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「エハン塾へようこそ!」:パンスペルミア説からケン・ウィルバー、神々のハンドバック   

みなさん、こんにちは。

ますますもって昨今はいろいろのことが起こりすぎてETの手も借りたいほどである。

(あ)さて、そんな中、我が国居住の謎の青い目のスピリチュアルの旗手、エハン・デラヴィーさんのサイトを見たら非常に面白いエハン塾の講義をしていたので、一応ここにもメモしておこう。

まあ、私個人的には異論反論オブジェクションも多々あるが、それはさておき、エハン先生の独自の観点をメモしておこう。以下のものである。

エハン塾へようこそ!

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意識研究家・講演家・作家・世界探検家。1952年スコットランド生まれ。幼少から神秘的な世界にひかれ、22才より日本で生活を開始。日本での最初の15年間、東洋医学と弓道に専念する。あの時代に神戸女学院や関西大学などで英語の講師を務めた経験もあり。その後、人間の意識改革について、世界各国を歩き探究し続ける。流暢でユーモラスな日本語で全国講演をしながら、世界隅々から収集したニューパラダイムに関する情報を伝えている。

第1講義「進化論その1:パンスペルミア説」10:00-11:20


第2講義「進化論その2:モルフォジェネティク・フィールド仮説」11:40-13:00


第3講義「進化論その3:ケン・ウィルバーの意識のスペクトラム」14:00-15:20


第4講義「進化論その4:進化を加速させる地球外の関係者」15:30-16:50


まあ、自分で見て、自分の心で感じ、自分の頭で考え、エハン先生の価値観に触れて欲しいと思う。


(い)ところで、第3講義に出てくるケン・ウィルバーという人は私は初耳だった。が、英語圏では非常によく知られているらしい。もちろん、我が国にもかなりの翻訳書が出ているようだ。

例えば、以下のもの。
無境界―自己成長のセラピー論(1986)
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量子の公案―現代物理学のリーダーたちの神秘観 単行本 – 1987/8/12
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万物の理論-ビジネス・政治・科学からスピリチュアリティまで- 単行本 – 2002/9/20
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科学と宗教の統合 単行本 – 2000/10
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インテグラル・スピリチュアリティ 単行本 – 2008/2
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他多数。


ケン・ウィルバーさんは保江邦夫博士のように非常にたくさんの本を出版している。本というものは書くことは簡単(ではないがそれでも比較的簡単)なのだが、出版となると非常に難しい。

だから、処女作を公表するまでに、ケン・ウィルバーさんでも相当にご苦労されたようである。

さて、そのケン・ウィルバーさん、スピリチュアルのもう一人の旗手、スティーブン・グリア博士と同じように、スピリチュアルマッチョの人だったようだ。全盛期の身体がこれ。
Ken Wilber
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クリスチャン・ロナウドばりの肉体派である。

残念ながらいまはネバダの公害による病気であまり健康状態が良くないらしい。

Ken Wilber | Introduction to Integral Spirituality


私と保江邦夫博士とでおこなった対談集の「物理で語り尽くすUFO、あの世・神様の世界」のおもな論点も実はこのケン・ウィルバーさんの主張と同様に「統合」ということである。

ところで、インテグラル(integral)というと、数学用語で積分=∫という意味だが、日本語の統合という意味では、インテグリティー(integrity)が対応する英語になる。

インテグラルというのはこれまでの道筋、すなわち、人類の経路に沿って、それまでに培われたものをすべて集めていくというような意味である。

エハン先生の語り口からすれば、ウィルバー先生の思想もそういうものに聞こえる。

しかし、私が考えるものは、そういうものではない。むしろ、20世紀初期のスピリチュアルの旗手だったバックミンスター・フラーのいうインテグリティーに近い。日本語では「包括する」「統合する」という意味である。

しかしながら、おそらく語句の使い方は好みが出るから違う単語を用いているが、言いたいことはほとんど同じことだろうと思う。∫という数学はあくまで線という1次元上に定義される関数をその線に沿って寄せ集めていくことを積分というわけだが、実際にはロシアのマトリョーシカ
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のように多次元的に寄せ集めていくもののことを言っているのである。

こうなると、インテグラル=積分の意味は統合的、包括的という意味と同義となるだろう。

つまり、内包するという意味になるからである。

自分の内部に内包しているものをすべて寄せ集める。つまり、何も取捨選択しない。捨てない、ということである。

そこで、この哲学から派生して、この地球上のすべてを内包していこう、というのがケン・ウィルバーさんの思想であると考えられる。

西洋人においては、こういう思想は非常に目新しく感じるようで、だいたい一世紀に1,2人程度の頻度でそういうことを言う人が現れる。

他はニュートン、ファラデー、アインシュタインとかに代表されるように還元主義的で即物的な分離主義的なものの見方、言い換えると、ユダヤ還元論的思想家しか登場しない。そして、むしろこっちのほうを西洋白人種が簡単に受け入れるし有名になる。

