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平昌五輪が日本史に!?:「羽生・宇野の快挙は日本人全体のものではないだろうか!?」   

みなさん、こんにちは。

さて、昨日は我が国の冬季五輪史上、というより、我が国のスポーツ史上の歴史的な快挙の日となった。

言うまでもなく、羽生結弦選手と宇野昌磨選手の男子フィギュアの金銀メダル達成である。

「日本の神」羽生結弦V2をロシアなど大々的に報道
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これがどれだけ難しいことか?

心からの賞賛と敬意をもっておめでとうと言いたい。

おめでとうございます。

ご苦労様でした。お疲れ様でした。


さすがに超絶反日国の韓国の平昌開催のために、いったいどうなることかと思っていたが、

終わりよければすべてよし

の我が国の諺にあるように、率直に韓国にもヒラマサにも感謝しよう。

ありがとう! ヒラマサ五輪、ピョンチャンオリンピック!


ところで、今スポーツの祭典が行われているさなかに、何処かに行って、自分の旅を楽しむとか、会合するとかいう人達もいる、ブロガーの中にもそういう輩は多い。たとえば、キンタマンこと、玉蔵さん。

まあ、ご自分の人生だ。何をやっても結構なのだが、私はW杯があればW杯、クラブW杯があればクラブW杯、五輪があれば五輪。

そういうものに集中し、そこから何かを学びたいと考えるというタイプだと思う。だから、いまは真剣にヒラマサ五輪の競技を毎日興味深く見て、歴史の生き証人となるべく観察している。

おもえば、私がユタ大学に留学した1986年の秋、世界は米ソ冷戦のさなかにあった。

いまの日本がチャイナ疲れ、韓国疲れ、在日朝鮮人疲れ、パヨク疲れしてきているというように、当時のアメリカは「ソ連疲れ」「米ソ冷戦疲れ」のさなかにあった。

だから、日本のことなど一般米国民にはどうでもよかった。

そんな時代だったと思う。

ちなみに、いまは「世界の警察疲れ」「戦争疲れ」「中東疲れ」の最中にある。


だから、前にも何度かメモしたように、当時ある日本人がラーメン店を欧州で初めて作ったが、すぐに閉店になったという話を聞いたものだった。その理由は、

「西洋人(白人)は猫舌だから、熱いものが食えない。冷まさないとダメなんだ。」

というものだった。私も猫舌だから、その理由がよくわかったものだ。

一方、私は私で、ユタではよくポットラックパーティーといって、1人一品何か手料理と飲み物を持ち寄って、みんなでパーティーをするというものが一般的だった。

要するに、一品と飲み物がそのパーティーの参加費というわけだ。

そんな時代、あるパーティーにアメリアの本場のビーフのビーフカレーを作り、米も炊いて、ビールと一緒に持っていった。テーブルに並べて、眺めていると、だれも食べない。恐ろしそうに近づかない。

「なんだこれ?」

っていう感じで、スプーンに先っちょにちょっとだけつけて味わい、「まあ、変なものではないな」という感じであとは素通り。

俺は「お前ら、カレーライスを知らないのか?」と思いながら、彼らの連中の会話を追っていると、

「あれって、色が悪いよね。なんかウンコに蛆虫がうごめいている感じで、嫌よね」

ひえ〜〜、ウンコ+蛆虫か???

これが1986年頃のユタのソルトレークだった。

その後、ソルトレーク冬季五輪が行われたり、時間が経って、いまでは、我が国に年間2000万人もの外人さん(害人も含めて)来るようになった。


この32年の間にいったい何が起こったのか?何が変わったのか?

というと、やはり、ちょうどその時期から、宮崎駿さんと久石譲さんのジブリアニメができはじめ、それが全世界に配給され、

日本のアニメ、日本の漫画、日本のオタク文化、日本のかわいい文化、。。。

などが、全世界に流布していった。

おそらく、これが決定的な違いだったのではないかと思う。


そうしていまでは、在日米軍の兵士とその家族が何が一番好きか?

