「マタイの法則」と「格差社会」、「ラムゼー理論」と「二極化社会」2   

(つづき)

さて、前置きが非常に長くなってしまったが、本当は昔のBBS時代の記事を再録することだった。これである。
私は昨年10月に以下のようなことを書いておいた。

『【27】 貯金ゼロ家庭3割の日が来る?:【18】への補足 2003/10/01(Wed) 』
http://bbsi1.otd.co.jp/essayKI/bbs_plain?base=27&range=1

この中で、私はこう書いた。

「つい最近の統計によれば、日本国民の一般家庭の下20%にはもはやまったく貯金がない。ところが一方でその上には平均貯金が1000万円あるという。だからもちろん最上層部にはもっとずっと高額の貯金があるのだろう。まったくゼロと1000万の差はどうやって出て来るのか、おれにはちょっと理解できないようなからくりがありそうな気がするね。」

最近、毎日新聞(http://www.mainichi-msn.co.jp/)にある次のページは実に面白い。この中で見事に私の上の状況を説明しているからである。
『「一億総中流」神話の崩壊、二極化する日本人の貯蓄』
http://tenshoku.inte.co.jp/msn/news/0004.html
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この記事の中でどこをどうみるべきか、を以下に簡単に説明しよう。

まず、この記事の中の図1、図2が面白い。特に、図2が重要である。

(あ)図1では、日本人の平均貯蓄が1997年を頂点に少しずつ下降して来ているということを示している。
(い)図2では、貯蓄分布が1800〜2000万円を境に『二極分化』して来ていることを示している。ここでは、これより上層部をリッチ(勝ち組と呼んでも良い)、下層部をプアー(負け組と呼んでも良い)と呼ぶことにしよう。
(う)特に、図2で、1999年までは、プアー層に200〜400万円のところにピークがあったものが、2003年にはそのピークが消滅している。
(え)一方、リッチ層はほとんど変化していない。

以上が、図2を見てすぐに分ることである。

これに対してこのデータを提供して分析した『インテリジェンス』社の結論とは以下のようなものである。

『長い間日本は「中流社会」だと言われてきた。しかし、この数字からは中流社会の中心であった「中間層」が分解し、その多くが下方へと移動しつつある様子がうかがえる。「勝ち組」「負け組」などという言葉もいつのまにか定着した。貯蓄の多少は必ずしも人生の勝ち負けを意味するわけではないが、少なくともかつてのような「みんな同じ」という感覚は通用しなくなりつつあることは確かなようだ。 』

この結論自体は間違ってはいないが、要するに、私が上の(あ)〜(え)で見たことを”言葉で表現した”だけのものである。したがって、これでは本当には何も分析していない、といえるだろう。

さて、では私はどう分析するか?これを以下に紹介しよう。

(1)まず、我々物理学者にとって『平均』というのは、それほど意味は感じない。なぜならこれは全貯蓄を一人当たりに換算したものにすぎないからである。したがって、図1のように、貯蓄が1997年頃から下降したわけは、図2のようにプアー層のピークがその頃に消滅して貯蓄ゼロ層ができたために、一人頭に換算すれば下降せざるを得ない、ということにすぎないからである。

このように、一般に、平均(値)というものは、どんな対象にもあてはめることは可能であるが、いつもそれが意味を為すとは限らない。

(2)ここで、ちょっと補足すると、図2の左側の1999年の分布で、プアー層のピークがあるような分布を『ポアソン分布』と数学者は呼んでいる。この『ポアソン分布』というのは、『めったに起らない可能性の分布』とも言われることがある。つまり、リッチとプアーになる確率に非常に差があるような2項分布のことである。

これに対して、分布の中央に大きなピークが来て、その上下にほぼ対象に分布するものが、『ガウス分布』と呼ばれているものである。これは、身長や体重の分布などある平均値になる場合が最も可能性が高く、それ以外は僅かなばらつきがある、というような分布である。

(3)この数学の初歩知識から考えると、『ガウス分布』は、おそらく1970年代、いわゆる、『一億総中流家庭』と呼ばれた時代、にはこの分布であったのであろう。(正確なデータがないのでちょっと分らないが。)つまり、この高度成長時代には、だれもがだいたい平均的な生活を送り、あまり大金持ちにも貧乏人にもなることは少なかった、ということである。言い換えれば、リッチになる確率も貧乏になる確率もほぼどう程度であった、ということである。

