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「新一の『心の一票』」:数学者望月新一先生のブログ発見!1   

みなさん、こんにちは。

さて、先日メモした
偉業:数学者望月新一博士のABC予想の証明ついに認知される!
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は結構読まれたようで、エキサイトのその日のトップとなってしまった。
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たぶん、有料にすれば、俺は左うちわになったかもナ。

まあ、カネのことなどどうでも良いが、

どうやら当の望月新一博士は、あまりに自分に対する無知偏見がネット上で渦巻いているので、大学関係のサイトは使用できないので、自分専用の発信ツールとして私的ブログを作ることを、今年お考えになられたようである。

私も今日発見したところだ。それが以下のものである。


新一の「心の一票」
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2017.01.04
本ブログの開設に当たっての抱負と名称の由来

少し遅いかもしれませんが、本ブログを開設するに当たっての「抱負」とブログの名称の由来について、ブログ開設のきっかけとなった幾つかの具体的な出来事を振り返りながら、解説してみたいと思います:

・加藤文元さんのツイッター:数ヶ月前にこのツイッターを偶々発見して、2005年~2011年春までの間、月に数回、数時間の数学の「セミナー」をした後、一緒に食事(=多くの場合、焼肉)に行くという形で加藤さんと頻繁に交流していた頃の気分を懐かしく思い出し、何らかの形でその頃の「気分」を再現できないか検討したところ、(ツイッター等のSNSだと文字数の制限があったりして自分のように長文を書きたがる体質の人間には向かないだろうと感じたため)ブログを開設するのが一番自分のイメージに合った形態の「個人的文化発信」の装置になるであろうとの結論に達しました。

・「仮想的な仲間」の創出:上の加藤さんのツイッターの話の延長線上にあるような指摘になりますが、そもそも歴史的には、文学、特に日記というものは

   「こういう話が気軽に出来て理解して
    もらえる仲間が欲しいけど、普通の
    物理的な意味では周りにはそういう
    人は見当たらない」

といったような状況に(作者が)遭遇したときに発生しがちなものであり、偶々今の時代だと、「ネット上のブログ」という「仮想的な仲間」を創るのに役立つ便利が技術があるだけで、「ブログ=日記を通して仮想的な仲間を創る」という行為自体は、上のような状況に置かれている人間にとってはごく自然な流れであるようにも思います。昔テレビのドキュメンタリか何かの番組で知った話で、うろ覚えなので詳しい内容については余り自信がありませんが、「サザエさん」の作者の長谷川町子さんも、実際に「サザエさん」の設定から想像されるような豊かな社会的状況の下で暮らしていたわけではなく、寧ろそのような状況を「仮想的に実現」するために「サザエさん」を創るに至ったそうです。後、この文脈においてもう一つ頭に浮かぶ(少なくとも私にとっては)重要な「文学の例」は、2005年頃に読んだ水村美苗さんの「私小説」です。12歳のときに米国に渡った著者の滞在20年目の米国での生活が詳しく書かれていて、すべてとは言えないまでも、(私としては想定外に)多くの点で私の経験と符合するものがあり、読んだ当時はとても感動しました。また同様な事例として、森永卓郎さんの(だいぶ前にどこかの雑誌か何かに載った)インタビュー記事で子供のときに米国で過ごした時期の体験談を読んで自分の経験と符合する部分があって感動した記憶があります。水村さんにしても森永さんにしても、そういう話を(私を含む)不特定多数の人間(=「仮想的な仲間」)に公開いただいたことで大変お世話になったように感じました。

・自己紹介機能の「名刺代わり」:私の場合、日本語と英語のネットしか読めませんが、私=「望月新一」という人物を巡って私の想像を超えたような=目を覆いたくなるような=開いた口が塞がらないような、とんでもない出鱈目なネット上の書き込みが氾濫しています。この手の書き込みをしている人たちの中に恐らく悪意かそれに近い感情の持ち主もいるかと(書き込みの全体的な雰囲気から)推測しますが、一方で、そうではなく、単純に知らない、ネット上の適切な情報源が見付からないといったような原因によって発生する書き込みもあるかと思います。可笑しな書き込みの件数が余りにも多過ぎるので一々反論することに大量の時間とエネルギーを費やす気にはなれませんが、少なくともブログを開設することによって私の(数学者としての研究・教育活動とは直接関係ない)「個人的文化」に接する「窓口」をネット上で設けることに意味があると感じました。因みに、ネットに溢れている出鱈目情報の教科書的な、代表的な例として次のようなものが挙げられます:

