今日は「本能寺の変」の日:謎の本能寺の変、信長も光秀も生きていた説!?   

みなさん、こんにちは。

いやはや、ねずさんの今日「6月2日」のお話は実に興味深い。一応ここにもメモさせてもらおう。以下のものである。
6月2日は本能寺の変
a0348309_8453838.png


昨今の我が国では、日本海を隔てたお隣韓国のバカウリナラファンタジーの悪影響をもろに受けたダマスゴミが繰り出す、ウリストリアが幅を利かせている。

それが史実に基づき、史実に隠れた「穴」を埋めるためにファンタジーを入れるというのであればまだしも理解できるが、史実とはまったく別世界の妄想や願望や希望的観測から繰り出されるのだからたまったものではない。

支那が3千年前からごく最近まで「人食い人種」だったことは伏せられ、いまの朝鮮人が高句麗、3韓時代(新羅、百済、任那)の民族とはまったく異なり、後から侵入した支那モンゴロイドでしかないことも伏せられて、捏造した妄想歴史が小中高の歴史教科書として採用されている始末である。

高句麗はどちらかと言えば、古代イスラエル失われた10支族の北方ルートにあたり、西のウイグルから東方のキルギス経由で樺太、北海道までに連なる北方系アジア人の民族である。

一方、百済は古代支那系の仏教国家であり、後の唐と新羅によって滅ぼされる。その時に我が国がの天皇家が手助けに行ったのが白村江の戦いであり、敗走した百済の王を我が国で住まわせた。しかし、「助けてもらった恩を仇で返し」、天皇家を崩壊乗っ取り、我が国の王になろうとした。我が国に仏教と漢字を伝え、それらを主導権の道具にして我が国の天皇家を滅ぼしかかったのが、百済の仏教徒である。この時の百済人が奈良の仏教徒の祖先である。しかし、天皇家の反撃を受け、京が京都に移った。これが武田日恵さんの研究結果である。

新羅は創始の段階から我が国の日本海側の人間が歴代の王になった国家で、その象徴が山梨から石川あたりにしかでない翡翠(ひすい)の勾玉で表されている。翡翠の勾玉は1万年以上前から我が国山梨あたりでは遺跡として発掘されるものである。したがって、新羅は倭の王が支配した国である。今のイギリスに一番近い形態だったと言えるだろう。

任那は九州沖縄のいわゆる縄文系倭人の倭国の一部だった。おそらく、魏志倭人伝で言われた卑弥呼は倭国の巫女ということだが、それはウソで実際には任那にいた倭人の巫女を見て、それを外挿して日本の巫女と想像して書いたものにすぎない。だから、日本国内にははっきりした痕跡が見つからない。が、いずれにせよ、韓半島の南半分は新羅、任那と別れるずっと前の5000年前には倭国の一部だったのである。事実、その頃の地層には倭人の人骨や前方後円墳がみつかる。というより、おそらく後にいわゆる縄文人となる民族が長らく世界に広く広がっていて、その後北南米や韓半島の南半分に追いやられ、そこを統治していたが、それから九州に一部が引っ越し、さらに後に我が国本土に移ったというのが本当のところだろう。

というわけで、実際の考古学的、あるいは、分子生物学的遺伝子ハプロタイプの研究などからも、明白に韓半島の現朝鮮人は、ずっと後の新しい時代に支那から侵入侵略した人食い人種の一種だったにすぎないのである。

ところで、現代までインドネシアやパプアニューギニアなどには人喰いの風習がある。パプアニューギニア人によれば、人間の中で一番うまいのが我々日本人で、鶏肉のようにあっさりとうまい。しかし、西洋人はサメのように臭くてうまくないという話である。

このインドネシアやパプアニューギニアの土人の人喰いの風習、古代支那の水滸伝などの記述からも支那人も人喰いの風習があった。このことからも、古代スンダランドという地域には人食い人種がいた可能性が高く、それが南アジアの一部に残っていた。そしてそれが支那人の侵入に伴って極東にも伝播したのであると見ることができる。この極悪非道の人種の末裔が現代の朝鮮人である。

まあ、こういう悲惨で哀れな歴史がかなり現実の歴史だから、嘘偽りの捏造をしなければ、まあ生きて入られないのだろうヨ。

さて、話が大分逸れたが、ねずさんの「本能寺の変」の話に戻ると、大まかに2つの話がある。
(あ)織田信長は生きていた
(い)明智光秀も生きていた
である。

(あ)「織田信長は生きていた」説
昨今では、
明智光秀
a0348309_846774.jpg
現存した説はかなり知られているが、さすがに信長現存説はあまり知られてはいない。
人生50年〜〜〜
と舞を舞って切腹したという話が時代劇でさんざん描かれてきたからである。

