謎のオカルティストはオカさんだった!:In Deepの人=超絶過激前衛芸術家の岡靖洋だった!?   

あべりょうの歌

ミスモチベーション あべりょう


みなさん、こんにちは。

謎のミュージシャンといえば、あべりょうさん。

謎のオカルティストといえば、In Deepの人。

謎の金玉といえば、キンタマン

謎のスピリチュアルの人といえば、天下泰平さん。

共通項といえば、陰謀論。こういうものに造詣が深いということだろう。

しかしながら、大半は2011年以降のことにすぎない。つまり、311が起こってからのこと。はやくてせいぜいリーマンショックの2008年。

ちなみに拙ブログの前身のKikidoblogは2004年以降。そのまた前身のKazumotoi's Scientific BBSは2001年から。

さて、そんな「謎の〜〜」という方々は多いが、私のようにあまりそのご本人の経歴とかを明かしている人というのは少ない。

特に「一風変わった」書き方に特徴のあるIn Deep氏の場合はそうである。いったい誰が何の目的でそうしているのかよくわからない面がある。

まあ、私個人の印象として、一種のメンタルリハビリのためにやっているのではないかと見ている。私のいうところの「精神の筋トレ」というものである。

日記をつける。絵を描く、詩を書く。文章を書く。

こういったものだ。

が、こういうことを日々行うことは、人が毎日ウォーキングするとか、ジョグしたりとかに匹敵するのである。

身体を鍛えることも行く先は心を鍛えることになるが、直接脳を鍛える、心を鍛えるという意味では、文章を書くことが一番。

特に過去にメンタルプロブレムを持った経験のある人には、物書きは恰好のリハビリになる。

ストレスには良いストレスと悪いストレスがある。

物事にはかならず両面がある。ストレスが常に悪いものだと決めつけることは間違いだ。

簡単に言えば、楽しいストレスと悲しいストレスの両者があり、悲しいストレスは体や精神に害をなす。

が、楽しいストレスはその逆の良い効果をもたらす。

現実はこの両者の混在であり、往復運動である。


さて大分前置きの話が逸れてしまったが、このIn Deepさんはどうも後者のストレスにかなり引き込まれる傾向が見て取れる。

物事を鋭敏にキャッチする場合も、楽しいものに呼び込まれる人と悲しいものに惹きつけられる人の両方がいる。これは、脳のセンサーの問題で、基本的には遺伝により決まっている。だから、変えるのは困難である。

白人はこのセンサーが鈍感でタフ。日本人はそれが鋭敏で弱い。

だから、赤面恐怖症は日本人に多いが、逆に冒険家や危険な挑戦家は白人に多い。

日本人は自殺で死ぬ人が多いが、白人は冒険やチャレンジで事故死する人が極めて多い。


かつてノーバート・ウィーナーの盟友にレイモンド・ペイリーという数学者がいた。

彼はウィーナー並みの数学者で、イギリスの若手数学者の旗手の1人だった。しかし、彼は冒険家でもあり、運動神経バツグンだった。スキーの名手であり、深雪や危険な山を滑り降りることを大の楽しみとしていた。

怪我してもすぐに冒険に出かけた。数学で論文を書いては冒険し、国際学会で他国へ行ってはその地の山で冒険スキーを楽しんだ。

ウィーナーの再三再四の忠告を無視し、最後にはアメリカの山で雪崩に巻き込まれ全身が引き裂かれて死んだ。

しかたなくウィーナーは生前にいっしょに書いていた数学書を彼の死後彼の名前を載せて出版した。
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一方、ウィーナーの師匠の1人にリトルウッドがいた。この人は今で言えばボーディング(よじ登り)の名手だった。大学や研究室の壁を登る。ロッククライマーである。