 ・私は「ビットコイン」という文字列を、偶々
  報道で目にするまで知りませんでしたし、
  ニュース番組の数分程度の簡単な解説を見て
  も今でも何なのかよく分かりません。理解
  するための努力をするつもりもありません。
  にもかかわらず、その「ビットコイン」の
  「創設者」に、いつの間にかされてしまい、
  その関連で報道関係者から取材依頼が殺到した
  時期がありました。取り合うには及ばない話と
  判断し、その関連のメールは全部無視しました
  が。

 ・私はもう少しで48歳になりますが、今まで生き
  てきた48年のうち、約30年は日本で過ごし、
  約18年(=連続してではないが、合計で)は米
  国で過ごしています。生まれは東京で、(最も
  肝心なことですが!)物心がついたときはまだ
  東京にいましたが、子供の時から父の仕事(=
  新日鉄(=旧八幡製鉄)、後には、日新製鋼)
  の関係で日米間で頻繁に引越しをしながら育ち
  ました。大学(=アメリカのプリンストン大
  学)に入るまでは、平均で約1年半に一回程度
  引っ越すという、私にとってはかなり辛い育ち
  方でした。「故郷の風景」と言われれば、真っ
  先に頭に浮かぶ光景の一つはうず高く積まれた
  日通の段ボール箱でしょうか。(つまり、常に
  越してきたばかりか、次の引越しをするための
  準備をしていたということです。)最初にアメ
  リカに住んだときは結局8年間住みましたが、
  最初から8年間在住するつもりでアメリカに渡っ
  たのではなく、最初は寧ろ約半年の滞在の予定
  で、それがいつの間にか、(会社の方針等に
  よって)少しずつ1年に延び、2年に延び、最終
  的には偶々8年で終止符を打つという形になり
  ました。私はこれまで日本では、

          東京と京都、

  米国では

   マサチューセッツ州のベルモント・ケンブ
    リッジ・ボストン、
   テキサス州のヒューストン、
   ニュー・ハンプシャー州のエクセター、
   ニュー・ジャージー州のプリンストン

  でしか暮らしたことがありません。つまり、

    ニューヨーク(市・州)には(短期の
    滞在をしたことがあっても)在住した
    ことがありません!

  特に、ニューヨークの街も言葉(=「ニュー
  ヨーク訛り」)も全然知りません。にもかか
  わらず、「ニューヨークで育つ」などという
  不思議で頓珍漢な記述をネット上で時々目に
  します。例えるなら、関西弁も知らない、京都
  の大通りの名前も知らないという人間を「京都
  育ち」として紹介するようなものです。

 ・私は未婚ではありますが、いわゆる(「ゲイ」
  等)「性的少数者」ではありません。

・自分という人間の記録:上の「名刺代わり」の話と重なる部分がありますが、この年になると、後どの位生きられるか分かりませんし、死ぬ前に何らかの明示的な形で、自分という人間の「足跡」(=数学者としての研究・教育活動以外の側面)の記録を(無性に!)作りたくなりました。

・私の「心の一票」:「選挙」という仕組みは民主主義の基本ですが、現代社会は民主主義の仕組みが考案された時代と比べて余りにも激しい、桁違いの複雑度を擁してしまっているため、国民一人一人の運命にかかわる大きな決断は、多くの場合、通常の選挙で争われるような争点とは全く関係ありません。つまり、「選挙」という仕組みを考案した人たちの「心」に最も近い行為は、多くの場合、現代社会では、自分の人生とは直接的には余り関係がない、そもそも特に強い意見を持っているわけでもない選挙において投票することではなく、寧ろ

