナー「東大より阪大の方がいいね!」
・リアル・グッド・ウィル・ハンティングが存在した!:ピッツ君、静かに歴史を作り静かに死す!?
「ピッツ君が引きこもったわけ」:もしマーガレットがアスペじゃなかったら?世界は変わっただろう!?
ウィーナー「情報時代の見えないヒーロー」にみる南京大虐殺:ユダヤ人て何も知らないんですナ!?
「70年目のサイバネティックス」:いまこそウィーナー研究を復活させるべき時だ!

これは本当にウィーナーの人生とサイバネティックスの顛末を知る上では素晴らしい本である。

一方、
「サイバネティックスはいかにして生まれたか」(1956
年)
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は、ウィーナーの自伝の成人時代版、研究人生版という意味で、これは科学者必読だろう。

今思えば、この本は1956年に我が国で日本語に翻訳されたから、私が大学生大学院生の時代の1970年代1980年代にはすでに本屋で売られていたはずなのである。実際、私は買って読んだ記憶がある。

しかしながら、30年ほど経ってみると、まったく何が書かれていたか記憶にない。まったく覚えていないのである。

つまり、言い換えれば、私は当時必死で食いついて読んでいたのにまったく理解できていなかった。あるいは、その本の本当の重要性に気づかなかった。だから、頭に残らなかった。こういうことだろう。

ところが、最近読むと、一つ一つの内容が手に取るように分かる。あるいは、わからないところでもある程度想像がつくのである。

やはりこの数十年物理及び数学をしつこく勉強してきたかいがあったということだろうか。

「いかにして生まれたか」は、ウィーナーがちょうど60歳になる頃にそれまでの自分の偉大な科学上の足跡を一般人に分かるように、数式を用いないで説明したものである。だから、内容自体は極めて専門的でウィーナーの時代はともかく今現在でもそれを理解できる人は一握りだろうと思う。

なぜなら、バナッハ空間、フレシェ微分、微分空間、ブラウン運動、確率統計、情報エントロピーなどなど、こういった数理理論は数式があってもわかりにくいのだから、数式無し図もなしでは一般人が分かるはずもないからである。

しかしかつてウィーナーはそれに挑戦したのである。そしてこれも何かの縁。ちょうど私がいまウィーナーがその自伝を書いた年齢と同じ60歳になろうというところである。


いま私はやっと4章に差し掛かったところで、中で引用される論文をインタネットでダウンロードしながら読み進めている。

これは考えてみれば驚くべきことだ。

30〜40年前の学生時代、あるいは20年前にフリーになった頃、本を読んでその中で引用される文献を読みたくなれば、わざわざ大学に出向かなければならなかったからだ。

つまり、大学関係者以外でアカデミックな本をまともに読むことや研究することはまず不可能だったわけだ。

ところが、いまでは世界中で文献がインターネット上にディジタル化されてきている。だから、全部とまでは行かないが、それでも一部はここ自宅からただでダウンロードできるのである。

したがって、70年前にウィーナーが書いたという論文、そしてその1956年に出版された本の参考文献がいまでは瞬時に手元で読むことができるのだ!

いい時代になったものである。

確かにインターネット犯罪、サイバー犯罪(これもウィーナーのサイバネが語源)で、インターネットの悪い面も多々あるが、逆にいい方向の積極的な面も多々ある。ただ、人は金にまつわる悪い面ばかり見るから、こうした「ただでできるいい面」にはむとんちゃくである。

つまり、良い面は良い情報をただで入手できるということ。悪い面は人の金銭情報をただで入手できるということ。

言い換えれば、社会貢献と社会犯罪とは双対関係にあるということである。裏腹の関係にあるわけだ。

良い情報は提供側はより多くに受け取って欲しい。だからただでも良い。

一方、個人情報や悪い情報は提供側は人に受け取ってほしくない。秘匿したい。だから金で防御する。

この「双対性」というのは私のテーマの一つの大きなチャレンジとしているので、いつの日か本にまとめたいと思っているものである。生きている内にできるかどうかは分からない。


さて、大分前置きが長くなってしまったが、「見えないヒーロー」の中に2,3実に興味深いことが書かれたいたので、それをメモしておこう。

(あ)ウィーナーは死後の世界、生まれ変わりを信じていた。

実はノーバート・ウィーナーは生まれ変わり、リインカーネーションを信じていた。というより、晩年になって信じるようになったようだ。

ウィーナーはたびたびインドに教えに行った。

ちょっと説明すれば、いまインドがインターネット世界を席巻したり、科学技術者でインド人研究者が世界を席巻しているのは、このウィーナーのおかげである。

実はウィーナー、最初にインドに訪問し、例のラマヌジャンの映画にでてくるインド人の友達、マハラノビスが出てくるが、この人と出会う。このマハラノビスはその後統計学の世界的大家になり、インドに戻ってインド国立統計研究所の所長になった。

ここに我が国九州大学の北川敏男博士が招待されてたびたびマハラノビスといっしょに研究したのである。同時にウィーナーや他の有名な確率統計学者が集まった。

この時、マハラノビスはウィーナーに聞いた。

自分の国を発展させるにはどうしたらいいだろうか?

つまり、戦後やっと独立国として出発したインドはヨーロッパやアメリカのような国を工業国を目指すべきかどうか聞いたのだ。

すると、ウィーナーが答えた。

科学技術の下士官層を育成すべきだ。欧米の真似してもインドには貧富の差がありすぎて無理だ

そこでマハラノビスは考えた。

一度に欧米のレベルに到達するのは無理だから、まずは科学技術を理解できる若者を育てることだ

そういうわけで、インドは科学技術工学の担い手を育てるような理系教育重視の路線を取ったのである。

この結果、欧米にたくさんの学生が留学するようになり、科学技術分野でのインド人の躍進が起こった。そして、きわめつけが、その延長線上で電気計算機やプログラミングというソフト技術者の育成になり、このインド人研究者たちが、のちにアメリカのシリコンバレーを生み出したのである。

アメリカカリフォルニアのシリコンバレーはインド人が生み出したのである。

そこから、ヤフー、グーグル、こういったビジネスが生み出され、1980年代後半に私がアメリカ留学していた頃同じくカリフォルニアに遊学していた孫正義がヤフー技術をもって帰国し、自分の朝鮮両親のファミリービジネスに持ち込んで、ソフトバンクを生み出し、現代に至ったのである。

つまり、孫正義はインド人に足を向けてねれない→ウィーナーに土下座して感謝しなければならない

というわけだ。

そんなウィーナーだから、インドとは縁が深い。

ある時ウィーナーはマハラノビスにインドの聖地に連れて行かれた。最初は単なる観光だったが、ウィーナーが非常に東洋思想やインド思想に興味を持っているから、事実父親の影響でサンスクリット語を読めたという。ちなみにウィーナーの父親のレオは言語学者で40ヶ国語を話せたという。

そこで、マハラノビスはウィーナーに普通の人が入れないバラモン教の奥の院に連れて行った。

そこでウィーナーに電撃は走ったのだ。

ウィーナーはこの世界のすべてがわかったのだという。どうして自分が数学の天才児になったのか?

つまり、ウィーナーはこう考えた。

自分がいつも人より深く一瞬にてたくさんのアイデアが生まれてきたのは、すでにそれを知っていたからだと。自分には知識の貯蔵庫がある。そういう何かに繋がっていたのだ。

つまり、自分はかつて科学者として活躍した優秀な過去生の人がいて、その生まれ変わりなのだ。だから、人よりより深いアイデアに導かれる。

実はこれとまったく同じことを我が国の岡潔が言っていた。

以来、ウィーナーはアメリカに帰ってもインドの宗教家と知己となり、いつも仲良く談笑したという。挙げ句の果てはMITに礼拝所まで作る運動をして立派な教会に見えない協会というものを作り上げたという。

そして、それ以後の晩年ではウィーナーは昔は宗教なんて全く信じなかったタイプの人間だったのに、まったく逆に生まれ変わりを信じると公言するようになったのだと。

そして、面白いことは、ウィーナーはスウェーデンであとはノーベル賞だけだという時、スウェーデン科学アカデミーから講演依頼がきて、スウェーデンの大学で講演することになった。その講演会場に向かう途中の会談で心臓発作のために死去したのである。

そのウィーナーの葬式の時、いつもいっしょに歓談したインドの宗教家が葬式に来ていなかった。そのインド人がユダヤ人の葬式に遠慮したためだろうが、彼は見合わせたのである。

すると、ウィーナーの奥さんマーガレットさんがそのインドの宗教家のところに行っていった。

「どうしてあなたは来てくださらなかったの?
宅がえらく残念がってがっかりしていますわよ。
そういう印がきましたの。ぜひお見送りの会には参加してくださいね」

とまあ、こういった。

この奥さん、なんとウィーナーが死後「インドのバラモンの知人を呼ぶように夢枕にたった」らしいのである。


(い)サイバネティックスを消し去ったのはCIAの仕業だった!

実は前回メモしたように、サイバネティックスというのはもうあまり耳にしないが、その一方でAI(人工知能)が盛んになったのは、実はCIAの仕業だった。

軍産複合体の仕業だったと言っても良いだろう。

実は、ウィーナーはアインシュタインやバックミンスター・フラーと同じで反戦論者だった。平和主義者だったのである。

だから、自分の発明である電子計算機が原爆開発に使われて、それがよりによって自分の学生だった日本人池原止戈夫のいる日本に2個も使われ大被害を起こした。これに心底傷ついていたのである。そのストレスでうつ病(が再発した)になったのである。

またサイバネティックスはアメリカでは、ウィーナーが第1次世界大戦以降ずっと平和利用を唱えてきた頃から、そして公然とアメリカ政府や各機関に公然と異を唱えてきたから、アメリカ当局から非常に煙たがれていたのである。

なぜなら、いまわれわれがいう軍産複合体NWOイルミナティーのようなものは、ヴァンネヴァー・ブッシュが整備したものである。このブッシュはその後のブッシュ大統領ファミリーの遠縁であり、その後のブッシュ家の暗躍に繋がった。

このブッシュこそ、若い天才ウィーナーと2人で世界で初めて人工的な計算機械の開発を手掛けたのである。

その時、ウィーナーは最初に光を使う光計算機、次に機械式計算機、そして電気式計算機の3つを設計。そのうち、真空管をつかった電子式計算機、つまり電子計算機の概念を生み出したのである。

これを第二次世界大戦中に論文
TIME, COMMUNICATION, AND THE NERVOUS SYSTEM
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(何年も経ってやっと公表されたがすでに業績はノイマンやシャノンのものとなっていた。)
として米政府に提出したが、最重要極秘文書となり、だれにも見られないことになったのである。

しかしながら、政府に入り込んだ科学者なら見ることができ、V. ブッシュの手先グループのベル研究所のグループはそれを勉強できた。そこに若いシャノンがいたのである。

一方、欧州の裕福な銀行家の小倅だったフォン・ノイマンが米政府の科学部門の計算機部門の長となり、ウィーナーの論文を科学部門の長官だったV. ブッシュから貰い受けて、それを最先端の数学形式に直した。