なんでも上に伸びたものがあれば、それをよじ登る。大学内の壁伝いに屋上まで登る。はしごを登る。絶壁を登る。

幸いにしてリトルウッドは実に用心深く、かつ強靭な集中力をもつ人物だったために、一度も事故を起こさなかった。

とまあ、いずれにせよ、白人、特にアングロサクソン系の西洋白人にはこの種の傾向が強い。天然のチャレンジャーなのだ。

性的にもそれは言える。

我々は異人種と性交するのはちょっと恐れる。性病が怖い。

しかし白人はチャレンジャー。どの人種どの動物とも合体を試みる。だから日本に来ればどんなブスとも平気だ。

いや〜〜、痛い。


おっと、失敬。これまただいぶ横道に逸れた。


さて、そのIn Deepさんとはどんな方かということを書いたものをたまたま見つけたので、一応ここにもメモしておこう。以下のものである。

皆さん岡靖洋氏をご存知ですか?

The History of Self23 and Yasuhiro Oka

ワルツ・アスファルトの頃[1985年]
http://self23.com/battleof23/article.png1985 年に早稲田大学で前衛団体として過激な活動で知られていたAnticle Fruits(アンティクル・フルーツ)のパフォーマンス会場に必ず訪れる男がいた。当時、明治大学に在籍していた岡靖洋である。すぐに岡はアンティクル・フルーツの女性パフォーマー、鈴木純(写真)と意気投合し、共同生活を始める。
同時にパフォーマンスグループ「Waltz Asphalt=ワルツ・アスファルト」を結成。鈴木純の過激な活動は写真誌などでも当時ちょっとした話題にもなっていた。岡の担当は美術と音楽。

当時、岡はテクノパンクバンド「Bari Sand」での音楽活動に没頭していたのだが、特に電気楽器の新しい可能性を模索していた。それはたとえば、「単純なバスドラだけのリズムで人は踊ることができないものか」というような思いから、もっぱらリズムセクションの前衛化を行っていた。

ワルツ・アスファルトは数ヶ月の活動で休止。理由はよくわからないが、岡と鈴木純の個人的な人間関係の問題などもあったようだ。
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花田寛との出会い~カンカン花への道[1986年]
http://self23.com/history/hanada_kan.jpgこの頃、岡はある興味深い人物と出会う。
京都大学の花田寛(写真)との出会いである。

花田はある上場会社の社長の御曹司で、個人資産が数億単位という富豪だった。
しかし、精神を病んでいた花田は、自分の精神的苦境を脱するために様々な演劇や音楽を試行していたが、確実なものとは出会っていなかった。東京に来ていた時に岡と知り合ったようだ。
花田と岡が酒を飲んだ席のことである。
岡が花田に「金があるんなら、それで人の命や人生をもてあそべるんじゃない? 人の人生そのものを買うこともできるでしょう」と酔った勢いで、もちろん冗談で言った。
しかし、花田はこの言葉を聞き、目から鱗が落ちたという。
「金ってそんなことに使うことができるのか!」という驚きに繋がったらしい。
3カ月後、花田は地下に潜る。
京都大学も中退し、すべての自分の痕跡を消した。
これが後の「劇団カンカン花」への布石となる。

落選した地方議員に500万円のギャラでストリップをさせたり、銀行員にオンライン詐欺を勧める行程を隠し撮りし、その証拠テープを舞台上でその銀行員に見せる、といった、多くの人々を翻弄しつつも人間の本質を探る活動を続けたカンカン花の原点は岡の酔っぱらいの戯言だった。

Self23結成[1987年]
花田が地下に潜った後、岡は自分自身の活動母体を求めてSelf Studioを創設。
この頃、岡は明治大学の劇団「実験劇場」に在籍していた役者・吉村二郎と知り合う。

