「ウガンダの近藤兵太郎」小田島先生!?:「時を守り、場を清め、礼を正す」これが日本の底力を生んだ!?
2018年 02月 05日
森信三の言葉
みなさん、こんにちは。
先日「アイラブジャパン:「20世紀はユダヤの時代。21世紀は日本の時代か?」で、20世紀までにこの地球を破壊しまくったその真の張本人はユダヤ人のエリートだったという話をメモしたが、実際にはイエス・キリストの前からずっとそうだった。
まあ、この話は陰謀論や陰謀暴露論の世界ではすでに20年以上前からよく知られていたことで、いまさらここで再掲する必要もない。だから、ここでは飛ばしておこう。ひょっとしたらまたいつかメモするかもしれないが。
さて、そんな金融ユダヤのエリートたち、この世界をなんとかして支配したい。ユダヤ世界の内部では、ユダヤ人の同胞以外をゴイム(豚や家畜)と呼んで、蔑み、貧困のどツボにはめても喜んでいるのだが、またそういう状況においつめて、分裂支配をして、その上に君臨し、贅沢三昧で過ごす。
これが、アムシェル・ロスチャイルドやアダム・ヴァイスハオプト
ところが、我々日本人の考える世界というものは、最初からして違う。今回はそんな深いい話を偶然見つけたので、一応ここにもメモしておこう。以下のものである。
【感動 泣ける】ウガンダの高校生を変えた、感動する日本の躾とは【海外の反応】【日本に生まれて良かった】
感動 泣ける】感動の後編!日本に渡ったウガンダ高校球児が見せた日本人以上に日本人らしい姿とは【海外の反応】【日本に生まれて良かった】
これはどうやら次の本になっているらしい。
「時を守り、場を清め、礼を正す」
日本人という生き方
「時を守る」は、時間を守ること。
「場を清め」は、生活の場の後片付けや掃除をすること。
「礼を正す」は、相手に対する敬意を認めること。
時間を守れない人は待たせる相手のことを考えていないからだ。
後片付けや掃除がきちんとできない人は次に使う人のことを考えていないからだ。
礼儀がしっかりしていないのは相手に対する敬意が足りないからである。
これは教育哲学者の森信三先生
の
教育再建の三大原理
といわれるものである。
要するに、いま全世界で真似し始めた、「清掃活動、時間厳守、礼儀作法」を中心を据える、日本の学校のスタイルは、この森信三先生の教育哲学に端を発していると言えるだろう。
そして、この三大原理はどの国でもどの民族にも適用可能で有効なものである。
戦前、台湾でこの小田島先生と同じことを行ったのが、映画KANOの主人公となった近藤兵太郎監督である。
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《KANO》六分鐘故事預告
戦後は、別に我が国が諸外国を統治しているわけではない。
しかし、さまざまな国へ青年海外協力隊の一員として参加し、その現地の人たちの生活をよく出来ればと参加した形である。
この精神状態もかなり日本人的で、諸外国、特に欧米からESL(English as a Second Language)の英語講師として、
自国に就職先がなかったり、
自国が嫌だから飛び出したかったり、
日本が好きだったり、
日本女性が異様に好きで結婚願望だったり、
日本の良いとこ取りだけしたくて、
たまたま日本で高待遇にありつけたらからくる、
という外人さんたちとは、一線を画す。
むしろ、日本のいい生活を犠牲にして、現地人のために人生を費やす、という形になる場合がほとんどである。
日本がかつて台湾や満州や朝鮮を統治していたからといって、だれが好き好んでそんな未開地にわざわざいくはずがない。
そこの原住民を発展させてあげたい、そういう強い動機があればこそ。
それもいまでは1000倍の仇になって帰ってきた。
はたしてウガンダの場合はどうなるかわからないが、この小田島さんの場合は、まさに現代の近藤兵太郎先生といえるだろう。ウガンダの近藤兵太郎の役割を果たしているのである。
それにしても、この三大原理は実に素晴らしい。
が、逆にいうと、一国の教育を破壊し、一国を退廃的な社会に変えたければ、この三大原理の全部逆をすればいいということになる。
おそろしいことは、そこに宗教は何ら関与していない。宗教は無関係だということである。
いくら宗教の理念が高かろうが、教育の理念とは独立しているのである。