それがフォン・ノイマン型計算機の原理である。

「黄禍」と呼ばれたウィーナーの論文はこうして間接的に一種の触媒として世に広まったのである。

また電子計算機を作る場合には、論理回路としてやりやすいディジタル方式が一番だという意見を最初に公言したのはウィーナーだった。こういうことが黄禍に書かれたいたのである。

そういうわけで、ベル研究所にいた無名のシャノンはMITのウィーナーのもとへ来てはいろいろ教えてもらい、計算法を学び、

ぜんぶそっくり自分の手柄にした(勝手に単名の論文で出した)

のであった。情報の盗人シャノンだったのである。

いまではウィーナーエントロピーとは呼ばれないでシャノンエントロピーと呼ばれている。

こういう手口も朝鮮人とよく似ている。海外の現場や本当の理由を知らないものには平気で嘘をつく。そうやって自分に都合の良い情報だけ流して他人を信じ込ませる。

俺に言わせれば、これこそ負の情報エントロピーですナ。
負の情報エントロピーは正のエントロピーである。世が乱れる。

そんなわけで、ウィーナーはアメリカ当局からは非常に嫌われた。

そんな時代にウィーナーの育てたMITには全世界から優秀な若手が集まってきた。そこで、ウィーナーはサイバネティックスの一部として

人工義手、人工臓器、人工脳、人工知能、人工思考機械

を提唱し始めたわけだ。

そこへどんどん若手が集まった。

おまけにウィーナーがソ連に招待講演にいったあとから、ソ連国内にサイバネティックスの研究部門までできてソ連国内にコンピュータネット網が世界初でできてしまったというのだ。

1980年代にネットワークができたアメリカより20年早かったのだ。

ところが、これらがサイバネティックスの一部だと困ると考えた当局、あるいはソ連の回し者ではないかと考えたCIAは、ウィーナーのグループの破壊工作を行った。

そうして取られた手法が、ウィーナーの人工知能部門の若手の旗手マービン・ミンスキーを押し上げ、ウィーナーグループのマカロック、ピッツ、レットヴィン、およびウィーナーを追い落とす。

研究費0。

それに対してAI研究は天文学的助成金が得られた。

これで、一気にMITのミンスキーが登場した。

この流れに、ゲームの理論、カオスの理論、フラクタル理論、複雑系の理論、インターネット理論、ネットワーク理論ときて今現在のAI研究の時代になったのである。

つまりサイバネティックスこそこの20世紀のあらゆる産業や科学技術の母体となったものだが、それが粉々に分裂してそれぞれが細分化して一気に大きくなったのである。

知ってましたか?

とまあ、こういうふうなことが「見えないヒーロー」の後半に書かれていたのである。


しかしよくわからないのはマーガレットの役目ですナ。どうしてマカロック=ピッツのグループを崩壊させることに手をかしたのか?

陰謀暴露論者の俺としては、実はマーガレットこそ、KGBのスパイだった説を取りたい。

家族が全部ナチス。ナチスとしてはアメリカがサイバネティックスで先進国になってほしくなかった。

そこで、妻のマーガレットに手を回した。

この辺は妄想の粋を出ない。今のところ何の証拠もない。

しかし何かそういう事情がなければ理解できないほど、ウィーナーのRLEラボの崩壊理由が分からないのである。

エイリアンの工作?あるいは闇機関の工作だった可能性もあるが。


さて、最後に

天才浮浪児、リアルグッド・ウィル・ハンティングのピッツ君は限りなく自殺に近いアル中で死んだ。

同じ年、これまたMITの脳研究部門を率いたマカロック教授が人知れず農家の一室で静かに死んだ。

同じ年にピッツ君の後を追うようにマカロックが死んだのである。

これはCIAの「自殺に見える他殺」だったんじゃね〜〜の?

実際、天才ジョン・ナッシュはCIAのしつこいストーカー的尾行のせいで発狂したのだ。


いやはや、世も末ですナ。




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by kikidoblog2 | 2017-05-15 10:30 | ウィーナー・サイバネティクス

「70年目のサイバネティックス」:いまこそウィーナー研究を復活させるべき時だ!   

みなさん、こんにちは。

いや〜〜やはり古い本あるいは古い時代の人を研究しないとだめなようである。

ウィーナーの伝記:
情報時代の見えないヒーロー
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レジェンド:ノーバート・ウィーナーの父がハーバード大ユダヤ人教授第一号だった!
ノーバート・ウィーナー「情報時代の見えないヒーロー」:彼はAIの未来を見通していた!?
1935年ノーバート・ウィーナーは我が国に来ていた!:ウィーナー「東大より阪大の方がいいね!」
・リアル・グッド・ウィル・ハンティングが存在した!:ピッツ君、静かに歴史を作り静かに死す!?
「ピッツ君が引きこもったわけ」:もしマーガレットがアスペじゃなかったら?世界は変わっただろう!?
ウィーナー「情報時代の見えないヒーロー」にみる南京大虐殺:ユダヤ人て何も知らないんですナ!?
および自伝2冊め
「サイバネティックスはいかにして生まれたか」(1956
年)
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さらに
Cybernetics
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サイバネティックス―動物と機械における制御と通信
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これは復刻した方がいいと思うぞ)」
はいまこそ勉強し直さなくてはならない本かもしれない。

今回は

それはなぜか?

ということだけメモしておこう。あとは実際に私より頭のいい人たちが読めば分かることだろう。


さて、まず第一に、前にも何度かここにはメモしたが、

今年平成29年は、つまり2017年は、
サイバネティックスが生まれてちょうど70年目
にあたるということである。

サイバー空間、サイボーグ、、、、

こういった言葉に、サイバネティックスの名残が残る。

サイバー空間とは、サイバネティックスする領域というような意味。

サイボーグはサイバネティックス+オーガニズムの合成語である。つまり、サイバネティックスによって生まれた組織生命体という意味である。

サイボーグ009
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こういう漫画やアニメの素はすべてウィーナーのサイバネティックスから発生した。むろん、ロボットもそうである。

さらには、

情報、通信、制御、フィードバック、予測、推定

計算機械、電子計算機、光計算機

さらには、

人工心臓、人工義手、人工知能(AI)

さらに

脳波および脳波測定器、心の研究、精神医学、心理学

これらはすべてノーバート・ウィーナーのアイデアである。

そして私個人の意見としては、

MIT、すなわちマサチューセッツ工科大学

を世界ナンバーワンのハイテク大学に育てた張本人がノーバート・ウィーナーであった。

45年間死ぬまでMIT教授として勤務した。

ハーバード大、プリンストン大、エール大に抗して科学のMITとなり得たのはMITにウィーナーがいたからである。それ以上でもそれ以下でもなかった。

我が国で言えば、東大、京大、阪大に抗して、九州大学を生物、社会統計、応用数学のメッカとした北川敏男博士に似ている。九州大学を九州大学にしたのはこの北川敏男博士だったからだ。
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その前に、ウィーナーは純粋数学者であるから数学にも信じられないほどの偉大な貢献を起こした。
ウィーナーは工学数学、応用数学ばかりか、実際には純粋数学でも偉大な足跡を残したのである。

「いかにして生まれたか」によれば、

ここでも何度もメモしてきた我が国の保江邦夫博士やマリアヴァン博士、あるいは伊藤清博士の「現代確率論」における「確率微分方程式」や「確率変分学」という数学分野があるが、そういう分野で基本中の基本となる、フレシェ微分とか、バナッハ空間とか、そういう分野の概念を最初に導いたのも、まだ20台の頃のノーバート・ウィーナーだったのである。

本来なら「ウィーナー=バナッハ空間」と呼ばれるものだったようだ。ウィーナーの方が先だった。

さらに古典フーリエ級数論や古典フーリエ解析を一般に拡張し、数学的に厳密化した「一般調和解析」という理論を創始した。

さて、ここで、この「一般調和解析」ができるまでのストーリーが上の「いかにして生まれたか」に書いてあった。

30〜40年前の私が学生の頃この同じ本を読んでいたはずだが、まったく記憶がない。

ところが、最近読むと手に取るように分かるのである。実に不思議である。

というのは、私はニコラ・テスラの講演録を翻訳したからなのだが、今では我が国でもニコラ・テスラという人物は謎ではなくなった。

しかし20年30年前には我が国では、と学会のバカどものせいなどもあり、ニコラ・テスラは「マッドサイエンティスト」の1人ということになっていたからだ。キチガイオカルト科学者。それがテスラだった。

ところが、ウィーナーの時代には、テスラはちゃんと評価されていたのである。ウィーナーはこう書いていた。

恐らく、ニコラ・テスラほど交流電流の発生法と使用法の問題の解決に貢献した人はあるまい。
この才気ある風変わりなユーゴスラビア生まれの技師はウェスティング・ハウスの社員として働き、会社の方針を、電流を連続的な流れとしてでなく、例えば毎秒60回の割で波打つ波として発生させる方針に切り替えさせたのである。

。。。

そのなかには滑り動く電気接点を全くもたないある種の誘導電動機もある。
これでは、外部の導線から電流を供給される固定巻線と回転部分の一部を形成している可動巻線との唯一の結合は電磁的なものであって、これは変圧器の二つの巻線の間の結合と同種のものなのである。
じっさい、ある種の誘導電動機では、固定巻線と回転子すなわち可動部分の巻線との間には何らの電気的接続も存在せず、回転子の鉄部を磁化する電流が、回転子と固定子との間の電磁変圧器のような同時作用によって発生するのである。


いや〜〜、すごい。

ウィーナーは完全にニコラ・テスラの研究を知って理解していたのだ!

そのあとの部分も面白い。

ウィーナーは、ニコラ・テスラが所属したウェスティングハウスとGE(ゼネラルエレクトリック)との戦争も知っていた。

そしてそれがどういうふうに解決されたかも知っていた。

つまり、交流発電で大きく遅れを取ったエジソンのGEにチャールズ・プロチュース・スタインメッツが入って、交流理論を開発してGEがウェスティングハウスに交流発電で追いついた結果、双方が和解できたのである。

ところで、このウェスティングハウスとGEは後に第二次世界大戦後に原子力発電事業を始め、我が国では、東芝がウェスティングハウスの技術をもらい、日立がGEの技術をもらい、我が国で原子力発電を始めたのである。

そしていまやニコラ・テスラのウェスティングハウスは倒産、東芝がそれに引きずられて倒産の危機にある。日立も似たような問題を抱える。

さて、こういう電力工学における送電線の交流理論。これはスタインメッツが複素数表示法を発明して行ったものだが、これをずっと小さい電力の電気通信の理論に応用したい。

そういう事情から、急務の目的として、ウィーナーに白羽の矢があたり、なんとかして交流理論をヘビサイドの演算子法よりもっと厳密な数学を見つけて欲しいという依頼があり研究を始めたようだ。

そうして、古典的なフーリエの理論に舞い戻り、それを一層数学的に厳密な理論に昇華させたものが、一般調和解析である。(これは私がいま勉強しようと考えているものの1つである)。

これに関連して、ウィーナーはヘビサイドの演算子法も一般化した。それが「演算子的解析理論(Operational Analysis)」という論文である。

ここに実はその後ウィーナーを慕ってMITに留学した後のフラクタルの創始者ベノワ・マンデルブローがやりたかった、分数微積分という概念に行き着くその萌芽があるのである。

おそらくマンデルブローはそれを教えてほしかったのだろう。

当時ウィーナーは強度のうつ病状態にあり、マンデルブルーは何も得られぬままIBMに就職。おかげで、IBMが世界のIBMへと進化したのである。この辺はマンデルブローの自伝にある。

さらには、いわゆる「ポテンシャル理論」を一般化した研究を行った。ここからウィーナー=ホップ理論と呼ばれる数学形式が誕生した。いかに境界層付近のポテンシャルを厳密に扱うかという手法が、これを生み出した。

これが、ウィーナーが死んでずっと後に「可積分系」と呼ばれる理論物理学の必須ツールになるのである。

またブラウン運動の厳密な数学化が、ウィーナー過程およびその思想圏にあったレビー過程の理論、さらにはベルンシュタイン過程の理論へと続き、結局、保江邦夫=ザンブリニの確率変分学へと続く。

このように、ウィーナーは純粋数学だけでなく、応用数学、物理学や工学などをすべて研究していたらしい。

そして、極めつけが、今流行のAIこと人工知能である。


なのにどうしていまAIが有名であるのに、サイボーグの語源にまでなったサイバネティックスは知られていないか?

