In My Memory of Leo Kadanoff:私の記憶のレオ・カダノフ→ユダヤ人を垣間見た!?   

みなさん、こんにちは。

Leo P. Kadanoff

といえば、物理学の世界では誰一人知らないものはない。

それほど有名なファンタスティックなトップスターの一人だった。先日メモしたように、私には一回だけ第三種接近遭遇したことがある。
光陰矢のごとし:1986年、あれから30年!やっぱりみんな老けたナア!?


おそらく我が国では、甲元眞人先生だけがこのカダノフの真性の愛弟子であり、シカゴ大学のカダノフの下で博士号を取得しておられる。

シカゴ大学は学生になるだけでも大変な世界でもトップ10に入る大学だから、そこの物理学部でしかもその学部のスーパースターの下で博士になるというのは並大抵のことでは不可能なのである。

にもかかわらず、甲元先生は東大物性研では何らかの差別を受けて、いまだに准教授である。

私がアメリカから帰国後の富士通時代、東大物性研は比較的近いからよく遊びに行って、そこの甲元研のセミナーには欠かさず参加させてもらっていたのである。

その時代1991〜92年頃に甲元先生の大学院生だった押川君の方が先に物性研の教授になってしまうという摩訶不思議な逆転劇が起こったという有様である。他の卒業生たちも軒並み教授に先になったんちゃうか?

教えて指導した方が、一から手ほどきを受けて博士になった方に先を越される。しかも甲元先生は、カダノフの愛弟子。それもかなり有望株の方のお弟子さんだ。

ほんとどうしてなんでしょうナア? 未だにこの理由がわからない。


まあ、それが東大人事と言えば東大というものだろう。超絶反日、売国奴の増田みたいなヤツのほうが、簡単に客員教授になれたりする国立大学だ。ましてや俺なんぞ一度もお声がかかった試しはない。

富士通時代、東大物性研に200万円も苦労して科学研究費を送り込んでやったにもかかわらずだ。もちろんちゃんとしたルートの奨学奨励金というやつだ。

当時甲元研には今つくばにいる初貝教授が助手だったのだが、200万でかなりの計算ができたはずである。たしかワークステーションを買ったのではなかったか?

私が渡した私の論文で、これは私のユタ大時代の博士論文の延長で、いわゆる物性理論の1次元電子論の波動関数は、バンドがある場合(つまり、周期系の場合)は厳密にリーマンテータ関数で書けるということを示した論文だったのだが、ちょうど初貝がアメリカ留学にチャンスに恵まれた時期で、その時のお祝いを兼ねて俺がそのプレプリを手渡したのだった。

これを使えば、
「量子ホール効果の理論が厳密に解けるよ!だから、ぜひ頑張れ」
って言ってな。

ところが、私の予想りカリフォルニアにいる間に初貝は私のアイデアを理解してそれを量子ホール効果に使って、非常に優れた研究を生み出し、それが彼の世界デビューになったのだが、なんと私の論文に対する謝辞もなければ、私にアイデアのある論文をもらったということすら書かなかったというわけだ。これが1993年の論文である。

しかしそれはこれまでだれも物性理論の世界ではお目にかからなかったアイデアだから、なぜなら可積分系の戸田格子の理論を物性理論に応用する理論だから当然である。

私はその理論を1次元準周期系に初めて応用し、
1次元準周期系の波動関数は無限次元リーマンテータ関数で書ける
という論文をすでに1992年にJMPに公表していたわけだ。
Kazumoto Iguchi, "Exact Wave Functions of an Electron on a Quasiperiodic Lattice: Definition of an Infinite-Dimensional Riemann Theta Function", J. Math. Phys. 33, 3938-3947 (1992).


