「歩む者のない道」:三浦知良選手と葛西紀明選手に捧げる詩→俺も同じ「落選組」だよ!?
2018年 02月 21日
歩む者のない道
黄色い森の中で道が二つに分かれていた
残念だが両方の道を進むわけにはいかない
一人で旅する私は、長い間そこにたたずみ
一方の道の先を見透かそうとした
その先は折れ、草むらの中に消えている
それから、もう一方の道を歩み始めた
一見同じようだがこちらの方がよさそうだ
なぜならこちらは草ぼうぼうで
誰かが通るのを待っていたから
本当は二つとも同じようなものだったけれど
あの朝、二つの道は同じように見えた
枯葉の上には足跡一つ見えなかった
あっちの道はまたの機会にしよう!
でも、道が先へ先へとつながることを知る私は
再び同じ道に戻ってくることはないだろうと思っていた
いま深いためいきとともに私はこれを告げる
ずっとずっと昔
森の中で道が二つに分かれていた。そして私は…
そして私は人があまり通っていない道を選んだ
そのためにどんなに大きな違いができたことか
ロバート・フロスト (1916年)
「物理の森の中で道が二つに分かれていた」:「バック・ツー・ザ・フューチャー」
みなさん、こんにちは。
今回は私の個人メモのようなものである。普通の人には興味ない話だから、スルーでよろしく。
三浦知良選手
と葛西紀明選手
たぶん、性格も似ているのだろうが、夏のサッカーと冬のスキージャンプと競技の違いはあるが、その人生の岐路も良く似ている。
つまり、
落選組
だったのである。
三浦知良選手は、フランスW杯初出場のための立役者の一人だった。だから、確実にフランスW杯出場するものと見られていた。
ところが、監督がそれまでの三浦知良推しの加茂監督が解任されて、同年輩に近いコーチに過ぎなかった岡田監督に変わり、その結果、あの悲劇の伝説が生まれた。
伝説!外れるのはカズ
まあ、3人外すのは仕方がないわけだが、その理由を
「チームに得策ではないと判断した」
というようなことを言っちゃいかんでしょ。死刑宣告だよ、これは。
(実はこの理由もすでに解明されている。単に、若い城彰二選手が三浦選手と同室だったが、城彰二のいびきがひどく、逆に三浦知良は城のいびきや城の寝相の悪さからでる騒音で眠れず、先輩の和良が城に文句を言った。その結果、今度は城彰二が眠れなくなり、城が岡田監督になんとかしてくれと直談判に行った。その結果、いびき野郎の城の落選ではなく、1人部屋を要求した三浦和良が得策ではないとされて落選したというわけだ。要するに、予算の関係。しみったれた岡田監督の個性による結果だった。)
まあ、いま日本サッカー協会を牛耳っているのは、この時代の早稲田大サッカー部出身者。ちょうど私が高3のとき、早稲田サッカー部からレセプションの誘いが来たときのほぼ同年輩の連中である。
西野はこの時期の早稲田のスーパースター選手だった。いまは強化部長をしているようだ。
現会長の田嶋幸三は埼玉の浦和南出身、筑波大サッカー部出身のゴン中山や井原の遠い先輩にあたる。
このチームに得策ではないという意味が物議を呼ぶ。いったい何が?ということになるからである。
この衝撃が三浦知良選手の闘争心、負けん気に火を付けた。
その結果、ほぼ実際上はもうW杯出場は100%あり得ないにもかかわらず、その一縷の望みを信じて高齢になっても頑張る結果になった。
一方の葛西紀明選手の場合も非常に状況が似ていた。
葛西選手も長野五輪前の日本の三羽烏の1人だった。
原田、船木、葛西。
ところが、船木、葛西、原田、岡部で団体で優勝するはずが、ほぼ100%これで行けるはずが、なんと
船木、岡部、原田、斎藤
の四人が選ばれた。
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その結果、優勝。金メダル。
この衝撃は、葛西紀明選手の闘争心に火を付けた。
いったいだれが葛西を落として斎藤を上げたのか?
5人のうちで斎藤は最下位の選手。葛西は2位の選手だった。
ほんとこの理由はいまだに分からない。
これ以後、なんとしても金メダル。これを目指す結果になった。そして今日に至る。
長野五輪から20年後の今回の平昌五輪では葛西選手は惨敗した。
実際上は、もう永久に金メダルはない。にも関わらず、三浦知良選手と同様に、次の4年後の北京五輪を見ざすと宣言した。
ここもまだ現役サッカー選手を続けると宣言した三浦知良選手と瓜二つである。
どうしてそこまでするのか???