実はここに我々陰謀暴露論者、陰謀論者や都市伝説ファンにはおなじみの面々が出てくる。

つまり、

CIA

である。

この話の続きはまたにしよう。

それにしてもだれもウィーナーのサイバネティックスを知らないとは?

地球人は退化したんじゃネ???


いやはや、世も末ですナ。



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by kikidoblog2 | 2017-05-14 15:18 | ウィーナー・サイバネティクス

ウィーナー「情報時代の見えないヒーロー」にみる南京大虐殺:ユダヤ人て何も知らないんですナ!?   

みなさん、こんにちは。

いや〜〜やはり古い本あるいは古い時代の人を研究しないとだめなようである。

ここ最近少しずつ便学(=大便する間に本を読む)している例のウィーナーの伝記:
情報時代の見えないヒーロー
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レジェンド:ノーバート・ウィーナーの父がハーバード大ユダヤ人教授第一号だった!
ノーバート・ウィーナー「情報時代の見えないヒーロー」:彼はAIの未来を見通していた!?
1935年ノーバート・ウィーナーは我が国に来ていた!:ウィーナー「東大より阪大の方がいいね!」
・リアル・グッド・ウィル・ハンティングが存在した!:ピッツ君、静かに歴史を作り静かに死す!?
「ピッツ君が引きこもったわけ」:もしマーガレットがアスペじゃなかったら?世界は変わっただろう!?
という分厚い本を昨日やっとのことで読み終わった。

私が読むと、本は全部黄色いラインマーカーで真っ黄色になってしまう。だから、中古本としてはアマゾンとかで売ることができない。きっと私が死んだらいっしょに燃やされるだろう。

これからしばらくは
「サイバネティックスはいかにして生まれたか」(1956
年)
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の方に進む予定である。すでにコピーして手元にある。

さて、見えないヒーローという本は、なんと最後の謝辞に
本書は書いて本にするのに8年かかり、企画にはさらに10年余りかかっている。
とある。

つまり、18年以上はかけて出来上がった本らしい。

伝記、それも20世紀最大の貢献者の1人の本である。論文や著作に目を通すだけでもそのくらいの時間がかかるはずである。

まあ、こういう本を書かせてもらえるという点では、やはりアメリカは素晴らしい。もっとも米人ウィーナーだから、米国以外にはあり得ない。

しかるに杉田元宜博士は日本人だから、それをやるのは日本人しかいない。

さて、ウィーナーは米人、それもロシア系ユダヤ人経由の米人であった。だから、やはりユダヤ人経由の出版ということになるだろう。

したがって、我が国の在日朝鮮人と非常に立場が似ている。

在日南北朝鮮人が基本反日であるのと同様に、在米ユダヤ人は基本反ナチである。反ドイツではない。

ここを間違ってはならない。

反ナチズムは反ドイツではないのである。

その証拠に、ノーバート・ウィーナーの父親レオ・ウィーナーは、
ドイツ思想、ユダヤの知性、アメリカ精神の信奉者
だったとある。

ところが、我が国にいる朝鮮人および南北朝鮮人は、そこが糞味噌になる。これが彼らの特徴である。

反旧日本軍→反戦前日本政府→反戦前日本人→反戦後日本政府→反日本人→反日

となるのである。

彼ら朝鮮人の場合、レオ・ウィーナーのような形で、
朝鮮文化、東洋の知性、日本精神の信奉者
というようには昇華しないのである。

さて、見えないヒーローの中にはわずかにしか東洋のことが出てこない。世界人口の2/3が東洋であるにもかかわらずである。要するに、いま世界を席巻しているユダヤ人はまったく東洋のことを知らないのである。

この見えないヒーローの面白いところは、ちゃんと今のユダヤ人が約100年前のメンデルスゾーンの時代に開闢期を迎えたのである。そう書いてある。

ちょうど我が国が明治維新を迎える江戸末期、欧州ではゲットーに幽閉されていたユダヤ人が欧州の表舞台に出ていくべきだという決断を計った。それで、一に教育、二に教育、三四がなくて五に教育という形で、しゃにむに子供に学歴をつけて社会進出させる。そういう時代だった。

むろん、欧州は階級制度がのこる。いまだ大学教授になるには、貴族の娘と結婚するか、あるいは、自分が貴族の血筋でなければなれない。

だから、アメリカに渡ったのである。

ウィーナーの父親もそういう1人だった。

レオ・ウィーナーのいう「アメリア精神」とは、かつて我が国の星一(ほしはじめ)が渡米したときのように、「古き良きアメリカ」のことである。啓蒙主義的であり、クリスチャニズムであり、働くことに意義を見出し、人に親切で真面目で、自由の国アメリカを信じている。こういう精神のことである。

見えないヒーローによれば、どうやらこれが第1次世界大戦、第2次世界大戦を挟んで大きく変わったという。

結果から言うと、レオ・ウィーナーの時代にアメリカに渡ったユダヤ人の子孫の中から、

一部のユダヤ人が事大し、新たなるアメリカの貴族階級になった

ということである。

ユダヤ人にも、
(あ)アインシュタイン、ノーバート・ウィーナーのように、科学技術のハイテクは人類に普遍的に享受されるべきだと考えるもの
と、反対に
(い)フォン・ノイマンやエドワード・テラーのように、自分たち知性の高いものがハイテクを所有し、愚民にはやるな、
と考える2タイプがいるということである。

そして科学技術が大きく進歩した結果、それを考え出したり生み出した方のアインシュタインやウィーナーのようなものが、押し出され、それを得た方のフォン・ノイマンやテラーの方が支配者になった。あるいは、支配者側についた。

ちょうど真田丸で真田家がこれから戦争する徳川家と豊臣家の両方に息子を分配して、どっちが勝っても子孫が生き残る道を考えたように、ユダヤ人は双方に残ったと見ることもできる。

支配者側、被支配者側のどっちに主流が転んでもどちらのサイドにもユダヤ人学者が入ればそれでいいという道を取ったのである。

この点、いつも主流の方にくっつこうとする我が国の学者とはかなり傾向が異なる。


さて、そんなユダヤ人だから、欧州はともかくアジアのことはまったく知らないし、分からなかったのである。ましてやアメリカにしか住んでいないユダヤ人にはまったくアジアの戦争のことがわからない。

というわけで、
我が国がどういう事情で大東亜戦争に至ったか?
についてはこう書かれただけだった。

枢軸国は世界を二極に引き離そうとしていた。
ウィーナーが中国を離れた直後、日本の侵略は、アジア本土の全面戦争になった。
南京では30万の地元民が殺され、黄河周辺の戦闘と洪水で、さらに100万人が死んだ。
日本の侵略を防ぐために、1940年5月、ルーズベルト大統領は、アメリカ太平洋艦隊を、抑止力としてハワイへ派遣した。


たったのこれだけだ。

計18年もかけて作った本の割には、アジアの戦争はあっさり過ぎませんかネ。コンウェイさん、ジーゲルマンさんヨ。

ツッコミどころ満載だ。

まず日本は今の中東のPKOと同じように、中国間の紛争を解決するために多国籍軍の一員として中国に軍隊を満州に住む日本人の護衛として送っていたにすぎない。

そこに国民党自称する蒋介石軍が軍隊ではなく、民間人をいきなり大虐殺し、さらに駐留日本軍の将校まで大虐殺したから、つまり今でいうテロ行為を行ったから、いま米軍がアフガンやシリアのISISに攻撃したのとまったく同じような立場で爆撃したのである。

そして、国民軍が南京城に籠城し、南京市民から搾取レイプ強盗していた南京市を掌握するために、多国籍軍の中で一番軍人数が多かった日本軍が代表として南京奪還作戦として南京城で戦闘を行ったのである。

そして一瞬にして蒋介石の国民党軍を追い払った。そして南京城入場し、南京市民に平穏が戻ったのである。

それから、20万人いた南京市民の人口は一気に二倍にまで増えたのである。

一方、南京戦で負けた蒋介石は逃げるときに軍人だと分かれば殺されると恐れて、民間人の姿恰好に変えてその一方で武装して周りの市民を恐怖のあまりに殺しながら逃げたのである。この犠牲者および市民になりすました国民軍の犠牲者の死体をもって、戦後の支那政府が、「南京のレイプ」と言いふらしたのである。それに尾ひれがついて、東京裁判の時期に支那人作家が「南京の虐殺」という小説を書き、それがいまでは「南京大虐殺」と事大したのである。

だから、南京を救った日本人の方が、南京大虐殺の張本人かのように本で書かれて、それが英語のうまい新人作家だったために、何も世界のことは知らない、学問のことくらいしかご存じなかった、ユダヤ人が騙されてしまったのである。

そして、そういう捏造されたストーリーが独り歩きしていき、なんとウィーナーの伝記の中ですら、さも南京で大虐殺があったかのような記述が残る。

おい、日本政府、岸田出番だよ!何してるんだ、俺の時間を潰さないでくれ!

冗談はよしこさん。

その証拠がこれ。

今日は私の誕生日:「清王朝崩壊」から「日本軍南京入城」までの歴史!これが真実!

映画 南京の真実 記録映画編(上海~南京陥落)


これが真実、南京入城だ!


我が国の外務省には、こうした戦前の従軍カメラマンによる記録映画がきちんと保管されている。国会図書館にもあるはずだ。

コンウェイさんやジーゲルマンさんもぜひ我が国に来てちゃんと見てみたらどうでしょうか?