吉村と岡は、練習的な活動体を結成し、その名称を「Self23=Self23」とする。
実はこのSelf23という団体は「天ぷら家族」という岡の原案を舞台化して解散するはずだった。
つまり、「天ぷら家族」を一度だけ上演するためだけに作られた団体だった。
結成時のメンバーは役者・パフォーマーが、吉村二郎、南明洋などで、スタッフには小説家の引間徹、ミュージシャン&漫画家の友沢ミミヨ、コンピュータプログラマーの相原収蔵、造形美術家の利根川才子など。
http://self23.com/self23/prof_tempra.jpg1987年。
Self23による「天ぷら家族」を発表。
暴力と暴力と暴力。そして、弛緩した笑いの連続。
途中、舞台を走らせていたバイクが横転し、ガソリンが漏れだした後に爆破があり、観客もろとも爆死するやもしれない状況はあったが、何とか役者側の負傷者だけで済み、公演は成功する。
一度だけの公演のつもりだったが、この成功に気を良くした岡は次の公演の構想を練り始める。
それは「舞台空間を鉄パイプで埋めて、その中で激しいアクション演劇をしてもらう」というものだった。
どういうことかというと、役者は「演技すればするほど怪我をする」という仕組みだ。
役者からの猛反対などもあったが、岡自身も役者で出演するということになり、すべての人間が危険と隣り合わせの舞台の準備は進められた。当時の観念で「なんとなく危険」というものが次々と集められた。チェーンソー、火炎放射器、各種ナイフ……。もうなんでもかんでも集めて、舞台で使うことにした。
結果、奇跡的に公演での重傷者は出なかった。
この公演を見た観客たちの中から、10名ほどの人々がSelf23に加入を希望し、組織の数は肥大していった。
この肥大は1992年まで続き、2人だったSelf23は途中50人規模のスタッフを抱えることにもなった。

「聖者の異常な愛情」の衝撃[1988年]

http://self23.com/history/holly.jpg
翌年には、田端の倉庫劇場die pratzeにトラック5台分のガレキと鉄柱を搬入し、「聖者の異常な愛情」を上演。前回公演をはるかに上回る壮絶なガレキの舞台で役者たちは激しく動いた。
今回は奇跡は起こらなかった。
多くの役者たちが負傷し、また観客にも被害は及んだ。
舞台に飛び散る血と肉片。
観客席から沸き起こる悲鳴。
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舞台は阿鼻叫喚の地獄と化した。
この公演は当時、週刊誌などでも非難の対象となり、本公演で重傷を負った役者・立花志宗の「ベトナム戦争のブービートラップに発想を得て舞台装置を作りました。公演の目的は本気で殺し合うことです」という発言は論争を巻き起こす。
また、劇場を破壊されたdie pratzeとも深刻な対立を招いた。
岡はチラシを発行し、公式に謝罪。また、劇場を破壊されたdie pratzeとも後に和解した。

俗悪路線への転換~宇宙人の春[1989年]
スタッフの誰かが岡に言った。
「このままじゃ誰か死んじゃいますよ」
同年12月、岡は暴力をやめた。
解体作業員が女装して心中していくという内容の「タキオさんちの割礼」。
内容と舞台美術のグロテスクさがこの頃から顕著になる。
http://self23.com/history/fun2.jpg1989 年5月に行った「宇宙人の春」では、「殺人とその状況」だけを執拗に描写するために、死体の造形に数ヶ月を費やし、また大量の血液を用意し徹底的な残虐の再現を行うという、やはり大変気持ちの悪い内容の公演となった。200リットルの血液が舞台から流れて出て観客席にも流出し客席から逃げ出す人が多かった。
特に若い女性などでは上演中に気分を悪くして退出する人が続出。
聞くと、「おもしろいんだけど、気持ち悪くて見ていられなかった」と一様に答えたという。
1990年に入ると、舞台規模が一気に大きくなる。
1990年、野外に広大な一大廃虚を築いた「セブンティーン」
浅草の不使用ビルを解体し直しておこなった「ロシヤの蛮人」
1992年にはこの頃知り合ったマレーシア人美術家アーサー・シンの協力により大学のホールを建設し直すという大がかりな規模の「鬼畜御殿」を敢行。