というと、なんとCoCo壱番屋のカレーライスだという時代になったのである。

ポーランド人やハンガリー人が海がなく寒い地方から暖かい海のある日本にやって来たいがために必死で日本語を学ぶ。

30年以上前なら、伝説の数学者や理論物理学者のほとんどがユダヤ系ハンガリー人だった。

フォン・ノイマン、ウラム、マンデルブロー、エルデシュ、。。。

だから、むしろ逆だったわけだ。

それが今では向こうから我が国の大学に留学しに来る。

そういう彼らが京都に取り憑かれ、東京のハイテク文化、新幹線に取り憑かれる。

そして、日本語そのものにも取り憑かれ、日本語が分かり、読み書きできるようになると、日本の文化にも関心がでる。


こうして、SEIMEIといえば、安倍晴明の晴明か、生命の生命か、姓名や声明とか、日本語の二重三重四重の意味の重なり具合の妙味というものも少しは理解できるようになったというわけである。

すくなくとも、そういうものが理解できる素養をもつものが世界中に現れるようになった。


また、そのジブリアニメの時代に、インターネット(これが欧米の素粒子理論物理学者や数理物理学者や数学者が生み出し発展させたものだが)が誕生し、それによって、日本の文化が外に出ていくようになった。

ちなみに、我が国に有線のインターネット網ができ始めたのは1996年のことである。無線のインターネット網はこの10年位で、2001年以降だったと思う。

だから、30年前にはいまのようなソフトバンクは影も形もなかった。

さらにスティーブ・ジョブのアップルやビル・ゲイツのマイクロソフトが生み出したパソコン(パーソナルコンピュータ)文化から、PCがどんどん小型化集積化し高性能化したために、大学でしか使えなかった電子計算機がどんどん個人所有できる時代になり、それが映像を扱えるようになり、どんどん小型化し、最終的にはスマホこと、スマートフォンという、携帯PCになった。つまり、ウェアラブル・コンピュータの一つの雛形になった。

これにより、YouTubeができ、映像発信が誰にもできるようになり、それまで文字情報しかインターネットで発信できなかったものが、映像まで発信できるようになった。

アニメコンテンツの発達
インターネットの発明
PCの進歩

こういった科学技術の進歩のために、

スマホでブログやYuuTube映像を見れる。リアルタイムで情報交換できる。

こういう時代に入った。

さらにこれに翻訳技術や翻訳ソフトの発展、AIの発展が重ねって進行中。

このために、我が国の文化伝統も国際的に広く知られるようになってきた。


というようなわけで、

フィギュアで、羽生選手が安倍晴明をモティーフにした曲と衣装で演じても、世界の人達がそれなりに理解する時代に変わっていた。

だから、羽生選手の前の伝説の五輪連覇のディック・バトンさん(88歳)もSEIMEIを

なんていうショーだ!

と絶賛したのであろう。そういうことになる。


この32年の間に、カレーライスがうんこと+蛆虫の料理の時代から、カレーライスならココイチが一番うまいという時代に変わっていたのである。

いうまでもなく、寿司は世界に回転寿司となって世界食に変わって行った。

32年前も甲元眞人先生夫妻とショウチャンザンさんといっしょにソルトレークの寿司屋で食べたことがあったが、その時代にもそれなりに寿司屋くらいどこにもあった。しかし、それはあくまで世界で仕事しているジャパニーズビジネスマンのものでしかなかった。

日本人ビジネスマンのいく先々に寿司屋や天ぷら屋もいっしょについていっただけのことで、それが現地人に認知されたというわけではなかった。


しかしいまやそれも逆。現地人が寿司屋を開き寿司を握りたがる。最近では味噌や日本酒まで。


こういう大きな日本文化の世界化の流れ。こういう歴史的転換点の上に

ついに若き日本の若者二人の偉業が成し遂げられた。


とまあ、俺は個人的にはそう思うわけである。


まあ、信じる信じないはアナタ次第。あなたのおむつ次第、じゃなかった、おつむ次第というわけですナ。


いい時代になったものだ。

が、すでに我々の青春時代はずっと前に終わっている。


いやはや、世も末ですナ。





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by kikidoblog2 | 2018-02-18 12:46 | 2018平昌五輪

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