一方、大洪水の方は、日本軍に怖気づいて怖くなって逃げる方の支那国民軍が大洪水を人為的に爆弾で破壊して起こして支那の民間人がその犠牲になったのであって、日本のせいではない。

さらには、当時は中国大陸はあっても「中国」という国家はなかったのである。

いま中東で「イスラム国」とか、「ISIS」とか、自分でここが自分の国だと主張しあう集団がいくつもあるように、当時の支那大陸では国民党、共産党、パルチザン、および多国籍軍の間でそれぞれの国境があって混乱していたのである。いまのアラブのシリアのように、西側が国民党を承認したとしても、西側がアサド政権を認めないというように、西側は日本軍の統治を認めなかったのである。だから、「中国を侵略した」という言い方はまったく意味をなさないのである。

いまのアラブ情勢がまさに第二次世界大戦前の支那朝鮮の状況瓜二つだから、世界知らず、アジア知らずのユダヤ人はよく考えるべきだと俺は思う。


やはりユダヤネットワークだけでは世間知らず、アジア知らず、世界知らずの感が否めない。

ちなみに、今の台湾の初代総統が国民党の蒋介石。蒋介石は支那共産党軍との戦いに負けて支那を追い出されたわけだ。その蒋介石が戦前は日本だった台湾に逃げてきたから問題がこじれたわけだ。

南京大虐殺を行った張本人は支那共産党の前身であったパルチザン(いまの中東のISISに相当する)と国民党軍だったわけだ。その一派が台湾政府となった。本土に残った犯罪者が支那共産党幹部になった。

歴史というものは、いつも表が裏、裏が表になる。大半が今知っていることの正反対になるものなのである。

この南京の問題は、ちょうど今の中東の問題と実によく似ている。だから、日本が第二次世界大戦にいかにして引きずり込まれたか?を研究すれば、これから世界がいかにして第三次世界大戦に引きずり込まれるか?をある程度予想できるわけである。

第二次世界大戦のアジアの戦争は、朝鮮が発端であった。日露戦争の時は、日清戦争は清海軍が発端だった。南京戦は支那国民党軍が発端だった。

いずれも宣戦布告なしでいきなり攻めてきたのである。

支那朝鮮の「宣戦布告なしのいきなり攻撃」、これが特徴である。

だから、金正恩もおそらく「いきなり攻撃」を加えるはずである。日本人拉致問題がそういうものである。


見えないヒーローにはまだ面白い話が多々あってメモしたいことが残るが、長くなったので、今回はここで止めておこう。


いやはや、世も末ですナ。


おまけ:
ニイタカヤマノボレ
の暗号で開戦した真珠湾攻撃。これが起こったのが1941年12月8日。

これより前の1940年5月にルーズベルト大統領が米太平洋艦隊をハワイ真珠湾に送り出したってあるが、これってどうみても罠だよな。

いまの米空母ロナルド・レーガンが横須賀から硫黄島に退避したように、ハワイに行ったはずの太平洋艦隊の主力は真珠湾にはいなかった。かなり沖合で退避していたのである。

アメリカ海軍の伝統芸は、先に犠牲者を出して、報復するという手口である。

一方、真珠湾攻撃の総司令官だった山本五十六がスパイ説があるのは、その真珠湾攻撃でハワイを奪取しなかったことである。戦わずして、あるいは最小限でハートランドを死守する。これが日本軍の伝統だった。

しかし、山本五十六はちょっと攻撃して終わりだった。むしろ、米海軍の犠牲を最小にする作戦だった。

要するに、米軍に日本への報復戦を促す作戦に見える。

もし真珠湾を東南アジアシンガポール戦のときのようにして、日本がハワイを統治していれば、逆に日本海軍は太平洋全体に睨みを効かせることができたのである。

山本五十六がそんなことが分からなかったはずがない。

だから山本五十六はあっちのスパイだったという説が出るのである。





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by kikidoblog2 | 2017-05-12 10:04 | ウィーナー・サイバネティクス

「ピッツ君が引きこもったわけ」:もしマーガレットがアスペじゃなかったら?世界は変わっただろう!?   

みなさん、こんにちは。

いや〜〜やはり古い本あるいは古い時代の人を研究しないとだめなようである。

ここ最近少しずつ便学(=大便する間に本を読む)している例のウィーナーの伝記:
情報時代の見えないヒーロー
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レジェンド:ノーバート・ウィーナーの父がハーバード大ユダヤ人教授第一号だった!
ノーバート・ウィーナー「情報時代の見えないヒーロー」:彼はAIの未来を見通していた!?
1935年ノーバート・ウィーナーは我が国に来ていた!:ウィーナー「東大より阪大の方がいいね!」
・リアル・グッド・ウィル・ハンティングが存在した!:ピッツ君、静かに歴史を作り静かに死す!?
の中で、独特の役割を果たしたピッツ君の話をメモしておいた。

その中で次のようにメモしていた。
・リアル・グッド・ウィル・ハンティングが存在した!:ピッツ君、静かに歴史を作り静かに死す!?

ウォルター・ピッツ
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しかしながら、良かったのはこの時代までだったようだ。

その後、徐々にピッツ博士は幼少期のトラウマに苛まれて精神的に落ち込み、人嫌いになり、孤立化していく。

そして最終的には、アル中になり、肝硬変になって吐血して静かにこの世を去る。

享年46歳。


こうして今言うところの脳科学の基礎理論を生み出した天才浮浪児がこの世を去ったのである。

48年前の今頃の時期である。ご冥福をお祈りいたします。


この理由がなんとなく後を読んでわかったので、それもメモしておこう。


特に、そのピッツ君はリアル・グッド・ウィル・ハンティングのマット・デーモンの役の数学少年のようだったとメモしたように、ピッツ君がマット・デーモンだとすれば、ウィーナーこそ最近お亡くなりになったロビン・ウィリアムズにあたるといえるだろう。

しかしながら、何事においても

現実はSFより奇なり!現実は小説より奇なり!

実際には、ロビン・ウィリアムズが演じた教師が離婚経験者の辛い人生の持ち主であり、実際のロビン・ウィリアムズもまたアル中で薬中の更生者であったように、ノーバート・ウィーナーもまた強度の躁鬱病を患っていたし、ピッツ君も幼少期の家庭環境から来るトラウマを抱えていたのである。

こうしたことが、現実の歴史ドラマを大きく歪めてしまったようだ。

さらに悪い事にウィーナーの奥さんがこれまた今で言う「アスペルガー症候群」にかかっていたようで、まったく人心を掌握できなかった。

サイバネティックスを全世界に広げてノーバート・ウィーナーの名が有名になるまでは良かったが、それはひとたび全世界に知られて有名になると、今度はウィーナーの奥さんが「西太后」のような振る舞いをするようになったのだとか。
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まあ、我々東洋の世界の著名人で言えばそういうことになる。

清王朝の西太后かあるいは朝鮮王朝の閔妃(みんび)。

ちなみに、その本の中では、ポーリング・クック博士がウィーナー夫人をマクベス夫人に見立てている。マカロック博士をスコットランド王に見立てた。


幼少期のスパルタ教育の傷跡がウィーナーの精神を蝕み、徐々に躁鬱病がひどくなる。

奥さんは、徐々にノーバート・ウィーナーがその躁鬱病の鬱状態にある心理的隙間を狙って、ある種の洗脳をしていく。ウィーナー博士の心理を手玉に取って、かつての同僚たちをことごとく仲違いさせて、ついには自分が生み出したMITの研究仲間とその研究部門と敵対してしまうのである。

板挟みになったピッツ君。父のように慕っていたウィーナー博士からいわれなき攻撃や怒涛の叱責にあって、かつての幼少期のアル中暴力父の記憶が目覚めてしまったのか、以後一切MITに出てくることがなかった。

いま我が国で言う、「引きこもり」である。


なんと、哀れなピッツ君。自宅に完全に引きこもり、アル中になってしまったのだ。


そして、ついにその当時時代を数十年は先を行っていた最高級の研究論文、それも博士論文用にすでに2〜300ページは完成して後は公表を待つばかりとなっていた一世一代の大論文。

焼き捨てた!

1952年のことだ。


いや〜〜、痛い。実に残念。


私が読んだ印象では、ピッツ君はまさに学校教育のシステム上に必要な「博士論文」をまとめなければ卒業できなかった。実際には、博士以上の歴史的研究を行っていたわけだ。

浮浪児だったピッツ君。浮浪者生活が好きだった。

研究の合間に時間を見ては浮浪者生活に戻ったらしい。音信不通。だれも居場所がわからない。

いまならスマホで呼び出せるが、なにせこのピッツ君の理論のおかげで電子計算機、パソコンが生まれたのである。だから、当時は電話しかない。電話は家にあるもの。人の手にはない。ポケットにもない。

研究は遅れに遅れ、いつしかウィーナー博士の逆鱗に触れる。

悪いことに、ウィーナーは有名になったストレスと、「世界的に有名になった学者の奥さん」ということでこれまた変な意味でストレスを持ったウィーナー夫人の異常行動によって、かつての天才たちの学友グループが崩壊してしまったのである。そのストレスがもろに何の関係もないピッツ君に降り注いだ。

そうでなくてもDV父親から逃げて浮浪児になったピッツ君。もうMITはおじさんたちの喧嘩や怒鳴り声だらけで、いてもたってもいられなくなった。

「すべてはこの俺の論文のせいだ!ちくしょう、こんなもの燃してしまえ!」

とまあ、おそらくこんな感じだったのではあるまいか?


というわけで、スチュアート・カウフマンに先んじること20年。

「3次元ランダムネット計算機の理論」
「複雑ネットワーク適応脳理論」

これが燃えた。


そうでなくても、電子計算機の理論では、ジョン・フォン・ノイマンに出し抜かれ、情報理論では細々と教えてやったクロード・シャノンに出し抜かれた。

ところで、ここでいう「出し抜かれた」という意味は「独立に先にやられた」という意味ではなく、「いろいろと自分のアイデアを教えてやり共著者になるものと思っていたら、勝手に単独で公表されてしまった」という意味である。ユダヤ系によくみる手口ですナ。俺も経験がある。


その痛手がウィーナーの鬱病を悪化させたようである。


ノイマンの計算機理論もシャノンの情報理論ももともとはウィーナーが提案したものである。それがサイバネティックスであった。

ところが、ウィーナー夫人、なんとノーバート・ウィーナーに

「マカロックとピッツのような手下たちが、今度はあなたのサイバネティックスも盗もうとしているわよ!」

とそそのかしてしまった。


いや〜〜、痛い。


とまあ、そんなこんなでピッツ君は引きこもりになり、ウィーナーは自宅静養となって、天才ウィーナーを失ったマカロックのMITは意気消沈。

サイバネティックスの火が消えてしまったのだとか。


かたや我が国では、九州大学の数学者北川敏男博士が日本学術会議を率いてサイバネティックス研究会を開催し始めた。

1953年、1954年のことだ。

「温故知新」から文科省の「温新知古」の時代へ:「サイバネティックスの時代」は良かった!?

