「時間物理学」:時間は未来から過去へも流れているか!?
2016年 01月 18日
旗を議論するふたりの僧侶がいた。
ひとりが言った。「あの旗がはためいている」
するともう一人が言った。「否、風が動いているのだ」
そこへ第6位の老僧がすれちがった。彼はふたりに言った。
「風が動くのではない、旗が動くのでもない、心が動くのじゃ」
― 無門「門のない門」
みなさん、こんにちは。
今回は物理学に関する個人的メモだから、普通の人はスルーを。

さて、今回は「時間の物理学」の問題である。
最近、確か昔日本人で「時間の量子力学」を研究した方がおられたはず、といろいろインターネットで探しているうちに、逆に最近の「時間の量子力学」の研究を見つけたので、かなり現代最先端の物理学の話をメモしておこう。
しかし、今年始めにこれを例によって即興でメモしているうちに、途中で誤って投稿欄を削除してしまった。だから、何をメモしたかを思い出せないまま、何日も過ぎ、それでそれ以後しばらくはこの話は没にしていたのだった。だから、最初に書こうとした内容とは後半は大分異なる。
(あ)時間は過去へも流れる
時間とは何か?
これを今現在の物理学者はさまざまな実験を行って研究している。
その結果、結論から言えば、どうやら
時間は過去から未来ばかりではなく、未来から過去へも流れるのかもしれない、ということが解ったのである。
(い)時間は通常パラメータと見なす。
時間は通常の物理学では、時間の出発点をいつにしても良いという意味で、単なる時計の針を測定するためのパラメータにすぎないと考えてきた。
だから、あまり物理学を知らないマイケル・アティアのような数学者やエド・フレンケルやエド・ウィッテンのような数理物理学者たちが「時空」と言っても、それは単なるパラメータの集合の直積でしかなかった。あくまで数学理論を構築する時に必要な(ベース多様体を特定するための)一種の代用物でしかなかったのである。
まあ、数学者や数理物理学者はそうでもしないかぎり存在意義がないし、飯の食い上げだから、利用できそうなものは何でも使うわけである。
しかしながら、岡潔博士は同じ数学者でも世界で多変数関数論を初めて完成する時にこれまた初めて「層」の概念を導いたのだったが、この岡潔博士は
時(とき)と時間(じかん)は異なる。時は「過ぎ去る」ものだが、「時間」はそうではないからだ。とずっと主張し続けたのである。
したがって、
物理学は間違っているとまでさんざん警鐘したのであった。(岡潔でKazumoto Iguchi’s blog内検索)
ちなみに、 後々になって岡潔の信奉者であったフランス人のアンリ・カルタンがその「層の概念」をさらに発展させたのだが、いまではヨーロッパ人は「層」はカルタンが発明した数学概念であるという嘘歴史を捏造したようだ。例の偽ユダヤ人エドワード・フレンケルさんもすっかり岡潔の存在をご存知なかった。
本当に偽ユダヤ人というのは、「自分が知らないことは存在しない」と信じるニダヤと似ている。本を書くにせよ、論文を書くにせよ、もっと数学や科学の歴史を勉強してから自分のオリジナルを公表すべきだヨ。まあ、そこが歴史捏造のニダヤとユダヤの似ているところなんですナ。たぶん、DNAの98%は一致しているんじゃなかろうか?(この問題についてはいつかメモすることもあるだろう。)
(う) 「ホイーラーの思考実験」
さて、そんな時間の可逆性の問題を実験的に調べるという研究が最近の流行分野の1つらしい。最近は私はPhys. Rev. Lett.も何も見ないでただひたすら19世紀の論文や古い制御理論の勉強ばかりしているから、ほとんど知らなかったのだ。
しかし、時間の問題を調べているうちに、こういう分野の実験を知ったというわけである。書いているうちに話が別の方向に進んで、この実験のことを忘れてしまうと困る。だから、先にこれを一応メモしておこう。以下のものである。
Re-thinking a Wheeler delayed choice gedanken experiment
この実験は「ホイーラーの思考実験」と呼ばれたものらしい。かのリチャード・ファインマンの師匠であったジョン・ホイーラーである。
Interview with John Wheeler 1/3
ホイーラーは、いわゆる「2重スリットの実験」(これはファインマンが得意になって教科書で説明したものだが)を再考した。
まず「2重スリットの実験」とは、電子や光子の量子の発射地点と最終的な観測地点の発光スクリーンの間に2重スリットをおいて、その2重スリットの片方のスリットをシャッターで遮ると、もう一方のみから波動が通過するために、観測スクリーン上には一筋の帯パターンが現れる。しかし、両方を開けたままだと、あたかも同時に両方を通過したかのごとく、波の干渉縞パターンが生じる。これが、粒子だと考えられた電子や光子の波動性を示すものだという量子力学特有の思想に基づく実験だった。
これに対して、ホイーラーは「2重スリットの実験」が正しいかどうかを知るために、仮にもう一つ2重スリット(のようなもの)を観測スクリーンの前において、一旦真ん中の2重スリットを通過した量子波動が本当にどちらを通過してきたものか調べてみようと考えた。
左右の両方のスリットから同時に来たものは観測地点で干渉する。だから、それを検知できる装置を置く。これは「波動性」を見る装置である。また左右どちらかから到達した粒子はその方向を検知する装置を置く。これは「粒子性」を見る装置である。仮に1つの装置でその両方を選択できる装置があるとすると、その都度、検出器を切り替えて、粒子の波動性と粒子性を選んで検出できるだろう。
