「新一の『心の一票』」:「心壁論」「ノーと言える人間」の重要性2
2017年 12月 26日
新一の「心の一票」
(け)
さて、この部分の特に、以下の部分が面白い。
十分に古い時代まで遡りさえすれば、英語の
ような現代のヨーロッパの言語が日本語と
繋がっている世界を発掘できるかもしれない
まさにこれこそゼカリア・シッチンのシュメール文明の研究につながる。
ヨーロッパ文明の源流がシュメール文明にあり、そのシュメール文明の神々が「惑星X」こと「第10番目の惑星ニビル」の宇宙人である。
ニビルはNIBIRUというように、日本語のカタカナやローマ字の発音に近い。
書く場合は、子音のみで書いたが、いつも適当に母音を補って読むらしい。
シュメール語には、rもlの区別もなく、非常に日本語に近い発音だったことがわかっているから、それにさらに文型がSOVの日本語型だとすれば、さらに日本語に近いということになる。
高橋良典さんの古代文明の研究
からすれば、かつてこの地球上は日本文明=アトランティス+ムーの原型の文明で覆われていたらしい。
だから、12000年前の大洪水以前では、世界語が日本語だけだった可能性が高い。
その名残が西洋世界の古代語にもちゃんと残っていたということである。
西洋文明も古代に遡れば登るほど日本人に近くなる。
実際には、ヨーロッパでは、古代ギリシャやローマだけでなく、ケルト民族やドイツ民族、更にはロシア民族には、キリスト教が普及する前に長らく続いた多神教の伝統があったのです。
古代ローマ、古代ギリシャ、古代ロシアにも多神教でかつSOVの文型の古代語があった。
ドイツにはケルト民族が先住民としてあり、キリスト教のキリストという言葉にも「キリ」=「ケル」発語が残る。
つまり、kr=kl=cr=cl=chr=chlなどから、kil=krilなどの西洋の発音が出てくるわけだが、こういう現代語の発音の語源がみなたった一つのカタカナでいえば、
カラ=クル
から出ているのである。
これを高橋先生は、「カラ族」あるいは「クル族」と呼んだ。
朝鮮の古代が「カラ=加羅」であり、支那の古代が「唐=カラ」である。
モンゴルの古代が「キリル」や、キリギスタンの「キリ」。
支那にも「呉=クレ」が後の呉(ご)となった。
欧州の地中海には「クレタ島」があり、日本同様に魚食漁業が中心であり、我が国の瀬戸内海の島々と非常に似ている。
クレタ島には「線文字A,B」があり、後からできた西洋語と同じ表音文字の線文字Bは解読されたが、古い方の線文字Aは未解読だが、一部は高橋先生が日本語の神代文字を利用して解読している。
同様に超古代エジプト文字でも西洋ギリシャ語との辞書であったロゼッタストーンで理解出来る後期エジプトのヒエログリフが解読されたが、つまり言い換えれば、西洋白人種が乗っ取った後のクレオパトラの時代の文字は解読されたが、それ以前の先住民のエジプト文字のヒエログリフは「西洋人には」解読されていないのである。
しかし、それもすでに高橋先生が一部解読したのである。
坂井洋一「超古代は日本語によるワンワールドだった!」:太陽の国日本vs悪魔の国英国の戦い!?
超古代ミステリー1:超古代エジプト王はどうして日本人に似ているのか?
超古代ミステリー2:スフィンクスの鼻を壊したものはだれか?
超古代ミステリー3:スサダミコの長い旅路とティルムン=東日本国は関東日本王国か?
超古代ミステリー4:ヒエログリフの謎「神聖文字か神代文字か?」
「やすえくにお先生のごあいさつ」:国会で次元転移、愛魂道、ハトホルの秘儀を行う日が来るか?