サイバネティックス―境界領域としての考察 (1953年) (現代科学叢書〈第1〉) サイバネティックス〈続(自動制御と通信理論)〉 (1954年) (現代科学叢書) - – 古書, 1954


おそらくこの日本学術会議主催のサイバネティックス会議が、アメリカのメイシー会議の役割を果たし、戦後の日本社会に一気に電化製品、オートメーション、ハイテクへの道を突き進むきっかけになったのである。


さて、
「ブール代数ネットワーク理論」
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というものは、1969年に
スチュアート・カウフマン博士
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がアメリカでできたばかりの大型汎用計算機を使って初めて計算したものである。

これによって、たくさんのアトラクターが存在し、アトラクターの分布がある種の相転移を起こすということが発見された。それにより、カウフマンは通称「天才賞」ことマッカーサー賞を得た。

それに先立つこと20年。

1940年代にピッツ君、なんと手で(つまり頭脳と紙と鉛筆だけで)計算していたんだとか。


ウィーナー夫人、マーガレットの変な介入さえなければ、世界は変わったんちゃうか?

女性が歴史を駄目にした典型ですナ。

やはり女性は表に出ないほうがよろしい場合が多い。聞いてるかR4こと二重国籍国際犯罪者の蓮舫よ。

冗談はよしこさん。


まあ、俺が読んだ印象では、どうしてウィーナー夫人がこういうことをしたかというと、

ウィーナー夫人のマーガレットはユダヤ人が大嫌いだった!


これですナ。


ウィーナー夫人は生粋のドイツ人。それも家族全員はナチス党員になったほどだ。そして自分もアメリカで
ヒトラー総統の「我が闘争」
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を読んで暗唱したいたほど。

ウィーナーはユダヤ系だったが、ユダヤ人であることはあまり好きではなかったという。だから、そんな夫人でも結婚したわけだ。たぶん父親が反面教師になった。

ところが、ウィーナーの周りに世界中から集ってきたのはみなユダヤ系の学者ばかり。それがMITに集まった。そのリーダーがマカロック博士だった。

マカロック博士の考え方、一挙手一投足、ボヘミアンスタイルが気に入らなかった。

そこへボヘミアン風のユダヤ系の若手学者が集まり、よりによって自分の娘と仲良く話すようになってしまった。恋愛感情も性交渉もなんの問題もなかったらしいが、とにかくマーガレットはMITのサイバネティックスの学者たちが嫌いになった。

とまあ、そんなわけで、

ばらばらに引き裂いた

わけですナ。


女の執念は怖い。



いやはや、世も末ですナ。






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by kikidoblog2 | 2017-05-09 18:01 | ウィーナー・サイバネティクス

リアル・グッド・ウィル・ハンティングが存在した!:ピッツ君、静かに歴史を作り静かに死す!?   

Good Will Hunting - A bittersweet ending


みなさん、こんにちは。

いや〜〜やはり古い本あるいは古い時代の人を研究しないとだめなようである。

ここ最近少しずつ便学(=大便する間に本を読む)している例のウィーナーの伝記:
情報時代の見えないヒーロー
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レジェンド:ノーバート・ウィーナーの父がハーバード大ユダヤ人教授第一号だった!
ノーバート・ウィーナー「情報時代の見えないヒーロー」:彼はAIの未来を見通していた!?
1935年ノーバート・ウィーナーは我が国に来ていた!:ウィーナー「東大より阪大の方がいいね!」


この本の中に実に面白い人物が登場する。

まさにマット・デーモンが演じた「グッド・ウィル・ハンティング」の天才数学少年のような数学者が実在したのである。

それが、ウォルター・ピッツ博士だったという。

ウォルター・ピッツ
Walter Pitts
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(右側の人)

ウォルター・ピッツ(Walter J. Pitts, 1923年4月23日 - 1969年5月14日)は、論理学者・数学者。
ミシガン州・デトロイト生まれ。シカゴ大学で論理学を学び、ジェローム・レトビンやウォーレン・マカロックに出会う。マサチューセッツ工科大学に勤務。
1943年、神経生理学者・外科医のウォーレン・マカロックと共に、形式ニューロンというモデルを考えた。


私はいわゆる脳科学の「脳理論」「脳モデル」「脳の数学モデル」という意味で非常に有名な「マカロック=ピッツ理論」というのは知っていたから、このピッツ博士はきっとMITを出た優秀な天才科学者だったのではないか、と思っていた。

しかしながら、どうやら現実はマット・デーモンの役よりずっと悲惨な人生だったらしい。

貧困のどツボ。学校に行く金もない。
父親はアル中で家庭内暴力。
家から逃げ出さいないと殺されてしまいかねない。

どうやらそんな家庭だった。

そしてついに13歳で家出。浮浪者になる。

身体も小さく、見るからに貧相で、恰好のいじめっ子の餌食。
毎日学校帰りの悪童共に追い回される日々。

そんな矢先のある日のこと、必死で逃げ延びた場所。

それが町の図書館だった。

それも数学や哲学の場所で、誰も来そうにない場所だった。

そこで隠れていると、目の前にあった本、それが

ラッセルとホワイトヘッドという2人の英国の天才哲学者が書いた
プリンキピア・マテマティカ
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だったらしい。

いつしか逃げ込む度にそこでその本を読む。そして内容にハマっていき、ついに1週間ほどで大作の3巻全部読みこなす。

「全部読みこなす」

この意味は、「全部記憶する」という意味である。

ピッツ君、いじめっ子に見つかって逃げ隠れては原論を読んで、それをいつしか頭の中におさめてしまったのだ。

ところが、13歳のピッツ君、その本の中にある重大なる間違いを発見。なんと著者の

バートランド・ラッセルに批評の手紙を書いた。


この時代、欧米の有名教授には世界中から手紙で論文やらアイデアやらが届く時代。ラマヌジャンはハーディーに手紙を送ったし、ボーズはアインシュタインに自分のボーズ凝縮のアイデアの手紙を送った。

だから、ラッセル教授も丁重にピッツ君に返事を書き、今度アメリカのシカゴ大学で講演するからぜひ聞きに来てと返事を書いたとか。

そして、ラッセル教授の講演を聞きにいくピッツ君。

ラッセル教授が自己紹介すると、なんと相手のピッツ君はまだ10台の子供だった。

天才はノーバート・ウィーナーだけかと思っていたら、また新たなる天才児の登場。

聞けば、14歳。

そこで、カルナップの下で勉強しろとラッセル教授がアドバイスする。

ところが、高校も出ていないし、行く金もない。中学すらろくに出ていない。なにせ浮浪児である。

ウィーナーのように早熟ですべての学校を飛び級で卒業したのでもない。

結局、適当に講義に出たり出なかったりの日々。

ピッツ君、ラッセルの弟子の秀才カルナップ教授の出たばかりの本に批評を書き込んで持っていった。そして、会うなりいきなり著者のカルナップ博士の言説に批判を加える。

そうこうしているうちに、同じ頃欧州から米国に渡米した
ラシェフスキー博士(Nicolas Rashevsky)
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の数理生物学に惹かれていく。


ところで、このラシェフスキー博士。たぶん今時はだれも知らないはずである。

ちょうど我が国の杉田元宜博士といっしょである。

我が国で杉田博士が終戦後に「生物物理学学会」を発足させ、その中に「生物理論」、すなわち「数理生物学」というものを生み出したのだが、いまや誰もそんなことは知らないというように、当時ヨーロッパから欧州の最新のアイデアを米国に持ち込み、欧州のベルタランフィ博士の「一般システム論」の創始に刺激され、それを生物理論というかたちで、数理生物学という分野があるはずだと一生懸命研究室を立ち上げたばかりの頃だった。

まさに飛ぶ鳥をも撃ち落とさんばかりの勢力の時だった。

いまでは、我が国は九州大学の巌佐庸博士がその筋のトップランナーであるが、そもそも巌佐博士がアメリカで学んだ先生が、みなこのラシェフスキーの育てた弟子たちだったというわけだ。

ラシェフスキーがアメリカに行くまでまだアメリカには「数理生物学」は存在しなかったのである。

しかし、今では欧米の研究者ですらそんなことも知らないし、ラシェフスキーの研究すら知らないのである。

さて、ピッツ君そのラシェフスキーの生物理論に興味を持つ。

そんなとき、科学概論の期末試験での伝説を作る。

◯✕式のテストが始まると、ピッツ君一番真ん前でいきなり硬貨でコイントスを始め、全部コイントスで結果を書いたふりをして、一番初めにテストの答案用紙を提出。そしてかっこよく退室。

ところが、成績はダントツでトップのほとんど満点だったという。

もちろん、これは演技だったが、全部記憶し理解していたのである。

ちなみに、ろくに中学高校も出ていない浮浪児ピッツ君に大学の履修計画を作成し、どの授業を受けたらいいか、それを作ったのがノーバート・ウィーナーだった。


そろそろとてつもない子がいるという噂が広まり、今のMITの脳科学部門の長になっている利根川進博士のように、MITの脳科学部門のトップに君臨し、自分の有名な論文もある
マカロック博士
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がその噂を知る。

ところが、ある日道でばったりマカロック教授がピッツ君と出会ってしまう。

立ち話しているうちに、マカロック教授はすぐに浮浪児のピッツ君の天才に気づく。

自分の家に住まないか?

と誘い、マカロック博士は子供を寝かしつけては、その後にピッツ君と研究の議論をする。

数週間すると、マカロック博士が何十年も解決できずにいた部分をピッツ君が解決。

そしてついに2人の共著の論文が誕生した。

それが冒頭にメモした「マカロック=ピッツ理論」だったのだと。
A logical calculus of the ideas immanent in nervous activity
(いまでは13746もの引用がある。)

What the Frog's Eye Tells the Frog's Brain

Anatomy and physiology of vision in the frog (Rana pipiens)


その頃のピッツ博士の姿がこれ。
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しかしながら、良かったのはこの時代までだったようだ。

その後、徐々にピッツ博士は幼少期のトラウマに苛まれて精神的に落ち込み、人嫌いになり、孤立化していく。

そして最終的には、アル中になり、肝硬変になって吐血して静かにこの世を去る。

享年46歳。


こうして今言うところの脳科学の基礎理論を生み出した天才浮浪児がこの世を去ったのである。

48年前の今頃の時期である。ご冥福をお祈りいたします。


ところで、今ではコンピュータを勉強した学生が、脳も電子計算機に似ているよね、というような感想を持つ。

実はそれは逆なのである。

フォン・ノイマンが脳理論のマカロック=ピッツ理論を勉強して、電子計算機のフォン・ノイマン型の原理にまとめたのである。


それにしてもこのピッツ博士の頭蓋骨。でかいですナ。目から頭頂までが高い。実はこれが知能の高さの証明である。

私はこのピッツ君の顔を見た瞬間、我が国のある人物の顔を思い出した。

そう。
大村益次郎
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である。我が国で最初に蒸気機関車を独自に作り出した天才。日本海軍を生み出した男である。

どう、東大や京大の人、この頭の大きさや頭の形を入試に加えるっていうのはどうでしょうか?

