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福岡正信に起こった奇跡「無の思想」2:「この世のすべては無であった」我思う故に世界あり!?   

ジブリの宮崎駿の一言

火星を人が住めるようにしたい?
だったら、その前に
サハラ砂漠を人が住めるようにしてみろ!




福岡正信さん
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みなさん、こんにちは。

さて、図書館に本を借りに行って戻ってきたから、忘れないうちに、福岡正信さんの無の話。


ところで、世界の陰謀論や陰謀暴露論にどっぷりハマった人は、いま第三世界が貧困で大変だ〜〜。というような話でもちきりだろう。

しかしながら、第3世界ほど未開墾、使われていない土地がある。

食うものを買う金が無い?→だったら、暴動???

って、ちょっと気が早すぎなんじゃね?

耕す器具がない?

だったら、耕運機を盗んで来る?だれかが耕運機をくれるまで待つ?

耕す気力がない?

だったら、耕す必要もない。ただ種子粘土団子を撒くだけ。

種の団子=種子団子を作って、それを空き地に蒔けば良い。

それも、

できる限り多くの種類の野菜や果物や米や麦の種を
1個ずついれた粘土団子を蒔く。

どうしてベネズエラ、ブラジル、。。。。の人たちは、サッカーボール蹴る暇あったら、
種子粘土団子を作って、蒔かないのか?

一度蒔けば、後はサッカーしていようが自然がやってくれる。

これが、福岡正信さんが発見した自然農法である。


ちょっと脇道に逸れたが、結論からいうと、

この福岡正信さん、まさにソクラテスやプラトン並みか、それ以上の
まさに自然哲学者ですナ。

なぜなら、ソクラテスやプラトンは西洋世界しか知らなかった。
だから、せいぜいルーツは大西洋にあったと信じたアトランティス文明まで。

ところが、福岡正信さんは戦前大正2年生まれの日本人だ。
だから、我が国は、和魂洋才で世界文明化の真っ只中にあった。

東洋と西洋と日本を融合させるそういう国で生まれた。

そして、戦後になって平和になった頃、世界中を旅して回った。

だから、福岡正信さんの思想は、
地球規模、
本当の意味でグローバルな視点に立っているからである。

そういう20世紀の農業の実態、現実、今我々がNWOの計画と呼ぶもの
その現実をみてきたのである。


そして、若干20歳そこそこで体験した神さまのくれた奇跡。
その御蔭で、現代農業から自然農業への大転換が起こった。

そして、ついに神様の国「エデンの園」の農法を発見した。

エデンの園には何でも生えていた。
食べ物、果物、植物なんでも生えていた。
だから、神々は食べたいときにリンゴを手にとって食べることができた。

なぜ???

自然にはやしたからだ。すべて自然に任せた。


だから、西洋人が来る前のインドネシアやフィリピンでは、
人々は食べたいときに森に行ってバナナをとって食べ、
欲しい時に水を飲めた。

いわば、天然のエデンの園であった。


それがどうしてできなくなった?


つまり、奴隷化したからだ。

外人である白人さんが、お前の国はバナナだけ作れ、とか、
お前の国は綿だけ作れ、とか、
命令したからである。

これで東南アジアの農業形態が自然農業から人工的な工業的農業に変わった。

つまり、白人のいうところの、農場=ファームになった。


昔、米は自然に地に生えていた。

それを開墾して田んぼを作るようになった結果。

米が通貨になった。


米作というのは、昔に起こった工業農業の意味である。


そこで、何が問題か?


というと、こういう考えには、「物の価値」というものが、仕込まれている。


米が主食

こういう価値基準が米に価値を与える。

その結果、他のアワ、ヒエ、クリ、麦、大麦、。。。。は主食ではなくなった。


昔は米もそういう作物の一つにすぎなかったから、
米を食べなくても問題はなかった。皆元気だった。

ところが、米を食べないと力が出ないと信じるようになった結果、
米を食べないと調子が悪くなる人間になった。

それが我々日本人である。

いまは、戦後、その米を小麦に変えられ、
パンを食べないと不調になる日本人だらけになった。

こういう小麦ベースの人間にとっては、
米はアワ、ヒエ、大麦と変わらない。


じゃあ、これの何が問題なの?って、いうことになった。

そこで、福岡正信さんがいう。

というより、福岡正信さんがいうところの
「いつも話にやってくる白髪の老人さま」がいう。


「それはお前が勝手に主食を米だと決めたからじゃよ」

外人は「主食が小麦」だと決めただけ。

インド人は「ナン」、西洋人は「パン」「パスタ」、支那人は「麺」、

アフリカ人は芋。


だから、結局、小麦アレルギーになれば、グルテンフリーの米に変わって、
アメリカ人が文字通りの米人になった。

そして、寿司、醤油、味噌汁の味を覚えた。

米が主食になれば、醤油味噌ベースが良いのは当たり前。

肉が主食なら、ソースやウースターソースがぴったりなのは当たり前。


つまり、ここには何も本質的理由はない!

そうじゃなきゃいけない理由はまったくなかった!


