日馬富士の勇み足引退「解雇しないで!」:なぜ解雇じゃない?→解雇じゃ年金も退職金もでないだろ!
2017年 11月 30日
【大相撲】今、伊勢ケ濱部屋が熱い!!
(なんかすごく人相が悪い。)
みなさん、こんにちは。
いや〜〜、年度末になるとあまりにいろいろのことが起こりすぎて、ETの手も借りたい。
さて、まずは昨日3つほど興味深いものがあった。
(1)日馬富士の引退会見。
(2)ハリルホジッチ監督の東アジア杯の代表公表会見。
(3)金正恩のICBM発射実験。
金正恩はいずれこの世から消えるらしいからどうでもいいが、「やられるならその前に相手をやれ」という朝鮮の諺があるから、おそらく実際の米軍の攻撃に入る前に、我が国内でかなり犠牲者が出るに違いない。不審船や難破船や漂着船や木造船はそのための模擬練習だろう。
ハリルホジッチの話はこの次にして、まずは日馬富士の昨日の記者会見のことを一応ここにもメモしておこう。むろん、詳細は現場を見たら分かるから省略。
(あ)引退と解雇は違う。
まずなぜ先に自ら引退したのか?
というと、自主的に退社すれば「退職金」がまるまる手に入るが、解雇されるとそれが一切手に入らない。
日馬富士と旭富士こと伊勢ヶ濱親方がそれを恐れたからだろう。
だいたいなぜ刑事事件の容疑者が事件解決する前に身勝手に引退宣言などできるのか?
目標は国外逃亡だろう。
師匠は事件が解決するまで引退させるべきではない。
なぜなら、その刑罰により、協会側が解雇するか、引退させるかを判断すべきものだ。
すべてがデタラメ。
こんな人が相撲の審判団にいるとかありえね〜〜ヨ。
(い)これは刑事事件。
起こった原因はともかく、これはプライベートの時間に起こった刑事事件である。
そういう認識が昨日の会見ではいっさいなかった。
日馬富士は相手の態度が悪かったから教育的指導としてリンチしたというわけで、自分の非を認めなかった。
あくまで怪我させてしまったことを謝罪したのみ。
(う)伊勢ヶ濱の教育不行き届き
もしそうなら、結論としては親方である伊勢ヶ濱親方の指導に問題があったというべきだろう。
ここ10数年、我が国のスポーツ界では、セクハラ、パワハラ、リンチなど、つまり、性的、精神的、腕力的暴力に対して非常に多くの事件が起こり、そういうものへの反省の時期を経てきた。
だからプロサッカーでもプロ野球でも昔の我々の時代のようなビンタとか、シゴキとか、体罰とか、こういうことがご法度となってしまった。
ましてや一人っ子の時代。自分の唯一の子弟や子息や子娘に傷を負わせることには非常に敏感になった。
だから、「うちの子には決して手を出さないで」というのが、最近の親御さんの願いである。
逆に、それが昂じてモンスター両親になるものさえいる時代である。
昭和の末期から時代の節目がすでに変わっていたのである。
そこへ何も知らないモンゴル人が多数入ってきた。
時代が先に変化した国に時代遅れの民族が入ったわけだ。問題が過去に舞い戻る。
だから、師匠である親方はそういうことをもっと真剣に教えるべきだった。
同様に同じことはすでに相撲界でも死人がでるほどの事件として起こっていたわけだ。
(え)他部屋の力士への指導は越権行為。
支那人が日本人にあれこれ言えば政治問題である。朝鮮人が日本人に対してあれこれいえば、これまた越権行為である。が、彼らは文化的に100年以上遅れている。だから、こういうことが理解できていない。
