植物図鑑:昭和天皇陛下「雑草という草はない。草にはすべて名前があります。」
2016年 09月 21日
先日、我が家の結婚25周年記念旅行のことはメモした。
シルバーハネムーンでブルーハワイに行って来ました!:結婚25周年旅行無事終了!
その中で、帰りのJAL機内で見た映画、
「植物図鑑」
映画『植物図鑑 運命の恋、ひろいました』予告90秒
のことをオススメした。
ビジネスの椅子の良さと広さとサービスと比べたら、エコノミーはサービスもエコノミーだったが、エコノミーはエコノミーなりの密着感があって大変良かった。私の右には若い日本女性が座り、まさに両手に花状態だったから、実に最高だったゾ。
おかげで、帰りには、
西田敏行の釣りバカ日誌6、
阿部寛の海よりもまだ深く、
ズートピア、
高畑充希の植物図鑑
の4本の映画も見てしまった。ここ数年映画館にはまったく行っていなかったから、実に久しぶりに最近の映画を見ることが出来た。
もちろん、俺のお勧めは久しぶりの純愛ものである植物図鑑。実家の家業を捨ててフリーの写真家になった夫。なんとなく我が家に似ている。たぶん、これはハリウッドのリメークが来るのではなかろうか?役所広司のシャーウィーダンスと似たレベルの好作品だと思う。金もかかっていないし、出演者も少ないし、まさに映画のエコノミーだった。
そこで、この映画の何が一番気に入ったかというと、昭和天皇陛下のお言葉である。
雑草という草はない。草にはすべて名前があります。
これだ。
ヘクソカズラ
という変な名前を持つ植物でもそれなりに立派な名前を持っている。
これはもちろん、昭和天皇陛下が、あらゆる国民、あらゆる人に対しても同じことだ、という意味が込められているのは言うまでもない。
無名に見える人にもちゃんとそれなりに名前がある。
つまり、昭和天皇陛下の含蓄ある言葉を人間の場合に焼き直せばこんな感じになるわけである。
無名という人はない。人にはすべて名前があります。
無名か有名かは勝手に赤の他人、特にメディアやマスコミがそう呼ぶに過ぎず。どんな人にも立派な名前が存在する。
ゆえに、他人を軽んじてはいけませんよ。
これが昭和天皇陛下の言外の意であろう。
いつも思うことだが、有名無名はチャンスをうまくつかめたかそうできなかったかの差でしかない。
たまたまうまくチャンスを掴んだり、時流に乗ったり、そういうことができたラッキーな人間だけが名のある有名人としてもてはやされるわけだ。しかしながら大半の人はこれまたたまたまそれができなかっただけ、あるいは、チャンスがなかっただけ。
言ってみれば、運、不運の差でしかない。
運良くチャンスを掴んだものは自己正当化し、運の悪かったものは自己卑下をする。
がしかし、これはなんか変である。
チャンスの神様は気まぐれである。さらにチャンスの神様には前髪しかない。後頭部はつるっぱげである。
たまたま後頭部に手を伸ばしたやつは失敗し、真正面から手を伸ばしたやつがチャンスの神様の前髪をつかむにすぎない。
ならば、有名か無名かに一喜一憂するのは無意味であろう。
それよりは、これまたいつも思うことだが、
無名の君はどうして有名人の誰かのように日頃振る舞わないのだろうか?
堂々と普通に生きよ。自分らしく、自分の名に恥じないように、どうして普通に堂々とそこに生きないのか?存在しないのか?
どうして有名人になり、役者やテレアナにならなければ、堂々としていてはいけないのか?
もちろん、そんなことはないはずである。
無名人にも立派な名前があるからだ。
オレはオレ。自分は自分。これで良いのである。
ヘクソカズラのように、そこに自分の名を持って平然として存在する。これが本来の人間の姿であろう。
企業の社長の前で、大女優の前で、卑屈になって一般無名人を演出する必要などサラサラない。
どうして君はエルビス・プレスリーのように存在しないのか?
どうして君はマイケル・ジャクソンのように存在しないのか?
どうして君は本田圭佑のように存在しないのか?
これはプレスリーやマイケルや本田の真似、コピーをしろという意味ではない。
あたかも自分がスパースターが今に自分の職、立場を演じているかのように生きろという意味である。
翻って、今度は役者の場合には逆が言えるかも知れない。
どうして役者になってまでして、わざわざ道端に立つ娼婦やら朝鮮人女衒の役をいただかなければならないのか?
まさに本末転倒である。
役者になってまでして街のチンピラやらヤクザやらを演技してどうなる?
得るものはない。演じるならもっとましな人物たれ。
とまあ、いつもそんなことを思うのである。
だから俺はたとえエコノミーに乗っていてもいつも通り堂々としている。
すると、2014年のブラジルワールドカップの帰りのエールフランス機内で最後の最後に白人美女のスチュワーデスが、
貴方様は役者さまでいらっしゃいますか?
と聞いてきた。そして今回も帰りのJALの機内で、飲み物タイムで、私がマンゴジュースを頼むと、それがなかったのだが、着陸前の最後にタイ人のスチュワーデスがやってきて、
マンゴジュースがなくて申し訳ありません。
あなたはマンゴジュースが好きなんでしょうか?
私が好きですというと、
でしたら、バンコクに行ったことがありますか?
ないというと、
私はバンコクから来ました。バンコクにはすばらしいマンゴジュースがあります。
ぜひバンコクに一度いらしてください。
と、夢のような会話がはずんだのである。
堂々と生きよ。ヘクソカズラのように。
とまあ、植物図鑑を見ると、ふとそんなことを考えたのである。
そしてまたこの映画の良いところは、私がかつて昔のBBS時代にメモした、エメット・ブラウンとクララの出会いを忠実に再現していることである。これがうまくいく出会いの法則である。
参考のために再掲しておこう。つまり、これである。
さて、私が一番気にいっているのは、バックトーザフューチャー3のエメットブラウン博士と女教師のクララとの恋。
あ)まず、偶然の出会いで、お互いに人目惚れ。 (ピっと来るっていうやつ。電撃に打たれるなんて言い方もありますね。)
い)意気投合して、すぐに大恋愛に発展。 (引き合う同士ですからね。)
う)一旦の離別。 (お互いのそれまでの人生がありますからね。すぐにはうまく行かない。)
え)運命の再会。 (お互いにすべてをやり直して再会する。)
お)ハッピーエンド。
もちろん、我が家の場合もこれである。さもなくば、25年間もの長きに渡り、うまくいくことはないだろうナア。
天は自ら助くる者を助く
自分に立派な名前があるのに、自分は無名だからというようなやつでは遺憾。
遺憾砲炸裂ですナ。
いやはや、世も末ですナ。世も末砲炸裂だ!

by kikidoblog2 | 2016-09-21 15:39 | 個人メモ