とまあ、東大というのは、昔からそんな人間がたむろしている大学だから、最近のように、女性を集団強姦するような学生や大学院生がいたって何ら不思議はない。

私が大学院生の頃聞いた話では、東大の大学院生が地方大学の物理学会に行く先々で、女にちょっかいだして、ホテルから電話してくる奴がいたというものまである。自慢するわけだ。「俺今ホテル。横に女がいるよ」ってナ。こんな奴でも今頃はどこぞの大学の学部長や学長クラスになっているんじゃね〜〜か。

いやはや、カダノフ先生の話から、東大の話に移って大分前置きが長くなってしまったが、これも今は昔の物語。事実は事実としてちゃんと歴史に残すのもまた科学者の使命の1つである。


さて、そのカダノフ博士に対する追悼文をいくつか見つけたので、それもこの際メモしておこう。以下のものである。
Leo P. Kadanoff, Physicist Who Explored How Matter Changes, Dies at 78
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Leo P. Kadanoff, a physicist who provided critical insights into the transformations of matter from one state to another, died on Oct. 26 in Chicago. He was 78.

The cause was respiratory failure, said the University of Chicago, where he was a professor from 1978 until his retirement in 2003.

A member of the National Academy of Sciences and a fellow of the American Academy of Arts and Sciences, Dr. Kadanoff received the National Medal of Science in 1999.

“He won basically every prize except the Nobel Prize, and many people thought he should have won the Nobel,” said Emil Martinec, who directs the Kadanoff Center for Theoretical Physics at the University of Chicago.

Dr. Kadanoff’s biggest scientific contribution came in the 1960s as scientists were trying to understand how matter changes from one form to another, known as phase transitions. Boiling water turning into steam at a particular temperature and pressure, for example, is known as a second-order phase transition.

A Cornell chemist, Benjamin Widom, had come up with mathematical relationships that described behavior associated with such second-order phase transitions. But he did not have an underlying physical explanation for why these relationships exist.

Dr. Kadanoff turned to a simple model of another second-order phase transition, ferromagnetism. In some materials, atoms, like tiny bar magnets, line up to produce a magnetic field. As the temperature rises, the atoms become jumbled, and the magnetic field diminishes; above a certain temperature, the magnetic field disappears.

What Dr. Kadanoff found was that the jumbling had a fractal-like appearance. The patterns of fluctuations on a small scale possessed the same statistical distribution as much larger fluctuations. By looking first at small regions containing just a few atoms and then using those results to analyze ever larger regions, he could reproduce Dr. Widom’s mathematical observations.

“He was a master of boiling things down to the simplest possible form and then extracting the most important consequences that follow from that,” said Nigel Goldenfeld, a professor of physics at the University of Illinois. “That’s how he gained penetrating insights into very complicated problems where other people didn’t see what was going on, because they were too confused by the complications.”

At Cornell, another physicist, Kenneth G. Wilson, took Dr. Kadanoff’s work and came up with a more general mathematical theory.

The approach proved useful in understanding not only phase transitions but also a wide range of phenomena, including the interactions of elementary particles and how a drop of water breaks in two.

In 1980, Dr. Kadanoff shared a prestigious physics prize from the Wolf Foundation in Israel with Dr. Wilson and Michael Fisher, one of Dr. Wilson’s collaborators.

Two years later, the Nobel Prize in Physics honored the same advances, but only Dr. Wilson received the prize. At the time, Dr. Wilson said he would have expected the Nobel committee to honor Dr. Fisher and Dr. Kadanoff as well.

“Yes, I was very surprised and especially so that I’m getting the prize alone,” Dr. Wilson told The New York Times.

Leo Philip Kadanoff was born on Jan. 14, 1937, in New York City. He attended Harvard, obtaining bachelor’s, master’s and doctoral degrees in physics.

After leaving Harvard, he conducted postdoctoral research at the Bohr Institute for Theoretical Studies in Copenhagen. He became a professor at the University of Illinois in 1962, then moved to Brown University in 1969 and then to the University of Chicago in 1978.

Dr. Kadanoff served as president of the American Physical Society in 2007.

