「杉田元宜博士のご家族は何処に?」:「杉田の熱力学」は復刻可能か否か?   

過ぎたるは猶及ばざるが如し
【読み】すぎたるはなおおよばざるがごとし
【意味】過ぎたるは猶及ばざるが如しとは、度が過ぎることは、足りないことと同じくらい良くないということ。


みなさん、こんにちは。

最近は、不可逆過程の熱力学の論文を仕上げる段階になっていたのだが、知人同僚の山田弘明博士から、それなら故一柳正和博士の
不可逆過程の物理不:日本の統計物理学史から
a0348309_8352029.jpg
(1999年日本評論社)
っていう本がありますよ、と教えてもらって、その本を買って勉強したのだが、その中で「杉田の熱力学」という一節や言葉があった。それで初めて杉田元宜博士の名前を知ったのであった。
「杉田」の発見!:謎の天才理論物理学者「杉田元宜」博士の写真はどこだ?

そして、一柳博士の本に紹介されている昔の物理学者の論文を一つ一つ調べて行ったのだ。

昔の日本には、数学と物理学の学会は1つだった。それが「日本数学会社」に端を発した「日本数学物理学会社」(通称「数物学会」、昔は「会社」とは学会にも使われたようだ)で始まった。これが明治時代に我が国で初めて誕生した物理や数学の科学学会である。

それが太平洋戦争後にあまりに物理と数学が細分化し話が合わなくなってきたために分裂独立して、数学会と物理学会とに分かれたのである。ここに日本物理学会が誕生した。(正史はここにある。)

最初は数学会社が数学中心で会誌や論文誌を作っていた。徐々に物理学が発展すると、数学と物理学が並列されるようになり、数学物理学会誌になった。その雑誌には数学理論も物理理論も同時に掲載されたのである。戦後になり、その日本物理学会ができると、それもまた分離した。さらに、物理学は素粒子論と物性論の2つに大きく分かれ、前者は「素粒子論研究」、後者は「物性理論研究」という雑誌を運営するようになった。

これらの雑誌は1996年に我が国初めてインターネットが登場した頃、つまり私がここ阿南に引っ越して来た頃にはネット上でも読むことが出来なかった。だから、当時から10数年の間はかなり大きな旧帝大クラスの大学に行かなければ、「物性論研究」など読むことが出来なかったのでる。

ところが、ここで最初の一柳博士の本の話に戻るが、最近の今では、1940年代から終焉まで全部インターネットで読むこともフリーダウンロードもできたのである。
「物性研究」冊子版


これ幸いと私は一柳本で紹介されている物性論研究に日本語で公表された、杉田博士の論文や他の研究者の論文を集めて読んでいったわけだ。

そうすると、だいたい次のようなストーリーだったことが分かった。

不可逆過程の物理は1931年のオンサーガーの相反性理論を始めに開花した。むろんオンサーガーは2次元イジングモデルの厳密解ではなく、相反定理でノーベル賞を受賞した。その後1970年代になり、ベルギーのユダヤ人でイリヤ・プリゴジンの「エントロピー生成最小原理」でかなり発展し、そこからプリゴジンの「散逸構造の理論」というやつで一世風靡し、ノーベル賞を取った。

とまあ、これが西洋人の知る正史だった。我が国でも普通の科学者はそういうふうにしか理解していなかった。むろん私もである。

ところが、我が国の杉田元宜博士はその学位論文(博士論文)が「過渡的現象の熱力学」というタイトルのもので、これは本として昭和25年1950年に岩波書店から出版されていた。

問題はそのタイトルが「過渡的現象の熱力学」とあったことだった。これがかなり誤解を後世の我々に与えたに違いない。

今の我々の時代で「過渡的現象」というと、外力が瞬時に加わって消える。そういう場合にある物理系がどう応答するか?そういう問題を想起してしまうのだ。つまり、応答理論の一種だろうと考える。

ところが、杉田博士の時代戦前の日本では、「過渡的現象」という意味はほぼ100%「不可逆過程」あるいは「非可逆過程」という意味で使われたのだった。要するに、オンサーガーの「不可逆過程」の意味で「過渡的現象」と使っていたのである。ある物理系が変化しそれが平衡状態にまで戻る。この過程(プロセス)を杉田博士は「過渡的現象」と呼んだのである。

それもそのはずで、実際には「過渡的現象」の一部に「不可逆過程」が入るからである。過渡的現象の方が不可逆過程より広い概念なのである。

というわけで、杉田元宜博士は1930年代から、つまり、オンサーガーの最初の論文が出た直後から、不可逆過程の熱力学の問題を研究していたのである。そして、1949年にプリゴジンが処女論文を出す前に「過渡的現象の熱力学」=「不可逆過程の熱力学」を完成していたのである。それをトムソン(=ケルビン卿)の熱電対の理論に応用したり、粒子拡散や熱伝導の問題に応用していたのである。

そればかりか、不可逆過程の熱力学のその理論的枠組に、当時完成したばかりの古典統計力学のメイヤー(Mayer)のクラスター展開の理論やその過冷却現象への応用版であるベッカー=デーリング(Becker=Doering)理論やフレンケル理論を利用して、いまでいう「ニュークリエーション」(液化)現象の理論の本質を見抜き、なんとそれを「生命発生の基礎理論」とできるのだという思想を生み出していたのである。