しかし、1990年代以降のバブル崩壊後から1999年前後までには、逆に貧乏になることはあっても金持ちになることは非常に難しくなって来た、ということを意味している。言い換えれば、リッチになる確率と貧乏になる確率に非常に大きな開きが出て来た、ということである。もちろん、『リッチになる確率<<貧乏になる確率』である。

(4)そして、2000年代に入って、貯蓄ゼロから200万円台の層が大幅に増えてきた、ということである。そして、リッチとプアーの境の貯蓄1800〜2000万円より下方の分布にはピークがなくなり、『下へ行けば行く程数が増える』という分布に変ったのである。

(5)私は、この分布は特別に関心がある。というのは、以前私は以下のエッセイ:

『 【104】 スケールフリーネットワークとエイズ禍 2003/12/04(Thu) 』
http://bbsi1.otd.co.jp/essayKI/bbs_plain?base=104&range=1

でスケールフリーネットワークのことを紹介したように、この貧乏層の貯蓄分布が『ベキ分布』になっているかどうか、に非常に関心があるからである。つまり、貧乏層の分布が以下のようになっているかどうか、ということである。

人数N
     |
10000|●
     | \
 1000|   ●
     |    \  
  100|      ●
     |       \          
   10|         ●
     |          \
     |            ●
    1 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
      1  10 100 1000 10000 
          m 貯蓄金額


もし、このようになっているのであれば、我々は次の式を得る。

N(m)〜1/m^{γ}。(1)

この式の意味は、貯蓄ゼロが一番多く、額が増える程人口が減る、という分布である。私が見る限り、リッチとプアーの境の貯蓄1800〜2000万円より下方では、これがかなり当てはまって来ているように見えるのである。これは実に驚きである。

(6)では、これはなぜか?私の考えでは、おそらく社会が急速に情報化社会に入ったからではなかろうか?、と見る。

つまり、昔は社会は農業社会などの第一次産業中心であったために、ある意味で生産性が悪く、農業労働では皆似たような生活にならざるを得なかった。自分が米に打ち込めば他人はとうもろこしに打ち込めば良く、勝敗はそれほど大きくはつかなかった。また、同様に、自分の仕事のためには、それに必要とされる人間の数というものも、個人個人で大差はなかった。

そして、それが工業社会入っても、基本的には、農民がサラリーマンになっただけで、自分がテレビを作れば他人は家を作れば良く、これまたそれほどには勝敗が付かなかった。また、仕事上、自分の関わる人数というものも、それほど大差はなかった。だから、この時代には大半が中流家庭を築くことが出来たのである。

ところが、ディジタル革命の時代に入り、情報産業革命の社会に入ると、我々の社会も、俗に言うところの『ディジタル・デバイド』(情報産業の知識や能力の有無で勝敗が別れ、貧富の差ができること)の時代に入った。したがって、この時代になると、『一部のリッチと大多数のプアー』という状況が生まれることになった。これが、図2の意味である。

これはどうしてかというと、情報産業革命のために、”みかけの生産性”が非常に上がるようになったことのせいであろう。ここで、どうして”みかけの”と付けたのかというと、それは農業労働や工業労働のような実際の生産性ではないからである。私の考えでは、この”みかけの生産性”は、人(や組織)の関係している人数(数学ではこれを『リンク数』と呼ぶ)に依存している、と見る。つまり、リンク数の多いものほどより多くの収入が得られると言うような体系に今の情報化社会はなっている、ということである。これはアメリカでも日本でもどこでもそうで、国に依らない。

(7)例えは悪いが、上のことは、『援助交際』(売買春)を考えると実に分りやすい。情報化社会以前では、人が日常的に出会うことの可能な人間の数には限りがあり、それは物理的にもせいぜい数人程度であったであろう。だから、その中から取り引きを成立させていたので、せいぜい1、2人というところであろう。これがその時代の平均というものである。また、取り引きの成功率なども少なかったであろう。これはどの売春婦であれ同じ程度である。だからこそ、平均値が意味を持っていた。つまり、あまり売春婦ごとに差は付かなかった。みんなある程度しか儲からなかったということである。

