「なぜ朝鮮人は嘘の歴史を生み出すのか?」→そういうDNAだから!?
2016年 11月 27日
さて、もう一つのメモしておきたいことは「朝鮮の真の歴史」というものである。
(い)なぜ朝鮮人は嘘の歴史を生み出すのか?→そういうDNAだから
最近YouTubeに興味深い映像が出ていたのだが、これである。
海外「日本はずっと豊かな国だったのか」 戦前の日本を映した映像に外国人が感動
Cruise to Japan in 1932 日本へのクルーズ
この時代の映像の中で海外の人たちに衝撃を与えたものがこれだった。
つまり、1932年の日本の女子学生がもう黒のストッキングを履いていたということである。今と基本的にはまったく同じだったのである。
世界ではいまだに自国でストッキングすら作ることができない国がほとんどという中で、我が国では1932年にはもう一般に普及していたのである。
実はこれがこの間ここにもメモした武田鉄矢さんの「今朝の三枚おろし」にも出ていたのである。これである。
武田鉄矢の「今朝の三枚おろし」:「薩摩の島津斉彬はヴィトンのバックを買っていた」!
【武田鉄矢今朝の三枚おろし】なんと!薩摩が軍艦を買えたのは○○だった!
この中に、どこかの坊さんが子供を驚かせる遊びを発明した。それは、綿を竹筒に突っ込んで竹の節に小さな穴を開けて、ふいごのように吹き付けると、水鉄砲のようにして綿が糸になって出て来るという遊びだった。が、発明家の豊田佐吉の目に止まり、それを紡績機のために応用したところ、日本に世界レベルの紡績機が誕生し、明治政府の主幹産業に育った。
方や、そのふいごの紡績機をどんどん細かい糸を作り出せるようにするという試みの中から、絹糸のような綿糸を作り出せるようになり、それに日本の織物業が合体して、ついにストッキングを作ることができるようになった。
そして、この近代的紡績機を作り出して大企業家になった豊田佐吉がわが国初の自動車製造に踏み出し、それが今のトヨタの原型となった。
とまあ、こういう史実である。
このたった一枚の映像から、とても海外の人たちは我が国の紡績機の歴史を窺い知るほどの知識はない。しかしながら、この女学生2人の写真の背後にはこうした日本人の科学技術の進歩が隠されているのである。だから、単にストッキングを買えるほど豊かだったという表面的な意味ではないのである。
またこの時代多くの日本人のキリスト教徒がカナダにも移民したのである。が、この時代のカナダの日系移民の都市の風景が出ていた。以下のものである。
海外「日本人街を復活させよう!」 カナダの日本人街の現状に悲痛の声が殺到
今回は、今はなきカナダの日本人街に関する記事からです。
かつて、カナダ・バンクーバーのパウエル街には、
最盛期で8000人以上の日系人が暮らしており、
リトル東京、あるいはリトル横浜と呼ばれていました。
日本人のカナダへの移民が本格化したのは1880年代のことで、
多くの方は安い労働力として、危険な肉体労働に従事していました。
それでも日本人の勤勉さは重宝され、仕事が多く舞い込むようになった結果、
人が集まるようになり、コミュニティーは拡大していきます。
しかし、第二次世界大戦が始まると日系人は財産を没収され、
荒れ果てた土地に追放されることになり、日本人街は衰退。
戦後になって街に戻る日系人の方もいましたが、
一度衰えたコミュニティーは復活することなく、
現在ではその名残がわずかにうかがえるだけになっています。
翻訳元の1つであるバンクーバーの地元紙が投稿した記事では、
1890年から1942年までに撮影された日本人街と、
最近になって撮影された街の比較写真が紹介されています。
かつては多くの日系人が暮らした日本人街がなくなってしまった事に、
カナダの方々から悲痛の声が寄せられていました。
1890年 The Secord Hotel
1912年 大通り
(他多数)
ついでにメモしておくと、私が今年になって本や論文として公表した杉田元宜博士の奥様は、大山グレース栄という日系カナダ人であった。ちょうど先祖が日本の青森からカナダに移民した子孫の1人だったのである。多くはバンクーバーで過ごしたのだが、太平洋戦争中に敵国人扱いを受け、財産を没収され、強制収容所のあるトロントに移住させられたのである。
一方、その頃の朝鮮半島についても最近YouTube映像が出ていた。以下のものである。
日本統治時代の朝鮮wwwwwwwwwwww
1931年の京城(ソウル)-日本語字幕
興味深いことは、この映像の最後に撮影する西洋人に対してお辞儀する朝鮮人の映像があることである。
1931年に西洋人にお辞儀する朝鮮人
つまり、朝鮮にはコンスなんていう習慣はなかったのである。北朝鮮には今もない。コンスという両手をへそに当ててお辞儀する作法は、金大中大統領が意図的に朝鮮王朝映画を作って捏造した最近のしきたりなのである。
そこで、在日朝鮮人であろうが、韓国人であろうが、北朝鮮人であろうが、支那人であろうが、いわゆる特アの人間が、どうして歴史を簡単に捏造できるのか?そういう問題が出る。
これについては、朝鮮人の80歳以上の学者さんたちが憤慨しているのだが、そういうものの一つがこれである。
【親日韓国人】崔基鎬教授「私は88歳です。もう真実を話したいと思います。」日韓併合나는 88세입니다 이제 사실을 말하고 싶습니다 최기호 가야대학 객원교수
KOREA 哀れな韓国人 日韓併合前の韓国
韓国が日本人に絶対見せたくない映像!!
ところで、この崔基鎬教授の話の中には非常に興味深い話が含まれている。
それは、日本の長州と朝鮮との関係である。これについてはまたいつか。
こういうふうに、実際には我が国は朝鮮、満州を開発し、インフラ整備し、こうした国々が近代化するためのベースを築いたのである。
それが、戦後の李承晩時代から徐々に狂った方向に進んで今日に至ったのである。
それに対して、戦前戦中戦後と一貫しているのが日本の方である。
こうしたことがこういう映像から分かるのである。
しかしながら、私個人の考えでは、やはり最終的には朝鮮人の遺伝子の問題だろうと思うわけである。
李氏朝鮮時代に両班が朱子学を中心に朝鮮人を支配し、800年間やりたい放題したから朝鮮が貧しくなったにせよ、やはりそこにはそれなりの理由があったはずなのである。そういうものを受け入れるだけの余地があるわけだ。それがその民族の特質というものである。その特質は遺伝的なものから生じる。
日本人がいつまで経っても日本人であるように、朝鮮人はいつまで経っても朝鮮人なのだ。同様に支那人はいつまで経っても支那人なのである。
というような事情から、結論としては、
なぜ朝鮮人は嘘の歴史を生み出すのか?
と問えば、やはりそういうDNAだからとお答えるほかはないのである。
いやはや、世も末ですナ。

by kikidoblog2 | 2016-11-27 21:26 | 韓国・ウリナラ・法則