(ちなみに、この戦前は世界最高の物理学はドイツの雑誌だった。戦後、イギリスとアメリカが主流になったが、かのファインマンの時代がアメリカ生まれの初のノーベル賞であった。だから我が国も戦前は科学はドイツ語が主流だった。だからいまも医者はカルテとドイツ語を使っている。)

私はもちろんオンサーガーの不可逆過程の論文全部翻訳したから全部読んでいる。さらにずっと前にプリゴジンの研究のほぼ全部を読んでいるから、杉田博士の理論がどういう意義を持つかも分かる。

オンサーガーとほぼ同時代、プリゴジンよりずっと前に、いまでいうところのプリゴジンの「散逸構造理論」とほぼ同じものを、いや実際にはそれ以上のものをまったく1人で独立に生み出していたのである。

なぜなら、プリゴジンは散逸構造理論の応用として、単に化学反応系のザボチンスキー反応のようなものだけを中心に行ったにすぎないが、この杉田に至っては、そんな陳腐なレベルではなく、生体のホメオスタティスを生み出すネットワーク熱力学の思想まで研究し、論理回路のモデルを作り、まだ当時はアナログ計算機の時代であったから、実際に電子回路を作ってシミュレーションまでしていたからである。

この理論はいまではサンタフェインスティテュートのスチュアート・カウフマンの「複雑ネットワーク理論」、いわゆる「複雑系理論」が登場する1980年代になって流行りだしたものだが、それよりはるかに高度な理論を1950年代に完成していたのである。まったく独力でだ。

なんたる天才。

事実、スチュアート・カウフマン博士の代表作
The Origins of Order(秩序の起源)
a0348309_932777.jpg
にはM. Sugitaの名でちゃんと論文引用がある。

もちろん、スチュアート・カウフマンもユダヤ人。自分の研究より何十年も前に我が国の杉田元宜博士が自分のこの本よりずっと先に行っていたということはダンマリを決め込む。申し訳程度の1つ論文を引用しただけのことだ。杉田に言及すれば、ここの私のように、大変な衝撃を受けるからであるし、自分のオリジナリティーの欠如の問題になってしまい、せっかくの自分のネットワーク理論の内容を語るチャンスすら失うからである。

なぜか?

実は杉田博士は、カウフマンが複雑系理論を銘打って世に出るようになった1969年より何十年も前に、カウフマンがやることになったようなアプローチは生物には意味が無いときちんと論文で説明していたのだ。杉田博士は、かのシュレーディンガーの「負のエントロピー」=「ネゲントロピー」すら、その定義の問題点を明確にしていたのである。ましてやブリリアンに端を発する「情報エントロピー」は生命に使うには非常に注意を要するとはっきり書いている。

ましてや「マックスウェルの悪魔」に関しては愚の骨頂と書いていた。生命とはまったく無関係だと。エントロピーを理解できない人間がそうやって遊びに逃げると言っていた。実に痛快である。

生命は、物質代謝、エネルギー代謝、そしてエントロピー代謝の全部が複雑に絡まり合う壮大なる「過渡的現象」であって、生命誕生から現在に至る歴史そのものが一つの「過渡的現象」=「歴史的に一回こっきりの実験」であると主張していたからである。

が、杉田の指摘や注意は欧米には届いていなかったし、戦後の我が国でも知られることはなかった。

不幸にも、この杉田元宜博士は、小林理研が再編成されて単なる民間の音響器メーカーに変わるときに一橋大学教授になってしまった。一橋大は唯物論共産主義左翼の大学である。しかも人文系社会科学、経済学しかない。そんな大学に行ったのである。

杉田博士はそこで経済学の教授として、これまた驚きの研究を行った。経済学を熱力学として見直すというシロモノである。これが1960年代から杉田博士の晩年までの研究である。
社会とサイバネティックス (1969年)

社会とシステム論(1円本)

工学的発想のすすめ(1円本)


杉田の経済学の熱力学的たとえ、あるいはその逆で熱力学の経済学的たとえは非常に面白い。

杉田が熱力の本「熱力学新講」を書いていた頃(いまアマゾンみたら杉田博士の『熱力学新講』が早速でていますナア。この間はまったくなかったんだが)、日本は戦前であった。そして書いているうちに日華事変、日中戦争、そして太平洋戦争に突入していった。

杉田は序文の最後にこう書いている。
本書を執筆中日華事変となり、病床にある中に欧州戦争となり、校正中太平洋戦争となった。戦後再販にあたって時勢の変化に考え根本的に改めた所は多いが、意にまかせないので、誤りを正す以外に補註をつけて補うことにした。本文中ゴシックでなどとしたのがその番号である。しかしこれでも今日の世の中で何かの役には立つだろうと思って世に送る次第である。


