昔のBBSから:「もうひとりの偉大な選手:財前頑張れ!」やはり「昔は良かった」!?   

みなさん、こんにちは。

先日、財前宣之選手と中田英寿選手の話をメモした。
努力の天才中田英寿と才能の天才財前宣之:やはり魂の違いが人生を決める!?

中田英寿が絶対に敵わなかったサッカーの天才、財前宣之


栄光なき天才たち 名も無きヒーローに学ぶ幸せの見つけ方 2016年8月13日


この財前選手に関して、私はもう14年も前に昔の掲示板Kazumoto Iguchi's Scientific BBSに記事にしていたから、一応それを再掲しておこう。これは、拙著「日韓ワールドカップ2002」の117ページにある。以下のものである。

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もうひとりの偉大な選手:財前頑張れ!
KI
2002/05/30 19:00
男性 自由業 44歳 O型 海外

さて、いよいよ今日からワールドカップが始まる。そこでは、中田
ヒデトシ選手が代表にいる。かつてその中田以上だった選手で
本来なら今回の代表に加わっていなければならなかった選手
がいることをここに紹介しておこう。

日本のマスコミでは、おそらく、紹介されることはないだろう。

それは、以下にしめす財前選手だ。

10 財前 宣之
Nobuyuki Zaizen
生年月日 1976/10/19
出身地 北海道
身長/体重 170cm / 70kg
サッカー歴 読売クラブジュニアユース→読売クラブユース
ヴェルディ川崎→C.Dログロニエス→ヴェルディ川崎→HNKリエカ
代表歴 1993年 U−17日本代表
(1993年世界選手権ベスト8.ベストイレブン)


今年から、ベガルタ仙台はJ1に昇格したが、その最後の決定戦
で、Vゴールとなるボレーシュートを決めたのもこの財前選手だ。

私はかつて中田選手とこの財前選手がチームメートだったころの
U17日本代表の試合も全部見ていた。その中でフォワードの中田選
手を見事に使い、日本を勝利に導いていたのが、この財前選手だった。そして、中田選手と財前選手はベストイレブンに選ばれ
た。


それなのに、それ以後、つまり高校卒業後、の2人の差は歴然と
していた。それはどうしてか?これは面白い。

一つは性格の差、もう一つは、入った場所の差。

性格は中田選手はゴーイングマイウェイで強い。一方、財前選手
は人が良く優しい。にもかかわらず、入団先は中田選手がベルマーレ
平塚で財前選手はベルディだった。

平塚には日本人選手では際立ったものはいなかったが、ベルディには
カズ、ラモス、北沢、などたくさんのスター選手がいたわけだ。
そこで、結果的に、チャンスも与えられず、泣かず飛ばずで数年を
過ごしてしまった。試合に出ない選手にチャンスは来ない。結局、
中田選手はスター街道をまっしぐら、財前選手は読売から解雇され、
流浪の選手になり、ベガルタ仙台でやっと居場所を見つけた
わけだ。

今年のベガルタ仙台は強い。その理由が財前がいるからだ。

彼がベストイレブンにはいったU17大会では、たしかアフリカの
チーム(ナイジェリア?)が優勝した。この中から、素晴らしい
ワールドカップ代表レベルのスター選手が排出し、その後のナイジェリア
躍進の原動力となった。


私はラモスとカズが嫌いだ。その理由がこれだ。ラモスよりはるかに
才能のある選手を人気でチャンスをあげず、つぶして来ているからだ。
まあ、これがかつてからあった日本社会の典型的な「出る杭を打つ」
というやり方と言えるだろう。

全く同じことは大学であれ、どこでも言えることだろう。


おっといけねー、変な日系人に戻らなくっちゃねー!


上のYouTube番組では、三浦和良選手が出てくるが、そして昔のことをいっしょにイタリアで戦っていた仲間のような振りをしているが、俺の記憶は、読売ヴェルディの最盛期の時代、鳴り物入りで入った財前選手ですら、三浦和、ラモス、北沢などのいるヴェルディでは、レギュラーを取るチャンスがなかったのである。

同じ時代、中田英寿選手は、その点でも賢かった。ディアズのいたマリノスや三浦和やらモスのヴェルディやジーコとアルシンドの鹿島アントラーズなどの最盛期のチームではなく、まだできたてホヤホヤの湘南ベルマーレに入団したことである。

鶏頭牛尾

牛の尻尾になるよりは、鶏の頭となれ

の鉄則通り、スター選手のいないベルマーレで中田英寿は孤軍奮闘し、高卒ルーキーでリーダー格となった。

これから、アトランタ五輪代表となり、そこで派手に金髪に変えて目立ち、イタリア行きの足場を作ったのだった。→本田圭佑はこれを真似ただけ。

一方の財前選手は、自分を育ててくれたヴェルディに固執し、牛尾となった。その結果、チャンスに恵まれず、いつも補欠またはそれ以下となり、別のチームへのチャンスを伺うことになる。そして、上のYouTube番組にあるように、イタリアのチームへ行くが、準備不足で、何もかもが失敗となってしまったわけだ。

高校生にして大人のメンタルを持つ中田英寿選手と、いくら才能豊かであっても単なる世間知らずの子供だった財前選手とでは結果が見えている。

実は、私は山梨県甲府出身だから知っているが、つまり山梨出身ではない人にはわからないだろうが、この中田英寿選手の父親は、地元甲府でも有名なプロゴルファーであった。つまり、いわゆるレッスンプロである。この父親のプロ魂なくして、中田英寿選手はない。

が、このことはあまり知られていない。

この父親の世代が我々の世代であり、当時の甲府のサッカーで革命を起こした甲府南の主将こそこの私だった。この私が、山梨県の甲府サッカーで、初めて

ピッチの上では先輩後輩は関係ない→敬語も苗字も関係ない→愛称で呼べ
練習時間の限られた進学校では2時間練習がすべて→科学的な練習が必須
体力がないチーム→頭で勝つ
ピッチの上のことはピッチ外に持ち込まない

こういった習慣を山梨サッカーに生み出したのである。こういうのは、私が主将時代の甲府南で行い始めたものである。

それまでは、ピッチの上では先輩にボールを回さなくてはならなかったのだ。自分がシュートするのではなく、先輩のシュートのお膳立てをしなければならなかった。私が1年の時はそうだった。

これを清武が香川に対して今も日本代表では行っているわけだ。

中田英寿選手は、こういった習慣を初めて日本代表に持ち込んだ選手だったのだが、それは彼の父親が我々の時代の山梨の高校サッカーを見て学んだものなのである。

サッカーは民主主義のスポーツである。その点、監督が全ての野球とは異なる。ピッチの上では11人で自発的に自主的にやる他はない。ここに先輩後輩関係などの縦割りの人間関係が入れば、そのチームは弱体化して終わりである。

だから、世代交代が必須なのである。

長らく居座る選手がいると必ず牢名主のように横暴に振る舞うようになる危険性があるからである。

日本サッカーから財前選手や中田選手がいなくなってから、また昔の日本サッカーのような雰囲気が戻ってしまったのではないか?

それが今回の中田ー財前対談からなんとなく彷彿されるわけですナ。


いやはや、世も末ですナ。




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by kikidoblog2 | 2016-09-03 12:32 | 昔のブログ・BBSから

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