まあ、簡単に言えば、
男の意地
というやつでしょうナア。ふたりとも意地っ張りなんですナ。自分のプライドが許さないわけだ。
おそらく、三浦和良選手はピッチの上で死ぬのが本望だと思っているだろう。松田選手のように、ピッチの上で突然の心筋梗塞で倒れて死ぬだろう。
一方の葛西紀明選手はジャンプで失敗して競技場に激突して死にたいと思っているかもしれない。
死ぬまで永遠に現役選手を貫く姿勢というのは、私個人は実に好きである。私自身死ぬまで現役の理論物理学者として研究し続けるつもりであるからだ。またそうありたいと思っているからである。
私も三浦知良選手や葛西紀明選手と舞台は違うが、同じ落選組の1人である。
私の場合は、大学教授からの落選である。
再三再四の公募はこの20数年ですべて却下された。
20世紀の科学者にとり、大学院までの修行期間で学んだり身につけたりしたことを発揮する場所、つまり、スポーツ選手にとっての五輪のような場所は、最高級の研究施設を持った大学である。
だから、大学教授になってそこで研究するということは、オリンピックに参加するようなものなのである。
しかしながら、私も同様に落選し、ここ20数年間フリーの研究者としてなんとか研究を続けてきたわけだ。
この意味では、フリーで五輪に挑戦するアスリートに似た境遇だったといえるかもしれない。
世界記録ではないが、それなりに記録も残してきた。この意味でも良く似ている。
さて、問題は何かと言えば、フリーで生涯現役選手の場合、弟子をとらないということが問題になる。
私にも無論物理学者の弟子はいない。というより、弟子は取らない。息子すら弟子にしていない。
その理由はその後の就職に関して責任を持てないからだ。
はたして三浦知良選手や葛西紀明選手の場合はどうか?
彼らはそれなりのプロ組織に属しているから、まわりに同業者やチームメートはいる。
そういう意味では弟子になりそうな選手がたむろしている。心の弟子を標榜するものはいるだろう。
しかしながら、本来の意味の、指導者と選手という意味の弟子をもつには、やはり自分が指導者の道を進まないとできない。
三浦知良選手がサッカー部やクラブの監督になり、自分の考え方や技術や経験を伝授する。こういうことは監督にならないかぎり無理である。
葛西選手も同様である。自分のジャンパー経験を選手に伝えるには監督やコーチにならないとできない。
はたしてこの問題に関して彼らはどう対処するか?
自己の完結と自己経験の伝授
前者が子供としての部分であり、後者が大人としての部分である。
人はみないつまでも子供の頃の夢を追いかけたいという願いと年齢とともに自分の社会的役割を果たさなければならないという現実との間で生きる。
つまり、簡単に言えば、
夢と現実との間で生きる。
最初から夢がない人、すぐに老ける人、自分の夢より他人の方が大事な人。こういう人たちにはこういう問題はあまりないのかもしれない。
もしも岡田監督が三浦知良選手をW杯に出していたら?
もしも葛西紀明選手が長野五輪で金メダルを取っていたら?
その後の展開はどうなっただろうか?
この「もしも〜」が効かないのが人生なのである。
ここがもどかしいところで、この世界の実は本質をついているところなのである。
頭の中や理論上では、平行な宇宙、平行な現実というものを想定はできる。しかし、現実世界はどれかを選べばそれしかできない。別の道はありえてもそこは実現しようがない。だから、別の道を選択したらどうなったかは知りようがない。
別の道で上手く行ったかもしれないし、それでも失敗したかもしれないし、それ以外の第三の問題が出てきたかもしれない。
要するに、この世界は「過渡的世界」なのである。一過性の現実の世界なのである。つまり、後戻りできない不可逆性の世界というよりもっと強く、たった一回こっきりの世界なのである。
というわけで、一つの道を進んだ選手はもはや後戻りはできない。
東大官僚の代えは効く。しかし、三浦知良選手や葛西紀明選手の代わりは存在しないのである。
いやはや、世も末ですナ。
by kikidoblog2 | 2018-02-21 10:03 | 個人メモ