ところが、情報化社会になると、パソコン、インターネット、携帯電話、iモードなどが登場した。これらの手段を使うと、これまで日中せいぜい数人しか出会う機会のなかった人間が、一気に上限がなく(バーチャルに)出会うことが可能になった。そのために、一気に知り合った中から取り引きを成功させることになる。この状況では、上限がないために、取り引きする人数にも上限がなくなる。したがって、上限なく『援助交際』(売買春)できることになる。そして、この場合には、その数はその人物の魅力の度合に比例して客が付くことになるだろう。つまり、魅力のあるものほど際限なく『援助交際』(売買春)して、際限なく儲かるということになる。この時の売り上げの分布は、ほぼスケールフリーのベキ分布になるであろう。

実際、エイズの場合の性関係ネットワークの研究では、これが正しいということがわかっている。(『スケールフリーネットワークとエイズ禍』参照。)

(8)このような関係は、援助交際に限らず、一般の会社組織にも当てはまるだろう。この場合にも、リンク数(関係業社の数)には、情報化社会では上限がなくなるのである。そのために、リンク数が多ければ多い程、儲かるわけである。つまり、強いところ程ますます強くなるのである。逆に弱いところほどますます弱くなるのである。

では、どうやってリンク数をあげることが可能なのか?それは、知名度や人気である。知名度や人気があればあるほど、リンク数が”優先的に接続される”のである。物理学ではこの状況をプリファレンシャル・アタッチメントと呼んでいる。

(9)したがって、こういった”優先的接続”、”上限のないリンク数”の時代では、何が起るのか?といえば、最初に私が推測したような『べき分布』が生じるのである。言い換えれば、マタイの法則(富むものはますます富み、貧しいものはますます貧しくなる)の支配する社会になるということである。

この結果、1999年までに貧富層にあったピークは、2003年には一番下まで下降して、社会はますます貧しくなったのである。

(10)では、こういう時代をどう生きたらよいか?さあねー?もちろん、私はこの答えを知っているが、それをこの余白に書くには狭すぎる。自分で考えてくださいヨ。


スケールフリーネットワークとエイズ禍
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いずれにせよ、竹中平蔵の責任は重いナ。こいつが自民党にいることが自民党のガンであり弱点ですナ。






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# by kikidoblog2 | 2016-04-05 10:14 | 普通のサイエンス

「マタイの法則」と「格差社会」、「ラムゼー理論」と「二極化社会」1   

マタイの法則

持っている人は更に与えられて豊かになるが、持っていない人は持っているものまでも取り上げられる。(マタイ 13.12)


みなさん、こんにちは。

冒頭の言葉は、聖マタイ(マシュー=Mathewともいう)の引用として、「マタイの法則」として知られる。

しかし、どうやらそれは本当はイエス・キリストの言葉だったらしい。弟子のマタイが主イエス・キリストにこう聞いた。
主イエスよ、「なぜ、あの人たちにはたとえを用いてお話になるのですか」(マタイ 13.10)
すると、主イエスは答えた。
持っている人は更に与えられて豊かになるが、持っていない人は持っているものまでも取り上げられる。(マタイ 13.12)

だから、彼らにはたとえを用いて話すのだ。見ても見ず、聞いても聞かず、理解できないからである。(マタイ 13.13)

マタイの法則より


まあ、現代的に簡単に言えば、
マタイ:イエス様、どうして連中には例え話をするんですか?
イエス:えっ?なぜって?能力を持つ奴にはチャンスが来てどんどんリッチになるが、能力を持ってない奴はいま持っているものも失ってしまうんだから。だから、例え話をするんだよ。見ているのにちっとも見ていないし、聞いても何も聞いていないし、なにせ内容を理解できないんだから。


現代の社会科学や数理科学分野では、これが「マタイの法則」として知られる、いわゆる
「富める者はますます富み、貧しい者はますます貧しくなる」
の法則である。

「格差社会」の法則である。

もっと極端に言って「二極化の法則」ともいうことができる。なぜなら、「格差社会」の極限が「二極化社会」、一部のリッチとほとんどのプアに分かれるからである。

これを戦前に予言したのが、アドルフ・ヒトラーの「ヒトラー予言」というものだった。
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日本は「東方の巨大な実験場」!?:ヒットラー予言の新人類誕生物語!
ヒトラーの「最終予言」:2039年に人類は新人類になる!
ヒトラーの「超人ラストバタリオン予言」:それはUFO軍団か、超人軍団か?
ヒトラーの超格差社会予言:「1989年4月以後超格差社会の到来」
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ところで、実は、この「二極化社会」を近代科学の歴史の中で一番最初に理論化したのが、ラムゼーだった。近代経済学の創始者の1人である。
F. R. Ramsey, ”A Mathematical Theory of Saving”
(拙訳)貯蓄の数学的理論 F. R. ラムゼイ


じゃあ、どうしてラムゼー博士は「二極分化社会」が生じるとお考えになられたのだろうか?