教会にはいついってもいいし、時間は関係ない。
掃除は教会だけやれば神のご加護が得られるから自分の家や職場はする必要もない。
礼儀は教主や神さまに対してだけすればいいし、他人にする必要がない。
こうやって、イスラム教であれ、仏教であれ、キリスト教であれ、ユダヤ教であれ、日本以外の宗教国は退廃する。していった。
実に不思議なことである。
どの宗教も日本の教育の三大原理を教えていないのである。
翻って日本人を見ると、どうして他人を敬うかという起源を考えれば、それは「だれにも神様が宿る」かもしれない、という考え方。つまり、「八百万の神々」の考え方、西洋からはアニミズムと称された考え方に起源がある。
この世界のあらゆるもにのは霊が宿り、神様のようなものだ。
この考え方の一つの発露、教育への射影として、教育の三大原理ができたとも言えるわけである。
したがって、どの国の宗教ともまったく無関係なのだから、これを取り入れても別に問題がない。その国の宗教にまったく干渉しないのである。
たった3つのことを守るだけだ。
「時を守り、場を清め、礼を正す」
たったこれだけのことをするだけで、その国の子どもたちがジェントルマン、紳士淑女に変わるのである。
人間は見てくれではない。その行動や態度が大事である。
こういう教育ができなくなったから、いまのアメリカにはロン・ポールのような白人の面汚しが生まれ、豪州やNZには、公共物にペイントしまくるキチガイ白人が生まれ続ける。脳みそが韓国人のように逆転してしまうのである。
考えてみれば、韓国、朝鮮半島は、この数千年の間我が国とは何もかもが正反対だった。
時を守らず、不衛生で、礼節のない国だった。
明治維新以降、我が国の先人たちがなんとか鮮人たちにもこの三大原理を身につかせようと人生を棒に振ったが、その結果も無残だった。結局、いまのヒラマサ五輪を見れば分かる。
社会の教育度、成熟度、民度は、どうやら、この三大原理がどれほどできているかという尺度で測れる。
というわけで、もしNWOとかネオコンとかシオニストとか、ユダヤエリート富裕層とか、そういう連中がこの地球上で傲慢に振る舞いすぎるとすれば、やはり、
便所掃除
から始めるのが一番の教育法ということになるだろう。
とりあえず、神様と便所掃除は無関係。便所掃除は現世のこの人間界の話にすぎない。
汚い便所よりきれいな便所の方がいいでしょっていう話。
時間を守るのも、いつも遅れるよりはきちんと定時に始まるほうがいいでしょっていう話。
礼もお互いに気持ちよく付き合えるほうが良いでしょっていうレベルの話。
特に、イエスもアラーもブッダも関係ない。むろん、UFOも宇宙人も無関係。
別にイエスやアラーやブッダが便所掃除してくれるはずはない。
エリート層や富裕層と呼ばれて喜んでいる成金の皆様は、子どもたちに自分の家の掃除、便所掃除、こういうことをやらせてみたらどうか?
それが無理なら、まずは学校で掃除を始めるのが良いだろう。
掃除をすると、傲慢にならずにすむらしいナア。
単にユダヤ人は学校で掃除したことがないから、傲慢なエリートに育っているのかいナ?
いつも「愚民化政策」で世界支配を目論むユダヤ人の皆様、邪魔して、ごめんなさい。
日本人はいつも「健民化政策」で世界支配を目論んでいます。
ほんとユダヤ人と日本人は似て非なるものですナ。
いやはや、世も末ですナ。
おまけ:
よくニューヨーカーが、コメントにこんなことを残す。
it's so fucking beautiful i started crying!
いまやアメリカではvery=fuckingという意味になっているが、これはユダヤハリウッドがアメリカ人を愚民化するためにわざと流行らせたにすぎない。
汚い言葉を書いたり言う人は、それを読まされる人や聞かされる人のことを考えないらだ、ということになる。
だから、こういうところの言葉、単語を一つ一つ正規の礼節を重んじる言葉、単語に変えていくだけでも教育効果がでるはずである。
やはり英語本来の美しい響きというものは、きれいな言葉遣いからしか生まれない。
it's very very beautiful i started crying!
と書くべきだろう。
礼の中には言葉遣いも含まれることは自明であろう。
# by kikidoblog2 | 2018-02-05 11:27 | アイラブとてつもない日本