したがって、他の部屋のモンゴル人力士は同じモンゴル同胞であっても、モンゴル社会の中での話を相撲に持ち込んではならない。
モンゴル人会はあくまで故郷を偲ぶ会のような文化的なものであるべきで、けっしてそこに仕事である相撲の話を持ち込むべきではない。
もし日馬富士や白鵬が相撲の世界でのしきたりとして、貴ノ岩にいちゃもんつけたり、教育的指導したければ、土俵上でやるべきだった。
が、そういうことはモンゴル人には理解できない。
とまあ、俺個人はそう考える。が、信じる必要はない。
さて、これに対して、ちょっと別の視点を提供しているのが、小名木善行さんである。以下のものである。
昨今の相撲界のトラブルに思う
小名木氏の意見はそれを読んでもらうとして、簡単にその結論を言えば、
(1)マスコミが貴乃花上げ、協会下げ
(2)モンゴル文化と日本文化との違い
(3)モンゴル文化と在日朝鮮文化
(4)日本文化を維持すべし
とまあ、こんな主張。特に以下のことを言いたいらしい。
ご参考までに、似たようなことが、かつての柔道界にもあったことを付記します。
国際柔道連盟の会長職をKoreanが射止めたのですが、およそスポーツ界に似つかわしくない露骨な金権運営に、欧州勢が猛反発し、結果、その理事長は辞任に追い込まれています。
柔道はいま、昔ながらの講道館柔道と、オリンピック競技にもなっている国際スポーツ柔道の二種類があり、有効、効果といったよくわからないルールでただ勝てば良いというスポーツ柔道と、試合に勝つことよりも心技体を研ぐことに中心を置く柔道の違いになっています。
この違いが鮮明になったのが、Korean会長の時代でもありました。
実際にお子様に柔道を習わせている方ならおわかりいただけると思いますが、試合に勝つ柔道と、心技体を磨く柔道では、練習の仕方も、その結果としての試合運びもまったく異なります。
試合はあくまで試合でしかない、というのが日本的武道の心得です。
もちろん試合に勝つことは大事ですが、それはあくまで自己鍛錬のための一つの段階にすぎず、日頃の鍛錬を通じて自己の心技体を鍛え上げることこそが大事とされてきたのが日本の武道です。
ですから、日本的武道に、「俺、強ぇ!」はありません。
勝って驕らず、負けて挫けず、ひたすら心技体の高みを目指して精進し続けることで、人として完成された大人になっていくというのが、日本的武道です。
ですから強くなればなるほど、日本人はむしろ駆け出しの武道家よりも腰が低くなります。
ところが、ただ試合に勝てば良いとだけしか武道を理解できない人たちの場合、強くなるとまるでヤクザ者のようになっていきます。
フランスでは、男女とも大学で柔道は必須科目です。
それは柔道を習えば痴漢を撃退できるとかそういうことではなくて、頭でっかちにならず、親を敬い、人として完成された大人を目指すために、柔道は欠かせない「武道」であると考えられているからです。
日本人がそうした精神性を失ってはならないと思います。
ここで面白いのは、
モンゴル人横綱を抱えている親方衆→日本人
貴乃花→在日朝鮮人
そして、在日が相撲協会を乗っ取ろうとしていると考えていることである。
本当ですか?
その前にすでにモンゴル人に乗っ取られたのではないか?