ところが、ねずさんの話では、なんと
織田信長はスペイン本国へ移住し、後のジョルダノ・ブルーノになった

ジョルダーノ・ブルーノ(左)と織田信長(右)
a0348309_8465122.jpg
というのである。実に面白い。確かに似た顔をしている。

しかし、このジョルダーノ・ブルーノもまた異端の罪で「火炙りの刑」になったのではなかったか。

切腹を免れて異国に渡ったのはいいが、異教徒異端の罪で火炙りに処せられたのでは溜まったものではなかったのかもしれませんナ。

織田信長、ジョルダノ・ブルーノ説は今後も注目しておこう。

いずれにせよ、我が国は、チンギスハンの源義経説もある。

まあ、それほど我が国は古く、歴史があるという証明である。

(い)「光秀は生きていた」説
これについてはいろいろ最近になって出てきてるようだが、まだまだ真実からは程遠い。

光秀の末裔が語った本当の説というものも、その末裔がたくさんいるわけだから、たくさんの説が生まれてしまう。やはり歴史の流れや史実との照合や有力な証拠が欲しいところである。

一つの明智光秀の末裔の話はすでに本になっているようだ。
明智光秀の末裔が主張「本能寺の変の標的は家康のはずだった」


この説では、
明智光秀→天海僧正
a0348309_8564470.jpg
である。

ところで、私がとある末裔の方に聞いた話では、また別のストーリーであった。

最初の「本能寺の変の標的は家康のはずだった」は一致している。がしかし、その後がだいぶ異なる。その人の調査では、こうだった。
明智光秀→千利休→天海僧正(初代)

その人は、明智光秀の直筆、千利休の直筆、天海僧正の直筆を見比べて、同一人物だったと判明したというものである。

要するに、織田信長はいわゆる「南蛮人」、ポルトガル人やスペイン人のカソリックイエズス会宣教師の悪影響を受けすぎた。このままでは日本が宗教的に乗っ取られる。信長は東の雄徳川家康掃討のために、呼び寄せて暗殺を謀ったその時に、逆に、明智光秀と徳川家康とで陰謀の裏をかいて、信長を滅ぼし、逆賊としての汚名を来た明智光秀は自分の部下であった豊臣秀吉に殺されることにする。そして自分は千利休と名を変えて秀吉を影から支えた。

この陰謀では、明智光秀、豊臣秀吉、徳川家康の三者の間で、(あ)豊臣秀吉は百姓出身のため子を作らない約束だった。(い)そして天寿を全うしたらそのまま徳川家康にバトンタッチする。(う)光秀の子孫を徳川幕府の将軍に据える。等々の密約があったという。

ところが、秀吉が色気を出して家康掃討を計略したり、子を作ったために、光秀である千利休や徳川家康の反感を買い、関ヶ原の戦に発展した。結果的に徳川家康が天下人になった際に、千利休は天海上人と名を変えて今度は徳川幕府の指南役となった。そして、約束通りに明智光秀の子孫を徳川秀忠や徳川家光とした。だから、二人の名前には、光秀が付くというような話であった。

これがずっと後にこの光秀の血筋を引く水戸黄門こと徳川水戸光圀公まで光の字が残った理由なのだとか。

(う)「本能寺の変」→「武装仏教僧たちを非武装化する作戦」
これに対して、ねずさんの話では、武装仏教僧たちを掃討非武装化する作戦のために、「本能寺の変」を起こしたのだという考え方である。

もともと我が国の仏教は百済の時代のものである。だから、当時の倭人と縁戚関係にあった百済との交流が深い。戦前の大韓帝国と大日本帝国の縁戚関係に似ていると言えば似ている。天皇家の一部と婚姻関係にあるのである。

そこが唐帝国に滅ぼされて、百済王が我が国に渡ってきた。しかも仏教と漢字を持ってやってきた。さらにそれまでの我が国の上層階級で用いられた神代文字を葬り去ろうと画策した。それが藤原氏や蘇我氏の時代、聖徳太子の時代前のことである。ここに神代文字から漢字に移行した。カタカナは神代文字の1つであって、ずっと以前から用いられたが、それが漢字時代に入り、それをもじって復古してできたものが、カタカナからひらがなへの変化であったと考えられる。

実際、カタカナは古代ヘブル語のアルファベットとほぼ同一である。このカタカナを使った民族が大和朝廷の民族であり、古代イスラエルの失われた10支族のガド族、エフライム族、マナセ族だと考えられている。このガド族がミガド(御門=帝=天皇)となった。