だから、戦後はいわゆる「闇市時代」であった。

杉田はこの闇市を「熱拡散」と例えたのである。それに対して、外力による仕事は政府による命令や法令。人々はガスの原子分子と思ったのである。

いくら政府が公正に努めよと厳密な統制経済を行っても、ミクロにみれば、うごめく人々が政府の扱いきれない闇市で金や物資を散財する。これが熱拡散や熱散逸である。

杉田はこのように始めのうちはわかりにくい熱力学をナマの経済現象にたとえて説明したが、晩年に一橋大の経済学教授や社会学教授になると、逆に経済学や社会学に熱力学を応用したのである。

これまたいまでは常識となった発想である。

なぜなら、株式市場こそ我が国の伊藤清博士の創始した「確率微分方程式」を応用した「ブラック=ショールズ方程式」を使って株式投資する時代になったからである。確率微分方程式は拡散現象のブラウン運動理論を説明するうちに出来上がったものである。

経済の安定性を生命のホメオスタティスのようにネットワーク熱力学の観点で考察した。それが杉田の熱力学的発想であり、「工学的発想のすすめ」であった。

科学では声の大きなものが勝つ。我が国では戦後久保亮五博士が一番声が大きかった。海外の外人は耳が遠い。だから大きな声しか聞こえない。ましてや英語論文しか読まない。

ところが、杉田の論文の95%は日本語である。もちろん、ドイツ語英語論文も書いている。が、その数はごく僅かである。だから、杉田の声は海外にまで届かなかった。ましてや我が国ですら届かなかった。

さらに太平洋戦争による米軍の無差別絨毯爆撃で旧帝大や国立図書館や公営図書館の大半が消失した。さらに一般人の民家も首都圏を中心に消失した。広島はあのざま、長崎もあのざまである。原爆で一瞬にして消失。だから、戦前までに我が国で蓄積してきた多くの科学書やアカデミックな価値のある書籍の大半が失われたのである。

かの竹内文書のオリジナルも東京空襲の無差別爆撃で失われたという。

そういうわけで、杉田の本もかなり劣化したままである。当時の出版社の社員もみな死んでいる。出版関係者も現存しない。

というわけで、私は杉田元宜博士の「熱力学新講」と「過渡的現象の熱力学」を私が「現代語訳」して復活させたいと考えた。

はてこういう場合に著作権はどうなるのか?

著者もいない。家族も分からない。本もほとんどない。だが、その本は歴史的価値がある。我が国の宝である。

こういう場合にどうすればその本を復刻できるのか?

ところが、どういうわけか、昨今の左翼の運動家のせいで、「プライバシー保護法案」というものができてしまった。これはアカデミックな正当なビジネスまで妨害する。

私が杉田博士の著作権の問題を知りたいから、そこで調べると、著作権は死後50年まで生きている。博士は1990年にお亡くなりになったから、2040年まで杉田の著作権は生きている。ならば、ご遺族やご家族の許可を得るほかはない。

というわけで、当然ながら出版社に問い合わせる事になろう。そうやっていざ問い合わせれば、「プライバシー保護法案」によってお教えできないとなる。弁護士をとうしてやれよってサ。

はあ〜〜、アホですか?

両者の身分や国籍や個人が判明すれば、出版社がそのご遺族を紹介しても良さそうなものであるし、むしろそうあるべきであろう。

どうやら弁護士会の陰謀だったようですナ。「プライバシー保護法案」を通すことにより、左翼のすなわち在日朝鮮人韓国人の弁護士の仕事が増えて儲かる。左翼弁護士の需要が増す。そういうために「プライバシー保護法案」を作ったんですナ。

ちなみに、インターネット時代に入り、欧米はむしろ逆になった。著作やアカデミックな出版物に対しては、著作者は著作権を著作権法に従わないで放棄して欲しい運動が流行っているのである。さもなくば、前世紀の古典や古本の再販や復刻が出来ない。

いまでは、3Dスキャン、3Dプリンターの時代である。ディジタルデータさえあれば、本を復刻できる。くだらん本ならともかく科学分野の歴史的な著作はすぐに復刻できる方が好ましい。だから、欧米は著作権放棄NPOが活躍して、多くの古い科学書が現代に復活している。

我が国には朝鮮人がいる。左翼のシナ系の帰化人がいる。こういう連中が何から何まで日本人の邪魔になる。邪魔をする。こうやって「韓の法則が発動」し、国が崩壊するのである。それが遺伝子異常が950万箇所も積み重なったヒトモドキ人種の宿命なのだという。ほんとどうにかしれくれヨ、このヒトモドキ共を!

いやはや、残念無念。

亡き杉田元宜博士には大変申し訳ないが、どうやら杉田本の復刻は無理のようである。

杉田博士のご遺族がこれを読んで私に知らせてくるという幸運でもなければ不可能だろう。

まさに
すぎたるはなお及ばざるが如し
というやつですナ。

まあ、俺個人は現代語版を出すには2〜3年かかるからその分時間が出来て結構なのだがナ。

いやはや、世も末ですナ。




e0171614_11282166.gif

[PR]

by kikidoblog2 | 2016-05-10 10:58 | ブログ主より

<< 「パナマ文書」全公開の快挙!?... 「ベンチャー科学研究所からのメ... >>