この大村益次郎もオランダ語、英語堪能だったとか。


頭に余裕がなければ、大学に入っても新知識が入る余地がない。


単純なイデオロギーに染まったら修正利かない。これでは困る。



いやはや、世も末ですナ。




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by kikidoblog2 | 2017-05-04 14:57 | ウィーナー・サイバネティクス

1935年ノーバート・ウィーナーは我が国に来ていた!:ウィーナー「東大より阪大の方がいいね!」   

みなさん、こんにちは。

いや〜〜やはり古い本あるいは古い時代の人を研究しないとだめなようである。

ここ最近少しずつ便学(=大便する間に本を読む)している例のウィーナーの伝記:
情報時代の見えないヒーロー
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レジェンド:ノーバート・ウィーナーの父がハーバード大ユダヤ人教授第一号だった!
ノーバート・ウィーナー「情報時代の見えないヒーロー」:彼はAIの未来を見通していた!?
は実に興味深い。

中でも、1930年代にはすでにノーバート・ウィーナーは、

(あ)光計算機=光速で多数の微積分方程式を計算可能な装置
(い)電子計算機=電気の力で多数の微積分方程式を計算可能な装置
(う)機械的計算機=メカニカルに多数の微積分方程式を計算可能な装置


を構想していたらしい。

この中で、(う)の機械的なアナログ計算機、これから発展して電気を使った電気計算機、これをヴァンネヴァー・ブッシュ博士が開発し、後のフォン・ノイマン型の電子計算機の開発につながる。

第一次世界大戦の時にはすでに米国では電子計算機の研究が開始されていたのだという。この最初の段階から、
ヴァンネヴァー・ブッシュ博士
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とともに計算機開発に密かに取り組んだのが、ノーバート・ウィーナー博士だった。第二次世界大戦中にフォン・ノイマンが行うはるかに前のことであるというのだ。

(あ)の光を使った計算機については、当時はまだレーザーもできていなかったために、光計算機はアイデア倒れのまま実現はしなかった。しかしながら、ウィーナーはすでにそういう計算機を考案し設計していたらしい。

ところで、このヴァンネヴァー・ブッシュ博士、この人はその人格からすぐに米政府の科学顧問として政治家になっていく。

そして、このヴァンネヴァー・ブッシュ博士が、第二次世界大戦の米国勝利を決定づけたのだというのである。

どういうことかというと、第一次世界大戦の時代には、科学者も参戦した。つまり、科学者という身分は戦争では何の効力もなく、博士でも教授でも戦地に出ていった。だから、多くの優秀な科学者もまた戦死したのである。

このいちばん有名な例がマイケルソン=モーレーの実験のモーレーである。天才物理学者のイギリス人のモーレーは第一次世界大戦の戦場で戦死したのである。

また、第一次世界大戦の時には、学者の住むアカデミズムと政治家の住む世界とが分離し、政治家はあまり科学の力を信じていなかった。むしろ、邪魔としか考えていなかった。

この状況を一変させたのが、このヴァンネヴァー・ブッシュ博士だったようだ。

ヴァンネヴァー・ブッシュ博士は、アメリカの戦争形態をいわゆる「科学戦争」の形に変えたのである。

これからの戦争は科学兵器で勝つ。科学力で相手を打ち負かす。そのためには、科学者と政治家と軍人の協同路線および協力が必要だ。

こういう考え方を実施し、いわゆるいま陰謀論でよく出てくるところの「軍産複合体」というものを創始したのである。


これに対して、同じ仲間のノーバート・ウィーナーは孤高だった。むしろ、アカデミックな研究内容を突き詰めた。

もっともウィーナーには子供の頃のトラウマおよびそのユダヤ系独特の遺伝的性質から、躁鬱症の傾向があり、あまり安定した人格ではなかった。だから、政治家としては排除されたのかもしれない。

ウィーナーは単に数学者というだけではなく、応用数学の先駆者として幾多の発明のアイデアを提供したのである。


さて、今回知ったのは、このウィーナーには2人のアジア人の博士号取得者がいたということだ。

1人は中国人のYuk Wing Lee博士。
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もう一人は、日本人の池原止戈夫博士。

ノーバート・ウィーナーの下でMITで正式の博士号を取得したのは、アジア人ではこの2人だけのようである。

私はこの池原止戈夫博士の名前は、ウィーナーのサイバネティックスを日本語訳した共著者の1人位にしか見ていなかったが、どうもそれはまったくの間違いだった。まさにウィーナーが世界に名を轟き始めた全盛期にMITで博士になったのだった。

それも、かの純粋数学の「素数定理」の別証明を与えたのである。これは「ウィーナー−池原の定理」と呼ばれているらしいですナ。

面白いのは、この2人のアジア人博士は、これほどまで優秀で、かつ歴史的研究を行ったにもかかわらず、第二次世界大戦前のアメリカ社会では、大学教授になれなかったのである。

つまり、人種差別が残り、アジア人は白人ではないから、せいぜいユダヤ人までしか大学教授になれなかったのである。ノーバート・ウィーナーの父、レオ・ウィーナーですら大学教授になるのは難しく、ハーバード大学ユダヤ人教授の第一号にすぎなかった。

ちょうどいまから100年前の1917年のことである。

だから、それから10数年程度経っただけでは、アメリカはまだまだ人種差別が残っていたのである。

ところで、ここで言うときの「人種差別」というのは、法律レベルの人種差別のことを言っている。もちろん、個人レベルの人種差別の問題もあるが、そんなものではなく、黒人や日本人やアジア人が土地所有できないとか、白人と日本人は結婚できないとか、黒人は大学に入れないとか、黒人は白人のトイレを使えないとか、そういった社会規範として法律で定められた人種差別のことを言っている。

この意味でいえば、今の我が国には何の人種差別も存在しない。→むしろ「在日朝鮮人特権」や「治外法権」という日本に対する逆差別が存在する。


さて、さらに面白いのは、1935年にノーバート・ウィーナーが、比較的精神的に安定した時期に、アジア旅行をしたのだが、そのときにこの2人はウィーナーをそれぞれの母国である日本と中国に招いたのである。

つまり、1935年(=第二次世界大戦前)の日本に、ウィーナーが来ていたのである。

流石に知らなかった。

ウィーナーは池原の招きで、東京と大阪に来て、東大と阪大で講演したらしい。

ウィーナーは権威主義的な東大の雰囲気を嫌い、阪大の自由闊達な雰囲気が好きだったようだ。

また、当時我が国は日中戦争、大東亜戦争に入る前で、かなり緊張した空気が張り詰め、外国人であるウィーナーにはその監視の目を光らす官憲が張り付いたという感じで、あまり我が国の雰囲気は好きではなかったらしい。

むしろ、中国のほうが自由闊達でよかったという。

残念ながら、今のところ、この池原止戈夫博士の写真が見つからない。


ところで、ついでにメモしておくと、14歳でハーバード大に入り、18歳でハーバード大哲学のPh. D.を取り、18歳でイギリスのケンブリッジ大学のバートランド・ラッセルの下で研究者(ポスドク)になり、その翌年にはドイツのデービッド・ヒルベルトのポスドクになったのだが、人文哲学の博士がどうして数年のうちに、どころか2年のうちに純粋数学者になったのか?

というと、どうもバートランド・ラッセルの力ではなく、それを行ったのが、かのラマヌジャンと共同研究した、
ゴッドフレイ・ハロルド・ハーディー
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だったようだ。つまり、数論の大家のハーディー教授自ら天才児ノーバート・ウィーナーに数学の手ほどきをしたのである。

つまり、ハーディーはラマヌジャンとウィーナーの2人の天才を育成したのである。この意味では、やはりハーディーは偉大な人物だったと言えるだろう。

さらにおもしろいのは、この1935年に日本から中国と行って、印度経由でポーランドへ行き、そしてドイツ、イギリスというように、西周りでアメリカに戻るわけだが、その東欧のポーランドであるユダヤ系数学者に合う。

それが、ショレム・マンデルブロー博士である。

この人こそ、ベノワ・マンデルブローの叔父にあたり、彼に数学者への道を進ませるきっかけになった人物である。

もしポーランドでウィーナーがショレム・マンデルブローに会わなかったらどうなったか?

フラクタルも分数次元もカオスもまだなかったかもしれないというわけだ。

その取っ掛かりが日本だった。もし池原とLeeがウィーナーを世界ツアーに誘い出さなかったとしたら、果たして今の科学や数学はかなり違ったのかもしれない。

そしてこの世界旅行から帰って、というより、この世界ツアーの間に、どうやらノーバート・ウィーナ−は

サイバネティックス

という概念を確信する。(サイバネティックスがサイバー空間の語源)

そして、帰国後から本格的にサイバネティックス的な研究を開始するのである。

しかしまだそれを記述する言葉はない。


1935年。

我が国が日中戦争に入る1937年の2年前。第二次世界大戦終了の1945年のちょうど10年前。


この年こそ、世界の数学および科学技術の転換点だったのである。


さて、そこからヴァンネヴァー・ブッシュ博士は政治家になっていって、結局我が国に原爆を落とすことになる。


まあ、私の個人的意見としては、やはり西洋の方が、一回戦争を余分に経験した結果、第2次世界大戦の時には、第一次世界大戦の経験が生きた分、結果的には有利に働いていたということだろうと思う。

つまり、我が国が大東亜戦争、太平洋戦争に進んだときの我が国の科学技術と軍事とのあり方と比べると、欧米、特にアメリカの方が一歩先を行っていたわけである。

我が国では、欧米の第一次世界大戦のときの状況のままの姿で第二次世界大戦も戦った。だから、学徒動員で科学者の卵も戦地に送られたし、軍人は科学者の力や科学を信じていなかった。

そして、敗戦という形になったが、その状況はいまだに同じで、いまもって科学者と政治家および軍人との間に分断が残るのである。

我が国の学術会議は、自国の政府も自国の自衛隊もまったくもって敵対視し、非協力的である。欧米の第一次世界大戦前、あるいは第二次世界大戦前の形態のままなのである。

電子計算機は軍事研究の成果として生まれてきたものである。

その小型化したものが、パソコンであり、その最新バージョンがスマートフォンである。

同様に、欧米ではAIは軍事研究の産物である。


軍事を特別視し、冷遇する、学術会議を持つ我が国に未来はあるか?

たぶん、あんまりないんちゃうか?


いずれにせよ、これほどまでに世界に影響与えたノーバート・ウィーナーのような人物でも、ちょうど人の一生ほどの年月が経てば、世界から忘れ去られるという事実である。

やはり地球人には何か大きな問題があるようである。



いやはや、世も末ですナ。




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by kikidoblog2 | 2017-05-01 08:45 | ウィーナー・サイバネティクス

レジェンド:ノーバート・ウィーナーの父がハーバード大ユダヤ人教授第一号だった!   

みなさん、こんにちは。

温故知新。古きを尋ねて新しきを知る。

やはり古い本もちゃんと学ばないといけない。そういう戒めである。

ちょっと前に福島正信さんの話をメモした。これである。

福岡正信「50年前にユダヤ人から聞いた話」:いかにして日本人を殺すかの戦略!