ラムゼー博士はまずこう述べる。
さて我々は、異なる人々が将来の効用を異なる比率で割り引くという事実や、時間因子は別として、彼ら自身より彼らの子孫にはそんなに関心が無いという事実を幾分考慮するように試みなくてはならない。

次のように仮定してみよう:
人々は自分の子孫に全く関心がない;
各人は人口を維持のた めに必要である子供たちを世話するための分け前には責任があるが、労働人生は資本を全く 持たずに出発し、貯金を年金に使い果たして何も遺さず人生を終える;
一生のうちに各人は消費のための一定の効用の計画を立て、一定の割合で将来の効用を割引く。しかしこの割合 は異なる人々では異なると仮定される。

そして、こう続ける。
そんな社会が平衡状態にある時、もちろん利率は資本の需要額 ∂f/∂c に等しくなくてはなら ない。そしてそれはまた ”供給額 ”と等しくなるだろう。これは次のようにして生じる。利率が一定で r に等しく、与えられた個人に対する割引率が ρ であると仮定しよう。

その時、 もし r > ρ なら、彼は若い時に貯蓄するだろう。というのは、老後の収益力の損失に対して 備えるためにばかりではなく、今先行して消費するお金に対して、後の日時で消費のための お金をもっと多く得ることができるからである。

もし我々が収益力の変化を無視するのなら、 彼の行動は、IIb におけるように、IIc の方程式を有限の寿命に適用するように修正すること によって計算できる。彼はある時間資本を蓄積し、死ぬ前にそれを使い果たすだろう。

この人の他に、我々は我々の社会には他の人間(異なる時間に生まれたということを別にすれば、 ちょうど彼と同じような人間たち)もいると仮定しなくてはならない。寿命の期間を通じて誕生日が均等に広がっている、この種の n 人によって所有される資本は、一生の人生の中で 各人によって所有される平均的資本の n 倍であるだろう。

それゆえ、この種の人々の階級は、 利率に依存する一定資本を所有するだろう。そしてこれはその金額で彼らによって供給され る資本量であるだろう。(もし ρ > r なら、若い時お金を借り、年とって払い戻すというよう に、それは負である。)その時、我々は、どの階級の個人によって与えられた価格で提供され る供給と一緒に加えることにより、資本の全供給曲線を得ることができる。

それから、もし我々が人類の子孫への関心を無視するのなら、資本は需要価格に等しくな るように定まった供給価格を持つということが分かる。この供給価格は効用に対する人々の 割引率に依存する。そしてそれは、割引率が利率に等しい人は貯蓄も借金もしないだろう(老 人に提供することを除き)という意味において、”限界貯蓄者 ”の割引率に等しくすることが 出来る。

しかしその状況は以下の点で通常の供給問題とは異なる:
この ”限界 ”を超える人々は単に何も提供しないのではなく、むしろ負の供給を与える。これは、将来の所得に対して若い時に借金して、おおむね負債になるものである。

そしてラムゼー博士は難しい数学理論を基にして、こう結論づけた。
さて、人ないし社会が永遠に生き、一定の割合で将来の効用が割り引かれると仮定して (α) の場合に戻ろう。しかし今度は家族から家族への割引率の変化を考慮してみよう。

簡単のため、総労働額は一定であるので、国の全収入は資本 c だけの関数 f (c)であると見なすことが出来ると仮定しよう。利率は f′(c) となる。また、どの個人も有限の収入 x1 を得て、考えられうる最大の効用を達成すると仮定しよう。そして、x2より低いお金ではだれも生活できないと仮定しよう。

さて、平衡が資本 c、収入 f(c)、利率 f′(c) あるいは r で達成されると仮定しよう。

その時、それらの家庭(その数をm(r) と言おう、この家庭の割引率は r より少ない)は至福に到達したに違いないか、あるいは、彼らは方程式 9(a)に従って彼らの消費をまだ増大させているところだろう。結果として、彼らは彼らの間で収入 m(r) · x1 を得る。