(え)種子島の鉄砲伝来時代はスペイン帝国の時代
この時代もう一つの無視できないものは、すでに東南アジアはフィリピンを軍事拠点にしたスペイン帝国が東アジアも占領し植民地化しようとしていた時代のまっただ中にあったということである。

種子島の鉄砲伝来の「南蛮人が難破した時に鉄砲を持っていた」ということになっているエピソードも実際にはそうではなかった。実際、重い鉄砲を持って泳ぐことは不可能である。途中で海中に沈むのが常識である。

事実は、メンデス・ピントというマラーノ(カソリックに見かけ上改宗した振りをしたユダヤ教徒およびユダヤ人)が、当時の支那のジャンク船を使って福岡に行くつもりが、風に流されて種子島へ到着してしまったのである。

その時、種子島の主君であった北条直時が、ジャンク船に乗り込んで、渡航の目的を問いただし、その理由がわかると、上陸を許可して滞在させたのである。その時にピントの仲間であるスペイン人が鉄砲の名手であり、その鉄砲の威力に直時がいたく感動して、ジャンク船が渡航する際にお土産の記念品として、譲り受けたものである。そして、種子島の優秀な鍛冶職人たちにすぐに鉄砲の作製を命じたのである。この経験が福岡と大坂境に伝来し、そこが鉄砲職人のメッカとなったのである。

これはメンデス・ピントの自叙伝にちゃんと書かれた史実である。
トケイヤーの「ユダヤ製国家日本」2:いま蘇る鉄砲伝来の真実!

メンデス・ピント(ユダヤ人マラーノ)
a0348309_942528.jpg

東洋遍歴記
a0348309_9432212.jpg

ところで、このメンデス・ピントご一行さまは、我が国の種子島に来る前にはどこで何をしていたかというと、実は支那で牢屋に入っていたのである。

無断で寄港した罪で上海あたりで捕まり、遠く北京まで鎖と重りにつながれたまま歩いて行進させられ、北京の大裁判所でまるで閻魔さまの裁判のような弾劾裁判を受けた。そこでピント一行が若い支那人を味方にする作戦を練って、自分たちは単なる商用渡航者であってたまたま寄港しただけで、商売も軍隊も関係ないと証明して、無罪放免になった。

そこで、スペインポルトガルの船は没収されてしまったために、支那人漁師の持つジャンク船(当時支那と台湾、沖縄、九州あたりまではこのジャンク船で交流があった)で、日本の九州長崎か福岡に行こうとしたのである。そうすれば、日本と交流出来ているオランダ船に乗ってちゃんと本国に帰国できる。

つまり、最初から鉄砲商人としてやってきたのであって、難破したわけではなかったのである。

この鉄砲商人がわざわざ我が国を狙ってやって来ようとしていたことからも、我が国に最初に上陸したイエズス会(いまでは悪魔教と考えられている)が手引したのであって、それは日本を植民地化する前の民族間紛争を起こして国家弱体化させる作戦を起こすためのツールとして鉄砲を売りさばきに来たわけである。

各大名に天下統一の夢を描かせ、民族間紛争を起こす。それによって鉄砲で優秀な武装兵力がお互いに殺戮で減る。こうして勝負が決まり、だれかが統治者になったところで、スペイン本国の大艦隊部隊がやってきて、一気に滅ぼして植民地化する。その拠点がフィリピンであり、ハワイであった。ハワイも最初はスペイン領であった。

このポルトガル・スペイン帝国の恩恵を受けたのが織田信長であった。そしてその部下の豊臣秀吉である。カソリックイエズス会パワーで天下人になったわけである。だから、本能寺の真横に南蛮寺ことスペインカソリック教会が建っていた。

スペインは後に秀吉にスペイン帝国の属国となれとさんざん使者を遣わした。しかし、その都度秀吉は勇猛に拒絶した。秀吉は逆に当時全ヨーロッパを帝国化していた大スペイン帝国に対して、日本の属国になれと使者に返したのである。

このことからしていま「真田丸」で描かれている臆病者秀吉像はまったくのナンセンスであって韓HKのウリナラファンタジーでしかなく、ウリストリアでしかない。

秀吉はスペインの使者の首をはねているのである。フィリピンにスペイン艦隊、いわゆる無敵艦隊、いまでいえば、ハワイにある米太平洋艦隊のような最高レベルの軍隊に対して、日本の属国になれと言ったというようなものである。だれがヒラリークリントンやトランプに「日本の属国になれ」と言えるだろうか?これが臆病者ができることかいな?NHKさんヨ!

