福岡正信に起こった奇跡「無の思想」:あの晩、横浜根岸のフェリスの教会の崖でいったい何が!?   

ジブリの宮崎駿の一言

火星を人が住めるようにしたい?
だったら、その前に
サハラ砂漠を人が住めるようにしてみろ!




福岡正信さん
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みなさん、こんにちは。

一昨日うぐいす
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が鳴く最中をジョグをしていたら、なんともう桜が満開の木があった。
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たぶん早咲きの桜なのだろうが、立派なソメイヨシノだった。

昔の若い頃は桜の満開をみてもなんとも思わなかったが、
最近では一年一年桜の花を見ると、なんとか生き延びたなあという気になっている。
実に不思議である。

さて、最近図書館で例の福岡正信さんの本を借りて、
ちょこちょこと部分的に辞書のようにして眺めている。

わら一本の革命、<自然>を生きる、自然に還る、無 I, II, III
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どの本も実にすばらしい。

なかなかこういう本を書ける人、生み出せる人、書こうという人、
こういう人はいないのではなかろうか?


私は自分でも本や論文を書いた経験があるからわかっているが、
やはり著作者というのは、「一番最初が一番」なのである。

それがどんなに不備だったり、不十分だったり、拙いものだったとしても
一番産みの苦しみ(男にはわからない表現だが)を味合うもので、
それゆえ、もっとも人生にとって重要な著作、作品になるのである。


これは、故大野乾(すすむ)博士は、

一創造百盗作

と言った。

青色発光ダイオードの発明も、1993年頃、ここ阿南の日亜化学の、
社員200人程度の会社の、
そのまた、母屋から離れた一角にある、
小さな半導体部門の実験施設の中で誕生した。

たった一個。

それが青く明るく光った

あとは同じことの繰り返し。あるいは、その改善改良にすぎなかった。


研究論文も本もまったく同じである。

最初の一歩。

私の一歩は小さいが、これは人類の偉大な一歩である。
私の足跡は小さいが、これは人類の偉大な足跡である。


これですナ。


さて、そういう「福岡正信」さんの本の中で、「無」という本、
自称「無の思想」という本、
これがまた深いい本であった。


私は大学(理大理工)の哲学の授業で、ソクラテスの無知の知
というのをテーマに試験レポートを作った。
だから、ソクラテスの無知思想には詳しくはないが、非常に頭に残っている。
エッセンスはよく理解していたと思う。

だから、この「無」という漢字のある本はすぐに目を引かれた。

そして、三冊のシリーズを集めて見れば、

無I「神の思想」、無II「無の哲学」、無III「自然農法」

であった。

上にメモしたように、人間万事最初が大事、というわけで、
この福岡正信さんの一番最初の本はどれか?
と調べるわけだ。

福岡正信

略歴[編集]
1913年 - 愛媛県に生まれる。
1931年 - 松山中学卒業。
1933年 - 岐阜高農農学科卒業。
1934年 - 横浜税関植物検査課に勤務。
1937年 - 一時帰農。自然農法を始める。
1939年 - 高知県農業試験場(現・高知県農業技術センター)に勤務。
1947年 - 再び帰農。自然農法一筋に研究を開始。
1975年 - 「自然農法・わら一本の革命」を出版。
1988年 - マグサイサイ賞「市民による公共奉仕」部門賞、インド・デーシコッタム賞など受賞。
1997年 - 第1回アース・カウンシル賞受賞(日本人同時受賞者に竹下登、平岩外四、原田正純)。
2008年 - 8月16日午前死去。

著書[編集]
本[編集]

『無』、伊予: (自費出初版)、1947年2月2日。[13][14]
『百姓夜話・「付」自然農法』、伊予: (自費出初版)、1958年10月。
『無2 緑の哲学』、伊予: (自費出初版)、1969年5月。
『無3 自然農法(と理論と実際 緑の哲学 実践編)』、伊予: (自費出初版)、1972年4月25日。
『無1 神の革命』、伊予: (自費出初版)、1973年7月。
『無 別冊 緑の哲学 農業革命論』、伊予: (自費出初版)、1974年8月。
社会観 『わら一本の革命』 (分類について[15])
『自然農法・わら一本の革命』 (新版) 春秋社、2004年8月 [1975年]。ISBN 978-4-393-74141-2。(スタート、序章[15])
  (初版) 柏樹社、1975年9月。(新版) 春秋社、1983年5月 ISBN 978-4-393-74103-0。
『自然に還る』 (新版) 春秋社、2004年9月 [1984年]。ISBN 978-4-393-74146-7。(コース、過程編)
  (初版) 春秋社、1984年8月 ISBN 978-4-393-74104-7。(新版) 春秋社、1993年4月 ISBN 978-4-393-74114-6。
『神と自然と人の革命』 (自費出新版)、伊予: 自然樹園、1992年12月 [1987年]。ISBN 4938743019。(ゴール、総括編)
  (自費出初版) 『神と自然と人』1987年 NCID BA83902799。(自費出新版) 1991年11月 NCID BN08239853。(自費出新版) 1995年。
人生観 『無』
『無Ⅰ 神の革命』 (新版) 春秋社、2004年8月 [1973年]。ISBN 978-4-393-74143-6。(宗教編[15][16])
  (自費出初版) 1973年7月。(新版) 春秋社、1985年7月 ISBN 978-4-393-74111-5。
『無Ⅱ 無の哲学』 (新版) 春秋社、2004年9月 [1969年]。ISBN 978-4-393-74144-3。(哲学編)
  (自費出初版) 1969年5月。(新版) 春秋社、1985年7月 ISBN 978-4-393-74112-2。
『無Ⅲ 自然農法』 (新版) 春秋社、2004年9月 [1972年]。ISBN 978-4-393-74145-0。(実践編)
  (自費出初版) 1972年4月25日。(新版) 春秋社、1985年10月 ISBN 978-4-393-74113-9。
『自然農法 緑の哲学の理論と実践』 (初版) 時事通信社、1975年12月。ISBN 978-4-7887-7626-5。
『粘土団子の旅 わら一本の革命 総括編』 (自費出初版)、伊予: 自然樹園、2001年5月。ISBN 978-4-938743-02-4。
  (重版) 春秋社、2010年4月 ISBN 978-4-393-74151-1。
と 金光寿郎 『「自然」を生きる』 (新装版) 春秋社、2004年8月 [1997年]。ISBN 978-4-393-74147-4。
  (初版) 春秋社、1997年2月 ISBN 978-4-393-74115-3。
『自然農法 福岡正信の世界 (DVDブック)』 (初版) 春秋社、2005年1月。ISBN 978-4-393-97019-5。
と 、井谷カヨコ、野村美詠子 (翻訳)、矢島三枝子 (翻訳)、益田明美、阿部悦子、将積睦 (解説冊子)、Michael T. Seigel (翻訳):編、 (二言語 英語訳) 『いろは革命歌 Iroha Revolutionary Verses』 (自費出初版)、伊予: 自然樹園 (小心舎)、2009年2月2日。ISBN 978-4-938743-03-1。