これが、「ホイーラーの思考実験」というものらしい。
(え)「ホイーラーの思考実験」のアナロジーの実験
そこで、ある物理学者たちがその実験の代替物を電子ではなく、レーザー光を使って実験する方法を見つけたのだという。それが
the 2007 article in Science by Jacques, Wu, Grosshans et alの実験らしい。
Experimental Realization of Wheeler's Delayed-Choice Gedanken Experiment
ところが、実際の事件結果が変わっていた。一般の常識を覆す常識はずれのものだったのだという。
つまり、実験を行う前に今回は「粒子性を調べよう」と粒子性検出器に切り替えて実験すると実験は光の粒子性を示し、逆に今回は「波動性を調べよう」と波動性検出器に切り替えて実験すると実験結果は光の波動性を示す。結果はあたかも「実験者の意図」を知っているかのような結果となった。だから、
あたかも時間が逆に流れて実験者の意図がこれから到達する粒子に伝わったかのように見えるというものであった。
というわけで、いまいろんな物理学者が似たような実験を自分でもやってみて、その理由を知りたいというわけである。
(お)実はこの問題はずっと前から知られていた!?→エディントンの問い
最近は私は学者というものは、特に20世紀の学者や最近の学者になればなるほど、数学者のフレンケルではないが、「自分の知らないことは存在しなかったこと」と考える傾向が強くなったと思う。
だから、この実験においても、実験した人間もそれに驚いて解析している人間もあまり昔の物理学者の研究や論説を読んでいない。
実は、この問題は一番最初に、アインシュタインの一般相対性理論の実験証明を行ったといわれる、かのエディントン卿が気づいたのである。それもシュレーディンガーが初めてシュレーディンガー方程式を世に提出した直後のことである。だから、今から80年以上も前の1930年代のことである。
ちなみに、実はこの研究に一番詳しいのが、量子力学の理論的枠組を現代制御理論の枠組みと確率変分学の立場からすべてを再構築することに成功した我らが保江邦夫博士である。この保江教授の教科書や文献の
「量子力学と最適制御理論」中の話に沿って行くと、だいたいこういう話であった。
湯川秀樹の「素領域の理論」を完成した男、保江邦夫博士:2つの「大どんでん返し」!?
さて、そのエディントン卿は、シュレーディンガー方程式には、「波動関数」Ψ(プサイと読む)という謎めいた量がある。これは複素数の量であるから、そのΨの複素共役Ψ*がある。
実は、このΨのシュレーディンガー方程式の時間tの進みを「過去から未来に進む方向」を表すとすれば、後者のΨ*の時間の進みは「未来から過去に進む方向」に対応する。つまり、たった1個の電子の波動の確率振幅Ψの「未来への進行」をΨのシュレーディンガー方程式が表し、その確率振幅の複素共役Ψ*のシュレーディンガー方程式が「過去への進行」を表す。共に、1個の電子の波動の確率分布の振幅を表すのだから、それらの積であるΨ・Ψ*が時刻tにいける1個の電子の存在確率密度を表す。
ところが、Ψはその時刻tに過去の始まりからの到達した波動の確率振幅を表すのに対して、Ψ*はこれから到達するはずの未来からやってきた波動の確率振幅を表している。そこで、エディントンは
いったいこれは何を意味するのか?と問うたのであるという。
(か)シュレーディンガーの答え
この問題もシュレーディンガーが答えたのである。実はこの話に一番詳しいのは、われらが保江邦夫博士である。上述のものである。
詳細はそれを読んで欲しいが、要するに簡単に言えば、シュレーディンガーは、これまでの確率過程の考え方を少し拡張したのだった。
一般に古典力学の変分原理やファインマンの経路積分の場合に、粒子がAからBに行くというように、出発点Aと終端点Bを考える。
こういう問題は「2点境界問題」と呼ばれる。
こういう問題を考える場合、普通は(つまり、教科書的には)左から右に時間が進む方向を考えて、1電子(や1光子)がAから出てBに到達すると考える。これをファインマンがブラウン運動の拡散方程式であるウィーナー過程のやり方を使って経路積分を生み出したのであった。もちろん、シュレーディンガーの時代にはファインマンはまだ存在しなかった。
そういう場合の拡散方程式は時間の流れとしては過去から未来への一方向しかない。
そこで、シュレーディンガーは未来から過去へも拡散してくる「何かの粒子の拡散」を考えた。これが未来から過去に来る波動方程式に対応する。
こうして、シュレーディンガーは、過去から未来へ進む拡散方程式と未来から過去に進む拡散方程式を2つ用意して、その両方の確率の積が「現在」を表すのだという新しい確率の拡散方程式の手法を編み出したのである。
残念ながら、このシュレーディンガーの「エディントンの問い」に対する答えもヨーロッパですら忘れられたという。その価値を再発見したのが、保江邦夫博士だったのだ。
(き)べルンスタイン過程から保江―ザンブリーニ理論へ
ところが、保江邦夫博士がそうやってシュレーディンガーの過去の秘密の論文をスイスで見つけて研究していくうちに、実はそのシュレーディンガーの思想を最もよく理解し、それを拡張した数学者を発見したのである。
・K. Yasue, Schrödinger's variational method of quantization revisited, Letters in Mathematical Physics, March 1980, Volume 4, Issue 2, pp 143-146.