その秀吉の強行な反応に対して理解不能となったスペインは、スペインと日本で支那韓半島のアジア一帯を植民地にしないかとまるで戦前のイギリスのようなことを言ってきたわけだ。それに対して秀吉は否。これも反対した。なぜなら、我が国はいまでいう特ア、支那朝鮮人の質の低さは何千年にもわたってよく知っているからである。

するとアジア知らずの白人国家スペイン帝国は、今度は支那を滅ぼして韓半島を植民地化し、最後に日本を植民地化する作戦に出た。スペインの手下となった支那が韓半島に来られてはまずい。

これが秀吉の時代のアジア極東の政治情勢だったという。したがって、韓半島に進入するスペイン支那連合軍を阻止するために、秀吉の朝鮮出兵が行われたのである。

これは戦前ロシア革命でソ連共産主義が起こり、アジアの共産化を阻止するために、明治政府が極東へ出兵し統治したというのと実に似た状況だったのである。だれが好き好んで、当時7つの海を支配した大英帝国の植民地となっていた支那に出兵する理由はなかったのである。

大事なことは、世界情勢が我が国の歴史に深く関わっているということである。韓半島は元々日本と陸続きだったわけだから、日本海は日本の「一部」の日本湖だったわけである。そこへ南アジア人や西アジア人のハプロタイプO3が侵入してきたのである。こうしていくうちに、韓半島と日本九州が離れて今の形になった。かなり比較的最近まで陸続きだったはずである。たぶん5000年前〜3000年前までは陸続きだったのであると見る。


まあ、大分長くなってしまったが、真実はいかに?


歴史の闇はこのように散在する貴重な文献を読み照らして立体的に歴史を構築すべきであろう。
表面的、一方的な側面から見たものでは、「〜〜史観」にしかならない。

いずれにせよ、NHKの「ウリナラ史観」の時代劇は百害あって一利なしである。


いやはや、世も末ですナ。



e0171614_11282166.gif

[PR]

# by kikidoblog2 | 2016-06-02 10:17 | 個人メモ

舛添要一には「日本政府から朝鮮総督府への通達」が100%真実だと思えるナ!   

みなさん、こんにちは。

いまの民進党の「パナマ文書」対策チームやら、なにやらを見ていてもそうだが、舛添要一を見ていてもまさにその昔のお触書が100%正しいという確信を持ちますナ。これである。
羽生結弦選手、危うくデニス・テンと激突!?:相手はなんと閔肯鎬のひ孫だった!

■併合時の日本政府から朝鮮総督府への通達

一、朝鮮人は対等の関係を結ぶという概念がないので、常に我々が優越する立場であることを認識させるよう心がけること。 特に婦女子の身辺貞操には注意せよ。 →舛添要一はこれだな!
a0348309_12173942.jpg
(下心ではなく、下半身だろ。燃えているのは!)

一、朝鮮人には絶対に謝罪してはいけない。勝利と誤認し居丈高になる気質があり、後日に至るまで金品を強請さるの他、惨禍を招く原因となる。 特に婦女子の身辺貞操には注意せよ。 →舛添要一はこれだな!

一、朝鮮人は恩義に感じるということがないため、恩は掛け捨てと思い情を移さぬこと。特に婦女子の身辺貞操には注意せよ。 →舛添要一はこれだな!

一、朝鮮人は裕福温厚なる態度を示してはならない。与し易しと思い強盗詐欺を企てる習癖がある。 特に婦女子の身辺貞操には注意せよ。 →舛添要一はこれだな!

一、朝鮮人は所有の概念について著しく無知であり理解せず、金品等他者の私物を無断借用し返却せざること多し。殊に日本人を相手とせる窃盗を英雄的行為と考える向きあり、重々注意せよ。 特に婦女子の身辺貞操には注意せよ。 →舛添要一はこれだな!

一、朝鮮人は虚言を弄する習癖があるので絶対に信用せぬこと。公に証言させる場合は必ず証拠を提示させること。 特に婦女子の身辺貞操には注意せよ。 →舛添要一はこれだな!

一、朝鮮人と商取引を行う際には正当なる取引はまず成立せぬことを覚悟すべし。 特に婦女子の身辺貞操には注意せよ。 →舛添要一はこれだな!

一、朝鮮人は盗癖があるので金品貴重品は決して管理させてはいけない。 特に婦女子の身辺貞操には注意せよ。 →舛添要一はこれだな!

一、朝鮮人には日常的に叱責し決して賞賛せぬこと。 特に婦女子の身辺貞操には注意せよ。 →舛添要一はこれだな!

一、朝鮮人を叱責する際は証拠を提示し、怒声大音声をもって喝破せよ特に婦女子の身辺貞操には注意せよ。 →舛添要一はこれだな!

一、朝鮮人は正当なる措置であっても利害を損ねた場合、恨みに思い後日徒党を組み復讐争議する習癖があるので、最寄の官公署特に警察司法との密接なる関係を示し威嚇すること。 特に婦女子の身辺貞操には注意せよ。 →舛添要一はこれだな!