病の時[1993年]
1993年、岡が病に倒れる。
もともと神経症(パニック障害に近い)を10年以上患っていた岡だが、それは薬でなんとかなる。
しかし、この年の病気はそういうものではなかったようだ。
今でも岡は病気の実相を語らない。だから、何の病気かはわからない。
しかし、岡によると、臓器の何かが足りなくなっている状態であるらしい。それと正体不明の恒常的な血液の炎症により、高熱を発することが多かったという。
また、1996年から1年ほど日本を離れていたらしい。
主に中央アジアと東ヨーロッパのあたりに滞在していたというが、真偽は誰にもわからない。
というのも、この頃の岡はふだんの生活でほとんど人と交わることをやめていた。
誰とも会わず連絡も取らず(当時は携帯なんてものもなかったので、こういうことは簡単にできた)、プライベートで何をしていたのかということに関しては、1993年~1998年頃までは誰にもわからないのである。
ただ、85年にグループを結成していた鈴木純と一緒だったというのは間違いないらしい。
(Anticle Fruitsはすでに解散して、鈴木も活動はすでにやめていたようだ)
1995年にタイのバンコクで岡と会ったという牟田家譲氏によると(牟田家氏は鈴木純を知らない)、岡は緑色のショートヘアの小柄の日本人の女性と一緒で、「この子とずっと一緒なんですよ。これから一緒にチェンマイに行く」と言っていたらしい。女性は名乗らなかったそうだが、緑色のショートヘアで小柄というと、どうしても鈴木純の名前が出てくる。
しかし、一方で、96年頃にポーランドで岡と会った吉田宗達氏によると、岡は背の高い日本人女性と一緒だったが、吉田氏は彼女から「古河」と紹介を受けたという。古河といえば、85年のワルツ・アスファルトの解散にも関わっていたといわれる女性だ。
岡と鈴木純、そしてLandie Patayaの古河順子の奇妙な三角関係はもしかしたら85年からこの頃まで続いていたのかも知れない。


復活と岡の死亡説[1999年~]

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1999年に岡は復活する。
この頃の岡は弾けたように遊び回っていた。
1999年度にdie pratzeのフェスティバルに参加という形で「人間サイズ」を上演。
「虚体クラブ」(1999年)、
「スーサイド・パーク」を上演した。
2003年に「Down of the Dead/死者の夜明け」を上演。

Self23の公式記録ではこれが最後の公演となる。

2005年に主催の岡は再び重い病に冒され、死亡説が流れたが、2006年現在はまだ生きている。
最近では言葉も忘れてしまったという話もあり、再度の公演があるかどうかは微妙だ。


とまあ、前衛芸術家としての岡さんはこんな超絶過激な岡本太郎のような人だった。

ところで、私の個人的印象として、岡とか、岡本とか、岡田とか、岡〜という名前に過激な人物が多いような気がする。

岡潔もそうだ。過激な数学者。

この岡氏もそうだった。

何か名前と遺伝は関係するのかものナ。


そんな過激な前衛芸術家の岡、その彼が精神の病いになった。

そして薬漬けの後に復活した(???)。

すると、いつしか前衛芸術家の岡が、オカルトの岡に変わっていた。

ひょっとして、これって?

オカルトではなく、岡ると、なのかもナ???

とにかく、岡はIn Deepと名を変えて復活したのだ。それがこれ。

99%隠されているこの世の正体を暴く! 人気オカルトブログ「In Deep」管理人・岡靖洋氏インタビュー!

 オカルトファンなら誰でも知っている超人気ブログ「In Deep」。管理人である岡靖洋氏は、日本では報道されない海外オカルトニュースをピックアップし、「In Deep」で次々と紹介している。そして、最新データや過去の文献を紐解きながら、岡氏ならではの独特の視点でオカルト世界の真相をブログを通して探求しているのだ。

■パニック障害とオカルト

「InDeep」管理人の岡氏
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――オカルトに興味を持ったきっかけは何でしょうか?

