台湾野球の原点「球(たま)は霊(たま)なり」:これは愛媛松山商業の精神野球「一球入魂」だった!
2017年 08月 06日
大分前に、かつてここ徳島の蔦監督の池田高校野球部が甲子園に初出場で準優勝したというように、太平洋戦争前の1931年に台湾の嘉義農林という高校の野球部が、甲子園に初出場で準優勝したという実話をメモした。以下のものである。
「蕃人は足が速い。漢人は打撃が強い。日本人は守備に長けている。こんな理想的なチームはどこにもない!」
2017年 04月 28日八田與一像破壊者は「KANO」を見ろ!:台湾映画「KANO」に見る八田與一先生!
2014-04-03 09:59 『KANO(嘉農)』台湾からの「甲子園」:日本統治とはこんな感じだったのだ!
《KANO》六分鐘故事預告
この映画は2014年に台湾で放映され、2015年に我が国でも放映され大ヒットとなった。
だから、いまでは台湾野球はWBCでも強豪国の優勝候補の一角に入って来るが、その原点はKANOこと嘉義農林高校の野球部であったことは100%間違いない史実である。
そしてその嘉義農林高校はが今では立派な
国立嘉義大学になり、その大学野球チームはアジアの大学野球の強豪にまでなり、そこから我が国のプロ野球選手やさらには米メジャーリーグに入る選手まで出すようになっている。
興味深いことは、いまの台湾人はこういう真実の歴史を誇らしく語り、その恩を一生忘れないでいてくれるということである。
このあたりが天然の悪魔民族の南北朝鮮人とは正反対である。
その後、この映画のことを知り、自分なりにその歴史を編集したり、自分の足でレポートしたり、そういうものが出て来ていたようだ。そこで、そういうものをいくつかメモしておこう。以下のものである。
映画KANO特集 日本MBS
松山商業の野球を台湾に伝えた伝説の名将 近藤兵太郎 台湾映画「KANO」嘉義農林
松山商業の野球を台湾に伝えた伝説の名将 近藤兵太郎その2 台湾映画「KANO」嘉義農林
松山商業の野球を台湾に伝えた伝説の名将 近藤兵太郎その3 台湾映画「KANO」嘉義農林
台湾の特集番組
《KANO》 幕後直擊 人物篇 原住民球員(鐘硯誠 謝竣倢 謝竣晟 張弘邑)
[2006.10.18]公共電視台.-.台灣棒球百年風雲:01.遙遠的球賽 (21:25後介紹 KANO 嘉農 嘉義農林)
台湾の監督や出演者の日本訪問
曹佑寧来日!大ヒット映画「KANO~1931海の向こうの甲子園~」イベント
曹佑寧の豪快な始球式。キャッチャーは郭俊麟 KANOday@Seibu Prince Dome
KANO與甲子園&有馬溫泉的邂逅~有馬温泉編(上)~
日本テレビ スッキリ!KANO特集 曹佑寧
この映画KANOの中で永瀬さん演じる近藤監督が、
「蕃人は足が速い。漢人は打撃が強い。日本人は守備に長けている。こんな理想的なチームはどこにもない!」というが、実はこれこそ当時の欧米のエスタブリッシュメントが最も恐れたことなのだと俺は考えている。
蕃人とは、台湾の原住民のこと。
漢人とは、支那人=中国人のこと。
そしてわれわれ日本人。
つまり、アジアの諸民族とアジアの最大数民族の支那人とアジア最先端の日本人が連動して、全世界で最先端に進出し始めること。
これを欧米人は恐れたのである。
だから、支那人の一部を共産化し、朝鮮を南北に分断し、これらの国々を煽動して超絶反日国とした。
と同時に、我が国の国民に戦後憲法とともに自虐史観を植え付け、在日朝鮮人を主流派とし、二度と日本人が世界最先端に戻れないようにした。
その結果、欧米の思惑通りにアジア極東は分断し、お互いに反目しあう、緊張感あふれる世界でも唯一の場所になったわけだ。
それが、日本が敗戦せずに終戦を迎え、
蕃人、漢人、日本人の融合した連邦国家がアジアに誕生していたらどうなっただろうか?
蕃人は足が早い。漢人は打撃が強い。日本人は守備がうまい。
こんなチームがあらゆるスポーツに現れたに違いない。
サッカーでも日本人が中盤から後ろを支え、蕃人と漢人の2トップのサッカーチームが登場し、世界制覇したかもしれない。
まさに欧州のユーゴスラビアのような感じだっただろう。
したがって、こういうことを恐れたからこそ、アジアを木っ端みじんに打ち砕いたのである。
ユーゴ紛争のように。
ユーゴは、6つの弱小国に分裂し、最高のコンビネーションが分散した。
とまあ、戦前の台湾の高校野球の物語は、こんな妄想を信じさせてくれるほどにものすごい躍進だった。
事実、台湾はもはやアジアの弱小国、最貧国でもない。むしろ、日本をも上回る最先端の科学立国の一つに入った。
もっともアジアにも蕃人、漢人、日本人の他にもう一つ朝鮮人がいる。
この朝鮮人の存在こそ、実はアジアがこの3000年で弱体化した本当の根源だったのである。
かつて世の歴史家は、どうして近代科学があれほど栄えていたアジアではなく欧州で誕生したのか?と問うた。
この答えは、さまざまなものがあったが、私個人の答えは、朝鮮人が存在したことだというものである。
他国の象徴である旭日旗を戦犯旗と騒いでみたり、政府認定の公娼の高給取りのエリート売春婦を性奴隷慰安婦といって騒いでみたりと、この物事を常に上下だけで考えて、上のものには反逆する。そしてその反逆の仕方は、およそ人とはいえない蛮人でしかない。
というわけで、台湾でも、蕃人、漢人、日本人だけであって、この仲間に蛮人は外したのであろう。
さて、戦前の松山商業の延長再試合の松山ー三沢の熱闘甲子園の時の監督が、台湾に行き、その嘉農が甲子園にやってきたというのは実に興味深い歴史である。
ところで、この映画の甲子園の風景は、私はおそらくCGだろうと思っていた。今の甲子園は使えないはずだから、実に見事な甲子園のCG画像だと思っていたのだが、なんと実はあれはアナログであって、実際に台湾に甲子園球場を再現したのだったという。
突貫工事で、原寸大の本物の甲子園を田んぼに建てたのである。
そして映画の撮影が終われば元に戻す。
また準主役の嘉農のエース曹佑寧は現役の台湾U18野球の代表で、台湾がU18世界大会で初の世界制覇した時のセンターの選手だとか。
いや〜〜、台湾の映画界の方が我が国よりかなり先に進んでいるようですナ。
いやはや、世も末ですナ。

by kikidoblog2 | 2017-08-06 12:02 | 台湾・親日