一、朝鮮人とは会見する場合相手方より大人数で臨む事特に婦女子の身辺貞操には注意せよ。 →舛添要一はこれだな!

一、朝鮮人との争議に際しては弁護士等権威ある称号を詐称せる者を同道せる場合がある。権威称号を称する同道者については関係各所への身元照会を徹底すべし。 →舛添要一はこれだな!

一、朝鮮人は不当争議に屈せぬ場合、しばしば類縁にまで暴行を働くので関係する折には親類知人に至るまで注意を徹底させること。特に婦女子の身辺貞操には注意せよ。→舛添要一はこれだな!

一、朝鮮人の差別、歴史認識等の暴言せぬ場合、しばしば類縁にまで暴行を働くので関係する折には親類知人に至るまで注意を徹底させること。特に婦女子の身辺貞操には注意せよ。 →舛添要一はこれだな!


一、朝鮮人の差別、歴史認識等の暴言に決して怯まぬこと。証拠を挙げ大音声で論破し、沈黙せしめよ。
特に婦女子の身辺貞操には注意せよ。 →舛添要一はこれだな!


一、朝鮮人との係争中は戸締りを厳重にすべし。仲間を語らい暴行殺害を企てている場合が大半であるので、呼出には決して応じてはならない。
特に婦女子の身辺貞操には注意せよ。 →舛添要一はこれだな!

なんだ、舛添要一には全部当てはまるじゃないか!


■ 日本:第二次世界大戦(大東亜戦争)
【 旧日本陸軍の朝鮮兵取り扱いマニュアル】(朝鮮軍司令部1904~1945)

一、いつ、いかなる時でも唐辛子粉を食事に際し好きなだけ使わすこと。
一、絶対に頭、体を叩いてはいけない。怨みを持って復讐する気質があり、脱走の原因となる。
一、清潔な食事運搬用バケツと雑巾バケツの区別をよく教えること。
一、危険な状況下では銃を投げ捨てて哀号!と泣き出す習癖があるから、日本兵二名で一名の朝鮮兵を入れて行動せよ。

■ アメリカ:ベトナム戦争
【米軍による韓国兵の扱いマニュアル 】

1.韓国人には強気で押せ。抵抗する場合は大声で命令しろ。
2.命令を聞かない場合は身体で解らせろ。
3.同じことをくり返す場合、犬のように何回でも同じ様に叱れ。こちらが上と言うことを身体で解らせろ。
4.理由は聞くな。どうせ大したことは言っていない。
5.身体で解らせた場合、根に持つ場合があるので、後で身辺には気をつけて行動しろ。 但し、徹底的に解らせる迄、手を抜いてはいけない。
6.相手を3才児と思い、信用したり頼りにはするな。重要な仕事は任せるな。

■ 旧ソ連(ロシア)
【 旧ソ連共産党による朝鮮の扱い方 】

1、頭痛の種になるだけだから関わるな
2、手段を選ばぬキチガイ揃いだから関わるな
3、関わるとこっちが痛い目に遭うから関わるな
4、関わってきたらウォッカ飲んで忘れようぜ

nadarechan1113の絵日記「今昔変わらぬ朝鮮兵気質」より)


■ 中国
「各国の朝鮮人の扱い方」に支那国が参戦!?:「韓国人は犬だと思って付き合いなさい」これだ!?

【ある中国人からの忠告】

馬鹿に情けをかけてはいけません。

日本人は韓国人に対し、優しすぎます。それは日本の為に良くないことです。そして、韓国の為にも良くないです。

日本在住の中国人に話を聞きました・・・・。

韓国人は、「優しい」と「弱い」の区別が出来ません。また、「強い」と「悪い」と「正義」の区別も出来ないのです。韓国人と付き合うのはとても厄介です。中国人も韓国人とは関わりたくありません。しかし、我慢して付き合わなくてはいけない状況です。

韓国人は「対等」と言う概念を知りません。韓国人社会は個人同士、どちらが優位な位置に居るか?それが、最重要な関心事です。

個人主義の中国人から見ても、異常性を感じる社会です。このような社会で生きる韓国人は、他人に対する思いやりや慈愛の精神は皆無です。したがって、日本人が普遍的に持っている「平等感」や「対等」と言う気持ちや態度は、韓国人は敗者の態度に見えてしまいます。

中国人は韓国人の軽薄な精神性をよく理解してますが、日本人は韓国人をあまり理解していません。日本人は韓国人が「まともな人間」だと思い、対応しているので、問題が発生するのです。

