カテゴリ:台湾・親日( 2 )   

台湾野球の原点「球(たま)は霊(たま)なり」:これは愛媛松山商業の精神野球「一球入魂」だった!   

みなさん、こんにちは。

大分前に、かつてここ徳島の蔦監督の池田高校野球部が甲子園に初出場で準優勝したというように、太平洋戦争前の1931年に台湾の嘉義農林という高校の野球部が、甲子園に初出場で準優勝したという実話をメモした。以下のものである。

「蕃人は足が速い。漢人は打撃が強い。日本人は守備に長けている。こんな理想的なチームはどこにもない!」

2017年 04月 28日八田與一像破壊者は「KANO」を見ろ!:台湾映画「KANO」に見る八田與一先生!
2014-04-03 09:59 『KANO(嘉農)』台湾からの「甲子園」:日本統治とはこんな感じだったのだ!

《KANO》六分鐘故事預告


この映画は2014年に台湾で放映され、2015年に我が国でも放映され大ヒットとなった。

だから、いまでは台湾野球はWBCでも強豪国の優勝候補の一角に入って来るが、その原点はKANOこと嘉義農林高校の野球部であったことは100%間違いない史実である。

そしてその嘉義農林高校はが今では立派な
国立嘉義大学
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になり、その大学野球チームはアジアの大学野球の強豪にまでなり、そこから我が国のプロ野球選手やさらには米メジャーリーグに入る選手まで出すようになっている。

興味深いことは、いまの台湾人はこういう真実の歴史を誇らしく語り、その恩を一生忘れないでいてくれるということである。

このあたりが天然の悪魔民族の南北朝鮮人とは正反対である。


その後、この映画のことを知り、自分なりにその歴史を編集したり、自分の足でレポートしたり、そういうものが出て来ていたようだ。そこで、そういうものをいくつかメモしておこう。以下のものである。

映画KANO特集 日本MBS



松山商業の野球を台湾に伝えた伝説の名将 近藤兵太郎 台湾映画「KANO」嘉義農林

松山商業の野球を台湾に伝えた伝説の名将 近藤兵太郎その2 台湾映画「KANO」嘉義農林


松山商業の野球を台湾に伝えた伝説の名将 近藤兵太郎その3 台湾映画「KANO」嘉義農林



台湾の特集番組

《KANO》 幕後直擊 人物篇 原住民球員(鐘硯誠 謝竣倢 謝竣晟 張弘邑)


[2006.10.18]公共電視台.-.台灣棒球百年風雲:01.遙遠的球賽 (21:25後介紹 KANO 嘉農 嘉義農林)



台湾の監督や出演者の日本訪問

曹佑寧来日!大ヒット映画「KANO~1931海の向こうの甲子園~」イベント


曹佑寧の豪快な始球式。キャッチャーは郭俊麟 KANOday@Seibu Prince Dome


KANO與甲子園&有馬溫泉的邂逅~有馬温泉編(上)~


日本テレビ スッキリ!KANO特集 曹佑寧



この映画KANOの中で永瀬さん演じる近藤監督が、
「蕃人は足が速い。漢人は打撃が強い。日本人は守備に長けている。こんな理想的なチームはどこにもない!」
というが、実はこれこそ当時の欧米のエスタブリッシュメントが最も恐れたことなのだと俺は考えている。

蕃人とは、台湾の原住民のこと。
漢人とは、支那人=中国人のこと。
そしてわれわれ日本人。

つまり、アジアの諸民族とアジアの最大数民族の支那人とアジア最先端の日本人が連動して、全世界で最先端に進出し始めること。

これを欧米人は恐れたのである。

だから、支那人の一部を共産化し、朝鮮を南北に分断し、これらの国々を煽動して超絶反日国とした。

と同時に、我が国の国民に戦後憲法とともに自虐史観を植え付け、在日朝鮮人を主流派とし、二度と日本人が世界最先端に戻れないようにした。

その結果、欧米の思惑通りにアジア極東は分断し、お互いに反目しあう、緊張感あふれる世界でも唯一の場所になったわけだ。


それが、日本が敗戦せずに終戦を迎え、

蕃人、漢人、日本人の融合した連邦国家がアジアに誕生していたらどうなっただろうか?

蕃人は足が早い。漢人は打撃が強い。日本人は守備がうまい。

こんなチームがあらゆるスポーツに現れたに違いない。

サッカーでも日本人が中盤から後ろを支え、蕃人と漢人の2トップのサッカーチームが登場し、世界制覇したかもしれない。

まさに欧州のユーゴスラビアのような感じだっただろう。


したがって、こういうことを恐れたからこそ、アジアを木っ端みじんに打ち砕いたのである。

ユーゴ紛争のように。

ユーゴは、6つの弱小国に分裂し、最高のコンビネーションが分散した。


とまあ、戦前の台湾の高校野球の物語は、こんな妄想を信じさせてくれるほどにものすごい躍進だった。

事実、台湾はもはやアジアの弱小国、最貧国でもない。むしろ、日本をも上回る最先端の科学立国の一つに入った。


もっともアジアにも蕃人、漢人、日本人の他にもう一つ朝鮮人がいる。

この朝鮮人の存在こそ、実はアジアがこの3000年で弱体化した本当の根源だったのである。


かつて世の歴史家は、どうして近代科学があれほど栄えていたアジアではなく欧州で誕生したのか?と問うた。

この答えは、さまざまなものがあったが、私個人の答えは、朝鮮人が存在したことだというものである。


他国の象徴である旭日旗を戦犯旗と騒いでみたり、政府認定の公娼の高給取りのエリート売春婦を性奴隷慰安婦といって騒いでみたりと、この物事を常に上下だけで考えて、上のものには反逆する。そしてその反逆の仕方は、およそ人とはいえない蛮人でしかない。