他の家庭は、数において n − m(r)(ここで n は家族の総数である)、は最低限の生活レベルにまで落ちなくてはならない。あるいは、彼らはまだ消費を減少させているだろう。結果として、彼らは彼らの間で全収入 {n − m(r)}x2 を得る。ここに
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これは、r = f′(c) といっしょに、r と c を決定する。m(r) は r の増加関数であるので、r vs f (c) のグラフを描くことによって、2つの方程式が一般に唯一の解を持つということが簡単に分かる。
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(Figure 3. 利率 r と総資本 c の関係。ここではそれぞれ、資本に対する需要曲線 r = ∂f /∂c、極限の供給曲線 r = ρ、当面の供給曲線 c = c0 を示す。)

それゆえ、そのような場合には、平衡状態は、社会が、至福を享受する繁栄(貯蓄家)と最低レベルの生活のその日暮らし(浪費家)という、2つの階級に分離することにより達成できるだろう。


とまあ、そういうわけで、ラムゼー博士は、この社会に将来を見据えて貯蓄する人とあまりそういうことを考えずに目先のことに追われて生活する人がいると、最終的には、リッチな貯蓄家の富裕層と貧乏な浪費家の貧困層の2つに分かれるはずだと結論したのであった。1930年代のことである。

はたして今の財務省のお役人はこの理論を知っているのだろうか?その辺りは疑問である。

このラムゼー博士の論文でちょっとだけ議論された、実に先見の明のある例が考察されていた。それは、今で言うところの「スケールフリーネットワーク社会」である。ラムゼー博士はこう分析した。
興味深い特別な場合は以下の関係を持つ社会の場合である:
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この時、我々は次の関係を持つだろう:
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K = B に対応して、ρ = 0 の場合には我々はここに
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すなわち、不労所得の一定の割合 (r−ρ)/(r(α−1)+ρ)が貯蓄されるべきである。これはもし ρ = 0 なら、1/(r−ρ)であり、r に依存しない。

もし利率が効用の割引率より少なければ、我々は全く異なる結果を導く類似の方程式を持つだろう。消費の限界効用は r − ρ の比率で上昇し、消費はすっからかんの必要最低限の生活水準にむけて落ち込むだろう。その段階では、もし我々が自殺の可能性に注意を払わないのなら、限界効用は無限に取ることができる。この過程の間、すべての資本は消費され、 信用が得られる程度まで負債を被るだろう。この点に関する最も簡単な仮定は、その利息を支払った後で生き続けることが可能であるように、ある総額を借りることが可能であるだろうというものである。


要するに、このスケールフリー型の社会では、冒頭のマタイの法則通り、富めるものはますます富み、貧しいものはますまず貧しくなるというのである。さらに、そういう貧しきものは、自分の生存限界すら超えて、借金のできる自殺直前の借金まで金を借りるだろう。そう分析していたのである。

ラムゼー博士、仰せの通りでございました。

恐るべしラムゼー博士。


現代社会、特に小泉純一郎/竹中平蔵の「狂牛病の方針」の「空白の20年」時代を経て、我が国は「格差社会」に陥った。それは、あらゆる法律や税制やしきたりなどをミルトン・フリードマンの「選択の自由」や大前研一の「グローバリゼーション」の名のもとに、自由化=撤廃したからである。

こうなると、強いものほど勝つ。

これが20世紀後半に現れたネットワーク理論という理論物理学の新理論の帰結でもあった。

ネットワークには何種類かあるが、基本的にはリンク数、すなわち、向こう三軒両隣のように、自分と他人とを結びつける人数に限りがあるもの(少ないもの、せいぜい数個)のネットワークと、その数に限界のないものがある。後者を「スケールフリーネットワーク」と呼ぶ。

この「スケールフリーネットワーク」の場合が、ちょうどラムゼー博士は特殊な社会として、まだそのラムゼー博士の時代には存在しなかった社会構造の例として考察された場合にあたる。これが今の社会である。

女にモテるものはますますモテ、女にモテないものはますますモテなくなる。だから、女を拉致しなきゃならなくなる。

在日朝鮮人が生み出したアダルト産業俳優やフィリピンで少女売春続けた校長先生のように、女とセックスできるやつは日に何人も、10年も経てば1万人もの女とセックスできるが、できない一般青年は40過ぎても童貞である。大半は妻1人か女体大満足の乙武氏のようにせいぜい複数人である。

人気者はどんどん人気者になるが、人気無いものはどんどん廃れていく。

この私のブログのように、検索すれば、どんな検索ワードにも私のブログが出てくるが、検索すれどまったく出ないものもある。

これがスケールフリーネットワークの妙である。

もちろん、私個人はこの研究をずっと行っていくつか良い論文を出したから、この原理は十分に知っている。だから、私のこのサイトはかならずどんなキーワードの検索でも大新聞社のものと並んで出てくるわけだ。

その決めてとは何か?