His first marriage, to Diane Gordon, ended in divorce.
In Memory Of
Leo Kadanoff

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ところで、このカダノフ先生とはもう一つだけ私は接点がある。これもこの際ついでにメモしておこうかナ。

私がユタ大で1次元準周期格子の理論で博士号をとる頃、「それを論文にしていいよ」という命が私の師匠であったビル・サザーランド教授から出された。そこで、私は早速待ってましたとばかりに論文をまとめ、それをレター論文にして世界最高名高いPhys Rev Lett誌に送ったのである。

この科学雑誌ではすぐにレフェリー(匿名査読者)から読んだ感想や意見が送られ、大半が拒絶されるのが常である。すんなり掲載されるものはあまりない。私も2つだけしかそういう経験はない。これはもっと後になって私自身が経験的に知ったことである。

当時はまだ院生だ。まったく無知だったが、そんなところにレフェリーレポートが届いた。通常のレフェリーレポートにはレフェリーは匿名で名前はない。ところが、そのレポートには名前がついていた。しかも、
「このレポートが意味を成すのは私の名前がついてある場合だけだ。by Leo P Kadanoff」
とあった。

なんとこのカダノフ先生、俺に名前付きのレフェリーレポートを送って来られた。しかも頭を巨大なハンマーで100回ほど叩き割ろうとするかのような痛烈な一撃の拒絶のレフェリーレポートを送ってきたのだった。

結構長いレポートだったが、結論は単純。

「俺様はお前が書いたことは全部知っている。だから掲載許可は俺の名にかけて絶対にしないぞ!」

というものだった。

いや〜〜〜、痛い。

当時、俺はなんでユダヤ人として生まれてこなかったのかとさんざん悔やんだものだ。たぶん、俺が、イグチビッチとか、イグラエルとか、イグチーマンとか、カズモエフとか、なんとなくユダヤ的な苗字であれば、きっともっと穏やかな論調だったのではなかろうかと思ったものだ。

カズモト イグチ、Kazumoto Iguchi

で出したわけだから後の祭り。

まあ、とにかく気を取りなおして、ビル・サザーランドにそのレフェリーレポートを見せると、サザーランド教授も驚いた。
「レオがこんなことをするとは信じがたいが、自分の知るレオ・カダノフはフェアな人物だ。しょうがないが、ここは彼に従って他の雑誌に出そうじゃないか?」


とまあ、こんな感じで、しょうがなく私はPhy Rev Bの方に回したのである。この遅れで、結局私の論文は博士論文のディフェンスまでには出版が間に合わず、さらには帰国までにも間に合わず、結局校正はここ阿南に一時的に将来奥さんになる人の実家訪問している最中にアメリカに送り返すという結果になってしまったわけだった。

天国か地獄か知らないが、どっちかにいるカダノフ先生、覚えていますか?

この経験以来、俺はいわゆるユダヤ人嫌いになったネ。あれはニダヤといっしょで上辺と裏では別だってナ。

まあ、ユダヤとニダヤは100%同根であろう。

実際、かつて朝鮮半島まで、アジアにはユダヤ民族の居住区が残っていたと、かのマルコポーロが書いているわけだ。

まあ、人間というものは、そうしたいろいろの経験を通じて男らしくなっていく。強くなっていくものである。

そんなわけで今の俺はもうなんにも驚かないがナ。

いくら天才と言っても、いまだにだれも生命を理解できないのはまったく100年前から変わらない。計算テクニックが巧妙になっただけ、ちょっと便利になっただけのことにすぎない。

生命が理解できれば、寿命を1000年に伸ばすことすら可能なわけだ。あるいはそれが不可能だということが明確になる。そのいずれかなのである。わからないから、無謀な努力をして時間を無駄にするわけだ。昔の永久機関さがしと同じことである。可能か不可能かわかれば、無駄な努力をする代わりにもっと有益なことに自分の時間を使えるようになるわけだ。


この偉大なるレオ・カダノフ博士のご冥福を心からお祈り致します。R.I.P.

もう俺にいじわるしないでチョ!


いやはや、世も末ですナ!





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by kikidoblog2 | 2016-07-24 10:48 | 個人メモ

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