 自分にとって緊急性があったり、自分の人生に
 とって本当に「一大事」だったり、大変な熱意
 をもって何としても表明したくて仕方がない考
 え・意思を、様々な社会的な縛りやタブーに萎
 縮することなく堂々と表明したり、その考え・
 意思を実現するための具体的な行動をとる

ことであるように思います。もう少し具体的な話をしますと、私の場合、京都大学の教員になった20代半ば位のときから、ちゃんとした社会人になろうと思って、(必ず毎回というわけではありませんが、多くの選挙では)投票していますが、本当の意味での熱意をもって投票したことは一度もありません。アメリカに住んでいた頃、時々、大統領選で盛り上がっていたとき等、民主党と共和党とどちらを支持するか聞かれたりしましたが、(アメリカ人に対して直接表明する勇気は中々出ませんでしたが)究極的な「本音」は大体次のような内容のものでした:

 民主党でも共和党でも、結局同じアメリカ人、
 同じ英語的な世界の話ではないか。私はアメリ
 カには住みたくない、英語はもう聞きたくない。
 つまり、

  「日本」、「日本語」に投票したい。

でも、(当たり前ですが)そのような「明確な意思」を米国の民主党や共和党への支持によって表明することは明らかにも技術的に本質的に不可能です。具体的なレベルでいうと、博士課程を修了したら日本の大学に就職できるように様々な努力をすること以外に、上記の「本音」を実現する方法がなかったように思いますし、実際、そのような努力をすることによって目出度く(というか、運よく)その「本音の実現」に(京大の助手のポストという形で)漕ぎ着けることができました。一方、日本の選挙での争点と私の個人的な「本音・声」とのズレはもっと遥かに複雑な内容を含んでいます。数学者としての活動を通して自分の「本音」のある重要な部分については納得できる水準の「実現」が出来ていますが、以前からある程度感じていて、最近になって益々強く感じていることは、数学者としての活動だけでは実現が本質的に不可能な「本音」が多過ぎるということです。こちらの方の

     「本音=声=心の一票」

の表明は、まだ元気に活躍できるうちに、本ブログを通して何とか実現に漕ぎ着けたいと考えたことが、本ブログ開設の最も重要かつ「本命級」の動機でもあり、また本ブログの名称の由来でもあります。

・ドラマ「逃げ恥」:老若男女を問わず、意外と小さい子供まで多くの国民に感動を与えた昨年(=2016年)秋の人気ドラマ「逃げ恥」ですが、私は(感動した人間の一人として)個人的なレベルでもいろいろなことについて考えさせられ、また無数の新聞記事や一般人によるネットの書き込み、YouTubeの関連動画等を閲覧することによって接した多種多様な意見にも刺激を受け、自分なりの

  「逃げ恥論・ガッキー(新垣結衣)論」

を書きたくなったのも、本ブログ開設の動機の一つになりました。ただ、書きたいことが有り過ぎて、自分の考えをきちんと整理して記述するのに少し時間が掛かりそうなので、本ブログへの掲載はまだ暫く先になりそうです。


私の場合は、アメリカに行ったときは28歳後半で、もう日本人としては完成していて、これからなんとかアメリカに永住できればいいな、という感じで行ったが、終生のタイミングの悪さからポスドクゲットでつまづき(というより、東大生に先取りされてしまったのだが)、帰国し富士通に入った。

だから、帰国の理由は特に日本人であること、日本語に愛着があったというわけではなかった。単に日本人でアメリカに職が得られなかったから日本に戻ったにすぎない。

もっとも今もそういう意味では非職だから、似たようなものだが。

本来学者というのは経済的な意味では、どこにも所属しようがないものなのである。

別に自分の学問上の関心は文科省の思惑などまったく無関係だし、大学運営など邪道も邪道。科学にはどうでも良いからだ。

一方、保江邦夫博士の場合は、大学を定年退職するまで見事に勤務されたが、その在職中に一連の自分の科学教科書シリーズを書いたばかりに、末期の大腸がんになってしまった。

