世界に一つだけの花:「ロスチャイルドやロックフェラーやモンサントは間違っている!」
2017年 09月 15日
世界に一つだけの花 - SMAP
みなさん、こんにちは。
今回はまったく個人的エッセイであり、普通の人には無関係だからスルーを。
昨日はヒカルランドの最新UFO本のことを書いたが、英仏独ロスチャイルド家にしても、米ロックフェラー家にしても、米デュポン家にしても、コッホ家にしても、どこでもそうだが、やはり
強いものにはまかれろなのだろうか?
いくらエイリアンが賢い、頭がいい、強いといえども、そいつにUFOの科学技術を教えてもらおうとか、リバースエンジニアリングだとか、
なんか陳腐なんだよナア。
どうして自分の頭でその答えを見つけないのか?
どうして自分で考え出さないのか?
どこぞの塾へ行って答えを教えてもらって、その力で東大合格。
こういうのとまったく変わらない。
有名塾や有名私学にたよらず、自力でやれよ。
とまあ、俺個人はいつもそう思うわけだ。
他力本願ではなく、自力本願でいくべきだ。
という、東西本願寺もあるように、我が国には本願というちゃんとした言葉まであるわけですナ。
時間はかかるかもしれないが、自力でやっていけばいずれ答えにたどり着くこともある。
さてそこで、この自力で答えにたどり着くというやり方に何がベストか?
王道はあるのか?
苦節60年の科学者人生の経験からしていうと、
イエス
である。
学問には王道はないが、本当の真理にたどり着くためには王道がある。
その王道とは何か?
どうやれば、新発見ができるか?
既存の標準スタンダードな理論を打破できるか?
というと、
すべて逆転する
ということだ。
ネガポジ逆転である。
あいつがイエスだといえばノー。あいつが右だといえば左。あいつが上だといえば下。あいつが前だといえば後ろを探す。
こういうふうな精神状態にならないと大発見ができない。
たいていは、みんなが右へ行ったと思うと、自分も右にあとからついていく。
これでは大発見、真理に近づくことができない。
むしろ、みんなとは逆へ行くのである。
東大生や最近のミニ東大化した京大生の何が問題かというと、東大型は常に主流の選ぶ方向へ突き進むという性質を持っていることである。
秀才や天才がみんな東大にいくから自分もいく。
この時点で、もう東大には真の天才も秀才もいないということがわかるわけだ。
真の天才はみんながやらないこと、いかないこと、しないこと、つまり、
東大型の人に対しては、見ざる言わざる聞かざるのようなタイプの人間だということだ。
しかし、この性格だからといって、朝鮮人のようにただのバカでは何もできない。
こういう性格でかつ頭が良くなくてはいけない。忍耐強くなくてはならない。決して火病を起こすようなものであってはならない。
とまあ、こういうことである。
この典型が、青色発光ダイオードを発明した中村修二博士であり、iPS細胞を発明した山中伸哉博士といえるだろう。
大向こうの意見とはことごとく逆方向を探索したのである。
東大京大など名門の人はこういうことはしないし、またできない。定義からして、そういうことができない人間しかいないからだ。
我が国では、この東大型がのさばり、上につくとどうなるか?