その極めつけが、
ツタンカーメンの黄金前掛けにある超古代文字が、高橋良典さんによって神代文字を使って解読されたのであった。これである。ここでは何度もメモしてきた。(オリジナル)
(だれがみても日本人の顔ですナ。白人でも黒人でも支那人でもない。)
ツタンカーメンの首の金の前掛けの碑文
<頭上>
日経(ひふ)る天日(あむひ)とともに出る
トゥトアンクアムン
永遠(とわ)にあれ
<翼右下>
誓ひ トゥトアンクアムン
御身愛(おんみめ)で 死したるのち
あの世でも 朝な夕べに祈る
<翼左下>
ここに主(あるじ) 天日奉(あまひまつ)りて
絵師 イシスの宮の
日経(ひふ)る札(ふだ)つくる
つまり、クレ=カラというのは、朝鮮のカラが先祖なのではなく、真逆で日本の古代の人種がクレ族=カラ族であり、その一派が超古代の東アジアにも住んでいたにすぎないのである。
たぶん、我々日本人が終戦後に縄文時代の縄文人と呼んだ系列の人々が、かつて全世界に住んでいた。すくなくとも5万年前〜10数万年前にそういう時代があったはずなのである。
この時代には、ネアンデルター人もデニソワ人もさまざまな人種が同じ人間として生活していた。そして平和主義者の日本人の祖先は彼らとも共存共栄していた。
だから、その遺伝子に日本人が一番ネアンデルタール人やデニソワ人の遺伝子を残しているのである。
世界最古の遺伝子である。
ちなみに、アフリカ起源説もあるが、最初にいたアフリカ人(たぶんそんなに色黒ではなかった)と今いるアフリカ人(非常に黒い)は別人種である。今現在のアフリカ人は長頭細身長身で、かなり西洋人に近い。
それに対して、今現存では西アフリカから南アフリカにいるピグミーやブッシュマン

やホッテントットが一番最初のアフリカ人であることがわかっている。この人種はそんなに色が黒くない。また顔も彫りが浅く日本人のような顔に近い。
実際、私の母方の祖母はだれがどうみてもブッシュマンの女性だった。髪の毛も天然に近かった。
まあそれが、いつしか西洋人がアーリア人と呼ぶ人種が現れた。
シッチン説を拡張すれば、それが邪悪なエンキとその家来のドゥムジの子孫ということになる。つまり、堕天使の子孫なのである。これがヒマラヤの北西部のコーカサス地方源流のコーカソイドの先祖ということになる。いわゆる人間としての血も涙もない連中。ユダヤ人の祖先。
あるいは、エンリルとルカクの娘の不義の子として生まれた子孫。これが欧州の白人種の源流の先祖ということになる。つまり西洋王族の先祖。
彼らは非常にニビル人に似た色の白い堀の深い人種である。
というようなわけで、望月先生の子供の頃の思いつきは非常にいい線いっていたわけである。
(こ)
そしていよいよ最後のこの部分も実に興味深い。
この文脈でいつも思い出すものの一つは、1990年頃の日米貿易摩擦の時代に、(ソニーの会長だった)盛田昭夫氏と政治家の石原慎太郎氏によって共同執筆された「ノーと言える日本」という本です。当時プリンストン大学の大学院生だった私がこの本をどこで購入したかは覚えていませんが、何とか購入して興味深く読み、自分も「ノー」と言うべきときには
「ノーと言える人間」
になりたいなと強く思ったことを覚えています。
ここのところの(=2017-10-19付けおよび2017-11-14付け)記事では、数学とは何か、あるいは数学と芸術等との関係について様々な考察を述べていますが、上記のような文脈で見ると、
数学=人類の認識の仕組みの論理構造
の解明はまさに、「ノー」と言うべき
ときに断固たる「ノー」を突き付ける
ための、一種の究極的な技術・手段
であるように思います。残念ながら、今日の日本の文化では、
(過去あるいは現在の)欧米の数学界
のエリートに対して、憧れの念を極める
=諸手を挙げて究極的な「イエス」を
発信することこそが「数学」である
かのような解説がなされることが多いような印象がありますが、私が強調したいのは、むしろ
そのようなエリートのような相手に対して
は、「ノー」と言うべきときに断固たる
「ノー」を、数学を通して突き付けること
こそが、数学の本来の精神であり、数学が
果たすべき役割である
ということです。
また何度も繰り返しますが、様々な形態の「対欧米従属の文化」や「心の中の米軍基地」に対して、謙虚な姿勢で論理構造の解明・研究を遂行することによって「ノー」を突き付けることは、「拳を振り上げる」=「盾を突く」ような好戦的な姿勢として誤解されることもありますが、本当はそのようにすることは
長期的には、日本のみならず、欧米を
含めた人類全体にとって最も健全で
建設的な道
になると、(様々な経験を踏まえて)強く感じています。
最後に、ここのところ報道等でよく話題に上る北朝鮮の核兵器の問題ですが、このような報道を見るといつも(改めて!)痛感しますが、
人類にとって最も究極的な「武器」は
やはり核兵器や化学・生物兵器等では
なく、物事や仕組みの本質的な論理構造
を研究し、明らかにすること、つまり、
一種の広い意味での「数学」
ではないでしょうか。私は軍事の専門家でも、朝鮮半島情勢の専門家でもありませんが、北朝鮮の核兵器の問題を見ても、一見すると「核兵器」が問題の本質のように見えても、本当は「核兵器」も、今我々が生きている時代の様々な「非本質的な技術的な要因」によって偶々浮上した一種の「小道具」に過ぎず、「小国」の北朝鮮が世界の大国を手玉に取る「外交術大国」としての地位を固めることができたのは、「偶々浮上した小道具」の「核兵器」を利用する場面があっても、本質的には(核兵器そのものとは全くの別物である!)
