ジョーク一発:「俺も年取ったな」→「俺の知り合いがノーベル賞取り損なった」
2017年 08月 04日
若い頃はローソクの1本が1歳を表すが、
年をとるとローソクの1本が10歳を表すようになる。
みなさん、こんにちは。
笑いは百薬の長。
笑う門には福来る。
あまりの恐怖で笑う他はない。
笑いは本物に限る。
偽笑いは吉本におまかせ。
以下は大人の辛ジョークである。決して信じないでくださいヨ。
本気にしないことが肝心。
今回は、俺も年取ったな、俺も年取って来たかなと思わずにはいられないという話を「1行キャッチコピー」で表すとどうなるか?
これをメモしておこう。
まあ、俺も今年でもうすぐ60の還暦だし、何時死んでもおかしくない年になってきたから、これまで特に書かないで来たことも、どんどん書いたとしても別に何ら問題にはなりそうにないからである。
(あ)「かつての知人がノーベル物理学賞を取り損なった」
甲元眞人博士
私がユタ大留学する時に、当時
六本木のアマンドストリートのすぐ近くにあった東大物性研で出会い、ユタ大の留学の世話になった理論物理学者の甲元眞人先生、この方が昨年のノーベル物理学賞の3人から漏れて、4人目となり、いわゆる「41番目の椅子」に座らせられる結果となったこと。
光陰矢のごとし:1986年、あれから30年!やっぱりみんな老けたナア!?
今回のノーベル物理学賞「トポロジカル物質」って何?:日本人の貢献も無視できないヨ!
実は、私がアメリカユタ大で甲元先生の自宅に呼んでもらい、奥さんとまだ幼い女の子供たちといっしょに食事した頃、私の記憶では、アメリカから日本に戻った日本人研究者のその後の話をよくしたものだ。
ユタ大のユニオンカフェとか、ロースティングカンパニーとか、そんな喫茶店でいっしょに話せば、日本に戻った日本人物理学者の業績や仕事のレベルの低さだった。
先生「やっぱり日本に帰っちゃだめだよね」
俺「そうですね、特にノーベル賞もらいたければアメリカにいないとだめですよね」
先生「T教授、あのひと帰ちゃったから」
俺「T先生もノーベル賞は無理でしょうね」
先生「近藤教授もノーベル賞もらってもおかしくはないんだが」
俺「近藤効果の近藤淳博士ですか。電総研ではどうでしょうか?」
先生「量子ホール効果の安藤教授も可能性が一番あるんじゃない」
俺「ぜったい安藤先生か川路先生は量子ホール効果の発見者なんだから取るべきでしょう」
とまあ、いつもこんな話ばかりして、俺もアメリカで頑張ろう、なんて思っていたわけだ。
ところが、そのすぐに甲元先生が日本に帰国してしまった。取り残された俺。
どうしたもんかと、アメリカの砂にでもなろうと覚悟を決めたのだった。どうせ死ぬならアメリカの砂漠の砂にでもなるくらい、そのくらいの覚悟がないとなってナ。
しかしその数年後にそんな俺も帰国。
あれから30年。
なんとその甲元先生がノーベル物理学賞をとりそこなった。
近藤博士、安藤博士、そして甲元博士
と我が国の物性理論の敗退の歴史が重なった。
まあ、逆に言えば、「俺が講演聞いた人がノーベル賞を取った」ということでもある。
かつて私が阪大の修士2年目の頃、ダンカン・ハルデーンという若手理論物理学者がやってきてセミナーを開いた。「1次元朝永・ラッティンジャー液体理論」というタイトルだった。我々学生は早口でまったく英語が聞き取れなかったんだが、また当時の吉森昭夫先生含めてだれも内容がまったく理解できなかった。
この研究が昨年のノーベル物理学賞となったわけだ。
またスキャンニング・トンネリング・マイクロスコープSTMを発明したIBMスイスのビニッヒ博士の講演、量子ホール効果のやはりIBMスイスのフォン・クリッティング博士の講演、
導電性ポリアセチレンのヒーガー博士の講演、
などなど結構有名な人の講演も聞いたが、そういう人たちもノーベル賞を取ったわけだ。
だから、世の中は「捨てる神あれば拾う神あり」で、おめでたい人もあれば、残念な人もある。
いずれにせよ、時が経てば分かるのである。
(い)「俺のかつての仲間が物理学会会長になった」
現日本物理学会会長の川村光博士
私が大阪大学基礎工学部の物理で大学院生をし始めて2年過ぎた頃、あるいは3年目だったか、私のいた「統計物理学研究室」に一人の若い助手(いまでいう助教)がいつも顔を見せるようになった。
それが、この川村光さんだった。当時東大で博士号をとってすぐに阪大教養物理の助手になった。
当時の教養の物理には、物性理論をやっている研究室がなく、暇つぶしに、我々の研究室にやってきたのだ。