中国人から日本人に忠告します。

韓国人は犬だと思って付き合いなさい」。それが韓国人のためでもあります。 
謝ってはいけません。
筋の通らない理屈を言ったら、100倍制裁をしなさい。
感謝の気持ちは、王が家来に褒美を与える様に接しなさい。
正論や理屈は意味がありません。強制と命令で動かしなさい。
裏切りにたいして、温情は絶対にいけません。
実行できない無理な命令を出して、出来ない事を責め続けなさい。


いやはや、昔の人たち、とはいってもほんの100年前以内のことだから、現在にもそっくりそのまま通用するはずなのである。

なぜなら、朝鮮人は李氏朝鮮時代以来800年まったく変わらなかったからである。

まあ、世界の人たちはこうした先人の知恵を利用して世の中を良くしてもらいたいものである。

それにしても
韓国人は、「優しい」と「弱い」の区別が出来ません。
また、「強い」と「悪い」と「正義」の区別も出来ない
は衝撃的ですナ。

さすがに何千年も朝鮮統治してきた宗主国支那の知恵である。説得力がある。

理不尽な理由を付けて朝鮮人を振り回せとか、さすがだが、シャープを買収した本土系台湾人社長のように、これを我が国国民にすると即座に嫌われるだろうナア。

我が国では「対等」「正義」「約束」が大事である。「口約束も約束だ」というのが我が国の考え方である。つまり、韓国とは日本は似て非なる国なのだ。だから、朝鮮人に生きた手法が日本人に通用しない。

まあ、これが支那人にどこまで理解されているかはちょっとわかりませんナ。


いやはや、世も末ですナ。




e0171614_11282166.gif

[PR]

# by kikidoblog2 | 2016-05-31 12:05 | 反日・在日の陰謀

レジェンド「ジダンの胴上げ!」:ついにクラシコがチャンピオンズリーグのクラシコになった!   

エル・クラシコ (El Clásico)=ダービーマッチ

英語圏ではダービーマッチ (Derby Match) や単にダービー (Derby) と表記するが、スペイン語圏やポルトガル語圏ではデルビ (Derbi) 、イタリア語圏やフランス語圏ではデルビー (Derby) などと表記される。ただ、言葉が指している意味は同じである。
また、長期的に行われているダービーマッチ(伝統の一戦)の事をクラシックダービー (Classic Derby) と英語圏では表記するが、スペイン語圏ではエル・クラシコ (El Clásico) 、ポルトガル語圏ではオ・クラシコ (O Clássico) 、ドイツ語圏ではデア・クラシカー (der Klassiker) 、オランダ語圏ではデ・クラシケル (de Klassieker) と表記し、それぞれ定冠詞がつく場合は自国リーグの伝統の一戦として特定のカードを指す。


みなさん、こんにちは。

サッカーでついに新たなる伝説が生まれた!

フランス代表時代にフランスW杯でフランス初の優勝の立役者となった、伝説のジダンが、監督就任半年で世界のトップになった。遅ればせながら、一応ここにもメモしておこう。これである。
ジダン監督就任5カ月7人目快挙!選手と監督で栄冠
a0348309_936066.png
(胴上げって、我が国発だったはず!いまや世界中で優勝胴上げが慣習になったようだ!)

<欧州CL:Rマドリード1(5PK3)1Aマドリード>◇決勝◇28日◇ミラノ

 Rマドリードの「将軍」ジネディーヌ・ジダン監督(43)が、今度は指揮官として欧州の頂点に立った。Aマドリードとのスペイン対決は1-1のまま延長戦でも決着せず、PK戦を5-3と制した。チームは2季ぶり11度目の優勝。選手と監督の両方で欧州CL制覇は史上7人目で、就任わずか5カ月の快挙となった。Rマドリードは12月に日本で開催されるクラブW杯に出場する。

 5人目のキッカーとして勝利を決めたロナルドを力強く抱きしめると、ジダン監督はそっと自らの額をエースの顔に押し当てた。そして満面の笑みを浮かべ、ひと言かけた。「彼はいつもチームを助けてくれた。勝利をもたらせてくれたね」。死闘の末の戴冠にも、現役時代と変わらず静かに喜びを表現した。

 苦しい展開だった。前半15分にDFセルヒオラモスの得点で先制したことで、かえって慎重になった。ロナルドやベールが負傷明けとあってうまく攻撃に転じられず、後半34分に同点とされた。足をつる選手も出る中、気持ちのこもったプレーで最後まで守り抜いた。ジダン監督は「フィジカル的にはだいぶ苦しめられた。心理面ではかなりのプレッシャーに耐えなければならなかった」と安堵(あんど)感をにじませた。