というわけで、台湾でも、蕃人、漢人、日本人だけであって、この仲間に蛮人は外したのであろう。


さて、戦前の松山商業の延長再試合の松山ー三沢の熱闘甲子園の時の監督が、台湾に行き、その嘉農が甲子園にやってきたというのは実に興味深い歴史である。


ところで、この映画の甲子園の風景は、私はおそらくCGだろうと思っていた。今の甲子園は使えないはずだから、実に見事な甲子園のCG画像だと思っていたのだが、なんと実はあれはアナログであって、実際に台湾に甲子園球場を再現したのだったという。

突貫工事で、原寸大の本物の甲子園を田んぼに建てたのである。

そして映画の撮影が終われば元に戻す。

また準主役の嘉農のエース曹佑寧は現役の台湾U18野球の代表で、台湾がU18世界大会で初の世界制覇した時のセンターの選手だとか。


いや〜〜、台湾の映画界の方が我が国よりかなり先に進んでいるようですナ。




いやはや、世も末ですナ。




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by kikidoblog2 | 2017-08-06 12:02 | 台湾・親日

超親日国の台湾の少数民族:なぜこんなに種類が多いのだろうか?ビビアンスーは何族?   

みなさん、こんにちは。

私が1986年にアメリカのユタ大学に留学した時、そのユタ大学にはインターナショナル・スチューデント・アソシエーションというものがあり、そこが新入生のためのチュートリアルおよび親睦会をかねて、ユタの山岳地帯を案内してくれた。

その時、アジア系というと、本土からの支那人(=中国人)、香港からの支那人、台湾からの支那人、そして我々日本人(Japanese)だった。

特にそうした学校行事に参加したのは台湾からの支那人、すなわち台湾人(Taiwanese)で、若干の香港人(Honkonese)だけで、本土からの支那人=漢人(Chinese)はまったく参加しなかった。

しかし、後に知ったところでは、やはり一番桁違いに多かったのは、本土からの支那人と、1997年に本土で復帰されてしまう香港からの留学生だった。

一方、当時それに参加した日本人学生といえば、私と交換留学生の若い女子学生だけだった。

ところで、西洋人がなぜ我々オリエンタル(=東洋人)のアジア系、すなわちモンゴロイド系の人種にたいして、〜〜neseとつけるかというと、やはりそれはそういう音の響きで、アジア人の顔かたちや皮膚の色を印象づけているかららしい。

もし国籍上は日本人だが、顔かたちが白人で話す言葉も西洋語というような、いわゆる白人ハーフの場合には、西洋人は、金髪碧眼の英米系なら、Japanish、黒髪のラテン系ならJapanaとか、そんな感じで音から顔かたちの印象を音に込めるらしい。

まあ、要するに、ある意味、音で英語の用法上差別されているわけである。まあ、区別なのかもしれないが。


さて、中でも台湾からの留学生はやたらと私に話しかけて来た。こっちは、まったく中国語=支那語が解らないし、まだつたない英語で、ヒアリングがまったくダメだった時期で、お互いに好奇心はあるのだが、意思疎通が全然ダメだったという印象を記憶している。

とにかく彼ら台湾の留学生が日本人の私に親切にしてくれるのだが、まったく意思疎通ができない。

おまけに寮生活に入ると、私のルームメイトは台湾人留学生だった。すっかり名前を忘れたが、好青年だった。工学部の電子専攻だったから、たぶん今頃は台湾のハイテク企業のお偉方になっているのかもしれないですナ。

さて、そんな台湾だが、このように昔はともかく、戦後世代の我々にとっては、ジュディオング、欧陽菲菲、テレサテン、ビビアンスー、インリン・オブ・ジョイトイとか、そんな程度だろうか?