幸いそれが奇跡的に、というより、マリア様の奇跡により、完治した。

だからその後は、還元主義論的、物質主義的な現代物理学より、もっと心理的、心霊的、スピリチュアルな世界の探索に進んでいったわけである。

だから、物理の世界へ後戻りすることはないだろう。


方やこの望月新一博士の場合は、帰国理由が実に痛快だった。

「日本」、「日本語」に投票したい。


さて、この新一さんのブログは記事数は少ないが、やはり第一級の数学者だけあって他にも興味深い観点や論点のものがあるようだ。
富士山の初日の出

ちょっと話が変わりますが、一昨年(=2015年!)の10~11月、静岡の親戚を訪問した際に、静岡県の「望月」と長野県の「望月」の関係や違いがちょっとだけ話題になりました。私も、(ちょっと意外なことに)先方も、このようなテーマについては深い専門的な知識があるわけではありませんが、長野県は「望月町」という場所が(少なくとも昔は)ありましたし、長野県の方が古いという話をしました。一方、長野県での苗字別の人口分布をネットで調べると、「望月」は何と92位(!)であるのに対し、静岡県でも山梨県でも(静岡県の場合は、「鈴木」、「渡辺」、山梨県の場合は「渡辺」、「小林」に次いで)堂々の3位であるだけでなく、(私の親戚が代々暮らしている)静岡市では、(ダントツ!)1位なんですね。実際、現地へ行ってみると、初めての人は驚くと思いますが、すごい「望月王国」なんです。

何でこのような状況になったのか、あるいはこの状況にはどのような意味があるか、ということについて昔から(歴史的な専門知識が全くない)素人の立場から気になっています。とにかく専門家ではないので、自説を書くのも恐縮ですが、次のような「仮説」を立ててみたくなりました:

 日本には様々な「都」、つまり政治の「都」の
 東京、商売の「都」の大阪、文化・芸術・学問
 の「都」の京都等、がありますが、静岡市と
 いうべきなのか、富士山というべきなのか、は
 日本の

       「地形学的な都」

 であるという見方ができます。正確な地図やGPS
 等がなかった戦国時代の乱世の状況、つまり、
 戦乱によって自分の故郷が滅ぼされたり、いき
 なり遠いところに簡単に流されたりすることが多
 かった状況に置かれていると、(少なくとも本州
 の)どこにいても、「自分はあそこに見える、
 あの富士山辺りの出身の人間だ」と胸を張って
 言える身分というのは結構魅力だったのではない
 でしょうか。別の言い方をすると、静岡市に
 おける望月姓の「類を見ない一極集中」的な状況
 は、他の「都」のように人類社会の荒波に左右
 されることのない、つまり時の権力者ではなく、
 人類社会を超越した'自然界'が常に絶対的に保障
 してくれる

  究極的に中心的な、核心的なところ=富士山!

 にどんと構えていたいという強い欲求・志向から
 生まれた状況ではないでしょうか。

このような状況に対して批判的なネットの書き込みもあるようですが、私は昔からこの状況に対して(自分自身は静岡に在住したことがありませんが)何とも言えない「ロマン」を感じています。

後、もう一つ以前から強く感じていることを書きますと、自分の数学の研究(=遠アーベル幾何や宇宙際タイヒミューラー理論等)を巡る社会的な状況、つまり、国内外の多くの数学、あるいは数論幾何の研究者から見て、

   数名の協力者で固めて築き上げた
  「隔絶した異世界=一種のガラパゴス

を私が数十年掛けて創り上げたことも、上記の静岡県の「望月」を巡る状況を生じさせたのと、同系統の遺伝的傾向・志向の現れではないでしょうか。


私は山梨甲府出身なので、甲府に「望月」が多いことは知っていた。小学校時代の親友にも望月はいたし、だいたい各クラスに1人くらいは望月がいた。

どうやらこの望月は
「富士山の上に出る月を望む」
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でたと考えられるというのが、望月新一博士の意見である。

あるいは、きれいな月が望める場所という意味で出たのかもしれないが、静岡、山梨、長野だけにこの望月が一極集中しているらしい。実に興味深い。


(つづく)





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by kikidoblog2 | 2017-12-18 14:41 | 望月新一・心の「一票」

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