 選手としても01-02年シーズンに自らの決勝点でRマドリードを優勝に導いた。選手と監督の両方で優勝したのはクライフ、グアルディオラらに並び史上7人目。また、トップチームを率いて最初のシーズンに欧州CLを制したのは8人目だ。「選手、コーチ、監督として優勝した。この偉大なクラブの一員として誇りに感じている」と語った。

 ことし1月、突然の就任だった。ベニテス前監督はホームでバルセロナに大敗するなど、期待された結果を出せず解任。選手との信頼関係が悪化し、チームはまとまりを欠いていた。取り戻すべくは「求心力」。ロナルド、ベイルら個性豊かなスター選手を1つにまとめられる人材が求められた。そこでクラブは指導手腕よりも「カリスマ性」に、チームの再建を託した。

 もちろんトップチームの指揮は初めて。それも世界トップクラブだ。そこでベニテス政権下の守備的な戦術から攻撃的なスタイルに変更。リーグ1試合平均2・61得点を、3・15得点へと上昇させた。そして「私には素晴らしいメンバーがいる」と選手を信頼し切った結果、リーグ戦で12連勝した。自信を持って臨んだ欧州のファイナルだった。

 就任わずか5カ月で欧州の頂点に立った。カリスマゆえの偉業にも、ジダン監督は「これだけの実力と才能を持った選手がいれば、大きなことを成し遂げることは可能だよ」。どこまでも謙虚だった。【波平千種、山本孔一通信員】


サッカーでは同じ都市にあるライバルチームが戦うことを、ダービーとか、エル・クラシコとかいうのだが、ついにスペインのマドリードの2チームが単なるリーグ戦での戦いはなく、欧州最高のチャンピオンズリーグの決勝で戦うことになった。

レアル・マドリードvsアトレチコ・マドリードである。

レアルは伝統の白のユニフォーム。アトレチコは伝統の赤白縦縞に青のパンツである。

レアルの監督が、今季就任したばかりのレジェンドの
ジネディーヌ・ジダン
a0348309_9224423.jpg
(この目つきがサッカーの超一流の中盤選手の目つき。「神の目」という、プレーしながらも空からフィールドを見る時の眼である。我が国でいう「玉眼」である。)

一方のアトレチコの監督が、これまたアルゼンチンのレジェンドのディエゴ・シメオネ。
a0348309_9251477.jpg
あのディエゴ・マラドーナ時代の中盤のエースである。

レアルのトップは、もちろんクリスチアーノ・ロナウド。
a0348309_9274110.jpg

一方のアトレチコにはスペインがワールドカップ南ア大会で初優勝した時の貴公子フェルナンド・トーレスがいる。
a0348309_9281267.jpg

先発メンバー
【CL決勝】レアル・マドリーvsアトレティコ・マドリー 先発メンバー発表
レアル・マドリー
1 ケイラー・ナバス
3 ぺぺ
4 セルヒオ・ラモス
7 クリスティアーノ・ロナウド
8 トニ・クロース
9 カリム・ベンゼマ
11 ギャレス・ベイル
12 マルセロ
14 カゼミーロ
15 ダニエル・カルバハル
19 ルカ・モドリッチ

アトレティコ・マドリー
13 オブラク
2 ゴディン
3 フィリペ・ルイス
6 コケ
7 グリーズマン
9 トーレス
12 フェルナンデス
14 ガビ
15 サビッチ
17 サウール・ニゲス
20 フアンフラン


決勝戦の模様はこれである。
レアルマドリード アトレティコ・マドリード チャンピオンズリーグ ハイライト 2016/5/28 CL Real Madrid vs Atletico Madrid


PK戦
レアルマドリード アトレティコマドリード チャンピオンズリーグ 2016/5/28 CL Real Madrid 1-1 Atlético Madrid (PK5-3)



クリスティアーノ・ロナウド vs アトレティコ・マドリード | UEFAチャンピオンズリーグ 2016


それにしてもいまやスペインリーグは世界最高になって久しい。

欧州チャンピオンの準決勝に3〜4チームも残る。

とはいっても、世界中から最高級の選手を集めているから当然といえば当然だが、やはり故ヨハン・クライフ
オランダの伝説ヨハン・クライフ氏が死去
とミケルス監督時代の70年代のトータルサッカーがスペインに伝播し、カンテラ育成システムが根付いたこと、サッカー学の博士号まで存在すること、などさまざまな進歩があって初めて、そういう偉業が達成できたと考えられる。

あまり知られていないことは、スペインの大学には、サッカー学の博士号まであるということだ。サッカー学の博士になるためには、一流の監督の戦術や経歴や思想などを全部研究する。そして、本を書く。

例えば、これなんかがそういうものである。
ジョゼ・モウリーニョ「サッカーを複雑系と見抜いた男!」:奥義は「複雑系理論」!