ましてやいくら昔我が国が台湾を統治して発展させたといってもそれは戦前の話で、しかも遠い国の話だから知りようがない。また学校の歴史や世界史でも教えないからまったく知らずに育ったわけである。


最近では、蓮舫のおかげで、逆に台湾がやたらと身近になってしまった。

つい最近では、台湾の日本統治下の甲子園野球の実在のストーリーを描いた「KANO」



で有名になったくらいである。

この中で、日本人のマスコミが、台湾人の野球チームを皮肉る場面で、


「きみたちの野球は、漢人、蕃人、日本人の混成チーム?」
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とあったり、

「野蛮な高砂族は日本語を理解できるの? に・ほ・ん・ご!」
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とあったりする。


私自身、1986年当時は、台湾人というと漢人であるところの支那人だけかと思っていたが、上のKANOによると、どうやらそれはまったく違って、上のKANOにも出てくるように、台湾人は、漢人、蕃人、高砂族と3種類で構成されるのかと考えるようになった。


というわけで、前置きが大分長くなってしまったが、最近県立図書館から台湾のことを書いている本をいくつかみつけて取り寄せたわけだ。

そんな中にこんな本があった。
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この本をつらつらながめると、1895年から1945年の終戦時までの間に我が国がどれだけ台湾を支援し開拓し開発したかが写真でわかるようになっている。

台湾の沿岸部、台湾の東西南北、台湾の山岳地帯、台湾の周辺の孤島などなど。

たったの50年でどれほど近代化したか?

そういうものが歴史写真により手にとりとるように解る。


ところで、この本のページをめくると、それぞれのページはその地方とその発展開発が解る仕組みになっているのだが、そのところどころにその地方に住んでいた先住民の名前があった。

いくつか拾ってみると、だいたいこんな感じの先住民である。

台北のケタガラン族
烏来のアタヤル族(タイヤル族)
新竹のタオカス族
蘭陽平野のクヴァラン族(カラバン族)
大肚台地の西麓のパポラ族
新高山のブヌン族
埔里のパゼッペ族
霧社のセデック族
日月潭のサオ族
嘉義のホアニャ族
新化のシラヤ族
屏東のマカタオ族
花蓮港のアミ族
太魯閣峡谷のトゥルク族(タロコ族)
台東のプユマ族
台東のパイワン族
紅頭しょのタオ族

これらの他に支那から来た漢人というのが、

明の時代の漢人、清朝時代の漢人、広東人とよばれる客家人

などだという。これらがいわゆる支那人系の台湾人である。一番人口が多い。


いやはや、あの狭い台湾のどれだけ多くの民族が分生していたのだろうか?


というわけで、台湾の原住民をwikiで調べると、実はもっと多かった。

台湾原住民
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政府認定16民族と人口[編集]
各部族の人口(2016年(民国105年)6月)、総計:549,679人[5]。

アミ族(阿美族、アミス族とも、大部分は自称を流用して「パンツァハ族」とも呼ばれる) 204,614人

アミ族
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パイワン族(排湾族)98,243人
タイヤル族(泰雅族、アタヤル族とも) 87,601人

タイヤル族
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タロコ族(太魯閣族、トゥルク族とも、アタヤル族に含められることもあったセデック族の一支) 30,603人
ブヌン族(布農族) 57,086人
プユマ族(卑南族) 13,716人
ルカイ族(魯凱族) 13,041人
ツォウ族(鄒族) 6,617人
ツォウ族
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サイシャット族(賽夏族) 6,507人
タオ族(達悟族、雅美族〈ヤミ族〉とも) 4,505人
クバラン族(噶瑪蘭族)(カヴァラン族) 1,426人
サオ族(邵族) 773人
サオ族
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サキザヤ族(撒奇莱雅族) 863人
セデック族(賽徳克族) 9,538人
カナカナブ族(卡那卡那富族) 284人
サアロア族(拉阿魯哇族) 341人
申告なし 13,921人

一方、政府から未だに「原住民族」として承認されていない、「平埔族」と総称される先住民族は以下の諸民族である。
ケタガラン族(凱達格蘭族)
クーロン族(ケタガランの一支、亀崙族)
バサイ族(ケタガランの一支、馬賽族)
トルビアワン族(ケタガランの一支、哆囉美遠族)
タオカス族(道卡斯族)
パゼッヘ族(拍宰海族)
パポラ族(拍暴拉族)
バブザ族(巴布薩族)
ホアンヤ族(和安雅族)
アリクン族(ホアンヤの一支、阿立昆族)
ロア族(ホアンヤの一支、羅亞族)
シラヤ族(西拉雅族)
マカタオ族(シラヤの一支とも、馬卡道族)

これに加えて、現在「原住民族」として認定されている
サオ族
クバラン族
も歴史的には平埔族に分類されていた。


いや〜〜、なんて数が多いんだ?

これって、まさにノアの方舟状態である。

フィリピンに近いし、日本列島にも近いし、支那大陸にも近いし、マレー半島にも近い。

やはり、かつてバックミンスター・フラーが主張したように、人類発祥は東南アジアの島々でイルカから枝分かれしたのかも知れないですナ。

あまりに狭い地域に多数の部族が存在するわけである。


台湾の先住民のことを高砂族ってどうしてつけたのかは知らないが、天孫降臨の高砂に思いを馳せたのだろうか?

超古代のムー大陸が海に沈没し、大洪水で生き残るには、高い山のある、日本とか台湾とか、そういう場所しかあり得なかった。そしてそのまま住み着いてしまった。

そんな妄想を起こさせる。

それほどまでに台湾の先住民は多種多様なのである。



いやはや、熱烈なる親日国の台湾、こんなに少数民族がいたとは。

はたして少数民族も親日族なのか?


いやはや、世も末ですナ。





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by kikidoblog2 | 2017-07-27 10:25 | 台湾・親日