訃報:日テレ・ベレーザ最強時代を支えた”なっちゃん”こと田村奈津枝さん逝く!
2017年 02月 15日
みなさん、こんにちは。
いやはや残念なニュースである。
JFA今治で女子サッカーの後進指導を行っていた田村奈津枝さんが、トンネル付近の事故に巻き込まれて即死されたという訃報である。以下のものである。
元なでしこLの田村奈津枝さんが事故死 日テレなどに所属
14日午前10時5分ごろ、愛媛県四国中央市の高知自動車道上り線・大影トンネル入り口付近で、トラック2台や乗用車を含む計6台が絡む多重事故があり、乗用車を運転していた元女子サッカー選手の田村奈津枝さん(34)が全身を強く打って死亡した。田村さんは代表歴はないが、日テレ・ベレーザやINACレオネッサ(当時)などでインターセプトとヘディングが武器のDFとして活躍し、2008年のなでしこリーグオールスターにも選ばれていた。引退後は女子中学生が寄宿生活をしながらサッカーを学ぶ「JFAアカデミー今治」の契約コーチを務めるなど競技普及に尽力していた。
愛媛県警高速隊によると、事故当時は雪で時速50キロの速度規制が出ており、路面の雪で3トントラックがスリップし上下2車線をふさぐ形で横転。避けようと減速した大宮ナンバーの田村さんの車などが次々と衝突したとみて、詳しい状況を調べている。
INAC関係者は「引退してからも(神戸の)近くに来たら、ちょくちょく差し入れを持ってきてくれた。会うたびにサッカーの話をして、本当にサッカーが好きな選手だった」としのんだ。
私はたぶんこの方の現役時代の試合はどこかで見ていたのだろうと思う。顔に見覚えがあるからである。
女子サッカーをあまり知らない人は知らないだろうが、今の日本最強のINAC神戸は、在日朝鮮人の起業家が韓国女子サッカーを何とかして日本以上に強くしたいがために、日本国内に仕組みを作るために産み落とされた韓流企業にすぎない。いわば韓国朝鮮人女子サッカー選手育成のためのチームである。
読売ヴェルディの女子部門として読売べレーザが誕生したが、このベレーザが読売ベルディが東京ヴェルディと名を変えた時、日テレ・ベレーザに名を変えて誕生した。
日テレは元々読売テレビ。読売新聞が大本である。
この日テレ・ベレーザの読売時代に弱冠15歳の澤穂希選手が入団し、ベレーザが女子サッカー最高のチームになっていったのである。この頃、読売ヴェルディの時代が、ラモス、三浦カズ、北沢、武田を擁して最高のチームだった。ライバルがジーコとアルシンドのいた鹿島アントラーズである。
この日テレ・ベレーザに澤選手とほぼ同世代でちょっと年下で活躍したDFがこの田村奈津枝さんである。
日テレ・レベレーザは2007年に国内4大大会完全制覇した。この時期が日テレの歴史上最強チームであり、この時の名選手たち実力者たちが、日テレが経営難になり一次崩壊しかけた時に全部INAC神戸に引き抜かれたのである。澤穂希選手、大野選手など全部INAC神戸に移った。だから突如としてINAC神戸が日本女子最強チームに変わったのである。田村奈津枝さんはこの時代のチーム澤の一員として活躍されたのである。
その記録がこれ。
第29回全日本女子サッカー選手権大会決勝 TASAKIペルーレ vs 日テレ・ベレーザ(たぶんこの中のどこかにいたはず)
ベレーザ時代のなっちゃん
2006年12月12日(火) 18時07分24秒
田村奈津枝。
なっちゃんです(*^▽^*)ノ
ベレーザ DF23です☆
なつえ・なっちゃん・タムなどと呼んでおりますよ☆
なっちゃんは日体からやってきました。
あっ。日本体育大学です。
ベレーザ2年目。
頑張っておりますよ!!
はいっ。
今週始まりです!!
頑張ります(`▽´)p
INAC神戸に移籍
日テレ・ベレーザ、田村奈津枝選手がINACレオネッサに移籍!
2007年02月03日(土)
テーマ:日テレ・ベレーザ
2007年2月2日(金)、日テレ・ベレーザの背番号23の田村奈津枝選手がINACレオネッサに移籍することが発表された。
田村選手20070202
(2006年1月30日撮影)
田村選手は、日体大在学時には日本女子大学サッカー選手権4連覇をキャプテンとして経験。
その後、日テレ・ベレーザに加入して早2年。
リーグ戦では一度もプレーを観ることができませんでしたが、全体練習終了後の自主練をいつも遅くまでやっていたのが印象に残っています。
INACレオネッサでは、レギュラーに定着して活躍してほしいと思います。(ベレーザとの対戦時を除いて。)
引退
田村奈津枝選手引退
かつてベレーザに所属し、2007年からINACで
活躍していた田村奈津枝選手の引退が発表
されました(INAC公式 )。
2008年にはなでしこオールスターにも出場する
までになっていただけに残念です。
今後の新たな道で活躍されることを期待します。
以下の2007年の日テレ・ベレーザの選手名鑑を見れば分かるように、まだ大半の名選手は日テレに残っていた。
2007日テレ・ベレーザ【DF】選手一覧
GK
DF
MF
FW
つまり、なっちゃんがお先にINAC神戸に行ってこれらの選手たちを待っていたのである。呼び寄せたのである。
この選手たちが後のなでしこジャパンの中核となり、ついに2011年ワールドカップドイツ大会で歴史上初優勝を遂げるのである。
いわばなでしこジャパンの生き証人の1人、それが田村奈津枝さんである。
本当に残念である。
なぜか涙が流れてくる。
ありがとう、田村奈津枝さん!
お疲れ様でした。
田村奈津枝さんのご冥福をお祈りいたします。
おまけ:
ところでこの事故はおそらくなっちゃんの車が大きなトラックの後ろについていたことが原因のように見える。私がいつも避けているのは、トラックと同じ車線でトラックの後ろにつく、ということである。決してトラックの後ろにつくな、これは鉄則である。かつて1970年代、在日朝鮮系のトラック運転手は後ろに回ったパトカーや白バイに対して、わざと急ブレーキを掛けて警官を荷台に激突死させた。ちょうど荷台がフロントガラスに当たるのである。トラックのブレーキは油圧式だが、自動車のブレーキはディスク式。止まる時の速さが違うのである。だから、自動車がトラックの後ろにいると、トラックが何かの急変で急ブレーキをかけた場合には自動車は止まれず激突するのである。これはドライバーのうんちくである。自分の命を守るためにぜひ覚えておいてくださいよ。
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by kikidoblog2 | 2017-02-15 10:30 | なでしこジャパン