モウリーニョのリーダー論 世界最強チームの束ね方
a0348309_953224.jpg

この本の著者のルイス・ローレンス博士がまさに「サッカー学」で博士号を取得したというタイプであり、この本が自分の博士号研究を本にしたものである。

別にルイス・ローレンス博士だけがそうというわけではなく、こういうサッカーの研究者がちゃんと社会的に認知されている。そして世界のサッカー学に多大な影響力を持っている。

こういうスポーツの指導者やリーダーの研究、さらには、指導の方法やトレーニング方法の研究、さらには選手のメンタリティーや心理学の研究、こういった複雑なシステムを多次元的に研究して、実際のプロサッカーの現場に応用実践している。

それが現代のスペインサッカーである。

あまり我が国の大学や文科省の人たちはこういうことを知らなさすぎである。

冬のボブスレーとて同様で、マシンの研究、選手の研究、コースの研究、選手間の人間性の研究、あらゆることをしておかないと金メダルは取れない。

我々が今学ぶべきは、単にプロサッカーができたという20年前の段階から、その次になって、下部組織やユースができたという10年前の段階から、今度は、サッカー指導者そのものを研究する人材の開発、スポーツ指導者そのものを研究するというようなハイレベルの組織が必須なのである。

さもなくば、非科学的に根性根性論や体罰がまかり通る全近代的な育成システムが未だ跋扈しかねないし、有限の時間の中で、無限に近い組み合わせの中から最高の組み合わせの人的配置を発見しなければならないという、サッカーの宿命に打ち勝つことはできない。

翻って我が国で言えば、いくら大久保選手が頑張っても、ハリルホジッチ監督から嫌われたら最後永久に代表に呼ばれることはない。かつての三浦知良選手と同じである。監督に岡田監督がついた瞬間に三浦知良選手の代表入りは失われたのである。

サッカーとは、そういう人間関係や相性や戦術やプレースタイルや精神性やメンタルの複雑系なのである。

本田と香川と岡崎なら合うが、本田と鳥栖の豊田陽平では合わない。同様に本田と大久保では合わないのである。この理由が分かる人は相当にサッカーを理解しているだろう。

本田はいわゆる裏にパス出す選手ではない。本田は中田英寿ではないのだ。本田は前に来る選手、近づいてくる選手にしかパス出せないのである。だから、豊田や大久保には、本田よりは中村憲剛や中村俊輔の方が合う。中村憲剛や中村俊輔は裏にパス出せる選手だからである。

サッカーとは、こういったプレーや性格の質のコンビネーションを探ってチーム編成を行うスポーツなのである。

単に、体のでかい選手を10人入れたら勝つ。そういうスポーツではない。

それに、選手の人間性や性格や癖や人生観やモチベーション、そういったものをすべて頭に叩き込んで、今はこの選手を使うというような判断を行うのである。

こういうことを創始したのがモウリーニョ監督だったのだが、来季からついにプレミアリーグのマンチェスターUの監督就任する。

どうでしょうか?ハリルホジッチ監督でこの世界を戦えるでしょうか?

まあ、この国民にはこの政治で十分。朝鮮人には民進党で十分というような言い方があるように、

この国民にはこの監督で十分というわけかもしれませんナ。

しかし、いまやちょっと前のレジェンド達が監督になってまた新たなるレジェンドになっているのである。

まさに光陰矢のごとしである。


三浦知良選手も本来ならすでに監督としてWカップのピッチに立っているべきなんですナ。そうならなかったのは、岡田のせいだ。(俺個人の考えでは、岡田はちゃんと正式に三浦知良選手に当時のことを話して詫びを入れ、みそぎするべきである。さもなくば、カズは死ぬまでピッチを去らないと思うよ。地縛霊にはちゃんと状況を飲み込ませないとナ。)


いやはや、世も末ですナ。


おまけ:
サッカーが複雑系であるという意味は、たとえば、この試合でアトレチコのトーレスが取ったPKをフランス人のグリーズマンが蹴って失敗した。この仏人グリーズマンにとってジダンは英雄である。その英雄が相手チームの監督である。ここに心の葛藤がうまれ、どこかで躊躇する。そういう迷いが失敗を招く。だから、シメオネ監督はここでトーレスに蹴らせるべきだった。我が国代表でも李忠成が韓国戦に出ると、まったく活躍できない。こういうのは八百長ではないが、選手には選手なりの精神的背景があるため、結果的に手心を加えてしまうのである。選手が人間である以上、そういったメンタル事情も考慮して采配しなければならない。そういうふうな意味である。



e0171614_11282166.gif

[PR]

# by kikidoblog2 | 2016-05-31 10:15 | サッカー&スポーツ