だから、モンゴル相撲=MONGOLIAN SUMOになっているわけである。
まあ、この真偽については俺には分からないが、確かに貴乃花、若乃花は在日なのかもしれない。
が、しかし物事を文化を中心に見るのも結構なのだが、それがあまりに理想化されて理論化されていくと、それが勝手に独り歩きするようになる。
我々理論物理学者は理論というものについては非常に詳しいが、物理でも数学でもよくそういうことが起きる。
最初は物事を理解したいから、いろいろ考えて物事を単純明快に理解しようと理論を作り始める。つまり、理屈をこねる。
それで物事の理解が深まると、今度はその理論が標準理論としてどんどん展開されて広がっていく。
そのうちそれが勝手に1人歩きするようになる。
すると、すべてがそれで説明可能のように見えてくる。
ここが一番危険なのだが、そうなると、現実が見えなくなり、むしろ理論世界の審美性の方が優先して、それが本当のことだと錯覚するようになる。
こうなると現実はどうでもよくなり、どんどん理論を発展させる。最初は複雑な現実をいかに説明するかで始まった理論が、その現実がもうどうでもよくなるわけだ。
現実を考えると楽しくないが、理論の世界に入ると美しく統合された世界がみえるからである。つまり言い換えると、宗教になったり、形而上学になる。科学が哲学になるのである。
これが虚学となった理論の典型的な末路である。いまの数理物理学がそういうものに堕した。
私が危惧するのはどうも最近の小名木善行さんはそういう感じを受けるのである。
日本の古事記、神話、天皇をあまりに見事に体系化して理解した結果、どんどんその世界観がすべてになり、一種の宗教になってきたようにみえるのである。
そうなると、モンゴル人とはこういうものだ。在日とはこう。朝鮮人とはこうあるはずのもの。日本人はこうあるべきだという話に理想化される。現実はどうでもよくなる。
私個人の意見では、今回の問題やモンゴル人力士の問題に文化的背景も重要な要素ではあるが、それが中心ではない。中心は金である。
あまりに簡単に大金が手に入る集金メカニズムがすでに大相撲協会にはできているわけだ。NHKといっしょである。
たぶん税金も払わなくていいはずだ。神事=神道ということにすれば、宗教への税金免除がある。
NHKも一種の宗教教会である。税逃れできる。
金まみれの世界に、世界最貧国からそれも特に貧乏な若者が入ってきたからこういう問題が起こるのであって、別にモンゴル人が特別ではない。
みな普通の若者は金がほしい。大金持ちになり、親や家族を楽させたい。女を侍らして、うまいもんを飲み食いしたい。自分が金持ちだと言って自慢したい。
ただそれだけのことだ。
ここに在日もモンゴルも日本人もブラジル人もブルガリア人もロシア人もない。
経済
である。経済は普遍である。
この経済をいかに表現するかというときになってその人種や文化や宗教の違いが現れる。
つまり、文化は二の次の結果であって原因ではない。
だから、大相撲のこの経済システムをいかに改革するか、それが問題なのである。
谷町、永谷園、懸賞金、給与、
こういった長年の鬱積した誤った伝統をいかに改善するか。それが問題だということである。
改善であれ、変化が起きるときには、これがチャンスとばかりにそこに食いつく旧勢力がいて、逆に改善が改悪になる。
弾き出すはずの旧勢力が逆に新勢力をはじき出して成り代わるのである。
残念ながら、我が国の大学制度がそれをやってしまった。
本来は大学は官僚機構から独立するために大学法人になった。
ところが文部省配下の国立公立大学だったときは天下りはほとんどなかったが、独立して大学法人となったら逆に各省庁から天下り役人が理事になり、その役人根性から大学自体が官僚機構に変貌したのである。
だから、相撲をいい方向に改革しようとすると、そこに在日やら害人やらダマスゴミやらたくさんの利権目当ての不遜な連中が入り込むスキができる。
だから変化させない方がいいというような考え方もある。
しかし大相撲なんてどうでもいいのよ、所詮は相撲劇場にすぎず、マイナースポーツである。
相撲精神は我が国の国民の中に生きている。それでいいのである。
下手に害人に自分が日本の相撲の担い手だというように、白鵬のような連中が出てこないほうが良いのである。それを誤解して世界に広めるからだ。
適当に吉本興業のように偽笑い、偽芸で生きていてもらえばよろしい。偽相撲で適当に金儲けしていればいいのである。ただし、その分きっちり税金を払ってもらう。我が国の法に従ってもらう。これでいい。
だから、結局、我が国法律通り、
現場にいて貴ノ岩をリンチした3横綱はだれが暴力を振った振らなかったにかかわらず、協会側は
解雇
すべきなのだ。
ゆえに退職金ゼロ、懸賞金没収。
そして協会側もいったん解散。
実際の暴力横綱はそれなりの刑を受ける。したがって、すべての記録は抹消。
ただそれだけのことだ。
ここに文化は無関係。
いやはや、世も末ですナ。

by kikidoblog2 | 2017-11-30 08:23 | モンゴル・蒙古・相撲