「ラマヌジャンの数学」:藤原正彦「ハーディーは一度もラマヌジャンに方法の秘密を聞かなかった!」
2017年 04月 05日
先日S.ラマヌジャンの伝記映画「奇蹟がくれた数式」という、どちらかといえば、保江邦夫博士の伝記映画につけられるべき和名タイトルが選ばれたようだが、原題は「無限を知った男」(The Man who knew infinity)である、をメモした。以下のものである。
ラマヌジャン「奇蹟がくれた数式」:俺には「奇蹟」まだ一度も訪れていない!ヘッドのしすぎか?
まあ、保江邦夫博士の場合なら「路傍の奇蹟」、岡潔博士なら「春の奇蹟」とか「春雨の曲」あるいは「春宵10話」とかそんな感じだろう。
さて、そのラマヌジャンの映画の中で登場する、悪い役として描かれた、トリニティーカレッジの学長さんたち、中でもベイカー(Baker)教授とヒル(Hill)教授。実はこのお二人もまた数学の世界で極めて有名な人だった。
ベイカー教授はいわゆる「幾何学の原理(principle of geometry)」の大家であり、有名な教科書も書いている。
一方のヒル博士は、ヒル方程式という、いわゆる周期関数を係数に持つタイプの微分方程式論の創始者であるヒル博士かと思いきや、全く違った。あるいは、ヒルの式のヒルかと思いきや、これまた違った。
どうやらこっちのヒルさんだった。
M. J. M. Hill
この博士は「球状渦(Hill's spherical vortex)」を初めて証明した人物だったようだ。
いわゆる
「球電(ball lightning)」
というものの数学解を導いたらしい。
さて、ついでに「ラマヌジャンの数学」がどんなものであったか?
これについては我が国でもガロアやラマヌジャンのような弱者に対する共感からか、非常にファンがいる。だから、すでにたくさんのサイトがあるようだ。
中でも作家新田次郎の息子の数学者藤原正彦博士が「ラマヌジャンの数学」をまとめていたので、それもメモしておこう。以下のものである。
「Ramanujanの数学」
数学には我々にはまだ良くわからない未知の部分がある。
そういう印象を醸し出す。
フェルマーもそうだった。彼は「証明があるが、余白には書ききれないから省略」といって打ち切った。
あるいは、最近では、極めて桁数の多い四則演算を数字を使わないで計算するというサヴァン症候群的な、共感覚に基づいて行うと一瞬で計算結果が出せるという人もチラホラ出てきている。
共感覚
数字に色が見える共感覚者であっても、漢数字やサイコロの目に「見える」色が変わらない場合、「数の大きさ」に色を感覚していると言える。 この派生で数に触感を覚える共感覚もある。ドイツの人間コンピューター、リュディガー・ガムは数の触感を使って桁の大きな階乗計算を行なっている。
こういうことから類推すると
感覚を研ぎ澄ませれば〜〜〜
というのもなんとなく分かる感じがするが、我々凡人には真似はできないのは確かである。
さて、最後に、この映画の中で、栄誉についてG. H.ハーディが言った部分がある。以下の言葉である。
「人生には様々な栄誉がある。
フェローに選ばれることもそうだが、
私の考えを言うなら、
このレン図書館に自分の死後遺品が残ることこそ
最大の栄誉だ」
御意!
私も同感である。
まあ、俺にはそういうものはないが、これこそ図書館がなぜ古本を残し、保管しなければならないかの理由を実に明快に述べた言葉といえるだろう。
翻って、昨今の大学の「図書除籍運動」はあまりにお馬鹿な振る舞いと言えるだろう。それを黙認している文科省など存在意義がない。
生前、命を削って研究し、それを教科書や専門書の形にして、ハーディーのように、自分の業績が書籍として大学に残れば素晴らしいと思って生き抜いた科学者や数学者や文学者などの学者さんたちの本をいつのまにかアマゾンに売りさばく。
まさに売国奴ならぬ売学奴であろう。
今からでも遅くはない。大学の除籍は禁止にすべきですナ。
ところで、藤原博士によるとハーディーは、ラマヌジャンにどうやって公式を導いたのか、あるいはどうやって導くのかについては一度も聞いたことがなかったというのである。
ざんね〜〜ん!実に残念。
いやはや、世も末ですナ。
by kikidoblog2 | 2017-04-05 09:35 | 普通のサイエンス