というと、自分が努力型だから、そうやって苦労して身につけて今の地位にあるのに、なぜか簡単にそれをやってしまうような人間をみると、すぐに嫌うようになる。そして邪魔をする。妨害工作をする。自分の地位を失わせるような研究はさせたくないとまで考えるようになる。
昨日のヒカルランドのUFO本で何が問題かというと、
ロスチャイルドもロックフェラーも偽ユダヤ人というものは、日本でいうこの東大型なのである。
だから、無名の人が大発明して、石油のいらないエンジンを発明したり、肥料のいらない農業を考え出したり、超能力で宇宙へ行って来たりするような変わった人がたまらなく嫌いらしい。
だから、そういう存在にはレーダー照準で脅すとか、狙撃して殺すらしい。
いや〜〜、痛い。
かつて200年前までは、欧州の王族がやっていたことを、いまは立場が変わってユダヤ人富豪たちがやっているのである。
ババリアユダヤ人であろうが、なかろうが、欧米人の白人系はせいぜい3000年の歴史しか無い。
それと比べると、日本人には何万年もの歴史的遺産が残っている。
紙に記録された歴史だけでも、ゆうに3000年はある。
遺伝子に記録された記録でいえば、何十万年にも遡るだろう。最低でも10万年はある。
歴史が浅いからこそ歴史にこだわる。だから、不利だとなれば、歴史を改ざんする。
支那人や朝鮮人を見れば分かることである。
実在の歴史の古い日本人はわざわざ歴史を改ざんする必要がない。もっとも最近はNHKがしきりに歴史改ざん番組制作して、本来の捏造放送協会ぶりを発揮しているが。
聖書にこだわる。これもまた歴史が浅いことの裏返しである。
本当に聖書どおりなら自分のDNAを調べれば、そこに聖書と一致した内容が書かれているはずなのである。しかし、西洋人の場合はそうはなっていない。矛盾だらけである。化石的史実とも合わない。
DNA、化石、地質学、考古学、こういったすべてと100%合致して、何万年もの歴史が残るのは日本人だけなのである。
この日本人の歴史は、ユダヤ人の表に出る歴史とは違う。むしろ、100%真逆、180度逆である。
ユダヤ人は自分が有名になり、ナンバー1となり、世界にユダヤの力を見せつけようとする。そうやって生き延びる道を選んで来た。
しかし、どうやら我々日本人はその正反対で、自分はオンリー1となって、世界から見えない場所に咲けばいいという道を選んで来たようだ。
ナンバー1よりオンリー1
というやつだ。
たとえば、いまや全世界の人が、我が国の春の桜見物、桃源郷見物、などなど、見物にきて、
日本すごいデスネブームである。
日本きれいだネ。日本すばらしい。
こういうふうに反応するのは結構だが、いまの日本の山や森の一本として、河川の1つとしてかつて人の手の加えられていないものはないのである。
上野の桜はだれかが昔そこにその桜を植えたからこそいまそこに咲くのである。
山の杉の樹は、昔だれかが植えたからいまは花粉症の原因になっている。
道路のアスファルトもまたそうだ。だれかがそこに舗装工事をしからそこにアスファルトの道路がある。
要するに、外人が驚いて、きれいな自然だと思うものは自然に育ったものではない。だれかがそこに植えたからそこに存在しているものなのである。
富士登山もそうだ。昔だれかがそこに階段や登山道を作ってくれたから、いま外人でも難無く登れるのだ。
じゃあ、ユダヤ人なら、その道はアンシュタインの道と呼ぼうとなるだろう。
この道路はユダヤ人のレーニン通りにしよう。スターリントンネルにしよう。
そういうことになるだろう。
そうやって自分の同胞の名誉をかさに、それを自分に被せる。
まさにそれと同じことを朝鮮人も支那人もやっている。
しかし、日本人は自分が作ったものでも、無名であることを望んで来た。まるで自然にそこにあるかのようにみせたがるのである。
富士の登山道はまるで自然にできたかのように見せたがる。作った自分の労苦などもはやどうでも良い。
たいしたことをしてもノーベル賞で自分が日本人ノーベル賞学者だなどと威張る必要はない。そういうことに美学を求めないのである。
根粒細菌の血液を発見した久保秀雄博士もそうだった。自分が日本で抗生物質の工業化に成功しようがそんなことはおかまい無しだ。
一方、歴史の浅いユダヤ人は、まあ、西洋人の中では歴史が古い方だとしても、何とかして何にでも自分の功績を残して生き残りを計る。イグノーベル賞まで作る。
はたして何でも自分の名を残そう、有名、にしたいという民族と、何でも自分の名などどうでもいい、無名、でいようとする日本人とどちらがいいか?
むろん、後者だろう。
あとから来る人にとって、何のへんてつもないどこにもありそうなアインシュタイン道路なんていうことより、美しい桜の方が大事なんだ。
The most beautiful wisteria in the world あしかがフラワーパークのフジ Ashikaga Flower Garden
(すべて“だれか”が植えたものだ)
(すべて“だれか”が植えたものだ)
私が言いたいこと、最近感じることはこういうことですナ。
あとで美しいと分かることになるなら、そのためには無名で良いからオンリー1になって、将来のために何かわずかに1本でも良いから木を植える。こういうふうなことをすることだ。
決してロスチャイルドやロックフェラーやモンサントやデゥポンのような人間になってはいけない。
世界のためになる人を見たら殺すとか。
いやはや、世も末ですナ。
by kikidoblog2 | 2017-09-15 17:05 | 個人メモ