岡靖洋氏(以下、岡) もともと体が弱かったんです。小児喘息で幼稚園もほとんど行ってない。皆が外で元気に遊んでいる時に、部屋の中で1人でぽつんと寝ていて天井をじっと見ているような生活でした。小・中・高・大学通して、学校にあまり行ってません。サラリーマンのような会社勤めもしたこともなくて、いわゆる集団生活をあまりやったことがない。ですから、周りの世界は自分と関係なく動いているようにしか見えない。自分以外の世界だけが流れて、自分が取り残されるんじゃないかと、おかしくなりそうになったこともあります。まあ、実際おかしいですけれどね(笑)

 それで、18歳で東京に出て来た時、ハードコアパンクや前衛アートの人たちを見て衝撃を受けたんです。大暴れをして怪我をしながら過激に表現しているのを見て「こいつら何をやっているんだろう?」と驚いた。けれど、「こんな世界もあるんだ」と面白く感じたのです。やがて、刺激を受けて、「自分もこういうのをやりたい」と思った時から、音楽や前衛アートにのめり込んでいきました。

 そこからすぐに軌道にのったわけではありません。20代に入ってからは、自分の人生を根底から覆すようなパニック障害を発症しました。症状は人それぞれなので一概には言えないのですが、毎日が苦しくて恐ろしい状態が続くのです。そのような病気で苦しんでいる中で、「生きているのも死んでいるのも同じなら、どうせなら派手にやろう」と思ったんです。

 90年代に知人の音楽家、アーティストたちとともに前衛劇団を結成しました。僕が演出を考えていたのですが、舞台で廃墟を組んで破壊的な演劇をしていたのです。公演中に怪我をするのは当たり前で、肋骨折ったり出血したりしながら表現していました。一貫するテーマとしてあったのは、「この世の正体」でした。劇団は結構人気があったので、「東京国際演劇祭」に招待されたこともあるんですよ。

 ただ、僕が病気により自分自身がコントロールできない状態になり、前衛演劇も方向性が違うと感じて活動をやめました。だから「人間の真実やこの世の正体」について考えながら、病気を抱えながら、違和感を覚えながら生きていると、いつかオカルトにぶち当たるんだろうなという感じがするんですよね(笑)

――「In Deep」を書くようになったきっかけを教えてください。

岡 2008年に起こったリーマン・ショックに強い衝撃を受けたんです。あの時、地球の経済が崩壊するような危機を感じたので、「これから世界はどうなってしまうのだろう?」と不安を感じていろいろ調べ始めました。調べているうちに「ヤスの備忘録」というブログに出会ったんです。

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画像は、「ヤスの備忘録」HPより

 そのブログでいろいろな陰謀論を知り、興味を抱いてコメント投稿しているうちに、管理人のヤスさんとのやりとりが始まりました。ヤスさんが当時翻訳されていたウェブボット(クリフ・ハイが制作した未来予言プログラム)がとんでもなく面白かった。天変地異、政治経済、戦争、テロなど、ウェブボットがいろいろ予言をするんです。予言が当たっているかと言えば、決してそうではないんですが(笑) ただあの頃、夢中になって読んでいたことは覚えています。

 実際にヤスさんに会って、世界の陰謀論をたくさん教えてもらいました。僕は何でも面白いと思う方なので、陰謀論を否定しません。世の中には面白い話があるんだなと感じていたのです。ただ、のめり込むことはしませんでしたけど(笑)

 僕は論争があまり好きでないので、それぞれがそれぞれの意見を持てばいいと思っています。そういうこともあって、最近はあまり人に会わなくなったのかもしれない。でも、今でもヤスさんをはじめ、いろいろ不思議な話を教えてくださった方には感謝していますよ。

(以下省略)


まだ完治していないナ。まあ、人は病気と一生付き合っていくしかない。


精神を病んだ人に「頑張ってください」というのは禁句。NGである。ご法度である。


だから、この場合には、

楽しんで!

とか

のんびりやって!

とかという他はない。


自分自身を癒やすためにやっているものが人気を集める。人が癒やされる。


いやはや、世も末ですナ。





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by kikidoblog2 | 2017-10-26 10:02 | オカルト

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