そして昼飯、夕飯と常に私と最近この3月末に神戸大の人間発達学部を定年退職した、当時私の3学年上にいた蛯名邦禎さんと3人で、大学の食堂か、職員食堂か、あるいは、待兼山の坂のふもとにある待兼食堂で食べたものだ。
定職を食べながら、物理談義に花が咲く。
だれそれはどうこう、あいつの研究は糞だ、俺のこの研究の方が良い。
いまはこの研究テーマが旬だ。
とかなんとか、
確か思いだすと、私が理研を出て何年目だったか、学会か研究会かなにかで、まだ私も足げく物理学会には出ていた頃、この川村さんと出会ったのだが、会うたびに、助教授(いまの准教授)、教授と名前を変えていた。
そんないつだったか、私がこの川村光さんに私が聞いた時の答えがなかなか面白かったので、今も鮮明に覚えている。
俺「なかなか公募に応募しても職がとれないんですよ。どうしてですかね?」
川村「まあ、たとえていうと、非常に良い研究だけどマイナーな分野の研究とまあ普通なんだけどメジャーな分野の研究とを見比べた場合、採用する側としたら、やっぱりリスクの少ない後者とるよね」
俺「なるほど。じゃあ、俺は落ちるわ」
とまあ、こんなたわいない会話だった。
あれから30年。
この川村光さんが物理学会の会長さんだ。
俺の記憶では、当時、KT(コスタリッツーサウレス)転移を研究したんじゃないかな。2次元のカイラルスピン系というフラストレーションのあるスピン系の理論を数値計算していたと思う。
昨年ノーベル賞取ったやつだよネ。
(う)「俺の知り合いが大学を定年退職した」
これには大学院時代の親友の先輩の
蛯名邦禎博士(元神戸大発達学部)や、10何年か前にノーベル賞をとった白川英樹さんの弟子の一人で、導電性ポリアセチレンの研究をし、さらにさまざまな導電性高分子の研究をしていた
溝口憲治博士(元都立大=首都大学東京)がいる。
蛯名博士とは、私が阪大に入った頃から知っているから、かれこれ37年近くの知己となる。大学院時代は日夜ずっといっしょに研究に励んだものだ。
一方の溝口憲治博士とは、私が個人的に理研時代からDNA電子論の研究をし、その結果、もしDNAの導電性を調べることができるとすれば、我が国ではこの人しかいないのではないかと考えて、私がいきなりメールして「溝口さん、DNAの導電性をESRで調べて頂けませんか?」と聞いたことがきっかけである。
当時はまだポリ〜〜〜〜という導電性高分子のソリトンやバイポーラロンの研究を行っていた。
それで今度は溝口博士がそれなら話を聞きたいから物理学会に招待講演頼むから、講演を一つしてくれということになり、私がここでせっせとまとめたものを学会で講演したのである。
それが機会となって、そこに居合わせたり、わざわざ聞きに来てくれたりした新しい仲間に、豊橋技術大の栗田博士や当時東芝の田中成典博士がいたのだった。
さらにこの頃私がメール上でやり取りしていた、ユーゲ二・スタリコフ博士、新潟の山田弘明博士、こういう人たちともメールでお知らせし、非公式の私的な一つのDNA研究グループができたのだった。
その後、田中博士が神戸大の蛯名博士のところにいくようになり、スタリコフ博士をドイツから呼んでもらったりして、いくつか研究会したりということになり、蛯名・田中研究室も誕生したというわけだった。
この間、溝口博士は、大学院生に最初は鮭のDNAを使って研究することから始め、手探りでDNAの電気伝導を最先端のESR(電子スピン共鳴法)で調べるようになり、厳密にDNAが半導体であることをはじめて証明したというわけだ。
あれから10年。
ついに昨年こんな本を出した。
DNA Engineering: Properties and Applications
溝口憲治博士の「DNA工学」ついに出版!?:アマゾンに対抗する秘策とは!?
そんなお二人もすでに大学を定年退職。むろん甲元先生も2、3年前に定年退職。
我が家の奥さんなんていまだどこかの大学に職見つけて、なんて俺に命令している有様だが、そんなことはまずあり得ない。
まさに、光陰矢の如し、学なり難し。
我々の世代もほぼそのお努めを果たしつつあるのである。終盤に差し掛かる。もちろん、既に病死や事故死したのもいる。
だから、大学に無職であったとしても、ここまで歴史の生き証人であった、あれた、ことだけでもまだめっけもんなのである。
いずれにせよ、皆さんご苦労様でした。末永くご活躍して下さい。
まあ、ジョークですから、本気にしないことが肝心肝心。
いやはや、世も末ですナ。
by kikidoblog2 | 2017-08-04 11:54 | ジョーク一発