どうも最近スピリチュアル、特に「2012年のアセンション話」あたりから、いつしか自分のサイトが有名になると、有料メルマガ化したり、サイト閲覧を有料化し、それから自社製品を売り出したり、挙句の果てには、都内から近い山梨の八ヶ岳山麓あたりで農業を始めたりと、そういう輩が増えてきた。

スピリチュアル→似非宗教→農業→キブツ

なんていうと、かつてのオウム真理教やヤマギシズムとか、千石イエスとか、霊波之光とか、創価学会とか、天理教とか、金光教とか、なにやらそういったカルト臭を感じてしまう。

どうも、黄金のキンタマンこと、元ゴールドサックスの常に金のことしか考えない野郎とか、天下泰平の日ユ同祖論をもじった何やら偽神道っぽい変な白装束の集団とか、幸福の科学のような幸福への近道の照子の集団とか、どうもこういうカルト臭い連中は嘘くさい感じがするわけである。

本物の農業をしている人というのは、この福島正信さんやら、りんごの木村さんとか、あくまで個人で苦労して最後に神のご加護を受けて成功するのである。

人のご加護、自分のファンの金の力のご加護を期待するような連中に本物はない。

また、学問に王道はないというように、本物に至る道に「近道など存在しない」のだ。

ましてや幸福に至る近道は存在しない!

そんな眉唾教で金稼ぐようになったら、人として終りであろう。


さて、どうでもいい前置きが長くなってしまったが、なぜこの福島正信さんの話を取り上げたかというと、福島正信さんは、自分がまだ若かりし50年前にアメリカに行ったとき、当時のアメリカのユダヤ人から聞いたという話が日本人をいかに消滅させるかという内容だったということだからだ。

これだけ話したら皆さん気がつくでしょう。
 今の世界がどちらを向いて行っているのかという事をね。
 東京へ出てきて、こりゃ大変な事になっているんじゃないかという気がするんですよ。
 遺伝子組み換えの事も後で話したいと思っているんだけど。
 戦略というのは、如何に世界の地球の人類をコントロールするためには、どういう手段が有るかって事で。
 一つは、一番最初は農民滅ぼし。農民滅ぼしをするには、其の国の農業を滅ぼせばいいでしょ。日本を滅ぼすんだったら、小麦をね。アメリカの小麦にするんですよ。パン食にする
 それまでは、日本の農民の主食は麦飯だった。それと反対にね、小麦のパン食にしてバターやミルクばかりにしたら、どうなるか。

 ユダヤの人が考えている事がわかる人はいますか?
 日本の作物をね、変えることが戦略。
 日本の裸麦を追い出して、小麦にする。そいで小麦にしたら、アメリカの安い小麦を日本に輸入したら、日本の麦作りが病んで来るだろう。
 日本から麦作りを農民の手から、諦めさせるような戦略である。
 それで横から、日本はさつまいもが多い。芋と言ったらね。
 それをポテトの方に変えていく戦略の方を取っていくと、結局小麦がアメリカの小麦になってしまう。
 そして、日本の食糧をアメリカの方が考えている戦略に巻き込んでいったら、日本の農民は潰れていく。
 目に見えんような今の戦略から入っていって、日本を殺す。
 農民が折れてしまったなら、後は簡単だ。


そんな米ユダヤ人と日本人が、「日猶同祖論」、悪ふざけにもほどがある。

戦前であろうが、明治時代であろうが、江戸時代であろうが、その前の戦国時代であろうが、さらにずっと前のどの時代であろうが、日本人はユダヤ人を一度たりとも迫害した歴史はない。

戦国時代に我が国に偵察に来たメーソンのウィリアム・アダムス、三浦按針は、映画「将軍」のモデルになったが、徳川家康により手厚く登用された。
三浦按針
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織田信長は、我が国へスペイン人の奴隷として連れてこられたアフリカ黒人青年の
弥助
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を信長の家臣として手厚くもてなした。

同様なことはたくさんあり、我が国では諸外国人が奴隷のように取り扱われたことなど歴史上ほとんどない。史実や記録にある限り、一度もないのである。

こうした記録に残されていない場合もおそらく無数にあったはずである。

ロシアのプルシェンコのような金髪碧眼の青い目のサムライだっていたのだ。ちゃんと戦国時代の絵巻物に存在した。
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ジョーク:私がSF作家だったら、13世紀の金髪兵士の物語を描く!?


要するに何をいいたいかというと、西洋のユダヤ人と日本人はまったく異なる考え方を持つ異なる人種だということである。

似て非なる存在。

だから、日ユ同祖論などはあり得ないのだ。
むしろ、猶太とニダヤが非常によく似ているのである。
ほとんど同一の存在とすら言っても良いかもしれない。

確かに古代の天狗の出で立ち
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や仏教修験者の出で立ち
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と正統派猶太人の格好
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は似ている。

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しかしながら、恰好や風習は似ていても、考え方がまったく違うわけだ。

今現在のシオニスト=タルムートユダヤ人、旧約聖書やモーゼの10戒を信じるユダヤ人ではない人たちのことだが、そういう連中は実に金朴李のニダヤと似ているのである。

正統派ユダヤ人とされるこの出で立ち
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と李氏朝鮮時代の両班(やんばん)の出で立ち
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とが非常に似ているのである。

だいたいアジア極東で、あの帽子はない。どうみてもユダヤ帽である。

マルコポーロなど西洋人の記録によれば、マルコポーロがアジアを旅した時代、すでにアジアのあらゆる場所にユダヤ人居住区があったという話である。

これが、いわゆる「失われた10氏族」かどうかは分からないが、おそらくすでにユダヤ人がアジアに進出していたのである。シュメールの文明圏からでたわけだから、それなりに高度の文明や文化を持っていたわけで、そういう連中がアジアに居住した場合には、その特有の出で立ちと能力から、アジアで指導的地位についただろうことはまず間違いない。

そうなると、朝鮮半島でもユダヤ人の血筋がその未開の文化圏では最高位に入って支配したという可能性もある。それが、朝鮮貴族として両班になったという可能性も捨てきれないわけだ。

いずれにせよ、両班というのは常に自分たちが特権階級だと信じ切って吹聴する。
同様に、ユダヤ人は自分たちが選民だと信じて吹聴するわけだ。

実に似ているわけである。


翻って我々日本人は、小名木善行さんの話にもしばしば出てくるように、対等意識であって、特権意識はない。むしろ、戦後の自虐史観のために、他より劣っているとすら考える傾向が高い。

だから、他民族をコントロールするとか、他民族を根絶やしするとか、そういうことはめったにないのである。

ところが、福島正信さんの話にあるように、ユダヤ人は他民族を平気でシラフでも滅ぼす計画だというわけだ。まさにISIS並みかそれ以上のテロ民族指定になりかねない人種なわけである。

相手に極秘のうちにそういう計画を金銭を元に行うから質が悪い。

この点でも、電通や博報堂内に第四連絡会という、秘密の組織をもって、そこからの指令という形で日本人を事件に巻き込んで社会的に抹殺してきた在日朝鮮人、在日韓国人とよく似ているのである。


まあ、単純にまとめると、

日本人の仏教修験者⇔猶太人の修験者→日ユ同祖論

朝鮮人の特権階級の両班⇔ユダヤ人特権階級のタルムートユダヤ人→ユダニダ同祖論

なのである。

まあ、遺伝子調べたらすぐに解決するはずである。

さて、ますます話が途中からそれたが、最近私が読んでいる例のウィーナーの本に非常に興味深いことが書かれていたのである。

ノーバート・ウィーナー「情報時代の見えないヒーロー」:彼はAIの未来を見通していた!?

情報時代の見えないヒーロー
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(俺は書店で2800円で買ったのだが、なんとアマゾンでは980円とか。)


ところで、このウィーナーさん、私はその研究であるウィーナー過程に代表されて、すっかり純粋数学者だと思っていたのだが、実はそうではなかった。

一番最初は哲学科出身だった。

「あらゆるものは不確かだ」

この哲学的命題を子供の頃に発見し、10台でハーバードに入学し、哲学を勉強した。そして、大学院では哲学の博士になり、それから英国に渡る。

それがちょうどラマヌジャンのいた頃のケンブリッジ大学だった。

そこにハーディーとリトルウッドがいて、彼らの全盛期であり、ラマヌジャンは悲劇の人生になったのだったが、同様に、そのとなりのバートランド・ラッセルのところへ行ったのがこのウィーナーだった。弱冠18歳。

そこで哲学を学んだが、ラッセルは哲学というよりは、数理哲学、数理論理学にぞっこんであり、
プリンキピア・マテマティカ
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なる著作を書いていた。

そこから、ウィーナーは数学の手ほどきを受け始め、現代数学へ傾倒していくのであった。

ラッセルのところでたったの1年。この間、ウィーナーはラッセルが大嫌いだったとか。逆にラッセルも子供のくせに天才ずらしたウィーナーが大嫌いだったとか。

それで、ウィーナーはドイツのゲッチンゲンに渡る。

そこでなんと、数学の万能の天才、デービッド・ヒルベルトの下で微分方程式を学ぶ。

ここで1年を過ごし、いわゆる数学の基礎を身に着けたようである。

そうしてウィーナーは第一次世界大戦が勃発し、イギリスがドイツにより攻撃されたために、母国アメリカに帰国する。

そして帰国後のアメリカで最初の指導を受けた教授が、ジョン・デューイだった。デューイの哲学は欧州型のウィーナーには肌に合わず、結局まだ誕生したばかりの弱小大学の講師に就任。

その弱小大学が今のMITだった。

ウィーナーの時代、ハーバードではできない工学や応用的なハーバードではどうでも良いと思われた工学的研究を中心に行う大学としてできたのが、なぜなら時代は戦争の時代になったから、自国の工業や工学の発展を行うために、言い換えれば、

軍事研究を発展させるためにできたのが、MITだったのである。

我が国で言えば、東大に対して、京都大学とか東北大学が誕生したのに匹敵する話である。

その本にちゃんとそう書いてあるんですナ。

驚き桃の木山椒の木。

じゃあ、MITにいく京大や東大の人は、軍事研究の大学に留学してアメリカの軍事のために協力してるっていうことになるんじゃないの?

もちろん、西海岸のスタンフォード大は原爆作って我が国に御見舞したロスアラモスといっしょのグループだから、軍事研究のための大学である。

欧州のCERNもそうである。軍産複合体の研究機関である。

だから、タキオンとかヒッグスとか高エネ研究は100%軍事研究、国家プロジェクトとして、欧米では行われているのである。

日本を出れば、日本の物理学者の高エネ研究の人は特別扱いしてもらい、我が国に帰ってきたら、我が国の軍事研究にはいっさい協力しないっていう、日本学術会議は
ダブルスタンダードっていうやつなんじゃないか?

とまあ、ウィーナーの本によるとそういうことがよく分かる。

さらには、ウィーナーの父親。これが面白い偽ユダヤ人だったのだ。

ノーバート・ウィーナーの時代、まだWASPやピューリタンのアメリカでは、自分をユダヤ人だと名乗ることはあまり得策ではなかった。

ちょうど戦後の日本のようなものだ。

だから、在日は日本人的ななりすましの名前、いわゆる通名を使った。

金さんが、金田さん。朴さんが木村さん。張さんが張本さん。

こういう感じで名を変えた。

ウィーナー時代のアメリカ、つまり、いまからちょうど100年前のアメリカでもユダヤ人が同じことをやっていたのである。

エイブラハム・リンカーン・スプリングスタインが、エイブラハム・リンカーンとなった。
「天文学はすぐに役に立ちませんが大事です。」:「御用学者」症候群!?