世界の大国の権力構造を支えている
論理構造を正確に解明し、その盲点を
突く技術が非常に高度に発達している
ことにこそ、主たる要因があるのではないでしょうか。
まあ、簡単に言えば、誰に対しても明晰な数学的論理を使ってノーというときにはノーと言えということである。
それが欧米の一流と目されるユダヤ系の学者に対しても「イエス」といって迎合し足元にひれ伏すのではなく、相手が変なことをやればきちんとした理屈をこねて「ノー」ということが大事だという意味である。
御意。
まあ、西洋白人種もハザールユダヤ人もロシア人も、朝鮮人や支那人と同じく、
嘘も100遍言えば真実になる
という民族である。
寄らば大樹の陰。強いものにまかれろ。
の人種あるいは亜人種である。
だから、権威に弱い。また権威になろうとする。
ユダヤ人の場合は、逆にそういう西洋世界を生き抜いてきたから、ユダヤ人以外の権威を否定し、自分が権威になれ、という民族となった。
これがタルムード・ユダヤ人である。
そういう人間がだれであれ、ちゃんとした論理と理屈で否定すべきものはちゃんと否定する。これが人類世界の最低限の条件だというのが望月先生の考え方のようである。
しかしながら、たぶん(俺はアカデミズムの中にいないからわからないが)、それは相当に難しいのではないか?
東大や京大や名古屋の数学者がプリンストンの数学者に迎合しないで、ノーという。「お前は間違っている」という論文書く=自殺になってしまうのではなかろうか?
プリンストンやハーバードやケンブリッジの学者やノーベル賞学者に向かって
「お前はもう死んでいる」とノーを突きつける。
ところで、北斗の拳のアニメの時代にすでに、敵の悪党の額に「666」って書いてあったんですナ。
「666」が世紀末のナンバーであり、イルミナティーが人間につけようとしているという話は1990年代になってデービッド・アイクとか、ジョン・コールマンが広めたから、1984年作の北斗の拳の方が早い。
作者(武論尊)はいったいいつどうやって知ったのか?
誰に対しても数学者の頭脳を持って、勇気をもって「ノーと言える」世界。この本来の数学者精神の復活を望月新一先生は望んでいるわけだ。
ソクラテスは「悪法も法だ」といって毒殺を受けた。
ガリレオは「それでも地球が動く」といって悪法の裁きを受けた。
「それでもノーはノーだ」
と言えるというのは、西洋ではソクラテスやガリレオクラスにならないとまず不可能。
しかし日本人の場合は、武士がいた。武士道の精神で、自分の腹かっさばいて、潔白を主張し、ノーを突きつけたとさ。
やはり武士道の精神がないと、これは難しいのではないか?
いやはや、そんなことやあんなことをいろいろ考えさせてもらえる見事なエッセイである。
いずれにせよ、「心壁論」、ぜひ本にしてほしいものである。
それにしても、この望月新一先生、あのエド・ウィッテンの学生になったという噂もあるから、ひょっとしてフィールズ賞のウィッテンに
「お前はもう死んでいる」
っていっちゃったんだろうか?
もしそうなら実に面白い。
いやはや、世も末ですナ。

by kikidoblog2 | 2017-12-26 11:24 | 望月新一・心の「一票」