「2018年はどうなる???」6:一気に前橋育英の山田耕介哲学が浸透する!?
2018年 01月 10日
みなさん、こんにちは。
先日の高校サッカー選手権大会の決勝戦:前橋育英(群馬)ー流通経済大柏(千葉)の決勝戦は実に示唆的だった。
いまスペインにいる乾選手が野洲高校にいた頃、野洲高校の山本佳司監督が言った:
「セクシーフットボールで革命を!」
この山本佳司監督はレスリングの選手だったが、ドイツ留学中に毎週のように見に行ったドイツサッカーの素晴らしさに憧れ、サッカー観が激変。
日本で教師になりサッカー部の監督になった。
そして、現代のドイツ流の「セクシーサッカー」の伝道師となった。
そして、乾時代に全国初制覇。
あれから、10年。
残念ながら野洲高校はライバルに目の敵にされ、優勝は実現していない。
しかしながら、全国のサッカー部の監督の野洲高校詣ではひっきりなしに行われ、現代ドイツ流の野洲高校の見せるサッカー魂は全国へ拡がった(と思う)。
その後、千葉の市立船橋や流通経済大柏の二強の「素早く強いサッカー」が幅を利かせる。
その一方で、かつて6回優勝校の、小沼貞雄監督率いた東京の帝京高校や小峰忠敏監督率いた長崎の国見高校や、鹿児島の鹿児島実業などは衰退していった。
代わりに、東北や北陸の青森山田、日本文理、星稜、富山第一、鳥取の米子北、島根の立正大淞南高、そして群馬の前橋育英が頭角を表した。
そしてさらに今回、サッカー不毛の地といわれた長野や岐阜の上田西や帝京大可児や、また、新しい長崎総大付が大躍進してきた。
こうして、群雄割拠のさなか、ついに山田耕介監督率いる群馬の前橋育英が初制覇となった。
高校サッカーは監督やコーチなしにはあり得ない。
強い高校には立派な監督がいる。
前橋育英には山田耕介監督がいた。
このところ万年二位準優勝の名将、勝てない監督となっていた。
それが、ついに三度目の正直で全国制覇したというわけだ。
実はサッカーでも物理学でも化学でも生物学でもなんでもそうなんだが、実質上「本質的なこと」をやっているのは、
わずか数人なんですヨ!
あとは、悪く言えば、雑魚、コバンザメ、良く言えば、使徒、信奉者。
そういう取り巻きが拡める役である。
高校サッカーでもそうだった。
全国優勝狙える監督というのは、全国でも数人程度、まあ、多くて10人未満なんですナ。
小沼監督(帝京)→現、岐阜の帝京可児総監督

小峰監督(国見)→現、長崎総大付属総監督

山本監督(野洲)

山田監督(前橋育英)→実は長崎出身で小沼監督の後輩だった。

野村雅之監督(作陽)

黒田剛監督(青森山田)

松澤隆司(鹿児島実業)ご逝去→現、教え子の酒井監督

ついでに私の出身の山梨をおまけすれば、韮崎高校の
横森巧監督(韮崎)→現、山梨学院総監督

とまあ、こんなものですよ。
日体大を卒業した横森巧監督が韮崎に赴任した最初の年、1973年。私は甲府南高校の新入生ですぐにレギュラーになり、最初からセンターフォワードをやった。
(ちなみに私が甲府南中学時代にサッカーを習ったのは、当時甲府クラブを作り初代監督になっていた岩田監督である。甲府南で関東大会に何度か出場した。そのうちの一回は私もコーチとして同伴した。いまの浦和の三菱のグランドである。この大会で九州の大躍進を目の当たりにした。その中に後の大久保などがいたのかも知れない。)
その時やはり日体大卒業し、甲府クラブ(いまのヴァンフォーレ甲府)の選手兼コーチが、甲府南の監督として赴任した。
初めての日体大方式の真夏の合宿で、そのあまりの厳しさや苦しさに上級生が音を上げて全員抗議の退部。秋の新学期に部に残ったのがGK入れてわずか11人の一年生のみ。それが甲府南だった。
だから、二学期には私がキャプテンになり、1年目最後の三学期の2月の新人戦を率いたのだ。
なんとその時に対戦した相手が、優勝候補の韮崎だった。翌年高校総体サッカーの全国大会が韮崎で予定されていたために、韮崎はサッカーに強化したのだ。
結果は、部員たった11人の我が甲府南の大敗が予想されたがなんと試合は大接戦の
0−1
の敗戦。あわや勝利の場面すらあった。
いまでも覚えているが、私がシュートする度に、相手の横森監督の絶叫や激怒や叱咤が聞こえた。
それから、翌年、我が校にやはり日体大サッカー部出の平林監督がやってきた。正確が穏やかで、前の監督とは正反対。
そこに新入生がどどっと入部し、それを私と監督と二人の新任コーチで引っ張る。
高校生の変化は実に早い。成長期である。やればやるだけの成果が出る。
ぜんぜんリフティングできなかった選手でも卒業時には100回できるようになる。体力は20km走っても足がつらないようになる。
練習あるのみ。楽しくきつい練習を乗り切る。
そうやって、あっというまに山梨の韮崎の最大のライバルへと変身した。
そして、二年目の2月の新人戦。
ベスト8でまた韮崎とあたる。
今度は母校校庭で試合があった。いまでいうホームの試合。土の石ころだらけのグランドである。
延長戦で1−0で初勝利。
こうしてさらに韮崎は強化を続け、この夏の高校総体で全国初優勝を遂げた。
こうして若き横森監督は全国有数の名将に育っていった。
そして、20年後に中田英寿が登場する。
大学進学と同時に私はサッカーから物理学へシフトしたが、その本質はサッカー選手である。いまも週20〜30kmは走る。
名将の指導を受けた選手から、また次の名将が生まれ、またその名将となった次世代から、さらなる次世代が生まれる。
というわけで、すべて偶然のようでいて、実は必然なんですナ。
子供たちやその親御さんたちはこれを知らない。
やはりいい指導者の下で指導されるべきである。
我が国にはそんなにいないんだから、自分の目で確かめるべきである。自分や自分の子にあった人を。
まあ、これは病院探しでも、お医者さん探しでも全く同様。
こういう現実を知らないから悲喜劇が生まれる。
まあ、それが人生。生まれ変わって二回目に挑戦ですナ。
いやはや、世も末ですナ。
おまけ:
前橋育英の山田耕介監督の練習風景がこれだ。ここに優勝校のあのレアル的パスの秘密があった!
第96回高校サッカー選手権決勝:「高校サッカーには華がある」もっともレアルに近かった前橋育英!実に良い指導を行っている。
山田耕介のサッカー指導法 上達するための考え方とその実践 Disc3 sample

by kikidoblog2 | 2018-01-10 11:32 | サッカー&スポーツ