レバノビッチがレビンとか、コッヘンバッハがコーヘンとか。カダノフスキーがカダノフとか。

猶太名を変える。あるいは、それを省略したのである。


そんなアメリカの大学で、初めてのハーバード大学のユダヤ人教授、それがノーバート・ウィーナーの父親、レオ・ウィーナー
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だったのだ。人文社会学の教授だった。

このレオ・ウィーナーが、自分が移民したアメリカでちゃんとした最高の職を得る挑戦を行った。そのための道具が「天才児教育」の名の下に天才児となったノーバート・ウィーナーだったのである。

つまり、在日朝鮮人の母親が自分が日本で一流の地位が欲しくて、自分の娘を歌手や女優にして成り上がる。

まさにそれのアメリカバージョンだったのである。

子供の頃にはノーバートはそれに気が付かなかったが、思春期になってすぐにそれに気づき、自分の父親が大嫌いになったという話である。

まあ、日本人なら、自分を天才に育ててくれてありがとうと、絶対いうに違いないが、ユダヤ人とはそういう民族ではない。

あれから100年。

20世紀後半から現在では、

米ハーバード大学の70%がユダヤ系の教授である。

大学生なら20%くらい。大学院生なら50%くらい。教授になるとほとんど70%くらいがユダヤ人だけになるという話である。

実際、私がアメリカに留学した頃の1980年代後半の当時でも、ハーバード大だけは、

なんとか中国人教授から防御している

と言っていたのである。

つまり、自然科学系の米大学教授の大半が中国からの留学生組で取られてしまい、大半の有名大学一流大学では指導的教授の地位に支那人が就いてしまったが、ハーバードだけはそれをユダヤ人教授が阻止している。

そういう意味である。

はて?

自分たちはアメリカ人に厚遇、優遇されたのに、今度自分たちが支配層になると、そのポジションを離れたくない。

これって、まさに我が国の在日のやっていることと同じだよナ。

在日でも有名企業、大企業やNHKに優遇、厚遇されたのに、自分たちが上につくと今度は普通の日本人を採用しなくなる。

電通を仕切る悪の親玉、それが「経団連」:在日会長「日本人は正社員にしないヨ!」
いまや「経団連の仕事」は日本企業潰し!?:李明博「経団連は俺の手下である」



ウィーナーの時代からほぼ50年経った頃に最初の福島正信さんがアメリカの農業視察に行ったのである。

その時すでにアメリカの大学や研究所は偽ユダヤ人の巣窟と化していた。事大したユダヤ人たちが今度は我が国の農業潰しに取り掛かった。

とまあ、そんな時代背景だったのである。

あれから50年。


あれよあれよという間に我が国の農業は衰退。良いようにやられたのである。

要するに、この日本列島を真のイスラエルを乗っ取りたいんですナ。日ユ同祖論なんていう邪説を信じ込ませてサ。


とまあ、俺の妄想だから、信じる信じないはあんたのオツム次第というやつですナ。

やっぱり古い本は捨てちゃーいかんナア。大学は古い本を遺していかないとナア。

おっといけね〜〜、忘れるところだった。

ちなみに、我が国の外人大学教授第一号がこいつ。
地震学博士のロバート・ゲラー。
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こいつのせいで、我が国の100年の地震予知研究が崩壊させられたのである。

東大はいったい日本人の味方なのか敵なのか?

もちろん、言うまでもなく、すでに敵である。

最後に俺の予言:

あと50年もしたら、我が国の大学の教授の60%は外人教授になるだろう!


50年後まで生き残れる人、検証してみてチョ。



いやはや、世も末ですナ。


おまけ:
なぜ猶太の古代ラビ姿と日本の仏教修験者の姿とが似ているのか?

というと、私のその後の研究によれば、我が国に印度から伝来した古代仏教は、イエス・キリストが死んで直後に東洋に伝搬した、原始キリスト教ネストリウス派が由来であり、それを東洋でいわゆる漢字で表現したものが、インド仏教の形に代わり、遣唐使、遣隋使の時代に中華仏教として学んだものが、このネストリウス派から派生した景教だったからである。それを仏教として我が国へ伝えた。それが我が国で仏教と呼ばれるものになったが、中でも浄土真宗本願寺というのが、その直系の宗教的子孫にあたる。本願寺というのは、ローマカソリックになる以前の景教チャーチのことで、ギリシャ正教の教会(チャーチ)の方に近い。だから、イスラム教のモスクにも似た姿形のチャーチなのである。今では知られていないが、古代のチャーチはイスラムもキリスト教もほとんど形に差がなかった。それを忠実に遺したのが、東本願寺である。我が国では、宗教に詳しい人が、仏教もキリスト教もイスラム教も神道もその中心となる考え方はいっしょだよね、というふうに考える人が多いが、実はもともと同一のネストリウス派≒イエスのキリスト教がルーツだからである。その後の20世紀の間に、欧州、ロシア、中東、印度ともともとのものがどんどん変わって失われたが、我が国にある仏教徒に古代イエス・キリスト教の教えがそのまま残ったのである。イエスの時代にはモーゼの時代の古代イスラエルの姿がモチーフとして遺されていたから、その姿を残す古代ラビ姿、そして我が国の仏教僧修験者の姿とがほぼ同一となったのである。だから、特に人種的に同祖ということより、それ以外のルートとして宗教的同祖という面の方が強いのである。



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by kikidoblog2 | 2017-04-21 17:15 | ウィーナー・サイバネティクス

ノーバート・ウィーナー「情報時代の見えないヒーロー」:彼はAIの未来を見通していた!?   

みなさん、こんにちは。

さていわゆる「情報化時代」から数十年が経ち、いや70年が経って、今や玉石混交の情報だらけの「情報時代」にあいなった。

その先は、我々に代わって機械が巧みに情報を扱ってくれるはずと考えられる「AI」の時代となるのだが、はたして人類の思うように行くか否か?

そんな時代の今日、そもそもの「情報化時代」を創始した天才数学者、ノーバート・ウィーナーを忘れることはできない。

というわけで、ここ最近は杉田元宜博士の時代に博士にも最も影響を与えたウィーナーの本「サイバネティックス」も読んでいる。

「温故知新」から文科省の「温新知古」の時代へ:「サイバネティックスの時代」は良かった!?

Norbert wiener


最近では11〜12才で芸能界入りとかいう話題には事欠かないが、さすがにその年令でハーバード大に入学というような話は聞かない。天下の灘、開成、駒場、ラ・サールでも無理である。

ノーバート・ウィーナーは11歳でハーバード大に入り、18歳で博士号取得、20台で革命を起こし、ほば科学の全分野に精通していた。

そして、1947年頃、例の有名な
Cybernetics
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サイバネティックス―動物と機械における制御と通信
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これは復刻した方がいいと思うぞ)」
という本を出版したわけですナ。

18歳と言えば、私はサッカーの真っ盛りの頃、まったくろくに数学も知らなければ、本という本も読んではいなかった。


その時代から70年。日本語に翻訳されてから、50〜60年。

いまではサイバーの言葉こそ聞かれるが、ウィーナーという言葉やサイバネティックスという言葉はその筋の専門家、中でも老専門家しか知らない。そんなご時世になってしまった。

ウィーナーは「ウィーナー過程」として確率統計の世界では基本中の基本となり、かの保江邦夫博士の「保江方程式」の土台を築いている。伊藤清博士の「確率微分方程式」もその土台はウィーナー過程にある。

つまり、ランダムなことを考える場合には必ずウィーナーのやったことを基にしないといけないという実に厄介なことをおやりになったのである。

ちなみに、このウィーナー先生が18歳で博士になった後、イギリスに留学したのだが、そこでの師匠はかのバートランド・ラッセル卿だったらしい。
若い頃はそれなりにハンサムだった。
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よく見る顔がこれ。
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(ちなみに、タバコはパイプだと無害らしいナア。)


そんなわけで、この所ずっとサイバネティックスやウィーナーのことを気にしていて見つけたのが、比較的最近の本、といってももう11年も前の本のこれである。

情報時代の見えないヒーロー
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(俺は書店で2800円で買ったのだが、なんとアマゾンでは980円とか。)


この本を今から読もうとしているのだが、この中でも言っているのは、ウィーナーがサイバネティックスが達成されてしまった暁のことを予見していたということだった。

つまり、いまの我々の時代のさらにその先のAIが完成してしまったその暁のことである。

機械知性に全てが支配されるのである。

そんな危険性をウィーナーは早くから(70年前)には察知していた。


とはいうものの、最近つくづく思うのは、これって新手の「ピグマリオン症候群」ていうやつではないのか?ということだ。

ピグマリオン症候群というのは、自分が作った仏像の如来様に自分が恋してしまうという物語である。

自分で生み出しておいて最後には自分で困ったと困惑するっていうやつだ。

原爆を必死で喜々として作っておいてできてから困った困ったと叫ぶ。

かつてのオッペンハイマーがそうだった。

このウィーナーもそうだった。自分でサイバネティクスを発明しておいてできてしまうと今度は大変だ〜〜これから大変な危険な未来が待つぞっていう調子だ。

あんたは馬鹿か?アスペルガーちゃうか?そんなことも予測しないでやったんかいな?

後悔先絶たず

ということになる。


いまのところ、こういうものをうまく表現する言葉はない。が、こういうのはしばしば見る風景である。

制御理論を作り出し、人がやれることは機械でもやれる、人が機械をコントロールすれば良いのだ、といって、作り出したのはいいが、結局機械のほうが人を勝り、制御不能になる。

なにかゲーデルの不完全性定理に似た匂いがするわけである。数学に完全なものは存在しない。

つまり、数学理論を使って生み出されたシステムにはすべて穴がある。

いいかれば、どんなに完璧なサーバー空間にもブラックホールのような次元の穴が開く。悪魔はそこから入ってくるのだ。

ネットワーク理論にもそんな無限地獄の穴が存在する。ひとたびそこに入れば二度と抜け出せない。

脱数学化。数式では記述できない、あるいは数学では記述されないものしか、サイバー空間から逃げ延びることができない。計量できる空間では計量できない世界は記述できないのである。

かつて杉田元宜博士が言った。数学はほどほどにしないと現実を見失うと。

現代科学のいわゆる西洋の科学はギリシャ時代に始まった。が、これはユークリッドの原論から始まったにすぎない。そこからわずかに2000年程度のぬくもりしかない。

我が国の建国の歴史より遥かに短い。人は数学のない時代にもずっと生き抜いてきている。

はたして数学から逃げ延びることはできるか?

数学好きの私がいうことだ。かなり難しいのではなかろうか?

もし数学で記述されたら最後AI警察の追手に付け回される。そんな時代がこれからやってくるに違いない。


いやはや、世も末ですナ。



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by kikidoblog2 | 2017-03-17 14:08 | ウィーナー・サイバネティクス