どうも西洋人の脳みその構造上そういうふうになっているらしい。東洋人、とくに日本人の脳みそとはその辺がだいぶ異なるのである。これはまだ未知(つまり、西洋人にとっては未知)のことのようだが、我々日本人には、古代からの歴史上、たくさんの宗教家や修行者や修験者が現れてさまざまの教えを残してきて、そういうものが日本のことわざのようなものになって残っているから、逆に何が目新しいのかいうのも憚れるほど自然に聞こえるのである。

日本がやってきたことこそ、これまでに日本や日本人に伝達したこと、日本や日本人が学んだこと、それに日本や日本人が発見したことや生み出したことなどをインテグリティーしてきた結果、それが今の日本文明になっているわけである。

日本人は日本文明とでも西洋人ならいうようなことでも、せいぜい日本のココらへんの文化風習程度にしか言わないし、考えてこなかったから、あえて外人にこれが日本文明だなどと仰々しく我が国の先達たちは言わなかったにすぎないのである。

言わないと分からない。

これは西洋人や外人の精神圏だから、やっとここ数年で世界に知れ渡った料理の「うまみ」「だし」のようなもので、それまで何百年と「うまみ」「だし」ということを言っていたにも関わらず西洋人は認知しなかったのである。

むしろ西洋人特有の物事の見た目、外面で見るという価値判断の仕方から、醜い日本人のいう戯言にすぎないと言っていたのである。

実際、1988年頃私がユタのソルトレークでポットラックパーティに私が作った非常に美味しい自画自賛できるほどの出来栄えのビーフカレーと白飯を持っていったら、
「なにこれ〜〜、ウンコに蛆虫が入っているみたいね」
ってソルトレークの米人白人女性が言っていたんだよナア。

だれも手にせず、口にしなかった。だからせっかく作っていっても全部俺が持ち帰って後で食うという案配だったのだ!

あれから30年。なんとココ壱のカレーを白人が絶賛。

また、1980年代にラーメン一号店がスペインにめでたく誕生したが、白人は「猫舌」でできたての熱い料理は食えない。だから、すぐ閉店撤退したっていうことだったのだ。我々はこの話をどうして、残念と思ったが、白人はさんざんラーメンなんて人間の食うものじゃね〜〜よって馬鹿にしていたんだよな。

あれから30年。なんと日本のラーメンが世界を席巻。白人が絶賛。あれ〜〜、猫舌どうした?

なんか嘘くさいんだよな〜〜。おっと失敬。少し話がそれた。


同様に、西洋人なら「偉大な哲学者」と自画自賛するメンタリティーだからちょっとでもましな哲学者がいたら、それを歴史上の哲学者のように表彰するが、日本の先達はそうではなかった。ましてや大半が日本の古典文として残してきただけだから、いくら空海や道元や親鸞のような西洋の哲学者を遥かに上回るような人物がいたとしても、それを「日本の偉大なる哲学者」などということはなかった。

言われなければ聞かない。

それが西洋人である。

というわけで、西洋では、「言い出しっぺが勝ち」という面があるわけだ。

しかし、我が国ではそうではなく、むしろ「悟ったもの勝ち」なのである。
「別にいくら口で言ってもわからんやつにはわからんのだから、言った
ってしかたねえ〜〜っぺ」
という感じですナ。


(う)さて、最後のエハン先生の講義の中の「古代宇宙人説」。この中の「神々のハンドバック説」これは面白い。

確かに言われみればそうだし、自分で調べてみると、まさにそうで、超古代の石の壁画に描かれた太古の神々たちはみな片手にハンドバックをぶら下げている。こんなものである。

神々のハンドバック
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いったいこれは何だ???

というのがエハン・デラヴィーさんの疑問である。


このヒントはゼカリア・シッチン博士の本の中にある。

イナンナという女神が宇宙船に乗る時、あるものを忘れて、息子だったか召使だったか、だれかにそれを持ってきてと言ったという場面が出てくる。

そのものの名前は

メー

であったと思う。

古代宇宙飛行士がフライトする時必ず持っていくものである。

シッチン博士は、おそらく今で言うCD、あるいはマイクロチップ、あるいはHDのような記憶媒体ではないかと想像した。

ひょっとしたらクレジットカード。あるいは、パスポート。そんなものかもしれないが、どういうわけか、いつも神々が手荷物を持ち歩く。

いまの若い女性の
小型ハンドバック
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(このモデルさんどうみても韓国人だよナ。)

ポシェット
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にそっくりである。

古代の神々は化粧でもしたのか?あるいは、手鏡でも持ち歩いたのか?あるいは、スマホや財布を持ち歩いたのか?あるいは辞書か?

いったい神々のハンドバックの中身は何だったのか?


実に興味深い。


今後の研究を期待しておこう。





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by kikidoblog2 | 2017-04-10 10:45 | スピリチュアル

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