というと、これが「プリファレンシャル・アタッチメント」=「優先的選択」というものである。

人気者は、人気者だからこそ知らなかった人がその人気者を優先的に見たくなるのである。みんなが知っているからこそ、自分もそれを知りたい。仲間はずれが嫌だからである。これが大衆の貧困層の精神構造である。

主イエスがマタイに言いたかったことはこのことである。

理屈ではない。単にみんなが知りたいことを自分も知りたいからこそ、よりみんなが知っていることを自分も知りたくなる。こうやって大衆は物事に優先順位をつけて選別する。これが「優先的選択」という概念である。

翻って、グーグルもそうである。ヤフーもそうである。検索ロボットは、検索数、ヒット数、言語数、キーワード数、文字数、何でもいいが、数の序列を作り、その数に応じて選択的に巡回する。これがランキングを生み出す。

したがって、閲覧者が多いもの、ページ数が多いもの、ヒット数が多いもの。多ければ多いほど、検索マシーンのトップページに持ち上がる。その結果、ますます検索者は閲覧するようになって、ますます差がつくのである。

私のブログ1は総閲覧数は3500万人を超えていた。日本人の4人から3人に1人が閲覧したほどの人数である。

なぜか?

簡単に言えば、キーワードとページ数と文字数がとてつもなく多いからである。英語辞書で言えば、theが一番多いが、検索マシーンならこのtheをトップに据えるだろう。だから、もし人が「the」で検索すれば、かならずtheがトップに出てくる。

これが例えである。

イエスが言ったように、人は自分が毎日見ているパソコン画面を見ていないし、書かれている内容を理解しない。だから、比喩や例えが必要になる。

こんなことはちゃんとインターネットで勉強すればそこら中に書かれていることにすぎない。

私はすでに本にすれば数万ページを書いている。昔のBBSやブログ時代のものも含めたら10万ページは書いただろうか。膨大な量のコンテンツがこのブログには入っている。

だから、検索上位に上がるわけだヨ。解ったか?


(つづく)




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# by kikidoblog2 | 2016-04-05 09:51 | 普通のサイエンス

卒業式の飛び入りサプライズ、サプライズ、サプライズ   

みなさん、こんにちは。

すでに卒業式シーズンは終わり、今度は入学式シーズン、桜咲くの到来だろうが、偶然見つけた卒業式のYouTubeの番組に、歌手が卒業式に飛び入りで参加するというものが結構あったので、それをメモしておこう。

(あ)鳴門一中にGACKT参戦
GACKT卒業式ライブ in 鳴門市第一中学校 ≪2014年3月14日(金)≫



鳴門一中はサッカーの県下有数の強豪校ですナ。

我が家の息子達も幾度と無くやられたものである。

(い)三代目J Soul Brothers参入
【三代目J Soul Brothers】卒業式で感動のサプライズ!生徒号泣!


(う)森山直太朗参入
さくら(独唱) 森山直太朗


(え)入船中学校卒業行事に一青窈参入
一青窈 - 感動の入船中学校卒業行事 サプライズライブ


(お)ファンキーモンキー参入
ファンモンも泣いた!ファンキーモンキーベイビースの卒業生応援ライブ 涙が止まらない素晴らしいライブです


(か)福山雅治
福山雅治 女子大 サプライズ 驚いた


(き)NIKIIE
NIKIIE【2014.03.01】茨城県立那珂高校卒業式でサプライズLIVE


(く)大熊中学校卒業式にAI参入
大熊中学校卒業式サプライズライヴダイジェスト


いやはや、こういうの結構流行っているんですナ。

特にGACKTはいろんな学校に出没しているらしい。


神聖な卒業式をテレビ番組のための出汁にするのではたまったものではないが、ミュージシャン自らが生徒との心の交流として行われるものであれば、こういうものはどんどん広がって欲しいものである。

しかし、芸能人サプライズはなくとも、普通にやる卒業式もそれなりに厳かでよろしいと思う。






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# by kikidoblog2 | 2016-04-04 18:10 | アイラブとてつもない日本