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支那では6月4日は(天安門事件)「無視の日」!?:「天安門事件から27年」   

みなさん、こんにちは。

そういえば、6月4日は我が国では「むしばの日」とか語呂合わせをするが、支那では「むしの日」らしい。何を無視する日かと言えば、もちろん、あの

天安門事件

を無視する日なのである。

自国の「本当の歴史」を無視し続けて5000年の民族なのだからして、最近の27年前の大事件を無視するのは当たり前と言えば当たり前であろう。

27年前の1989年6月、

私は米国ユタ大にいた。6月というと長い夏休みに入る前の最後の期末試験が架橋に入り、それが終われば、これから夏休みに入る。そういう時期だったと思う。

だから、深夜まで大学には大勢の学生たちで賑わっていた。

そんな矢先に、テレビを見ている米人学生たちがみんな

アンビリバボー、オーマイガー、オーマイガー

と騒ぎ出す。それで、

なんだ、なんだ、何事だ〜〜!

と他の学生たちも集まってテレビの大画面に見入った。

その映像がこれだった!
'I will try and fix you' 'Tian'anmen square' china or 'Time Square' America.wmv


Tank Man: The amazing story behind THAT photo - Newsnight


[Documentary] Tiananmen Square Massacre 1989 in China


[Documental] Desclasificado: La masacre de Tiananmen, China.


あれから27年。

そんなレッド・支那では、こんな感じだとか。
天安門事件から27年 政府批判を抑え込む動き

NHKニュースも放送中断
中国本土では4日、日本時間の正午すぎ、NHKが海外向けテレビ放送、「ワールドプレミアム」で、天安門事件に関するニュースを伝えた際、映像と音声が1分半余りにわたって中断され画面が真っ黒になりました。中国では、中国国内で放送している外国のテレビ局の放送内容を当局が監視し、規制しており、中国政府や共産党にとって都合の悪い内容のニュースなどは、放送がたびたび中断されます。


この事件の時、ユタ大で職を持った支那人教授や支那からの留学生たちがどれほど肩身の狭い思いをしたものか?その事件の最中はほとぼりが覚めるまで支那系の人たちの姿は見えなかった。

戦車に轢かれて

2次元人間

になってしまったあの学生は今どうしているだろうか?

何の因果かアジアの人喰い人種の末裔に生まれてしまったのが悪かった。

話は変わるが、私が理化学研究所(理研)にいた頃、今同様に左派に乗っ取られた理研は海外留学生や海外研究者の採用に熱心だった。

同じ能力があれば、我が国民を排除してその分外人を取る。そういう方針だった。

そんな理研のパーティーで支那からのポスドク達もたくさんいたのだったが、その目つきはやはり一風変わっていた。いわゆるヤクザが人を人と見ないというような朝鮮系の目つきとも違う。なんというのか、他人を品定めするという目つきなのだが、その観点がだいぶ違うというような目つきだった。

そう、つまり、

こいつはうまそうだな

という品定めの目つきである。

支那人がいる時は、寝ている間に殺されて食われないように注意しなければならないのである。

これは一般の支那人に言えることで、彼らの人生の望みというものが、
美味しいものを食べたい
という共通の文化的、というより、遺伝的性質があるのである。これが行き着く先、つまり、この世の食べ物を食べ尽くしたその先は、かならず
人間を食ってみたい
という感情や欲望に襲われるらしい。

これが支那人という種族、ヒトモドキである。

これに対して朝鮮族は、
人を襲いたい。

自分のストレスを人を襲って晴らしたい。

とまあ、こんな遺伝子である。

それに対して、我が国は
人の役に立ちたい
である。

狩猟民族でも、欧米人のような、牛や羊やヤギを狩猟するというのとは違い、特アの場合は、家畜は持たなかったから、人を狩猟したのである。

我が国は数千年以上も唯一このアジアで支那朝鮮の人喰い文化を拒んで真似しなかった民族なのである。
人の魂は死後一つになる
という神道の信仰により、自分よりも他人を大事にするという精神文化が育まれたからだ。

支那人は人を平気で食ってきた民族である。人の命をなんとも思わないのは当然だろう。

相手は食い物、食うか食われるかの世界だったわけだ。

邪魔者は消す。そして食う。

これが支那系の精神風土である。

食う価値もないものは、踏み潰す。


まあ、そういう感じで天安門広場のデモ学生たちを戦車で蹂躙したのであった。


これが支那である。

我が国は、
我が国の悲劇は近くに特アがあることだ
というのは、福沢諭吉以前からずっとそうだったのである。

そして、
現代の我が国の悲劇は、すでに国内に無数の特アの血筋のヒトモドキが寄生してしまったことだ。


これが現実なのである。


いやはや、世も末ですナ。



おまけ:
朝鮮の三別抄が元寇を遅らせたというデタラメ

驚いたことに最近、元寇について、
「朝鮮半島で武臣政権による三別抄(さんべつしょう)の乱が
 フビライ・ハーンの
 日本遠征を遅らせた」
というデタラメが流布しています。

(中略)

要するに、「三別抄と呼ばれる臨時編成の精鋭部隊がモンゴルに最後まで抵抗した」などという解説は、まったくのデタラメなのです。
国王以下高麗の政権がそくさくと逃げてしまったために、「三別抄」と呼ばれる強盗団が朝鮮半島内に跋扈し、高麗に攻め込んだはずのモンゴル軍が、むしろ朝鮮半島の民衆を逆に保護する側となって「三別抄」と戦い、結果、朝鮮人たち自身が朝鮮に愛想をつかしてモンゴルについていって、満州方面に移住してしまったというのが、歴史の真実です。

さて、江華島に逃げていた高麗王や武臣たちです。
彼らは1259年になってついに元に降伏して、その属国となりました。
そしてこのとき、高麗王や武臣たちが元に対して言ったのが、
「高麗は見ての通り何もない国です。
 ところが海の向こうには、
 日本という
 たいへん豊かな国があります。
 どうぞそちらを攻めて下さい」です。
まったくとんでもない連中です。

(後略)
朝鮮族は昔から朝鮮族だった。セオル号の船長と同じ気質が昔からの遺伝のようですナ。自分の責任を放棄してすぐ逃げる。自分の身を守るために無関係の人に矛先を向ける。まさに舛添都知事がいまやっているからよく分かるだろうヨ。



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by kikidoblog2 | 2016-06-06 08:59 | 支那・共産・南京捏造

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