すると、この情報が正しいとすれば、

『無』、伊予: (自費出初版)、1947年2月2日。→24歳のとき

が一番最初の本だった。


その後の講演録である「自然を生きる」の第一章には、

20歳過ぎた頃結核にかかり人生を悲嘆して自殺しようとしたが
それができずに寝た翌日、この世界のすべてがわかっていた。


という話が出ている。

それが再度テレビのインタビューで話したのが、以下のものである。(5分38秒すぎあたりから)

福岡正信 2006 自然農法60年の歩み「粘土団子世界の旅」


ウィキにはこうある。
若い頃は横浜税関の植物検査課に所属し研究に没頭していたが、急性肺炎にかかり死に直面すると、「この世には何もない」と悟り、仕事をやめ地元に戻り農業を始めた。「やらなくてもいい」ことを探しながら、つまり科学農法を否定するために多くの失敗を重ね、自然農法を確立していった[1]。


しかし、御本人の話では、急性肺炎ではなく、結核である。
ペニシリンのなかった当時は不治の病。

それを苦にして自殺しようと、
根岸にあるフェリス教会の裏手の崖から
飛び降り自殺しようとした。
しかし怖くてそれができずにへたって
そのままその場で寝てしまった。
早朝、空が白らんだ頃、うとうとしていたら
五位鷲がぎゃーと鳴いて
その声で目が冷めた。
ただそれだけ。
しかし思想がそれまでと正反対になっていた。


これが20歳か21歳のころらしい。当時は、横浜勤務。
だから、横浜の根岸の教会の裏の崖に行った。


そこで、本当にそんな教会があるのかとみると、いや〜〜今もあるようだ。

いまは根岸森林公園となっている場所である。

2.根岸森林公園、白滝不動尊、根岸八幡神社、旧柳下邸へ。

横浜国際バプテスト教会(YIBC)
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しかし、この教会は1960年に米軍が建てたものらしい。だから、違う。

フェリスの教会というものであるから、おそらく、山の手教会というやつかもしれない。

しかしこのあたりは崖だらけの地形のようで、崖があり、教会があったというのは
その通りだろう。

そこから福岡正信さんは飛び降りしようとした。

それにしてもこの辺はキリスト教会だらけですナ。

根岸(神奈川)駅周辺のキリスト教会(52)

末日聖徒イエス・キリスト教会=モルモン教はあるし、バブテストもあるし、
カソリック、プロテスタント、ウリスト教、。。。。


1947年以前にあったというから、どれなのか?


とにかく、20ちょっとすぎの福岡正信さんは、その崖の上のポニョになった。

そうしたら、鷲に起こされて、一気に開眼したのだ。


ところが、人間万事塞翁が馬。

まだ自分に起こった出来事の重要さに気づいていなかった。

それで、その後の何年かは自分の思想の変化はわかっていたが、
それまで通りの人生に戻ってしまった。

どうやら、それが一度は出身地の愛媛に戻り、自然農法を手がけたが
すぐにまた高知に行き、普通の勤務に戻ってしまった時期があるということらしい。

しかしまた自然農法に戻る。

それが1947年の前。

そして、再び自然農法に戻る。まさに「自然に還る」である。

そこで書いたのが、最初の本「無」であった。
『無』、伊予: (自費出初版)、1947年2月2日。

これが後に、
まず「百姓夜話」になり、それが「無の思想」となり、「無 I, II, III」になった。


おそらく、この「無」という思想が、あのフェリスの教会で

神様が授けた知恵だったのではないか?


農協勤務のような仕事は、いわば現代化学の下僕、
農薬を使って肥料をやり、虫や草を駆除し、
農機を使って耕し、ただ高額の作物をつくって売る。

こういう農業である。工業化した農業。

岐阜の農業学校でそれを学び、現代の農業の発展を目指して
人生を始めたのである。


ところが、あえなく結核で死という人生のタイムラインに乗った。

ところが、フェリスの教会で奇跡が起こり、
考え方が逆転した。

つまり、
工業農業→自然農法
への大転換

が起こったわけだ。

しかし、それはあくまで結果であり、現象である。
原因ではない。

では、原因、すなわち源泉、根源は何か?

というと、
無の思想に目覚めた
ということである。

この無の思想、これが実に面白い。

が、これはまた今度にしておこう。


ではまた。お元気で。



いやはや、世も末ですナ。





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by kikidoblog2 | 2018-03-15 10:19 | 福岡正信・自然農法

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