その人物が数学者のベルンシュタインだった。ベルンスタインともいう。このベルンスタインは過去から未来へだけの時間発展で記述されるブラウン運動の確率過程を「過去から未来」と「未来から過去」への両方の確率過程を含む形の確率過程の理論へと拡張していたのである。
そこで、数学者はこういう確率過程を「ベルンスタイン過程」と呼んでいた。
つまり、
現実(=現在)とは過去から来たプロセスと未来から来たプロセスの”重なり”なのである。これをベルンスタインは数学化したのである。
しかしながら、これではあくまで確率過程だけの話であって量子力学のエディントンの問いの答えではない。
そこで、出来る限り一般的に、かつ出来る限り数学的にこの問題を解決しようと試みて、それをついにやり遂げたのが、保江邦夫博士とそのお弟子さんのザンブリーニ博士だった。特に、哲学者出身のザンブリーニ博士が見事にこれを完成したのである。
・S. Albeverio, K. Yasue, J. C. Zambrini, Euclidean quantum mechanics: analytical approach, Ann de l'I. H. P. Sec.A, tome 50, n.3, 259-308 (1989).
・J. C. Zambrini, Stochastic mechanics according to E. Schrödinger,
Phys. Rev. A 33, 1532 (1986)
・J. C. Zambrini, Variational processes and stochastic versions of mechanics, J. Math. Phys. 27, 2307 (1986)
これによってかつてのエディントン卿の問いに対する一応の答えが得られたのである。
つまり、エディントンは正しかったのである。
(く)最初のホイーラーの問題に戻ると
そこで最初の「ホイーラーの問題」に戻ると、ベルンスタイン過程に基づく波動力学で考えれば、奇妙でもなければ不自然でもない、ごく自然な結論だとなるはずなのである。
なぜなら、検出器を観測地点において、これからする実験の目的をそこで選択し決定すると、これから行うはずの未知の実験結果はあたかも実験者の期待した通りに振る舞うという実験は、普通の2重スリットの実験がΨだけの情報で理解しているのに対して、ホイーラーの思考実験では、ΨとΨ*の両方が関わる実験だと解釈できるからである。
観測者が実験する前に置く検出器の境界条件は、Ψではなく、Ψ*に作用する。なぜなら、これから発射されるはずの量子の最終地点のBからΨ*が発射されるからである。
つまり、実験者の置く検出器は、量子にとってはその片割れであるΨ*の初期条件や境界条件として擾乱を加えるのである。それゆえ、もう一方のΨは観測者の目的を擾乱として受けた未来から過去へ向かうΨ*の確率振幅の複素共役として進まざるを得ないのである。
ゆえに、観測者が波動性を見破ろうと実験すれば、現象は波動性を示し、観測者が粒子性を見破ろうと実験すれば現象は粒子性を示す。そうならざるをえないのである。
だから、別段謎でもない。
ところで、制御理論の分野には、「観測と制御の双対性」、別名「カルマン双対性」というものがある。つまり、「制御」とは未来から現在に向かって行うものであるの対して、「観測」とは過去から未来に向かって行うものである。この両者はお互いに逆の役割をする。そういう双対性である。
これが見事に対称性を持つというのが、シュレーディンガー方程式の場合である。が、問題はそれが破れる時。すなわち、「対称性の自発的破れ」が起こる場合である。
観測と制御の対称性の自発的破れとはいったい何なのか?
俺の謎は付きない。
はて、信じる信じないはあなたの心がけ次第というやつですナ。
おまけ:
The Quantum Conspiracy: What Popularizers of QM Don't Want You to Know

by kikidoblog2 | 2016-01-18 11:55 | ウィーナー・サイバネティクス