これが、福岡正信さんの大発見である。


つまり、この世界がこの世界に見えているのは、一種の幻想。
つまり、人間がそうあるように信じた結果にすぎないのだということなのである。

自分で自分の生活を定義して、必死でそれにしがみつこうとしているだけだ。

つまり、その根源においてそうすべき理由がないとすれば、

すべては無であった、ということになる。

これが、福岡正信さんのいうところの「無の思想」である。


この地球には、別に人間様がかってにやっておる、科学農業だけが農業の形態ではない。

たとえば、普通の農地栽培ならせいぜい10個程度しかならないトマトも
水耕栽培なら、1万個もとれる。

これは、我々が勝手にトマトのなり方を偏見の目でみていたからにすぎない。

同様に、自然農法でやれば、大根も普通の畑のものよりずっと巨大になる。


つまり、解は一つではないということである。別解が存在するのである。

ただ我々が知らないだけ。


つまり、我々が知っているということは全部嘘だということになる。

これ、すなわち、ソクラテスの無知の知以外の何物でもない。

しかしソクラテスは2500年前の西洋ギリシャの文明圏での話だから、
農業には詳しくはなかった。
主に国家間の政治や思想的な意味での無知の知にすぎない。


一度、物事の根底においてブレイクスルーをしてしまえば、
すべてが新鮮、すべてがこれまでとは変わって見える。
その結果、同じ脳の容量でも、脳が何倍も活性化し
実際に頭も良くなる。

これは経験したことがないと分からない。


ところで、これと似たことが、あの保江邦夫博士にも起こった。

ドイツで講演に行く最中に、ドライブ中の車でアウトバーンで時速160km
以上に差し掛かったとき、
まるで、マーティとブラウン博士のデロリアンのように、
突如振動が止まり、ゾーン体験に入った。

その瞬間、額の裏にたった一つの方程式が浮かび上がった。

これが現代、確率変分学で「保江方程式」と冠された有名な方程式の起こりだったという。

これがブレイクスルーである。

すると、それ以前とそれ以後とでは
同じものをみても、つまり、同じ方程式を見ても
それまでとはまったく違って見えるようになるのだ。

これまでのやり方、これまでの式、こういうものが実に陳腐で偽物か
見えるようになるのである。
実は私も1,2回そういう経験がある。

答えが先に分かり、その証明を後から追求するのである。
こういう場合、不思議なことにまったく間違わない。


また、この保江先生は、かの聖人エスタニスラウ神父の下に行ったとき、
神父からアドバイスをもらったのだが、
それがその直後では、まったく思い出せない状態になった。
つまり、一種の記憶喪失のようになったという。

ところが、日が経つに連れて、徐々に断片的に思い出す。
そうして、かなりの年月が経ったころには、聞いた教えの大半
がもうすでに自分の頭の中深くに染み込んでいる。

福岡正信さんに起こった奇跡もこれに近い。

教会の断崖で眠って起きたときに気づいた思想の大逆転。
それがその後の10数年で完成していったのである。

1930年代に起こった奇跡が、1947年以降の本になったわけだ。

そして、ひとたびこういう経験をしてしまうと、もう後戻りはできない。
あとはそれにしたがうほか人生はない。

たとえそれがどのような人生になろうが、宿命である。

退却は許されない。


こうして、福岡正信さんは「自然農法の祖」となった。
リチャード・バックミンスター・フラーは「シナジェティクスの祖」となった。
保江邦夫博士は「確率変分学の祖」となった。

俺?

おれは「多変数準超幾何関数の祖」(の1人)となった。


最初の序:『無』自序(昭和22年=1947年)は、こう始まる。

無い。
何もない。
何でもなかった。
人間は価値ある何ものも所有してはいなかった。

すべての常識を大真面目に否定する私は、馬鹿なのか、私は狂っているのであろうか。
。。。



再版の序(昭和33年=1958年)は、こう始まる。

若いとき私は、ある一事を知った。
それから。。。漠然とした10年がすぎ、さらに何をすることもなく、怠惰な20年〜30年と時がたった。
過去は一瞬の夢であったようでもあり、長い長い無限の時でもあったようにも思われる。
。。。
この書は平凡な一百姓の人生報告ではない。
私を支配して、私の一生を狂わしてしまった一事が何であったかを書こうとしたにすぎない。
不可能と知りながら。。。。



『無』三部作のしおり(昭和60年)には、こうある。

私は終戦後まもない頃に『無』と題した謄写本を出した。
それを昭和33年に『百姓夜話』と改題して出版した。
私はこの一書にすべてを書きつくしたつもりで、二度とペンをとるつもりはなかった。
だが10年たった後に、読者の不満から『百姓夜話』を哲学的に解説した『無』を、さらに自然農法を主体にした実践編として『緑の哲学』を出版するはめになった。
もちろんいずれも特異な内容のため、自費出版の限定版で、世間の片すみでほそぼそと読まれたにすぎなかった。
ところが時代は変わったのか、忘れかけたこの頃になって、この『夜話』『無』の再版を要望する声が多くなった。
この機会に、もともとこの三部作は一冊の本として出されるべきものであったので、総括して、標題も『無』に統一し、内容も大巾に補足して、面目を一新して出すことにした。

。。。

この書がどんなに粗雑で、愚劣であったとしても、これが彼岸と此岸を結ぶ一本の丸木橋であるという私の確信はゆるがない。
なぜならば、愚人の私と神の共著であるからである。
貴方が信じてこの橋を渡ってゆけば、やがて彼岸の神と対話できるはずである。
ただ残念ながらこの丸木橋は現在極めて粗末である。
でも人々がこの丸木橋のどこが悪いか、不完全なところを指摘してくれさえすれば、どのようにも補足することができる。
この丸太の橋は、あなたと神の協力によってのみ完成される。



長くなったので、今回はここまで。

ではお元気で。



いやはや、世も末ですナ。





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by kikidoblog2 | 2018-03-15 13:34 | 福岡正信・自然農法

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